第5話 戦っても逃げても勇者は誰かを傷つける
街についてから数日が経った。イリアの治癒魔法のおかげもあり、マルギットの傷は順調に回復して来ている。今はベッドから起き上がれるようになり、ある程度動けるまでになっていた。
「今夜はちょっと街を見て回らない?」
マルギットがそう言い出したのは、アレンが明日には街を出ると話した後だった。マルギットの体調が戻った頃には、既に陽は落ちかけていた。
舗装された道はあるものの、陽が落ちてからの移動はなるべく避けたい。狼のような夜行性の獣や、野盗の類はどの街にいっても聞く。自分だけであればどうということはないが、今はイリアがいる。彼女を守りながら戦うリスクを考えると、昼間のうちに移動をしたいところだ。
とはいえ、街を見て回るとは、観光気分もいいところだ。勇者に追われている身だとは思えない呑気な提案に、アレンは顔を顰めた。
すると、マルギットは、
「病み上がりだし、少し体を動かしたいのよね」
などと言った。それを言われると考えざるを得ない。彼女には最低でも自分自身の身は守ってもらわないといけない。イリアとマルギットの、二人を守りながら立ち回らないといけない事態はごめんだ。
それに、ちらりとイリアを伺うと、何も言わず、ねだるように、期待に満ちた瞳でじっとこちらを見てくるのだ。断ろうものなら、まあそうだよねと悲しそうに笑うのが目に浮かぶようだ。
「……仕方がないな」
お前ももっと自覚を持てと言ってやりたいところだが、ただでさえ過度にストレスのかかる状況にいるのだから、これくらいの息抜きはさせてやった方がいいだろうと、自分で自分を納得させる。
顔をぱっと明るくする少女と、してやったと言わんばかりに、にんまり顔をする自称怪我人は、さっさと支度を整えると部屋を出て、ドタドタと階段を降りていった。
「ねえ、早くしなさいよ」
「勝手な奴らだな」
アレンは嘆息すると、重い足取りで二人の後を追った。
「すごい。夜になっても、これだけ街が明るいなんて」
「ここは商人の街だからな。人も物もよく集まる。夜は夜で盛り上がるのさ」
街の喧騒を眺めるイリアは、初めて見る光景なのか、赤子のように目を丸くして興味津々といった様子だ。
街は夜になっても熱気を帯びていた。商人たちは日に二度、朝と夕方に積荷を持ってやってくるが、今は夕方に到着した一隊が荷を下ろし終わる頃合いで、あちらこちらに荷台を空にした馬車が停車している。
街に立ち寄った商人は、決まって酒場に立ち寄り、この街の住人や商人と交流を深め、時折情報を交換する。今日も酒場の中からは笑い声が聞こえてくる。街の男女が大いに楽しんでいるようだ。
「うわぁ、あのアクセサリー、すごく綺麗ですね」
イリアが感嘆の声を上げて指を刺した先には露店があり、洒落た装飾が施されたアクセサリーが並ぶ。ペンダントや指輪が気になるのは、年頃の女の子らしい。
露店の前では、腕を組んで仲睦まじくするカップルがペンダントを指差して、今のイリアのようにはしゃいでいる。
「夜になると、こんなお店も並ぶんですね」
「ああ。夜になると、露店の前に提げる灯りで、アクセサリーの光沢がより映えるんだ。暗がりの中で光るものはいつもより綺麗に見えるだろ」
「はい。すごく綺麗です」
イリアはうっとりした顔で、立ち並ぶ装飾品たちの輝きに目を奪われている。「私も一つ欲しいかも」などと言い出した。
「確かに綺麗だが、やめとけ。あのカップルみたいに流されるな」
「え?」
「あそこで売っているアクセサリー類に使われている素材は、別の場所なら三分の一程度の値で買える。正確には宝石でもなんでもない、ちょっと綺麗な石だ。どう見積もっても、あんな値段にはならない。暴利だな」
「ええ……」
「あんた、その情報いる?」
マルギットに呆れた顔をされるのは心外だった。
露店を営む彼らも商人だ。商人の街で、商人が行う行為は、全てが何か金に関わる思惑があるのだから、そのこともちゃんと教えてやらないといけない。将来、イリアが商人に騙されないためには必要なことだ。
「夜になるとデート中のカップルを捕まえやすいんだ。楽しい夜を過ごし、酒も入って気分が良くなり、彼女の前で格好をつけたい男が、彼女にせがまれてつい買ってしまう。彼女もそれを期待して露店の方に足を伸ばす。あんな風にな」
アレンは露店の商品を手に取るカップルを顎で示した。
「恋は人を盲目にする、つまりはそう言うことだ。あの店は、ああして財布の紐の緩んだ奴らをカモにしているだけだ」
「へえ、そうなんですね……」
イリアは何と形容したらよいかわからない微妙な表情で呟いた。
「あんた、その情報も今は要らないわよ」
マルギットが頭を抱える。いたいけな少女の思い出に水を差すなということだろう。言いたいこともわかるが、残念ながらイリアに関してはそうもいかない。
「綺麗な面ばかり教えるのは無責任だ。大概のことには裏があるし、上手い話ばかりじゃない。むしろ、綺麗じゃないことの方が多い」
「めちゃめちゃ拗らせてるじゃない……」
「だが事実だ。それに、残念ながらこれから先、彼女が見るのは綺麗じゃないことの方がきっと多い」
イリアも、マルギットも、二人して息を呑んだ。イリアがただの街娘なら、茶々も入れずに黙っていただろう。
……いや、いずれにせよ茶々は入れていた気がするが、それはいいとして、彼女はただの街娘ではなく、魔王の血縁者だ。彼女がこれからどのように暮らすにせよ、純粋な善意だけに囲まれて暮らすことなどあり得ない。
「……まあ、そうね。でも言い方ってもんがあるでしょ」
そこは確かに議論の余地がある。アレンはマルギットからそっぽを向いて、露店のカップルの方に視線を逃す。あ、買っちゃった。その光景を、イリアが複雑そうな顔で見ている。
「すまん。気を悪くさせたなら謝る」
「いえ、気にしないでください。アレンさんの言う通りだと思います。私はもっと、世の中のことを勉強しないと。これからも色々と教えてもらえると嬉しいです」
「そうか。わかった」
どうやらイリアからは好評(?)のようだ。打って変わって調子づき、どうだと言う目でマルギットを見返す。特段重いため息をつかれた。
「じゃあ、あっちは何ですか?」
「どこだ?」
イリアからの早速の質問に、何でも答えてやろうと思っていたアレンは、しかし次にイリアが指差した方向を向いて、言葉に詰まった。
「あっちもすごい活気がありますね」
その通りは他と明らかに雰囲気が違っていた。男は一人残らず酒を飲んでいるのか、頬を蒸気させ、女は肌の露出の多い、やたらと扇情的な格好をして、通りの男たちに流し目を送っている。
確かに活気はあるだろうとも。特に男の。何たってあそこは繁華街。少しばかり風紀が乱れた店も存在するが、これも彼女に教えるべきか。
「……そうだな。何だろうな?」
「あれ、アレンも知らないの? ちょっと行って調べてきたら? イリアにちゃんと必要なことは教えてあげないと」
二言目はマルギットだ。アレンが回答に困っていることを面白がって茶化してくる。ムカつく女だと、アレンはマルギットを一瞥するが、彼女はどこ吹く風だ。
「なら、あっち行ってみませんか?」
「ダメだ」
「ダメよ」
好奇心に吸い寄せられるままに繁華街の方向に向かう少女を、今度は二人して制する。少女は思いの外に強く制止され、きょとんとした顔をしたが、二人と通りの様子を交互に見て、何かを察したのか、「わかりました」と素直に従った。
「こういう街には来たことはないのか?」
アレンはマルギットに尋ねた。あまりにも不慣れというか、見るもの全てが初めてという様子の彼女は、恥ずかしそうに体を縮こませた。
「はい。実は、ほとんど村から出たことはなくて。夜になると村はすごく静かだし、こんな活気のある街は見たことありませんでした」
「そうだったのか。どうだ、面白いか?」
「はい。母さんから聞いていた以上に賑やかで、とても楽しいです」
「そうか」
そこで、ふと彼女の口から初めて母親のことが出てきたので、アレンは何の気なしに尋ねた。
「君のお母さんは、よく色んなところに出かけていたのか?」
イリアは何故かアレンとマルギットを交互に見て、「ええと」と言い淀んだ。アレンは何かまずいことを聞いたのかと思い振り向くと、マルギットは謎の微笑みを返してくるだけだった。
「村で暮らすようになってからは、たまに近くの街に出向くくらいだったと思います。ただ、その前は色んなところに行っていたようです。よく、その時のことを話してくれました」
「へえ、君が生まれる前か。ということは、まだ人魔戦争が終わる前ってことになるが、そんな時にあちこち行っていたってことは、もしかして元軍人か?」
「ええ、そうです」
それなら納得だと、アレンは頷いた。
当時は大陸中で戦いが起こり、どこもかしこも治安は悪化していた。そんな情勢でも旅人を気取る輩は命知らずの馬鹿だ。
その一方で、軍人は命令が出されるまま、拡大する戦局に対応して大陸中を移動する羽目になった。それは只人だろうが魔族だろうが変わらないだろう。
「色々あって退役して、村にたどり着いて、そこで父と出会ってからは、ほとんど外に出なくなったと聞いています」
「まさか魔王の弟と結婚するとは、君のお母さんも思っていなかっただろうな」
「……ええ。そうだと思います」
「村の外のことは、よくお母さんから聞いていたのか?」
「そうですね。たまに、昔のことを懐かしそうに話してくれたのですが、母さんの話を聞きながら、私もいつかは村の外でいろいろなものを見てみたいと思っていました」
「そうか。なら、これからたくさん、飽きるくらい見たらいい」
イリアはクスッと笑う。
「そうですね。生きていたら、ですけど」
冗談めかしているが、もしもはあり得る。正しい理解なだけに、悪い冗談だと咎めることもできなかった。
「これから先のことは、正直わからない。だが少なくとも、俺が護衛をしている間は、どんな手を使っても全力で君を守る。安心して楽しめばいい」
ついさっきまで、観光なんて気が抜けていると思っていた男の台詞ではないが、ふと湧いて出た言葉は、自分の本心が多少なりとも含まれているはずだ。
「あの、一つ聞いてもいいですか?」
「ああ。なんだ?」
イリアはぽかんと口を開けて、アレンを不思議そうに見上げると、
「どうして、アレンさんは私を助けてくれるんですか?」
彼女は躊躇いがちに尋ねた。なるほど、彼女からすれば当たり前の疑問だった。魔族である自分を守るとぬかすこの只人は、果たして信頼に値するのか。
「君が死なないといけない理由が、俺にはわからないからだ」
だがしかし、果たして納得のいく答えなのかはわからない。実際、イリアは首を傾げ、頭の上にクエスチョンマークを浮かべている。
「えっと、それは私が魔王の血縁者で、魔王になるかもしれないから?」
「将来なるかも、だ。今は違う。君はまだ、殺されるようなことは何もしていない」
「じゃあ、魔族だから?」
「論外だ。生まれで君の全てが決まるわけがない。死ぬべき理由には不十分だ」
誰に向かっての言葉なのか、自分でもわからない。彼女の向こう側に見えた、いつかの自分にだろうか。
「さっきからなんだ。君は自分が殺されることに、納得しているのか?」
つい苛立ちが言葉に混じる。
「い、いえ。そんなことはないですけど」
「俺もそうだ。納得していない。それだけが理由じゃ不満か?」
人の死は、せめて納得したい。本当に、ただそれだけだ。
納得できず、消化できない死を胸に抱えたまま生きるのは、ひたすらにしんどい。
見ず知らずの他人のものですら遠慮したいし、多少なりとも関わった人のそれなど、考えるだけでも嫌だ。
つまりは、自分の精神衛生上の都合だ。
だから、魔族だって助ける。只人を助けるのと同じように。
「そのために、勇者と戦うことになったとしてもですか?」
「それを言われると苦しいが、そうだ」
もちろん、その時は今みたいに、まさか魔王の後継を助け、勇者に追われることなど夢にも思わなかった。勇者の凄まじさは戦場で何度も見ているし、彼らを相手にするなど、考えただけでゾッとする。しかし、時と場合、相手が誰かで柔軟に立ち回れる性分なら、きっと自分は今ここにはいない。
「ふふ」
「どうした。何かおかしかったか?」
小さな手を口元に当てて微笑むイリアを、アレンは怪訝な目で見た。
するとイリアは、これまた想像もしなかったことを言った。
「いえ、まるで御伽噺に出てくる勇者様だなって思って」
アレンがきょとんとした顔をしていると、その後ろで今まで黙っていたマルギットが吹き出した。
「言えてる。誰であっても助けるっていうのは、勇者っぽいわね」
今度はアレンが失笑で返す。ついさっき自分で吐いたセリフのせいで、言いようのない恥ずかしさに襲われる。
「面白い冗談だ。俺はそんな立派な奴じゃないし、そもそも勇者に立派な奴はいない。彼らはただの兵士だ。現実は御伽噺とは違う」
「立派な勇者もいると思うけど」
マルギットから茶々が入る。魔族である彼女から、勇者を称賛するような言葉が出るとは驚きだ。きっとまた、しょうもない冗談が待っているのだろう。
「へえ、誰だ? 『慈愛』の勇者か? それとも『不屈』の勇者?」
「『正義』の勇者」
「……」
そして彼女の口から出てきた言葉に、アレンの表情が消える。
「なるほど。そうくるか」
御伽噺にすら居場所がなくなった、七人目の勇者の名前。
勇者を今の御伽噺でしか知らない子供たちは知らないだろうが、かつて勇者は六人ではなく、七人だった。
かの勇者は、確かに他の六人とは違った。何せ、戦いから逃げたたった一人の勇者なのだから。
『正義』の勇者は、魔王軍との戦いの中で消息不明になっていた。戦死したという噂もあるが、勇者の死体も、持っていた剣も見つからなかった。
勇者とはいえ兵士には違いない。戦えば死ぬことだってあるだろう。だが、当時の『正義』の勇者は、七人の中で一、二を争う実力者で、そう簡単に倒れるとは誰も思っていなかった。
その時問題視されたのが、『正義』の勇者が戦争に否定的で、魔族に対しても寛容だったことだ。
そのせいで、勇者は逃げたのではないかという噂が出回ったのだ。
戦争と勝利の象徴である勇者が、まさか敵前逃亡したなどというゴシップは、前線の兵士たちの士気を下げることになりかねない。故に各国は正義の勇者は戦死したと明言した後、その話題に一切触れなかった。その一方で、まるで元からそんな人物は存在しなかったと言わんばかりに、『正義』の勇者の痕跡は公的記録から消え去っていった。
「確かに、あの勇者は逃亡の話が出る前までは人気があったな」
「強く、優しく、親しみやすい。相手が魔族であっても無碍には扱わなかったし、そういう意味じゃ、御伽噺の勇者に一番近いんじゃない?」
「そのせいで敵前逃亡したって言われて、みんなに手のひら返されてボロクソに言われたんだけどな」
「まあ、そうだけど」
アレンが不服そうに吐き捨てる。
「アレンさんは、『正義』の勇者が嫌いなんですか?」
そう尋ねてきたのはイリアだった。肩を縮こめて、アレンの顔色を伺う。
「ああ。嫌いだね」
「……」
即答した自分の顔はわからないが、きっと険しい顔だったに違いない。イリアが一瞬怯んだ。
「また心にもないこと言って」
「紛れもなく本心だ。お前のことを鬱陶しいと思う気持ちと同じくらいにな」
「よほど嫌いなのね」
マルギットは、それは困ったと他人事のように唸っている。
「すみません。てっきり、アレンさんも『正義』の勇者のことを好きなのかと思ったんですけど、違ったんですね」
今度は自分でもわかるくらいに、アレンはあからさまに苦い顔をした。
「どうしてそんな風に思う?」
「私のような魔族にも、普通に接してくれるので」
「勘違いするなよ。俺は別に、彼女が魔族に寛容だったから嫌いなわけじゃない」
「なら、どうしてですか?」
「御伽噺の勇者みたいになろうとして、身を滅ぼしたからだ」
現実と御伽噺は違う。彼女だって知っていたはずだ。知っていて、身の程を弁えずに望み、苦しんだ。愚かだ。
「現実の勇者は、所詮は兵士だ。誰も彼も救うことなんてできないし、救う相手を選ぶことすらできない。本物の勇者であろうとすればするほど、そのギャップに苦しみ、しまいには心が折れる」
「……見てきたみたいに言うのね」
アレンは舌打ちだけして、答えはしない。
見てきたみたいではない。見てきたのだ。
「本物の勇者であろうとするのは、誰も彼も救いたいと思うことは、間違いなのでしょうか?」
イリアの真っ直ぐな視線に、アレンもまた真っ直ぐ応えた。
「いいや。その想い自体はきっと気高いものだ。だがな、そんな夢みたいな理想を抱いて、逆に潰されるくらいなら、クソみたいな現実と折り合いつけてもらった方がマシだね」
「それでも、本人にとっては、どれだけ苦しんだとしても、どうしても譲れない想いだってありますよ」
「……苦しむのが自分だけだと思っているなら、大間違いだ」
「え?」
「どうして壮大な理想を掲げる奴に限って、自分の周りの痛みに鈍感なんだろうな」
仮に苦しんでいるのが見ず知らずの他人であれば、まあ好きにすればいいと言って終わりだ。だが、もしそれが家族や友人、大切な人であったならば、その人が苦しむ様を見続けることだって苦痛なのだ。
高潔な理想を掲げ、それを成し遂げる力がないことを。
その高望みが、自分も、自分の周囲も傷つけることを。
彼らは理解しない。
「勇者は勇者じゃない。ただの人だ」
だから、何度だって言う。
「現実は、御伽噺とは違う」
振り返ってみると、この時自分がするべきことは、自分がいかに『正義』の勇者を嫌っているかを話すことではなく、イリアが発した、あなたも『正義』の勇者のことが好きなのか、という部分に注意を払うことだった。
楽しかったはずの観光の帰り道は、しんと静まりかえっていた。
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