第7話 お節介が感謝されるとは限らない
「流石に、向こうみずが過ぎるわね」
「うっ……」
マルギットも苦言を呈し、ため息をつく。
イリアを睨むと、彼女はしゅんと体を小さくした。さっきまでの威勢はどこに行ったのか、急にしおらしい。この後のことを全く考えていなかったのか。
言ってやりたいことは山ほどあるが、まずはここから移動しなくては。街のど真ん中で、魔族の奴隷たちと立ち止まっていれば、いやでも目立つ。
イリアのとんでもない行動に忘れそうになるが、彼女はお尋ね者だ。変装しているとはいえ、目立つ行動は極力避けるべきだ。
「なんにせよ、ここでじっとしていても仕方がない。とりあえず移動するぞ」
「わ、わかりました」
アレンたちは奴隷たちを連れて、逃げるように路地裏に入った。
「みなさんは、変身魔法は使えますか?」
マルギットが尋ねると、魔族たちは互いの顔を見合った。
「俺は使えない……です」
「私は使えるけど、二時間が限界だと思う」
魔族の中にも魔法適正の強弱はある。奴隷として生け捕りにされる魔族は、比較的適正の低いものが多い。適正が高く、戦闘能力が高い魔族を生け捕りにするのは至難のわざで、仮にできたとしても、その後に反撃されるリスクが高く、商品として適さない。
「君は?」
最後に、イリアが金貨一枚で買った魔族の少女に聞くと、
「使えます」
弱々しい声で、少女は頷いた。
「よし。マルギット」
「任せて」
「頼む」
マルギットにはそれだけで伝わる。同じような場面を、彼女も何度か経験していた。マルギットは言われるまでもなく、そそくさと商店街の方に走っていった。
間も無く、マルギットは荷物を手にして戻ってきた。彼女が抱えていたのは、主に衣服と食糧だった。
「これ着てください」
魔族たちは困惑しながらも、マルギットが差し出した清潔な服に袖を通した。変身魔法の使えない魔族には、フード付きの服を渡す。
「変身魔法が使えるなら、今使ってくれ。使えない者は、フードを深く被ってくれ」
魔族たちが言われた通りにすると、雰囲気ががらりと変わり、一見した程度では只人と見分けがつかなくなる。
「よし、まずは街を出るぞ。考えるのはその後だ」
アレンたちは足早に街の出口へと向かった。アレンが先頭を歩き、最後尾をマルギット、その間にイリアと魔族たちという隊列を組んだ。
人混みの中に入っても、魔族だとバレることはなかった。日中でフードを深く被っている者は不審ではあるが、人々は道の両端に立ち並ぶ商店の方に目がいっていて、こちらを気にする素振りはない。
だが、別のところに不穏な動きはあった。
「……アレン」
「わかっている」
最後尾のマルギットに、振り返ることなく応じる。
尾けられている。数は六人。
雑踏の中をずかずかと、明け透けについてくる。隠す気がないのか、単に尾行が下手くそなのか。いずれにせよ、プロではない。
さて、どのように対処するか。こちらは奴隷たちを守らなくてならず、かつ目立ちたくはない。雑踏の中で静かに処理できる訳もなく、街中で事を構えるのは下作だろう。向こうもそのつもりがないから、今は遠巻きに尾けてくるだけだ。
仕掛けてくるなら街道に出てすぐだな。
アレンは即決して、何事もないかのように街の西門へと進んだ。街をぐるりと囲む防壁が近づく。関所をくぐり抜け、街道に出る。
すると、徐々に後ろからの足音が大きくなっていく。ちらりと背後を見ると、街中からつけてきたゴロツキたちが距離を詰めてきていた。
「このまままっすぐ歩いてくれ」
すぐ後ろを歩く魔族たちに言いふくめ、アレンは最後尾に回った。イリアや他の魔族たちが不思議そうにしている。
そして最後尾についたアレンが、なんの前触れもなく、振り向きざまに拳を振り抜いた。
拳は、不用意に近づいてきたゴロツキの一人にめり込んだ。
「げぷ」
ゴロツキの男が間抜けな声をあげて倒れる。きょとんと惚けるゴロツキたちは、鈍器や短い刃物を手にしていて、アレンたちに襲い掛かるまさに直前だった。
機先を制したアレンは、流れるように他の男に迫る。男がハッとして鈍器を振り上げる前に、アレンの拳が顎を捉え、男は崩れ落ちる。
その間にマルギットは、自分より一回り以上体の大きい男に関節技をきめて組み伏せていた。他のゴロツキたちが、倒される仲間たちを呆然と見つめ、一拍おいて、思い出したかのように襲い掛かってくる。
先頭の男の手首を捻り上げ、前屈みになった顔面を蹴り上げる。ついでやってくる男は手に持つ刃物を振りかざすが、それを半身になってかわし、すれ違い様に後頭部に肘を入れる。
どれも動きが緩慢で荒く、本当に素人のゴロツキだった。やりすぎないように手加減をしつつ、アレンは淡々と処理していく。これであれば、マルギットも手こずりはしないだろう。
彼女とて、幾つもの修羅場は潜ってきている。その辺の傭兵かぶれよりは腕が立つ。
振り向くと、まさにそのマルギットが、大男の股間を思い切り蹴り上げていた。
「…………」
大男が白目を剥いて悶絶し、地面に崩れ落ちる。同じ男として、思わず顔を顰めてしまう。
あっという間に叩きのめされ、声もなく地面に蹲るゴロツキたちを、イリアたちはあんぐりと口を開けて見下ろした。彼女たちからすれば、いきなり後ろで大きな音がしたと思ったら、柄の悪い男たちが倒れているのだから驚きもする。
「この人たちはいったい……」
「街からつけてきたんだ。大方、金目当てだろうな」
あんなに堂々と金貨を持っているところを見せてしまったのだ。タチの悪い輩に絡まれるのは目に見えていた。
「あるいは、さっきの奴隷商に頼まれたか? 良い値段の子がいるからな。金だけ払わせて、商品は後で回収して、また別の相手に売るって腹か」
アレンは倒れている男に近づき、目を見た。男の目に怯えと、少しの動揺が見て取れた。じっと覗き込むと、慌てて視線を外す。どうやら、当たりのようだ。
「そんな、あんまりよ」
イリアは怒りの色を浮かべながら吐き捨てる。全くもってその通り。
イリアの隣では、魔族の少女が、自分より先に怒りをあらわにするイリアに驚いていた。
「ほら、こいつら連れてとっとと帰りな」
「あら優しい」
「一般人に本気でかかっても仕方ないだろ。まだやるって言うなら話は変わるが、やらないよな?」
アレンが男の顔を覗き込む。男はたじろぎ、情けなく何度も頷いた。こちらとしても目立ちたくないが、降りかかる火の粉は何とやらだ。
男は何とか立ち上がると、他の仲間達と共に、ふらふらとおぼつかない足取りで街へ戻っていく。
「おい、忘れているぞ」
先ほど股間を蹴り上げた大柄の男が、泡を吹いて蹲っている。自身のことで精一杯のゴロツキたちは大柄の男に気づくと、一生懸命に彼の体を持ち上げ、数人がかりで引きずっていった。
「さすがね」
「どうも。お前も良い蹴りだった」
「ありがと」
「アレンさんはともかく、マルギットがそんなに強いなんて知らなかった」
「イリアたちに出会う前は、一人で旅をしていたからね。魔族一人で旅をするなら、これくらいできないと。イリアも、追々訓練しないとね」
「むむ……」
イリアが無い胸を張って、ふんと鼻息を荒くした。
街の不良どもを退けたアレンたちは、そこからさらに歩いた。街道は細かく枝分かれし、徐々に道を細くしていく。
「ここでしばらく休憩しよう」
街から距離を取り、アレンたちは街道沿いで小休止を取ることにした。変身魔法を維持することが限界に近い奴隷たちは、腰を下ろすなり魔法が解け、瞳が赤に戻る。
街で買い足した食料を分け与えると、腹を空かせた魔族たちは我先にと口に放り込んでいく。
「……あの、さっきはごめんなさい」
すると、イリアがアレンの隣にやってきて、申し訳なさそうに俯いた。しょんぼりと、小さい体をさらに小さくしている。さっきの広場での大立ち回りをした少女と同一人物とは思えない。
どうやら反省はしているようだが、ここはあえて強く言っておくべきだろう。
「さっきのはやり過ぎだったな。今の君は懸賞首だ。あんな風に目立つべきじゃない。やり方も不味かったな。ああいう場所で、金を見せびらかすものじゃない」
「はい……」
「君はずっと村から出ずにいたから、外のことを知らないのだろうが、知らないなら知らないなりに、想像力を働かせろ」
イリアは深く頷いた。自分で言っていて、それができたら苦労はしないだろうと思うが、彼女に関してはやってもらわないと困る。それができないと、彼女の場合は下手すると命に関わる。
「それと、もうあんなことはするなよ。今後も奴隷を見かける度にあんなことをするわけじゃないだろうな?」
しかし、今度は頷かない。申し訳なさそうにちらちらこちらを伺いながら、黙って表情を硬くしたままだ。全く納得していないようだ。正直は美徳だが、取り繕う器用さは多少は持っておいた方が良いだろう。
「あのお金の中には、アレンへの報酬も含まれていたと思うけど」
「え?」
「……うぅ」
それは聞いていないぞ。アレンはマルギットとイリアを交互に見やる。イリアは肩を縮め、無言で肯定する。
「まあ、まだ残りはあるから支払いはできるけど、何度も同じことはできないわよ。あのお金は、あなたがこれから生きていくために、あなたの両親が残してくれたものなのだから大切に使わないと」
「わかってるよ。わかってるけど……」
わかっている、という顔ではなかった。街で奴隷商と向き合った時のような、頑固な部分が顔に出ている。
ただ、彼女の顔は何というか、言葉で言い表すのは難しいが、ただわがままを言っている子供のそれとはどこか違った。いや、わがままであることはそうなのだが、その横顔を見ると、子供だからという小言は正しくない気がするのだ。ふと、彼女の横顔が誰かに似ている気がしたが、気のせいだろうか。
「あの、あなたたち……お嬢様たちは、一体どういった方々なのでしょうか?」
ふと、機会を窺っていたのか、金貨一枚の少女が恐る恐る尋ねてきた。他の魔族たちも遠目にこちらを見ている。お嬢様が自分を指しているらしいとわかったイリアは、慌てて居住まいを正す。
「えーと、その、お嬢様って呼び方はやめて、イリアって呼んでください。そんな大層な身分ではないので」
「わかりました、イリア様」
「様もいらないですよ」
「は、はあ」
イリアは気恥ずかしそうに笑う。奴隷の少女はわかりやすく困惑の色を浮かべている。
「私にも、あなたの名前を教えてくれませんか?」
奴隷の少女は、そこで自分がまだ名乗っていなかったことに気づき、慌てて頭を下げた。
「し、失礼しました。私はナターシャと申します」
ナターシャと名乗った奴隷の少女は赤い瞳を伏せて、深くお辞儀をした。条件反射なのか、殴られるのを恐れるように体をぎゅっと固めて身構えている。
「イリア、最初の質問に答えてやれ」
「あ、そうでした。私たちが何者かっていう質問でしたね」
イリアは目を閉じると、彼女自身の変身魔法を解く。肩までかかる茶髪が、毛先から銀色に戻っていく。再び瞼を開くと、イリアの瞳の色は、美しい赤に戻っていた。
「私も魔族なんです。それに彼女も」
同じく変身魔法を解いていたマルギットが、柔和な笑顔で手を振る。
「偶然あの街で、あなた方が奴隷として売られているのを見つけて」
「そうだったんですか……じゃあ」
イリアが同族だということを知り、ナターシャは安堵の表情を浮かべた。彼女の顔を見て、イリアも嬉しそうだ。
「ええ。みなさんは、もう自由です。私はあなたたちを奴隷として扱うつもりはありません」
イリアは少し誇らしげに言い、ナターシャは自分が晴れて自由の身になったのだと感じ取ったのか、祈りが通じたように胸の前で手を組んだ。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。じゃあ、この後は?」
だが、他の魔族は違う意見を持っていた。
「え、えっと、なのであなた方を解放して……」
「それで、その後は?」
「その後って……」
「何の当てもなく、俺たちを買ったってことか?」
恐らくイリアにとっては予想外の反応だっただろう。感謝を求めての行いではないにせよ、反感を買うとは思っていない。威圧的な態度に、イリアはたじろいだ。
「俺たちは住んでいた村を焼かれて、家族も魔族狩りにあって殺された。こんなところで放り出されたって、行く当てなんてないんだよ」
魔族の男は取り乱し、頭を抱えた。
「ちくしょう。そんなことならほっといてくれよ。これから俺はどうやって生きていったらいいんだ。また魔族狩りにあったら、今度は死んじまうかもしれないんだぞ。それなら、奴隷でも生きていた方がマシだろ。無責任に助けようとするんじゃねえよ」
助けられておいて、その言い草はなんだ。と言いたい気持ちももちろんあるが、男の言い分は一理あるし、同じように答える魔族は少なくない。それこそ、アレンも何十人と会ってきた。
身寄りのない魔族が一人で生きていくのは簡単なことではない。魔族狩りが横行し、自分の身を守る術も必要だ。力の無い者が自分の身を守る一番簡単な方法は、誰かの保護下に入ることだ。奴隷というのは自分の尊厳と引き換えに、有力者の(少なくとも金のある者)の保護下に入ることでもある。
「……ごめんなさい」
「そんな安っぽいセリフなんかいらねえよ!」
男は涙目になりながら、イリアに詰め寄る。びくりと後ずさるイリアと男の間に、アレンが割って入った。
「おい、そのあたりにしておけ」
「只人が出しゃばるな」
「そんなに嫌なら、あの奴隷商のところに戻してやるよ。あそこが嫌なら、次の街で奴隷商を見つけて売ってやる。それでいいだろう?」
アレンの平坦な声に、奴隷の男は言葉に詰まった。本気で言っているのだと、男の方も目を見て理解したようだ。
本人が本当に望むのなら、是非はない。だが、大抵の場合は取り乱して口にするだけで、いざまた奴隷に戻る選択肢を渡されて、即決する魔族はほとんどいない。誰が好き好んで奴隷になどなったりするものか。
「別に感謝しろとは言わない。必要なら奴隷に戻してやる。このチャンスをどう使うかはあんた次第だ。選ぶ機会を作った彼女に喚き散らすのはやめろ」
パニックになって、怒りの向け先がわからなくなっていた男は、瞳から怒りを消し、しゅんと肩を縮めて座り込んだ。
「同じ意見の者がいれば言ってくれ」
アレンは尋ねるが、返事はない。
アレンは場を収めると、イリアの隣に腰を降ろした。イリアは眉根を寄せ、沈痛な面持ちで俯いている。助けたはずの男の言葉が、彼女の心にしっかり突き刺さってしまったようだ。
「あの、イリアさん」
彼女の心境を察してか、ナターシャが語りかける。イリアはナターシャの方を向いた。
「私は、あなたに助けてもらって感謝しています。あのまま、あそこの誰かの奴隷になっていたらと思うと、未だに怖くて足が震えちゃいます」
「ナターシャさん……」
イリアを気遣う健気な少女の足は、その通りに小さく震えていた。村で普通に暮らしているだけでは決して味わうことのない恐怖だ。あの場で誰よりも恐怖を感じたナターシャだからこそ、そこから解放してくれたイリアに対して、人一倍思うところがあるのだろう。
「……」
震える少女を見て、アレンもまた目を伏せた。それはもちろん、知る必要のない恐怖を覚えた彼女への憐憫も多分に含まれていたが、同じくらいに、詰めの甘い自分への憤りがあった。
小刻みに震える少女の足元で、しゃりしゃりと金属が擦れる音がした。足首に装着された鉄輪が擦れる音だった。鉄輪には丸い球体が嵌め込まれ、薄鈍色の球の中に、ぼうっと白い光が輝いていた。陽の光を反射しているように見えるが、光の揺らめきは独特なもので、よく見れば違いがわかる。
アレンも何度か見たことがあるそれは、装着者の魔力を使って、対となる腕輪に信号を定期的に送る、追跡用の魔法具だった。ぱっと見ではただの足枷で、魔法具だと判別しにくく作られている。
「俺もヤキが回ったな」
「え?」
かなり高価な魔法具だ。あの奴隷商がそこまでナターシャのことを気に入っていたとは思わなかった。が、予想はするべきだった。
それに魔法具は装着者の魔力を強制的に使い続けるため、只人や並の魔族なら、脱力感に襲われることもしばしばだ。ナターシャの場合、変身魔法を長時間、平然と維持していることからも、潜在的な魔法の素質が高いのだとわかる。そのせいで、本人の自覚症状もなかったのだろう。
「みんな、準備してくれ」
アレンは一言告げ、腰に差した剣を抜いた。
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