第4話 『真実』の勇者
ミランダ・カートライトは、美しい金髪を風に靡かせて街を闊歩した。しなやかな四肢に、ゆったりとした歩調。鋭く、凛とした青い瞳は恐ろしいまでに静かで、整った顔立ちは自信に満ちていた。場違いなまでに華やかな雰囲気に、通りを歩く人々の視線が自然と彼女に集まった。
彼女がその街に抱いた印象は、うるさく、野暮ったい街というものだった。
王都に比べると、どこもかしこも見劣りするが、それは仕方がないことだと彼女は割り切っていた。王都のような洗練された街並みを、地方の辺境地に求めることが間違いだ。それだけなら諦めもつく。
だが、昼間から酒をかっくらう無法者が幅を利かせていることは我慢ならない。おおっぴらに帯剣しているところを見ると、大方ギルドにたむろする傭兵どもだろうと見当がつく。
王都にもギルドはある。そこの連中の振る舞いにも文句はあるが、ここの街の奴らは目に余った。昼間から酒を飲み、遊び呆け、そのことをなんら恥じない。
その無法者たちの巣窟であるギルドは街の中央にある繁華街に面していた。薄汚れて見窄らしい外観だった。傷や汚れが目立ち、所々壊れた外壁には、草の根が走っていた。
扉を開けると、威勢のいい傭兵どもが一斉に彼女を見た。困惑した顔で、こそこそと小声で話し出す。女は鼻を鳴らし、注がれる視線を無視して受付に向かった。
「失礼。私はミランダ・カートライトという。少し聞きたいことがあって来た」
ギルドの受付嬢が立ち上がって応対する。緊張した面持ちで頭を下げると、
「存じています。かの『真実』の勇者様とお会いできて光栄です」
当然と言えば当然だが、ギルドはミランダの素性を把握していた。ミランダは品を意識して薄く笑う。
戦後で困窮する人々の足元を見て商売をし、国や軍隊が相手となればもっともらしい屁理屈を並べて煙に巻き、軍隊も自分達に手を出せないと勘違いすると、肩で風を切るように横柄な態度を取る。
ギルドの連中とはそういうものだ。なのに、相手が勇者となると途端にしおらしくなる様は滑稽だった。
彼らの警戒心は、勇者という肩書きに対してもだが、それ以上に『真実』の勇者の背後にあるオルレント皇国へ向けられたものだ。
人々の中には、御伽噺に出てくる勇者のイメージに引っ張られて、勇者は何者にも縛られない孤高の戦士だと勘違いしている者も多いが、そんなことはない。
勇者とは、そもそも魔族との戦いのために、各国が人工的に作り上げた戦士の名称だ。国が生み出した以上、彼らの力は国に属する。
かつて、各国は魔族、そして魔王との戦いに勝利するため、医学、薬学、鍛冶、鋼鉄、魔法学、そして戦士と、自国が持つ全てを使って至高の戦士を作り上げようとした。
特に、勇者の代名詞ともなっている勇者の剣は、各国の技術を結集した武具であり、魔王をも討ち滅ぼす強大な力だ。
勇者一人で敵部隊を壊滅させたなどという話は、もはや逸話としての価値がないほどに過去の記録にはありふれている。
個が保有するにはあまりに強い力を、国が管理しようと思うのは、至極当然の流れだった。
「どのようなご用件でしょうか?」
受付嬢は人当たりの良さそうな女だったが、強ばった表情に警戒の色が滲む。
「最近ここに魔族からの依頼は来なかったか?」
「さあ、心当たりがございません。魔族と言いましても、変身魔法で瞳の色を変えている方もいますから、私どもでは判別できません」
「では、ここ数日にあった二十代くらいの女性からの依頼内容を教えて欲しい。……いや、代理の人間に依頼をさせることもできるか。すまないが、ここ数日の依頼内容を全て見せてくれ」
「申し訳ございませんが、個別の依頼についての情報は開示できません。ご了承ください」
受付嬢は苦い顔をして、マニュアル通りの空虚なお辞儀を返した。ミランダは喉まで迫り上がってくる苛立ちを何とか飲み下し、冷静を装って続ける。
「ルールがあるのは承知しているが、凶悪な魔族が関わっているかもしれないのだ」
「我々ギルドは、中立、公正を旨としています。たとえ魔族であろうとも、依頼内容に問題がなければ他と同様に扱われます」
お面のような作り物の表情に、ミランダは不快感を覚えた。それは目の前の受付嬢にというより、ギルド全体に対する嫌悪だった。
中立、公正など、お題目だけは綺麗だが、周りを見てみれば実情がわかる。酔っ払いと荒くれ者の巣窟ではないか。ただ金目当てに魔族に与し、この世界の秩序を蔑ろにする連中が図々しいにも程がある。
「そちらの立場もわかる。だが、どうか教えて頂きたい。詳しくは言えないが、非常に重要な事案なのだ」
「わかります。あなたがわざわざ出向くようなことですから」
「それなら……」
「しかし、申し訳ありませんが、ご希望には添えません。ご存知だとは思いますが、ギルドはいついかなる時も独立した組織です。国家やそれに準ずる第三者にギルドが持つ情報をお渡しすることはできかねます」
受付の女は確固として譲らない。
「開示可否を本部に問い合わせて、許可が出れば可能です。ただ、少なくとも数週間は時間がかかってしまいます」
もちろん、この一刻を争うときに、そんなことをしている余裕はない。
追っているのはただの魔族ではない。魔王の血縁者で、次代の魔王になり得る者だ。彼女を逃せば、この大陸が再び戦火に包まれる可能性すらあり得る。そんなことは、勇者として看過できるものではない。
埒が明かない問答に辟易したミランダは、再び込み上げてきた不快感を、今度は飲み込むことはしなかった。ミランダは俯き、大きなため息をついた。
「……仕方がないな」
彼女の口から落ちた静かな呟きは、まるでさざなみひとつない水面に小石を落としたように、その場の空気に響いた。
再びミランダが顔を上げた時、彼女の顔からは感情が消え去り、そこには冷酷な勇者の顔があった。魔族に向けられるのと同じ、冷め切った瞳に射られ、受付嬢は凍りついた。
民間機関とはいえ、ギルドは大陸全土に広がる一大勢力だ。国としても無闇に争いたい相手ではない。
だが、ギルドとの関係値と、己が課された任務の重要性。その二つを天秤にかけた時に、多少なりともギルドとの関係が悪化しようと仕方がない。彼女はそう判断した。
「おい、あんた」
集会所にいた傭兵たちが、いつの間にかミランダを取り囲んでいた。
ミランダは集会所にやってきてからずっと、注目の的だった。受付嬢とのやり取りから不穏なものを感じ取っていた傭兵たちは、武器を持ってミランダに近づいてくる。その数は、ざっと見たところ三、四十人といったところか。
「勝手な真似はするなよ」
威勢のいい男が、背中の大剣に手をかけながら息巻く。細身のミランダが一瞥すると、筋骨隆々の男はびくりと体を震わせて一歩下がる。
一人であれば、そのまま逃げてしまいそうな威勢だけの奴だ。だが、ここは彼らのフィールドであり、周囲には仲間の傭兵たちがいる。少しばかり数で上回ると、急に態度が大きくなるのは人の性なのだろうか。傭兵の男は歯を剥いて、ジリジリと近づいてくる。
場の緊張感が一気に高まる。肌を刺すような空気に、関わることを嫌った人々が一斉に集会所を後にする。残されたのは、ミランダと敵意剥き出しのギルドメンバーたち。
「あんた、そのなりで四十超えているって本当かよ?」
「田舎者は初対面の女にまず年齢を聞くのか? 顔もデリカシーも最低だな」
しょうもない煽りを入れた粗暴な男は、しかしミランダに軽くあしらわれると、顔面をカッと赤くした。
勇者は幼少期より、魔術的、医学的な処置を体に施されるが、その過程で、勇者の肉体は老化が極端に遅くなる。そのせいで、ミランダは実年齢よりも肉体年齢がずっと若く、今も二十代の頃の瑞々しい容姿を保っている。今更のことで気にする必要もないのだが、女性の端くれとして、年齢を持ち出されるのはただただ不快だった。
ミランダは「ふん」と鼻を鳴らして、受付から離れる。
「下らない問答をする気はない。こっちは急ぎなんだ。そっちがその気なら、とっとと来い」
ミランダが右手で煽るように手招きしたのをきっかけに、傭兵たちが一斉に地面を蹴った。
一振り。
ミランダは腰に携えた剣を引き抜いて、横に薙いだ。
傭兵たちの蹴り出した足が地面につく間も無く、目にも留まらぬ速さで振り抜かれた一閃は、傭兵たちの武器のことごとくをへし折り、それによって巻き起こる風圧だけで人が宙に吹き飛んだ。
露わになるのは灰を被ったような薄鈍色の剣。持ち主に似つかわしくない素朴な外観で、余分な装飾も一切ない。
「『真実』の剣……」
傭兵の誰かが呟いた。
勇者を、勇者たらしめる剣。強大な勇者の力をその剣身に宿し、人々から畏怖され続ける七振りのうちの一振り。
そこで、傭兵たちは相対している女が何者なのかを、改めて思い知らされる。
ミランダ・カートライト。『真実』の勇者である。
「『
ミランダは右手を突き出し、祝詞を口にする。その掌に翡翠色の光が渦を巻くように発すると、強烈な風の流れを生み出す。掌サイズの竜巻とでも言うべきそれは、次の瞬間に弾けて、鋭い旋風を傭兵たち目掛けて発した。
風の刃が傭兵たちに迫る。彼らは目を見開き、剣を構えて防御の姿勢を取るか、飛び退いて躱そうとするかのどちらかだった。
だが、風の刃は容赦無く、圧倒的な猛威を振るった。
防御姿勢を取った傭兵たちは防御もろとも撃ち抜かれ、躱そうとした傭兵たちはその攻撃範囲の広さと速度に避け切ることができず、鋭利な刃に体を切り裂かれる。
「ぎゃああああッ」
傭兵たちの悲鳴が室内に響き渡り、真っ赤な血飛沫とともに体が宙を舞う。背中から叩きつけられた傭兵たちは、自分たちの血で鎧を赤に染めた。
勇者とギルドメンバーたちのやり取りはほんの数秒で決着がつき、ギルドは一瞬にして静けさを取り戻す。床には血溜まりができ、倒れている傭兵たちから、小さな呻き声が漏れる。
「さて、もう一度頼もう」
荒れ果て様変わりした集会所内を、ミランダは砕けた床や調度品を避けながら、何事もなかったかのように受付に戻った。
応対をした受付嬢が、窓口の向こう側で頭を抱えてうずくまっていた。受付嬢は恐る恐る顔をあげる。
「ここ数日の依頼記録を見たい。言っておくが、ここのことは君の方が詳しいだろうから頼んでいるだけだ。嫌なら構わない。自分で探す。言っている意味がわかるな?」
ミランダは小さい子供に言い聞かせるように、ゆっくりと、しかし強い口調で言った。
受付嬢は顔面を蒼白にさせると、首がもげるのではないかと思わせるほど激しく首を縦に振って、一目散に集会所の奥へと走っていった。
そして、ギルドの受付嬢の積極的な協力により、すぐに資料が用意される。
一件ずつ確認し、ページをめくっていくと、ふとミランダの手が止まった。
依頼者、不明。
依頼概要、不明。
代理人経由で依頼が届く。請負人が指名されており、請負人の判断で依頼を受領。
これだ。ミランダは直感した。他にそれらしい依頼がない中で、何一つ内容がわからない、怪しすぎる依頼だということもそうだが、何よりその依頼を受けた請負人の名前を見て確信した。
『受領者 アレン・カーチス』
その名前を、ミランダは知っていた。
「名前が通り過ぎるのも考えものだな、アレン」
ミランダは独りごつと、かつて自分の元にいた、ある少年のことを思い出した。
魔族の依頼を率先して受ける腕利きの傭兵がいる。そんな噂を耳にしたのは二年ほど前のことだった。たかだか傭兵如きの噂話など、本来はどうでもいい話題だが、魔族の依頼を率先して受けると聞くと、興味本位でつい耳を傾けてしまった。
人魔戦争で、ギルドからも傭兵として戦争に参加した者はたくさんいる。なまじっか腕の立つ荒くれ者が多い組織だ。その時は、彼らはこちら側として戦い、多くの魔族を殺してきた。だというのに、戦争が終わった瞬間、手のひらを返して魔族を助けるなどと言う輩が一体どんな奴なのか。そいつの名前を知りたいと思ってしまった。
まさかそれが、一時とはいえ、自分の後継になるはずだった男だとは、皮肉だとしても笑えなかった。
魔王の血縁者は今、身を寄せるところもなく、追手を警戒して護衛が欲しいはずだ。そして、このタイミングであの男が受けた詳細不明の依頼となれば、間違いない。
自分のなすべきことを見失って逃げた者が、この件に関わるべきではない。あの男が彼女の出自を知っているのかは定かではない。次代の魔王になり得る魔族の護衛など、流石に簡単に受けたとも思えない。
それに、あの少女にはそれ以外にも秘密がある。もしあの男が彼女の素性を全て知っていたならば。
ミランダはそこで考えるのを止め、頭を振って余計な思考を追い出した。今考えても仕方がないことだ。いずれにせよ、あの少女を追えばわかることなのだから。
備考によると、あの男は指定された場所に向かったようだが、そこはここから西、マルドレイク帝国の国境に向かっているようだった。
勇者はその力の強大さ故に国が管理している。そんな勇者が国境を跨げば、それは領土侵犯に他ならず、国家間の問題に発展する可能性もある。国境を越えられてしまうと、ミランダは彼らを追うことができない。
彼らが国境を越える前に、決着をつける必要がある。
「あの軟弱者がどうなっているか、見せてもらうとしようか」
ミランダは呟くと、踵を返して、荒れ果てたギルドを後にした。
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