第14話 茫然自失

 勇者と魔王の子供など、存在してはならない。ましてやそれが、『正義』の名を冠する勇者の子供などと、冗談にしても笑えない。

 あの女が戦死したなどと信じたことはなかったが、まさか魔王の血縁者と関係を持ち、子供まで作っていたなどと誰が想像できただろう。お互いが殺し合った種族の象徴とも言える両者は水と油だ。あり得ないことだと頭の片隅にも出てこなかった。

 だが、もし仮にそんなことがあり得たとしたらどうか。

 魔王と勇者の血を継いでいるという時点で、身体的、魔力的な素質は十分だ。今はまだ幼くとも、鍛えればどう化けるかわからない。

 仮にその子供に欠片ほどの才能もなかったとしても、人魔戦争の象徴だった勇者と魔王のどちらの血も引いていれば、魔族にとっては次の旗印として、只人にとっては魔族への影響力を強める道具として、いくらでも使い道はある。

 ただし、いずれも使い方によっては、人魔戦争に匹敵する更なる戦いを引き起こしかねない。いつ爆発するかもしれない爆弾は、早々に処理するのが得策だ。

 だが、繰り返すが今までそれは妄想にすら値しない、非現実的な展開だった。

 そんな妄想の産物が現実であると聞かされ、その処理を任された時、ミランダはかつての同僚への怒りを禁じ得なかった。

 我々は何のために作られ、戦っているのか。それを忘れ、感傷に浸り、我々を裏切り、今や世界にとって脅威でしかない子供を産み落とした。史上最低の勇者だ。

 あの女と対面した時、どうしてこんなことを、などという問答もしなかった。魔族と、魔族に与するものは全て勇者の敵である。

 勇者は全ての敵を滅ぼし、人々に敵がいない環境、つまり平和を勝ち取る。それこそが勇者の至上命題であり、あの女が敵であることと同じく、動かし難い『真実』であった。

 あの女が『正義』の剣を娘に渡していたのは想定外だった。勇者の剣がなければ、勇者は実力の二割も発揮できない。勇者は剣が本体で、戦士の肉体は容れ物に過ぎない。

 もっとも、だからこそあの女に勝てたのだが。最強と謳われた『正義』の勇者も、剣がなければ形なしだ。手こずりはしたものの、今まで何度と手合わせをしたどの時よりも容易く勝敗は決した。

 面倒ごとはその一回で終わらせたかったのに、父親の抵抗もあって娘に逃げられ、今度はその娘と、かつての教え子ときている。世の中がよほど狭いのか、それとも何か目に見えないものに引っ張られ、かつての因縁を清算させようとしているのか。

 だとしたら、望むところだ。

 ミランダは地面についた三人分の足跡を見下ろした。マルドレイク帝国との国境、アシリパ山脈へと入る道だ。

 思った通りだ。彼らがマルドレイク帝国に逃げる道はいくつかあるが、表の道である関所付近にはもちろん捜索隊が差し向けられているから、正規の手続きで国境を越えることはできない。

 正規の方法以外で国境を越える手段は限られる。その一つが、このアシリパ山脈の渓谷を通る抜け道だ。道のりは険しいが、アレンの手引きがあれば通れないことはない。

 ギルドは皇国がこの抜け道を把握していないと思っているようだが、それは大きな間違いだ。マルドレイク側が抜け道を承知しているかは不明だが、少なくともオルレント皇国は抜け道の存在を把握していて、その上で黙認していた。

 秘密裏に国境を越えるような、後ろ暗い者が使う道は、一つ潰したところでまたどこかにできる。それならば、うまくコントロールして、いざ大物が来たときに確実に対処できるようにした方が良い。

 そして今回、ギルドしか知らないと思い込んでいる抜け道に、こうして大物がかかった。

 足跡はできてからそう時間は経っていない。向こうは子供連れだ。どれだけ足を早めたとしても限界がある。彼らが国境を越える前に、何とか追いつけるはずだ。いや、必ず追いつく。

 追いついて、勇者の不始末を清算し、騒乱の種を完全に摘む。

 そしてついでに、あのクソガキがどれだけ育ったのか、じっくりと見てやるのだ。

 ミランダは風にそよぐ髪をかきあげ、険しい山の中へと足を踏み入れた。

 彼女の腰では、『真実』の剣が輝きを放っていた。




 イリアから母親と聞いた時に、無意識に彼女の母親も魔族だと思ってしまっていた。

 魔族の中には、只人の生活圏の中に溶け込み、ひっそりと共存している者たちがいる。

 そして、その逆もいる。

 何らかの理由で、魔族の中で暮らすことを選んだ只人たちだ。もちろん、その中に勇者が含まれるとは思いもしないが。

「君は、勇者と魔王の血を継いでいるのか」

 イリアは頷いた。「はは」と空笑いが出た。

 それは勇者が死に物狂いで追いかけるな。

 嘘にしても現実味がないな。

 セシリアに子供がいたなんて嬉しい驚きだ。

 どの感情から来た笑いかは自分でもわからない。

 彼女を初めて見た時、どこか既視感を覚えたのはそういうことだったのだ。言われてみると、顔の輪郭や、すっと通った鼻、色は違えど力強い凜とした目は、どこかセシリアを思わせた。

「マルギット。お前は知っていただろ」

 焚き火をたき、濡れた服を乾かしながら、アレンは詰問した。

「ええ。知っていたわ」

「お前には俺とセシリアの話もしたはずだが」

「ええ。それも知っているわ」

「なら、どうして言わなかった」

「あなたから彼女の話は聞いていたけど、実際にあなたが彼女のことをどう思っているのか確信が持てなかったからよ。自分を置いていなくなった人の子供を、すんなり受け入れてくれるかわからなかった。だから黙っていたの」

「それでも言うべきだった。こんなことにでもならなかったら、言い出さなかっただろ」

「そうかもね」

 非難の言葉をどこから投げつけてやろうと考える一方で、彼女の懸念は的を射ていたのだと自認する。今こうして、イリアの素性を聞いて明らかに動揺しているし、マルギットの言うように、イリアに対しての見方も確かに変わったからだ。

 我ながら不思議なことだが、イリアが魔王の娘と聞いた時よりショックを受け、気持ちが揺らいでいる。

 ショックを受けているのは、イリアがセシリアの娘だからというだけでない。イリアが今ここにいて、アレンに依頼を出したそもそもの経緯は、

 勇者が彼女の村を焼き、彼女の家族を殺したからだ。

「なあ、セシリアは今、どこにいるんだ?」

「……」

 頭が重いせいか、間の抜けた調子で、デリカシーの欠片もない分かりきった問いを投げかけ、重苦しい沈黙だけが返ってくる。

「そっか」

 セシリアが死んだ。文字では理解できても、頭が追いつかない。自分の頭が本能的に理解することを拒んでいるようで、腑抜けた相槌だけがやっと出るくらいだ。

 貧乏ゆすりが止まらない。脳の表面が火で炙られているようにひりつく。胃の底から湧く吐き気を抑え込む。

「母さんは」

 母さん、という言葉がやけに生々しく聞こえる。

「アレンさんのこと、ずっと気にかけていました。あなたを置いて自分だけ戦いから逃げたことをずっと悔やんで、いつか謝りたいと何度も言っていました」

「俺のことを聞いていたのか?」

「ええ、何度も。耳にタコができるくらい、何度も聞かされましたよ」

 意外だった。もし彼女が生きているとしたら、てっきり勇者であった頃の記憶は全て捨て去ったものと思っていた。

「あなたが軍を辞めて、ギルドに入ったことも、母から聞いたんです」

「私がセシリアに伝えたの」とマルギット。

 ギルドに入ったことは、マルギットに一番に伝えていた。まさか、彼女からセシリアに伝わるとは。世の中は想像以上に狭い。

「彼女は、他になんて言っていた?」

 イリアはやや口ごもり、『正義』の剣をそっと撫でた。

「あなたに私と同じ思いをさせてしまったと。でも、同時に誇らしいとも言っていました。あなたは自分と違って逃げなかった。理不尽があると知った上で、自分にできることを精一杯頑張ろうとしているって」

「……そっか」

 そこまで聞いて、アレンはゆっくり立ち上がると、ふらふらとその場を後にした。

 一人になる時間が欲しかった。胸の中の思いを整理し、飲み込むための時間だ。

 イリアが呼び止めようとするのを、マルギットが制した。

 男の後ろ姿は頼りなく、その姿は十三歳の少年のものだった。

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