第11話 アレンの過去

 首領の男と、その部下たちの応急処置をした後、アレンたちは先を急いで出発した。

 ナターシャたちと別れてからしばらく、イリアは黙り込んでいた。時折マルギットが話しかけても、気のない返事をするだけで、どこか上の空だった。

「大丈夫か、イリア」

「大丈夫です。まだまだ元気です」

 彼女は両腕を構えて、ファイティングポーズを取る。

「さっき言われたことを気にしているのか?」

 アレンが背中越しに尋ねる。彼女の顔を見なくても、顔を顰めて、俯く様子が容易に想像つく。

「私は彼らを解放すれば、全て解決すると思っていました。でも、そうじゃないんですね」

「まあな。そこまで単純じゃない」

「もっと良いやり方があったのでしょうか?」

「さあ? わからない。もしかしたら、あるかもな」

 煮え切らない答えに、イリアも頬を膨らませて抗議の意を示す。だが、こう言うほかない。

「アレンさんならどうしましたか?」

「その質問は無意味だ。俺なら、彼女を奴隷商から買うことはしなかった。慣れていないかもしれないが、ああいうのはどこにでもある」

 自分で言っていて、全くもって見当はずれなことを言っていると思う。

 ナターシャの一件は、今の時代、どこにでもあることには違いない。だが、ありふれていようが、理不尽は理不尽に変わりなく、ありふれているからといって、本来それは見過ごされていい理由にはならない。

「御伽噺のようには行きませんね」

 イリアは冗談っぽく苦笑した。

「そうだな」

 あるいは勇者であれば、颯爽と現れて、みんなが満足する方法であっという間に解決したかもしれない。しかし、現実は御伽噺ほどシンプルじゃないし、何より自分達は勇者じゃない。

「だが、君が無謀なことをしたおかげで、ナターシャは生き地獄を見ずに済んだし、ミックと再会することができた。それもまた事実だ。上手くいかなかったからといって無意味というわけじゃない。君もさっきミックに言っていただろう。次はもっとうまくやれ」

 イリアのやり方は決して完璧ではなかった。だが思いを行動にした少女と、黙って何もしなかった男では、果たしてどちらが間違っているのか。彼女を間違いだと断じてしまったら、その時点で、引き換えに大事なものを捨ててしまうような気がした。

「アレンさん……」

「随分と優しいわね。私にもいつもそれくらい優しくしてよ」

「やかましい」

 口を尖らせて文句を垂れるマルギットを一喝する。奴は悩まないし、助けを求めるときはいつも満面の笑みだ。「やっちった。てへ」と舌を出しながら、遠慮なく面倒に巻き込む。そんな奴に優しくする必要はない。

「ナターシャは、別れる時も笑顔だっただろ? 彼女の笑顔を守ったのは君だ。誇っていい」

 別れ際のナターシャは、奴隷市場で商品として会った時とはまるで別人だった。

 諦めと恐怖に怯えていた少女は、真っ直ぐと前を向き、手を振ってイリアたちを見送った。鎖のない、自由な姿で笑う少女を救ったのは、確かにイリアなのだ。

「だが、次はやる前に俺に言ってくれ。俺が教えられることもあるかもしれない」

「ごめんなさい……」

 イリアは肩を落としてしゅんとした。

「ま、今回は反省もしているみたいだから、許してやってよ」

「そうだな。結果は悪くなかった」

「ほら、こう言っているし」

 彼女を元気づけようと、マルギットが肩を抱いて乱暴にゆする。

「これからは物知りアレンさんが、なんでも教えてくれるって」

「また適当なことを言うな」

「さ、気になっていること、ドシドシ聞いちゃおう」

「聞いちゃいねえよ」

 マルギットに促され、イリアは躊躇いがちにアレンの顔を見上げた。どうやら聞きたいことはあるらしい。

「あの、さっき言っていた『工場』って何のことですか?」

「おお〜、いきなり踏み込むねぇ」

「え、まずいこと聞きましたか?」

「やめてやれ」

 自分から振っておいて茶化すマルギットを嗜める。アレンは渋面を作るが、ついさっき自分に聞けと言った手前、無下にするのは憚られた。

「……文字通りだよ。勇者を作るための工場だ」

「勇者を、作る?」

 まるで物を作るような無機質な響きに、イリアは不思議そうに首を捻る。

「勇者は生まれながらに勇者だったわけじゃない。それはわかるか?」

「ええと、只人の中から適正のある人を、魔法と薬で強化したのが勇者だと、母さんから聞いたことがあります」

「そうだ。だが身体的な適性があるとはいえ、所詮は只人だ。超人じゃない。超人を生み出すには、体を根本から作り直す必要がある。だが体が完全に出来上がってからいじろうとすると、強烈な拒絶反応を起こすから、処置は幼少期から始める必要がある。『工場』は、幼い子供を勇者として作り直すための施設だ」

「子供の体を、作り直す? 人体実験ということですか?」

 イリアは立ち止まり、半信半疑という風に怪訝な顔をした。率直な表現に、アレンは思わず苦笑した。

 全くもって妥当な言葉だ。子供の頃から体を鍛えさせ、薬を投与し、時には体を開いて、骨や筋肉に手を加え、体を作り替える。全ては、勇者の剣の力を受け止められる器を作るためだ。

 勇者はこの世に七人しかいないわけだから、工場にいる子供全員が勇者になることはない。施術に耐えられず、途中で体に不調をきたして命を落とす者も出てくる。最後に残ったものだけが、次の勇者となるのだ。

 これを人体実験と言わずに何というのか。

「ああ。身寄りのない子供を引き取ってな」

「アレンさんも、無理やり工場に入れられたのですか?」

 またしばし沈黙。これまた答えにくい質問だ。工場の実態を聞けば、普通は強制されたと思うだろう。

 だが、アレンは事情が違う。

「……いや、俺は自分で望んで工場に入った」

 イリアは目を丸くして、「な、何でですか?」と当然の疑問を口にした。

 アレンは頭をかき、仕方なく白状する。

「簡単だ。勇者になりたかったんだよ」

「は?」

 今までで一番間の抜けた顔をするイリアは、唐突な冗談に苦笑いをしたが、アレンが大真面目に言っているのだと気づくと、彼女はにやけた顔を引っ込めた。

「すみません。アレンさんから、そんな言葉を聞くとは思わなくて」

「ね〜」

「……自分で言っていて似合わないと思うよ」

「アレンさんは、どうして勇者に?」

 改めて聞かれて自分語りをしないといけなくなると、不意に恥ずかしさが込み上げてくるのは何故なのか。自分の恥ずかしい過去を晒すように感じるからか。

「俺が子供の頃、住んでいた村が魔族に襲われたことがある」

「……」

 イリアが思わず足を止める。別に彼女が悪いわけではないのに、申し訳なさそうに瞳を伏せる。

「村が焼かれ、親は殺され、ひとりぼっちで座り込んでいた」

 自分の家が炎にまかれて崩れ去り、今まで暮らしていた場所がまるで何もなかったかのように消え去っていく光景を目の前にして、子供の自分は何もできなかった。

 両親を殺めた剣が自分にも突きつけられ、次には自分も殺されるかと思った瞬間。

「そんな時、彼女が現れたんだ」

「彼女?」

「『正義』の勇者。セシリア・レンフレッド」

 それが、少年とセシリアの出会いだった。

 偶然近くにいた彼女が駆けつけ、村を焼いた魔族を一蹴した。

 その鮮烈な光景が、少年の瞳に焼きついた。

 工場に入った理由は、なんてことない。

 年頃の子供の例に漏れず、勇者に憧れた。ただそれだけだ。

 御伽噺の中でなく、現実に、目の前に颯爽と現れて命を助けてくれた戦士の後ろ姿に、八歳の子供は救いと、畏怖と、そして憧憬の念を抱いた。

 風に靡く彼女の後ろ髪を美しいと思い、彼女の凛々しい横顔に見惚れ、彼女の持つ白銀の輝きを湛える剣に、心臓がドクンと跳ねた。

 だから、彼女に憧れ、彼女のようになりたいと願った。

 彼女くらい強くなれたら。勇者という、無力さとも、悲しみとも、絶望とも無縁な存在になれたらと。

 身寄りを無くした少年は、その想いだけで工場の門を叩いたのだ。

 実際の勇者は自分が思ったようなものではないと知るのは、そのずっと後のことだが、少なくとも当時は進んで工場に入った。

 刃物で体を切られ、中身を弄り回されて、想像を絶する激痛に何度となく涙を流しても、後悔はしていなかった。過酷な訓練にも、イリアの言うところの人体実験にも、必死になって耐えた。

 俺は勇者に、『正義』の勇者になりたかった。

「やっぱり、『正義』の勇者を知っていたんですね」

 イリアはさほど驚く様子もなく、むしろ納得した風だった。

「勇者になるための訓練、ですか。それならアレンさんの剣の腕も納得ですね」

「まあ、結局俺は勇者にはなれなかったけどな」

「アレンさん以外に、後継者がいたということですか?」

「いいや。俺以外の孤児達は、全員脱落した」

「……え?」

 さらりと言ってみせたが、振り返ると案の定イリアは青白い顔をして、吐き気を堪えるように眉間に皺が寄っていた。

 どれだけ子供の適応力が高いとはいえ、身体を弄られて、全員が全員無事に済むはずもない。命を落としたルームメイトだっていた。脱落という言葉で隠そうとした言葉の裏を、イリアは容易に見抜き、震えていた。

 当時、魔王と魔王軍に脅かされた人々は、勇者という圧倒的な力に活路を見出し、その力を維持し、さらに強くしようと躍起だった。手段を選んでいる余裕などなかったのだ。

 そういう時代だったんだよ、という言葉は、イリアに届いていないだろう。

「アレンさんは、怖くなかったんですか? その……周りの人がいなくなっていくわけですから」

「怖かったさ。自分と同じような境遇の奴らがいなくなることに、恐怖や苦しさはあった」

「なのに、工場に居続けたのですか?」

「ああ。何もできずに奪われ、泣くことしかできないより、ずっとマシだと思ったんだよ」

 そう言うと、少女ははっとした様に顔を上げて何かを言おうとして、すぐに目を伏せて言葉を飲み込んだ。感情の起伏がわかりやすい少女だ。

 ミックのことをとやかく言う権利など、本当はアレンにはない。自分自身がその道を行ったのだから。同族嫌悪とはこういうものかと、アレンは新しい発見に不愉快になる。

「でも、それなら尚更、どうしてアレンさんは『正義』の勇者にならなかったんですか?」

 彼女の問いには、勇者の『真実』の姿を知ったからだと答えるべきだが、経緯を語らずにそう言っても、彼女にわかるはずもない。

「工場を出た俺は、『正義』の勇者の、セシリア・レンフレッドの門弟として、彼女と再会した」

 最初の出会いから五年。やっとの思いで果たした再会を、今も覚えている。アレンは十三になって、背丈もだいぶ伸びていた。自分の体が大きくなり、彼女の背中は前よりも小さく見えて、自分が彼女に近づけているような気分になって嬉しかった。

 五年前、あなたに助けてもらいました。

 あなたのようになりたくて、ここまで来ました。

 そう言った時の彼女は、目を見開くと、どこか悲しそうに目元をふせ、「そっか。大きくなったね」と笑った。

 頭をくしゃくしゃと撫でられ、しまいにはぎゅっと抱きしめられた。彼女にとってはあの頃から変わらない子供なのだと悔しくもあったが、その暖かさにふと、亡くした母さんを思い出し、不本意にも泣いてしまった。

 そして、彼女は言った。

 あなたは、私のようにはなってはダメよ。

「まあ、なったんだけどな……」

「え?」

「何でもない」

 アレンは誤魔化して微笑むと、話を続けた。

「俺は彼女からたくさんのことを教えてもらった。剣術や体術はもちろん、算術、薬学、あとはうまい酒の銘柄と酒の肴の作り方とか、要らんことまでたくさんな」

 むしろ、要らんことの方がずっと多かった気もする。勇者として到底必要のない知識ばかり教えてきて、「こんなものが何の役に立つんだ」と不平を溢すと、彼女は愉快そうに笑って、「知っていた方が面白いから」と訳のわからないことを言われる始末だった。

「愉快な人だったんですね」

「良い言い方をするとそうだ」

 彼女をどう表現するべきかは悩ましいところだが、アレンはいくつもある言葉の中から、真っ先に思い浮かんだ言葉を使った。

「率直に言えば、陽気で間の抜けた、がさつな女だ」

 きっと想像と違ったのだろう。イリアはきょとんとした顔をして、ちゃんと会話が成立しているかと不安になったのか、マルギットを振り返る。彼女は「大丈夫、ちゃんと聞こえていたわ。多分ね」と苦笑と共に答える。

「勇者相手に、随分な言いようね」 

「その通りなのだから仕方がない。言ったろ、君が思っているほど、勇者は碌な奴じゃない。あれだけ怠惰な勇者は彼女くらいだろう」

「勇者だって完璧じゃないんだから、少しくらい大目に見てやりなさいよ」

 何やら先ほどから彼女に同情的な発言が多く、ひどく気になる。まるでこちらが偏向報道をしているかのようだ。

 別に完璧である必要などこれっぽちもないが、限度というものはある。彼女たちは、彼女たちが勇者と呼ぶ立派な女性の人となりを知らないようだ。

「程度ってものがあるだろう。あの人は掃除、洗濯、料理、空気を読む、何もできないんだ。使ったものは片付けない。脱ぎっぱなしの服を床に撒き散らし、着る物がなくなれば、床に落ちているものからまともそうなものを拾い上げてまた着る。何度言っても洗濯しないから俺が洗濯すると、味をしめて全部俺にやらせる。上着も下着も、脱いだら俺に寄越すようになる。それに一応は軍籍のくせに朝に弱くて毎日俺が起こしに行っていたし、その度に服も用意した。そうしないと昨晩こぼしたミートソースがシミになったシャツを着て、そのまま訓練所に向かうような奴だったからな」

「急にすごい勢いで話し出したわね」

「思うところがあったんでしょうね……」

 束の間目を閉じただけでも、数えきれないほどの苦節が思い出される。アレンは万感の思いを込めて語るが、振り返ってみると二人とも口をぽかんと開けて苦笑いを返すだけだ。どうやら、わかってもらえていないようだ。

「彼女の作ったもので料理と言える代物は、肉を適当に切って焼いたやつくらいだし、だいたい生焼けだった。素材の味を活かすとか曰うくせに、ちょっと料理に興味が出たら途端に要らないアレンジと、過度な調味料を加えるものだから手に負えない。しかも、料理熱はすぐに冷めた。もちろん、次第に料理も俺がやることになる。黙って聞き流せばいいところも口答えするから余計な喧嘩になるし、とばっちりで俺まで目の敵にされる。一体どれだけ手を焼かされたか……」

「わかった、わかった」

「とんでもない人だったんですね」

「その通りだ」

 アレンは即答する。

「……だが、同時に誰よりも勇者らしい人だったよ。実直で、優しく、強く、子供のように朗らかに笑う人だった。空気を読まない分、間違っていることは頑として譲らなくて、だからこそ、救えた命もたくさんあった」

 まるで御伽噺の勇者のようだ。アレンは懐かしい記憶に自然と頬が緩んだ。イリアは感慨深げに「へえ」と呟いた。

「それを先に言いなさいよ」

「良いところだけ教えて何になる。結局、勇者も俺たちと同じ一人の人間だ。命は一つしかないし、痛みも感じるし、苦手なこともあるし、やりたくないことはやらないんだ」

 何度だって繰り返すが、彼女は御伽噺の中の勇者ではない。必ずしも人々が思い描くような人となりではないし、マルギットも言うように完璧でもなければ、狂人でもない。

 それなのに、人々は彼女に理想の勇者であることを求めるし、同時に魔族と見れば誰かれ構わず片っ端から殺す狂人であることを望む。その二つは両立できないことは、誰でも気づけるはずなのに。

 だからきっと、彼女は勇者という肩書きを捨てたのだろう。

「話を戻そう。俺が『正義』の……いや、勇者にならなかった理由だったな」

「は、はい」

「俺は従者として実戦経験を積み、生き抜いた。そのまま軍にいれば俺は後継になっていただろう。だけど、俺は目前で軍を抜けた」

「どうして?」

 イリアは納得いかないと首を傾げる。

 体を改造し、生死の境目を彷徨う厳しい訓練を潜り抜けたのは、全て勇者になるためであった。

 そんな子供の頃の決意は最後、ありふれた理不尽を目の前にして、粉々に砕けたのだ。

 アレンはマルギットに視線を送る。彼女は柔らかい表情のまま、一つ頷いた。

「十年前、人魔戦争も終盤に差し掛かった頃だ。俺がいた部隊は魔族の支配地域に進軍していて、俺は魔族との戦闘中に、部隊から逸れて孤立した。俺は重傷を負っていたが、助けは来ない。独力で野営地に戻ろうとしたが、俺は山中で意識を失った。次に目を覚ますと、俺は魔族の村に運び込まれていた。意識を失って倒れていた俺を、たまたま通りかかった村人が助けてくれたんだ」

 当時は勇者の活躍もあり、只人が魔族の勢力圏深くまで侵攻していた時勢だった。村人たちからすれば、アレンは紛れもなく侵略者だ。だが、彼らはアレンが只人だとわかった上で、村に連れ帰り、甲斐甲斐しく傷の治療をしてくれたのだ。

 寝床で横たわりながら、アレンは彼らの生活する様子を見ていた。畑を耕し、腹が減れば食べ、空いた時間は家族や隣人と他愛のない会話や遊びに興じる。何の特別なこともない。自分たちと何ら変わらない風景は、アレンにとっては新鮮だった。

 思えば、自分は戦場の彼らしか知らなかった。戦場から離れれば、彼らが自分たちと同じように生きているのだと、想像はできても、それまでは実感が持てなかった。

「彼らの治療のおかげで、しばらくして俺は自力で動けるようになった。俺は部隊に戻ろうとしたが、抵抗にあうとばかり思っていた。もし俺が帰って、部隊に村のことを話したら、どうなるかなんて目に見えていたからな。だが、彼らは話し合いの末、村のことを話さないという条件で、俺を解放してくれた」

 条件と言っても、口約束だ。彼らからしたら、リスクでしかない。それでも彼らは、アレンを解放した。

「その時の村長の言葉が、今でも忘れられない」

「その人は、何て言ったのですか?」

「『我々は善意を持ってあなたを見送る。あなたが善意を持って応じてくれることを願う』ってさ。敵としてしか知らない彼らからそんなことを言われるなんて、衝撃的だったよ」

 敵であっても怪我人を助け、信じて解放する。彼らから向けられた純粋な善意に、当時は困惑したものだ。

「それで、あなたはどうしたのですか?」

「……俺は彼らのことを報告しなかった。流石に命を救ってくれた相手を裏切るのは気が引けたからな」

 イリアが聞くと、アレンは苦笑して答えた。

「あの村人たちの善意は、絶対に裏切っちゃいけないって思ったんだ。でも……」

 言葉を濁すアレンに、イリアの顔が険しくなる。

「数日後、俺がいた部隊に魔族の村を発見したって伝令が入った。すぐにピンと来たよ。あの村だって。他の部隊がたまたま村を見つけてしまったんだ」

「そんな……」

「俺は急いで村に向かった。けど、着いたときには既に遅かったんだ」

 脳にこびりついた光景が瞼の裏に蘇る。

 もうもうと上がる黒煙。焼け落ちる家屋。肌を焼く熱と、鼻をつく肉が焼ける臭い。人の形をしているだけで、もはや誰かも判別できない焼死体。焼けていない体は地面に放置され、無惨に切り裂かれた体からは夥しい血が流れ落ちる。その中には、アレンを見送ってくれた村長もいた。

 生気のない瞳が、アレンをじっと見据えた。

 こみあがる吐き気を、アレンは耐えられなかった。

「村の人たちは、全員?」

「……一人だけ生き残った。でも、彼女以外は駄目だった」

「そんな……」

 イリアは歯噛みした。おそらく似たような経験をした彼女にとって、それは他人事ではないのだろう。

「村を襲った部隊は、どうして兵士でもない村人を手にかけたのですか?」

「……『敵だから』だ」

 イリアはわかりやすく嫌悪の念を顔に出した。

 アレンは脳が沸騰するような怒りに身を任せ、村を襲った部隊の若い指揮官の胸ぐらを掴み、問い詰めた。その言い分は、アレンの村を襲った魔族たちを想起させた。兵士かどうかなど関係なく、ただ敵だから殺す。単純明快な論理だった。

「ふざけんなって思うだろ。だが、そいつが言ったことは、きっと俺が今までやってきたことと同じなんだ」

「そんなことは……」

「後で、生き残った子に言われたよ。奪われた側からすれば、あんたもあいつらも同じだって。考え方は違くても、やっていることは同じ。魔族ってだけで相手を不幸にする化け物だ」

 自分と彼らは違う。現状に怒ってはいても、心の奥ではそう思っていた。

 だが、魔族からすれば、どれほどの違いもないのだ。彼らを不幸にするのは、村を襲った兵士も、アレンも同じだ。違う場所では、確かにアレンは魔族と戦い、相手を殺す兵士なのだから。

 実のところ、その兵士は鏡だった。

 自分と同じ兵服を着て、同じように剣を持ち、魔族と戦っている。

 男の立ち振る舞い、言動は、まるでそれが自分自身のものだと感じさせ、実際そうだったのだと、強烈な嫌悪感を伴う確信をアレンに与えた。

 後日その一件は、敵の前線拠点を破壊という名目で日報に載った。そして同じ日に、別部隊からの日報に、全く同じ文面の報告が記載されていた。

 ふと、アレンは過去の報告書に目を通した。敵の前哨基地の破壊。民間人を巻き込んでの戦闘。そう言った報告書は、今まで気に留めていなかっただけで、毎日腐るほど出ていたのだ。

「……」

 イリアは押し黙った。わかりやすく不快感と怒りが表情に出る。

「もちろん全てがそうとは言わない。けど、きっとその書類の中には、あの村と同じ理不尽な目にあった誰かがたくさんいたはずだ。そんなことを考えていたら、気付いたら俺は軍を辞めていた」

 自分から家族を奪った奴らに、いつしか自分自身がなっていた。自分が最も嫌悪し、打倒すると誓った相手に自分自身が成り下がっていたという事実は、勇者になるという子供の決意と憧れをいとも容易くへし折った。

 きっと同じものを、自分よりもずっと多く、濃く見てきたのがセシリアだったはずなのに。彼女の苦しむ姿を見てなお、ようやくそんなことに気づいた自分の間抜けさに心底落胆した。

「その時誓ったんだ。魔族だろうが只人だろうが関係なく、理不尽に苦しんでいるのなら助ける。あの村の人々が俺に示し、そして俺が返せなかった善意を、誰かに返す」

 だから、魔族だって助ける。只人を助けるのと同じように。別にそれで許してもらおうとか、そういう話ではない。ただ、そうしないといけないと思ったのだ。

 もちろん、その時は今みたいに、まさか魔王の後継を助け、勇者に追われることは夢にも思わなかった。勇者の凄まじさは戦場で何度も見ているし、彼らを相手にするなど、考えただけでゾッとする。

「それで、あなたはギルドに?」

「そうだ」

「腕が立つし、魔族の依頼も受けるし、何より孤高を気取ってカッコつけてるから、『色ものぐい』なんて呼ばれて馬鹿にされてるのよね」

「……カッコつけてはいない」

 人付き合いが億劫な性分なのと、もとより魔族の依頼を受けるような傭兵がいなかっただけだ。アレンは不貞腐れた顔をする。

「彼女のこと、好きだったんですか?」

「セシリアのことか?」

「はい」

「君も彼女の話になるとぐいぐい来るな」

 アレンは苦笑する。冗談めかして誤魔化そうと思ったが、イリアはしかし至って真剣な顔で、アレンを見上げた。

「……家族みたいに思っていた」

「……そうですか」

 二人して、ただの一言が辿々しい。イリアはそれまでの前のめりが嘘のように静かになり、会話はそこで途切れる。

「あんた、昨日は『正義』の勇者のこと嫌いって言っていたじゃない」

「ああ。嫌いだよ」

 マルギットが面倒臭そうにやれやれと両手を上げる。

 きっとイリアも、同じように昨日言った言葉を反芻しているのだろう。

 どちらも嘘ではない。

 彼はセシリア・レンフレッドという人が好きだった。

 そして同時に、彼は、『正義』の勇者は嫌いだった。

 その肩書きが、彼女を苦しめ、彼から家族を奪ったのだから。

 気まずい沈黙が走り、子供と大人の不規則な足音が続く。

「それ、十年以上も引きずり続けているの? いい加減親離れしなさいよ?」

「……余計なお世話だ」

 マルギットはため息をつくと、憐れむような生暖かい目でアレンを見た。

「マザコンね」

 彼女はあっけらかんと言った。アレンは顔を赤らめて反論する。

「家族だと思っていた人が自分を置いて消えたんだ。思うところもあって当然だ。それに、セシリーとは親子ほどは離れていない。どちらかというと姉だ」

「なら、シスコンね」

「……」

「シスコンね」

「二回言わなくていい」

 マルギットに茶化されていると、イリアがくすくすと笑った。

 茶化されるのは好きではないが、イリアが笑顔になるのなら我慢しよう。

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