第6話 少女は思い立つと止まらない
翌朝、アレンたちは出立の準備を整えて、部屋を後にした。
「行くぞ」
「はい」
昨夜から、どこかぎこちない空気が漂っていた。勇者が嫌いと言ったせいで魔族と気まずくなるとは思わなかった。
「イリア」
「は、はい」
「昨日は余計なことを言った。君が『正義』の勇者を好きだとは知らなかった」
イリアを呼び止めて言い訳じみたことをしてみるが、
「大丈夫ですよ。気にしてないですから。むしろ気を遣わせてすみません」
と、がっつりと心の距離が開いた返事が戻ってきた。これは不味い。何か手を打ちたいところだが、下手なことを言ったら逆効果だ。これは手詰まりではなく、戦略的沈黙なのだと自分に言い聞かせる。
後でマルギットから聞いた話だと、正義の勇者は魔族にも寛容で、不用意に傷つけることもしなかったせいか、魔族からも一目置かれていたらしい。
勇者の中でも、『正義』の勇者はどこか違う。戦場を生き延びた人々から広まった勇者像が、今の子供たちにも伝わっている。イリアが正義の勇者を知っているのは、そういうことらしい。
敵として戦ってきた相手をそれだけで好きになるかは疑問だが、彼女が『正義』の勇者に対して好意的なのは確かなようだ。好きな相手を批判した相手と、仲良くなるのは難しい。
宿屋を出て、街の目抜き通りを歩き、西門へと向かった。
道中は朝市で賑わっていた。朝の便の荷馬車たちが往来し、路肩に停めて荷下ろしをしていく。質も、量も、種類も十分以上。食べ物、武器、装飾品とさまざまな商品が並ぶ中で、ふとアレンは雰囲気の違う『商品』を見つけた。
縦にも横にも大きな荷馬車。手綱を握る御者の他に、武装した数名の護衛が周りを囲む。筋骨隆々の護衛たちの視線は外にも向けられていたが、それ以上に内側、荷馬車の中に向けられていた。
荷馬車には金属の柵が設けられ、鍵がかけられていた。仰々しく、それだけで何を運んでいるのか大体の察しがつき、アレンは顔を顰めた。
護衛の一人が鍵を開け、柵が開く。中から出てきたのは、あまりにも簡易でみすぼらしい身なりをした人間たちで、首には鎖のついた鉄輪が嵌められていた。
彼らは一様に、赤い目をしていた。
魔族の奴隷だ。
人魔戦争や魔族狩りで行き場を失った魔族たちが捕らえられて、奴隷として売られているのだ。
そのまま通り過ぎようとしたが、マルギットに袖を引っ張られ足を止める。振り返ると、イリアが目を見開き、呆然と立ち尽くしていた。
村の外のことを知らないのだから、初めて見るのだろう。自分と同じ魔族が、非道な扱いを受けている様を目の前にすれば、精神的なショックを受けても仕方ない。軽く腕を引っ張ってみたが、彼女はこちらには目もくれず、頑として動かない。
アレンはため息をついてマルギットに視線を送る。彼女は苦笑して、首を横に振った。
これは今の彼女に見せるべきなのかわからないまま、アレンは彼女の腕を放して、隣に立って成り行きを見守った。
「さあ、使い勝手の良い魔族の奴隷だ。今回もお買い得だよ。見てった、見てった!」
声を張り上げたのは、恰幅のいい壮年の男だった。奴隷商だ。口周りに生やした気取った髭をいじりながら、通りを歩く人々を呼び込む。
「働き盛りから、若い女の魔族まで、使い勝手の良い奴隷たちは要らないか?」
奴隷商の男は顎で従者に合図する。従者の男が鎖を引っ張ると、重たい足取りの奴隷たちはつんのめりながら、一段高い壇上に上げさせられた。
その中には若い女の魔族もいた。破れた服の切れ目から、彼女の肌が見え隠れする。ショートヘアーで、髪の色は瞳と同じ赤色だ。顔立ちも良い。
通行人は足を止め、観客の中から下卑た声が上がる。彼らの頭の中は想像するに易く、わざわざ言葉にするまでもなかった。
魔族の女は嫌悪と恐怖の入り混じった表情を浮かべるが、声にはならず、諦観の念で俯いていた。
イリアはその光景に始めは狼狽し、怯えたように震えていた。しかし次の瞬間には、怯えは怒りに変わったのか、歯噛みしながら壇上を凝視していた。奴隷の女は、イリアよりも幾分か年上だが、そう変わりはしないだろう。自分のことのように思えたのかもしれない。
奴隷はその他合わせて、合計で男女六人がいた。彼らは競りにかけられ、最も高い金額を払った者の所有物になる。もちろん、買い手がつかないこともある。
今回の場合、若い女を除いて、他の五人には買い手がつかなかった。戦争で失ったのか、隻腕だったり、足を引きずっていたり、痩せこけていたり、単純に歳を取っていたりと、肉体労働には向かない。
自然と、注目は大トリの魔族の女に決まる。競りが始まった途端、
「三枚」
と観客の中から声が上がる。この場合の三枚は、銀貨三枚を意味している。相場は奴隷一人あたり、銀貨二枚といったところだ。
「三と六」
別の声が上がる。銀貨三枚と銅貨六枚。
「四枚」、「四と二」、「四と五」、「四と八」、「五枚」と、値段は小刻みに上がっていく。この時点で既に相場はだいぶ超えている。今値段を言った者の中には、奴隷商の仲間が客のふりをしているに違いない。意図的に値段を釣り上げている。
「七枚!」
すると、一人の観衆が裏返った声を上げた。鼻息が少し荒く、だいぶ奮発したのだろう。どうしても欲しいらしい。他の観客から「おお」と声が上がる。
「そこの旦那さんが七枚。お目が高い。さあ、他にはないか?」
奴隷商が囃し立てるが、相場の二倍を超える値段に、流石に他の客たちは渋い顔をした。それ以降、声は上がらない。
決まりだなと、誰もが思った瞬間、
「一枚!」
と、気合の入った声が場を制した。
アレンの額に、嫌な汗が一気に噴き出した。なぜなら、その声が幼さすら感じる若い女の声で、しかも自分のすぐ近くから聞こえてきたからだ。
アレンは声の主であるイリアを見下ろした。彼女は精一杯に手を伸ばして、自分の存在をアピールする。
「一枚って、減ってんじゃねえか。冷やかしかよ」
と野次が飛んでくるが、おそらくそうではない。奴隷商も困惑してこちらの様子を伺う中、
「金貨、一枚」
場が一気にざわついた。金貨一枚は銀貨十枚分に相当するわけだから、一気に値段を釣り上げたことになる。
「ちょっと、それはやめなさい」
マルギットがすかさず止める。彼女にとっても予想外のことで、珍しく慌てふためいていて、こんな時でもなければ茶化してやるところだが、流石にそうも言っていられない。
イリアはマルギットの声すら、聞く耳を持たなかった。震えながらも、頑として手を下ろさない。
「なんだ。ガキの冷やかしかよ」
「そんな金額出せるわけねえだろ」
周囲の人々は、声の主が年端もいかない少女だとわかると、鬱陶しそうに悪態をついた。
好都合だった。今ならまだ、子供の悪戯だと思ってもらえるかもしれない。アレンのそんな思惑は、しかし肩透かしに終わる。
イリアは小さい体で人混みの中に分け入っていき、前へ前へと進んでいく。
「おい!」
器用に人混みの中を縫っていくイリアの身のこなしに感嘆しながら、アレンもすかさず追った。
イリアは最前列から飛び出すと、壇上の奴隷商に向かい合った。
「金貨一枚」
もう一度、金額を伝える。呆然としていた奴隷商は、目の前の子供が声の主だとわかると、先ほどの大人たちと同じように、呆れた顔をする。奴隷商の隣に立つ魔族の少女は、未だ状況が飲み込めていないようだ。
「お嬢ちゃん。ここはお嬢ちゃんみたいな子供が遊びに来る場所じゃない。とっとと帰りな」
穏やかに、しかし棘のある言い方は、イリアに金があるなどと微塵も思っていない。
すると、イリアは鞄に手を突っ込み、麻袋を取り出した。
「馬鹿、やめろ」
遅れてやってきたアレンの制止も虚しく、少女は麻袋から光り輝く金貨を取り出した。
「ほおおおお!」
奴隷商は途端に目の色をかえ、奇声を上げた。両の手をすり合わせ、顔をニヤつかせる。
「これは、大変失礼しました、お嬢様。代金をお持ちでしたら、そう仰ってくれれば良いのに。ハハハ」
イリアのような子供がそんな大金をどうして持っているのかなど、気にする様子もない。金さえ持っていれば、相手が何をしていようと構わないということか。
「その他、ございますか? 金貨一枚以上です」
奴隷商は嬉々とした声で問いかけるが、観衆から声は上がらない。
「はい! それでは、金貨一枚で落札!」
奴隷商が宣言し、観衆は驚きと、時折悪態をつき、散らばっていく。
「お嬢様、見事落札されましたな。では、代金の方を」
「すまない。こちらの手違いだ。子供の戯言だと思って忘れてくれないか?」
アレンがイリアと奴隷商の間に割って入ると、奴隷商は露骨に嫌そうな顔をした。
「それは出来ない相談ですね。彼女はきちんと代金をお持ちだ。それに子供とはいえ、競りに参加したからには、責任を果たしてもらわないと」
アレンは舌打ちした。競売で競り落としたからには、代金を払う義務が発生する。競り落とした後に取り消しができてしまえば、商人にとっては大損だ。奴隷商の言うことが正しい。
「私も払うつもりです」
「お前は黙っていろ」
「嫌です」
少女はアレンを押し退けて、金貨を差し出した。奴隷商は「毎度あり」と金貨を受け取った。
「では、商品をお受け取りください」
奴隷商が護衛の一人に目で合図を送ると、男は魔族の少女の腕を掴んで、アレンたちの前に引っ張ってきた。
少女は不安と困惑が入り混じった顔で、アレンとイリアの顔を交互に見遣った。近くで見ると、少女の手足は想像以上に細く弱々しい。栄養状態は良くない。
イリアがぎこちない様子で手を差し伸ばす。奴隷の少女はびくりと体を震わせるが、イリアが優しく少女の腕に触れると、イリアに悪意がないのを感じ取ったのか、嫌がる素振りは見せなかった。
そこまででもアレンにとっては十分に厄介な展開だったが、事態はそこで終わらなかった。
イリアの視線は、次に売り手が見つからなかった他の五人の奴隷たちに向かった。
「あの、ご相談があるのですが」
「ん? まだ何か?」
奴隷商が怪訝そうに首を傾げた。
「そこの方々も、私に買わせて頂けませんか?」
アレンも、マルギットも、奴隷商も、呆気に取られて口をぽかんと開けた。
しかし、数秒の後に奴隷商はすぐに商人の顔に戻り、壇上の売れ残った奴隷たちを見て、少し考える素振りをした後、
「いくらお支払いに?」
「全員で銀貨四枚」
「ふーむ、それは少し手厳しいですな」
奴隷商は渋い顔をする。
「おい、良い加減にしろ」
アレンが止めても、もちろんイリアは聞かない。このクソ頑固娘が。
「売れ残りなのですから、少しくらい割り引いてくれてもいいでしょ? それとも、他に売り先の見込みが?」
「確かに、ないですな。とはいえ、いくらなんでも銀貨四枚は少なすぎます。銀貨七枚でいかがです?」
「いいえ、四枚です。それ以上は出せません。ここで私に売れば銀貨五枚。そうでなければゼロ。あの人たちの衣食住だってタダじゃありません。売れるかわからない奴隷を手元に置いておくより、今ここで私に売った方が良いと思いませんか?」
意外なことに、イリアは吹っかけてきた商人に対して引かなかった。相手の目をまっすぐ見据え、はっきりと言い返す。
どうやらスイッチが入ると、頑固になるだけでなく、肝も据わるようだ。これまでアレンに対して言い返すことすらしなかった少女は、堂々と対決していた。彼女の瞳はもはや子供とは呼べず、確固とした決意を秘めた戦士のものだった。
奴隷商は痛いところをつかれたのか、顎に手を当て、壇上の奴隷たちを見て思案したあと、ため息をついた。
「……いいでしょう。銀貨四枚で手を打ちましょう」
「では、そういうことで」
イリアは袋からさらに銀貨四枚を取り出し、奴隷商に渡した。ついで、奴隷商は壇上にいた奴隷たちを引っ張ってきた。
「いやはや、豪胆なお嬢様だ。将来は大物になりますな」
奴隷商はアレンの方を見て言った。本音なのか、お世辞なのかわからないが、冗談だとしても笑えない。
売買が成立したことの証明書を記載した後、奴隷商たちは「これにて失礼」と去っていった。取り残されたのは、アレン、イリア、マルギット、そして訳もわからないままイリアに買われた奴隷たち六人だった。
「おい、どうするんだ、この状況」
「……すみません」
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