幕間 夢の中ぐらい都合よく答えろ
懐かしい背中を見て、一瞬でこれが夢であると気づく。ずっと前に姿を消した彼女は、窓の淵に腰掛け、足を外に放っていた。窓から吹き込んでくる風で、レースのカーテンが揺れる。
赤みがかった髪は、手入れが面倒という理由で短めに整えられていた。タンクトップと短パンというラフな服から、鍛えられた肉体を覗かせる。
夢だとわかっていても、懐かしい姿に、少なからず心が揺さぶられる。
彼女の元に足を出すが、なぜか思いの外進まない。それと目線も低い。
見ると、自分の手が子供のように小さい。というより子供なのだ。そういうものだとあっさり受け入れられるのは、夢だからということもあるし、そんなことはどうでもいいから、とにかく彼女と話したいと思ったからでもある。夢である以上、いつ目が覚めるかもわからない。
「ねえ、セシリア。何しているの?」
幼いアレンが駆け寄ると、セシリアはアイスクリームを手にして、弾けるような笑顔で振り返った。
「お、アレン。ちょっと休憩中。アレンも食べる?」
「うん。欲しい」
「オッケー、はい」
アレンは彼女の隣に腰掛けると、セシリアからアイスを手渡された。
「いやー、疲れたね。こんな暑い日くらい、みんなで休んじゃえばいいのにね」
夏の暑さに文句を言う、どこにでもいそうな町娘みたいな身なりをした少女は、それでも勇者であった。
「そんなこと言っていると、また怒られちゃうよ」
「聴かれなきゃいいのよ」
飄々とした調子で、アイスを頬張りながら彼女は笑った。
「戦争なんて、頑張ってやることじゃないわ」
「……そうだね」
当時はどこもかしこも勇者を必要とする戦場ばかりだった。セシリーは求められるまま、大陸中を走り回っていた。彼女の横顔を覗いてみると、日焼けた肌は影になるとより暗く映り、翡翠の瞳には隠しきれない疲労が滲んでいた。
「セシリアは、勇者でいることに疲れたのか?」
「そうね。ちょっと疲れちゃったかも」
そんなことを聞いてどうするのか。彼女の答えは、実際にそう言ったのかもしれないし、あるいは自分の夢が勝手にそう作っているだけかもしれない。
「全ての只人が善人じゃないのと同じなように、全ての魔族が悪いわけじゃない。でも、みんなが望むのは魔族の根絶。それを私にやれなんて、嫌になっちゃうよね」
「なら、やめちゃえばいいよ」
口をついて出た言葉は、今の自分が言っているのか、それとも子供の頃の自分が言ったことなのか。
セシリアは目を丸くして、口をぽかんと開けて呆けた顔をすると、次には吹き出して豪快に笑った。
「そうだね。確かに、やめちゃえばいいんだ。嫌なことからは逃げたっていいものね」
「うん。俺も嫌いな算術の授業からよく逃げる」
「それはダメ」
「ダメか」
「ダメね」
勢いで誤魔化せると思ったのにと悪態をついてみるが、セシリアは指を小刻みに振って「チッチッチ」と舌を鳴らす。
「……まあ、セシリアが苦しいならやめちゃえばいいと思うよ。それに嫌いでしょ? 『正義』って言葉」
「嫌いね。正義って言葉はだいたい免罪符みたいにしか使われないもの」
「なら尚更だね」
「でも、そしたら誰が代わりをするの?」
「それは俺だよ。俺がセシリアの代わりに、『正義』の勇者をやるよ」
そう言うと、いつも快活なセシリアが苦しそうに笑った。眉が落ち、優しい目元に影が落ちる。瞳に映るのは、まだまだ未熟な自分の姿。彼女のそんな顔も、瞳に映る自分の姿も見たくなくて、アレンは目を逸らす。
「それもダメ。今のあんたじゃまるで力不足。とてもじゃないけど、『正義』の勇者は務まらないわ」
「なら、俺がもっと強くなったらいいの?」
「そうね」
気のない返事をするセシリアに、アレンは訝しんだ。
「本当に、俺に『正義』の勇者を継がせる気はあるの?」
セシリアは苦笑して、まるで子供を諭す母親か、あるいは弟を嗜める姉のようにアレンに問うた。
「ねえ、あんたは本当に勇者になりたいの?」
「なりたいよ。それでセシリアが楽になるなら」
すぐさまアレンが答えると、セシリアは悲しそうに笑って、アレンの頭を撫でた。彼女にとって自分はいつまで経っても子供だということに、アレンは不貞腐れる。
「嬉しいけど、そんな理由ならダメね」
「どんな理由ならいいんだよ」
「根っこの理由が自分自身の中にあるならなんでもいいわ。誰かのためだけに勇者になったって、苦しいだけよ」
「自分の中に理由があったって苦しいだろ」
「確かにね。でも、自分のために勇者にならないと、その相手がいなくなった瞬間に心が折れる。でも、理由がなくなっても、勇者を辞めることはできないわ」
彼女の言い振りは、まるで自分がいなくなることが前提のようで、アレンの心がざわつく。
「セシリアは、いなくならないだろう?」
全く、夢ならせめて、こっちに都合良く答えて欲しいものだ。
窓の外遠くを見つめる彼女は、何も答えず、静かに微笑むだけだった。
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