第3話 六人の勇者ともう一人

 結局、アレンはまずマルギットの傷を治療することを優先した。追手は気になるが、いざという時に怪我人を伴ったまま逃げ切ることは難しい。むしろ、どんな状況になるかわからないからこそ、彼女には体を癒してもらわなくてはいけない。

 アレンたちが立ち寄った街は、マルドレイク帝国へと続く街道の始点に当たる。隊商の類が多く、人も物も行き来が激しい。魔族が紛れ込むには、都合の良い街だった。

 もちろん、魔族の象徴である赤い瞳は隠さなくてはいけないが、問題はない。

 魔法というのは便利なもので、自分の髪や瞳の色を変えるちょっとした変身魔法は随分前に開発されている。魔力に優れた一部の魔族は、常時この魔法を使い、魔族であることを隠して只人の中で暮らす者もいた。

 幸いなことにイリアもこの魔法は使えるようだった。瞳の色を赤から青に、目立つ銀髪も黒に変色させた。人によっては変身魔法を維持するだけで相当体力を使うが、イリアは平然としている。さすがは魔王の血縁だ。

 イリアは活気に溢れる街並みに怖気付きながらも、興味深そうに周囲を見回した。

「こういう街は初めてか?」

「は、はい。私は村からほとんど出たことなかったので」

 街中を歩き慣れていないイリアに、アレンは「ふむ」と少女を見やった。

「それ、歩きにくそうだな。俺が持つか?」

 イリアは肩に細長い布袋をかけていた。彼女の胴より長く、足にかかって歩きにくそうしていた。

「いえ、大丈夫です。自分で持てます」

「そうか」

 柔和な笑顔で首を振るイリアだったが、その表情の奥には断固とした拒否を感じた。他人に触れられたくない、彼女にとって大事なものなのだろう。多少興味は湧くが、触らない方が無難だ。

「なら、ちゃんと捕まっていろ。はぐれると面倒だ」

 少女は頷くと、アレンの服の裾をぎゅっと握ってついてきた。

「えー、じゃあ、私も捕まる」

 すると、こちらも魔法で瞳の色を変色させたマルギットが、アレンの右腕を掴んだ。

 体を押し付けてきて鬱陶しいが、左脇の傷のせいで歩くのが辛いのだろう。今は痩せ我慢しているだけだ。アレンは仕方なくマルギットの腰に手を回し、彼女の体を支えた。

「あら、珍しく積極的ね」

「黙っていろ。離すぞ」

「すみません。冗談です」

 アレンたちは表通りから一本小道に入った場所にある宿を取った。街の出入り口から程近く、いざという時の逃走路もいくつか確保できそうな場所だった。

 受付で手続きをしていると、宿の主人が三人を見て怪訝な顔をした。

「何か?」

「すまん。いや、こんな大きな子がいるにしては、随分と若い夫婦だなと思ったもんだからさ」

 笑えない冗談にもアレンは微笑で答える。

「彼女たちは俺の従姉妹だ。こっちの二人が姉妹」

「あら、そんな必死に言い訳しなくたって良いじゃない。若い時は、たくさん過ちを……」

「…………」

「ええ、そう。彼は私の従兄弟。冗談が通じない従兄弟」

「そうだ。そしてこいつは無駄口を叩く呪いにかかっていて、俺たちはその呪いを解くために旅をしているんだ」

 呆気に取られている店主に、気を利かせたイリアは苦笑いを浮かべてお辞儀をする。店主も釣られて苦笑いを浮かべると、「引き止めて悪かったね」と鍵を手渡した。

 部屋はベッドが二つだけだったが問題ない。マルギットを床で寝させれば良いのだから。と、言いたいところだが、彼女が怪我人のうちはベッドを優先的に使わせるべきだろう。

 マルギットをベッドに寝かせると、彼女はふうっと大きな息をついた。途端に額から一気に汗が吹き出し、ベッドに体が沈む。変身魔法も解け、目の色が元の赤に戻る。

 やはりここまで随分と気を張っていたのだろう。無理もない。もう少し無駄口を控えれば楽だっただろうに。いや、無駄口を叩いて気を紛らわせていたのだろうか。

 すると、イリアがベッド脇まで駆け寄り、マルギットの怪我した脇腹に手を当てた。

「『苦痛を払い、健やかなる安息を。癒しの光(ヒール)』」

 イリアは瞑目し、祝詞を口ずさむと、彼女の両手に淡い緑の光が灯った。マルギットの脇腹に手を当てると、優しい光が傷口に染み込んでいく。すると、マルギットの顔色が心なしか良くなった気がした。

 魔法。言葉を使い世の理に働きかけ、常では成し得ない事を成し遂げる技術。太古から練り続けられた、この世の理を理解する学問だ。昔は一部の学者と特権階級のみのものだったが、今はその裾野も広がっている。

 魔法を使えば、傷を癒すこともできれば、無から炎を生み出したりすることもできる。

 魔法は努力によって習得できるものだが、適性というものはある。適性のないものは、扱える魔法の種類、その効果がどうしても劣ってしまう。

 魔族と呼ばれる大陸西部に住む民族は、生まれつき魔法の適性が高い者が多いことで知られる。

 魔法には戦闘用に作られたものも多数あり、魔法の能力の高さは、戦闘能力の高さとも言えた。魔族は数でこそ少ないが、その魔力適性の高さ故に個々の戦闘力が高い。魔族が敵視されるのは、人々が彼らの魔法を恐れたことも理由の一つだった。

 イリアは治癒魔法を行使すると、その場に膝を落とした。そしてマルギット同様、イリアの瞳と髪の色は元の色に戻った。

「おい、大丈夫か。君の疲労も相当だろう。無理をするな」

 アレンはそう言ったが、内心では彼女をあてにしていた。怪我人の治療を行うなら、本来医者や教会を頼るべきところだ。しかし、魔法の効力を持続するには一定の集中力が必要とされ、極度の疲労などで集中が解けると、今の二人のように魔法も解ける。

 怪我の治療を続けながら、集中力を維持することなど不可能に近い。彼女たちの素性が露見するのは明白だった。イリアがマルギットの治療をできるのであれば、アレンにとっては好都合だ。

「私は大丈夫です。マルギットこそ、身体は楽になった?」

「ありがとう。随分楽になったよ。少し休んだら、また動けると思う」

 嘘をつけ。と言いたいが、無理でも動いてもらうことになるだろう。

「それは朗報だな。とにかく今はゆっくり休め。俺は食料や薬を調達しにいく」

「わかったわ」

「君も寝ておけ。繰り返すが、君も相当疲れているはずだ」

「いいえ。起きています」

「ほう、なぜだ?」

「あなたが買い物に行っている間、私がマルギットを守ります」

 イリアはふんすと鼻息を荒くして、小さな胸を張った。アレンとマルギットはきょとんとした顔をするが、瞼の重そうな少女を見て、二人して笑った。これまた頼もしい勇者だ。魔王に勇者という表現もおかしな話だが、彼女の微笑ましい勇ましさを喩えるには適当な気がした。

「なら、お願いしようかしら」

「そうだな。俺もなるべく早く帰ってくる。だが、一応これを渡しておこう」

 ここで襲われる危険はほぼないが、いついかなる状況でも気を抜かない姿勢は、護衛対象として好ましい。護衛対象の意識が高いのは、仕事を成功させる上で非常に重要なことだ。それに、万が一が決してないとは言い切れない。

 アレンは鞄から小さな鉄製の筒を取り出した。

「これは何ですか?」

「手製の閃光弾だ。ボトルのキャップを回して、地面に投げる。地面に落ちると、大きな音と光が出る。いいか、こうだ」

 アレンは鉄製の筒のキャップを回す様を見せ、「簡単だろ?」とキャップを元に戻してイリアに手渡した。イリアは恐る恐るといった様子で手に取った。

「投げた後は、目と耳を塞げよ。あと、相手はよく見るんだ。間違っても、帰ってきた俺に投げるなよ」

「わ、わかりました」

 少女は何度も頷いた。アレンは可愛らしい戦士の頭をぽんぽんと叩くと、部屋を後にした。




 国を跨ぐ巨大な街道の始点だけあり、食糧や医薬品を探すのに苦労はしなかった。

 それどころか、武器や防具、珍しい装備品も表通りには並び、少し奥に入った路地では、どう考えても合法ではないだろう品々がこっそりと売られている。場所柄もあるだろうが、数年前までは考えられないほど、街は物に溢れていた。

 活気ある街並みですれ違う人々は、荷台を物で一杯にした馬車に乗る商人、寡黙な革職人、街に居を構える家族など様々だが、今、何気無しにすれ違った者たちの中にも、もしかしたら魔族がいるのかもしれないとアレンは思った。

 人魔戦争以降、排斥の対象となっている魔族は、どうしても街から離れ、人目につきにくい場所に集落を作り、ひっそりと暮らさなければならなかった。

 とはいえそういう生活は慎ましく、清貧と言えば聞こえはいいが、窮屈になりがちだ。

 魔族狩りが激しくなっていくにつれ、人里から離れた場所だろうと決して安全ではなくなりつつある今、そんな生活に嫌気が刺したり、住む場所がなくなったりした魔族たちが、自分の素性を隠し、只人の中に混じって生活することもある。

 幸い、魔法を使えば魔族であることを偽ることはできる。それもまた窮屈ではあるだろうが、結局のところ、彼らはどちらかの窮屈さを選ぶしかない。

 無論、只人も自分達の中に魔族が混じっていることは認識している。ただ、特に商人など利害関係や金勘定で物事を計る人種にとって、重要なのは自分に害があるかどうかで、害がなければ今話している相手が魔族かどうかはあまり気にしない。この街もその類だ。

 この街で住む場所でも探したらどうだと、イリアが普通の魔族なら勧めていたかもしれない。実際、似たような街で魔族に住居を手配したことも何度かある。

 だが、彼らとイリアでは事情が違う。

 只人も、魔族も、みんなが血眼になってイリアを探し続ける。一箇所に長く留まるのは危険だ。

 そう考えると、もしかするとイリアはこれから先、ずっと逃げ続けなければいけないかもしれない。

 ふと頭に過った思考を、アレンは頭を振って追い払った。余計なことだ。請け負った仕事はハインツまでの護衛だ。そこから先のことは考えなくても良い。

 ……少なくとも今は。

 気を取り直して街の景色に注意を向けて歩いていると、人だかりができていて、どうにも騒々しい一角があることに気づいた。気になって近づいてみると、

「我こそは、『真実』の勇者!」

 その口上に思わず背筋が凍る。まさか、この短時間で追いつかれたのか。

 などと思ったが、すぐに勘違いだと気づく。人だかりの視線の先にあったのは野外劇場で、壇上では演者の女性が高らかに剣を掲げていた。

 壇上で繰り広げられていたのは、劇団一座の演目だった。

 『真実』の勇者を演じる壇上の女性は、確かに金髪碧眼で特徴は捉えていて、それでいて美人であるが、妖精のような美しさを持つと言われる本物には及ばないし、本物が放つ圧迫感も感じられない。何より本物は、そんな口上を言う前にとっとと斬りかかってくる、妖精とは言い難い仕事人気質だ。

「そして我こそは、『不屈』の勇者!」

 その隣では、別の男性演者が剣を抜いてみせる。彼らと向かい合う敵役は、目の当たりを極端に赤色で強調したお面を被っていた。

 商人の街であっても、やはり勇者の演目は人気のようだ。特に前列にいる子供たちは熱狂的だった。勇者が出るたびに拍手喝采で迎え入れ、敵を倒せば歓声を上げる。

 子供にとって、勇者は憧れの存在だ。誰もが一度はああなりたいと夢に描き、目を輝かせる。そして今や子供だけでなく、大人までも、その英雄譚に心躍らせた。

 人々を熱狂させる勇者という言葉は、それこそ魔法のようだ。

 観衆の周りには、演劇の題材となった本が売り出され、子供連れを中心に列ができている。なるほど、いかにも商人の街らしい販促活動だ。

 かくいうアレンも、しっかりと商品棚に吸い込まれていった。他の子供達同様に、かつては勇者に憧れて、英雄譚を読んでいた時期もあった。最近の本はどんな風になっているのだろうと、人並みに興味はあった。

 本を手に取り、パラパラと捲っていく。その人気故に頻繁にリメイクされる題材ではあるが、話の流れはアレンが昔読んだものと大して変わりはない。だが、設定が少し異なり、アレンはその違いに思わず笑ってしまった。

 魔族の王たる魔王は残虐非道で、罪もない人々を苦しめる存在として描かれ、そして魔王を倒すために、六人の勇者が立ち上がる。

 六人である。七人ではない。

 強く、高潔で、優しく、誠実な六人の勇者たちだ。

 彼らは苦しむ人々がいればどこへなりとも駆けつけ、冷酷な魔族たちから人々を守るために、力の限りに戦った。

 勇者はそれぞれが持つ『勇者の剣』の名前に合わせて、呼び名があった。

 一人は『真実』の勇者。

 一人は『不屈』の勇者。

 一人は『勝利』の勇者。

 一人は『慈愛』の勇者。

 一人は『憤怒』の勇者。

 一人は『苦悩』の勇者。

「綺麗にいなくなっているな」

 勇者たちは悪魔や魔王との激闘の末、最後には魔王を倒して大団円を迎える。勇者たちは高らかに剣を掲げ、その足元には魔王が力なく倒れている。

 魔王の描写はいかにもと言った風で、巨大な角が二本に、口からは牙が生え、獣のように獰猛な赤い瞳を激らせた、全長二メートル以上の巨大で野蛮な男だった。

 すごい。全てが間違っている。ちょこんと座り込むイリアの姿を思い出し、アレンは失笑した。あの少女と、冷酷非道な魔王という言葉の組み合わせは、あまりにも馴染まない。やはり、御伽噺と現実は違うのだ。

 アレンは本を棚に戻すと、舞台上の勇者たちを眺めた。観衆から歓声を浴びる彼らは、それが、今自分達が纏っている勇者という肩書きに対してだと理解しながら、しかしそれでも興奮した様子で揚々と演技を続けている。

 何かの勇者が高らかに言った。

「いざ、魔王を討ち滅ぼし、世界に平穏をもたらさん」

 宿に戻ったアレンは、ドアの前に立つと、まず室内に向かって声をかけた。

「俺だ。アレンだ。入るぞ」

 室内でイリアが臨戦態勢だった場合を考えての声かけだった。いきなり閃光弾を投げつけられたらたまらない。

 だが、中から声は返ってこなかった。アレンは鍵を開け、ゆっくりと扉を開けてみると、手に閃光弾を握りしめた少女が、壁にもたれかかったまま爆睡していた。口元に涎を垂らしながら、間の抜けた寝顔を晒している。

 思っていた通りの光景にアレンは微笑すると、イリアを抱きかかえてベッドに運んだ。疲れ切っていただろうから、無理もない。

 今の彼女の立場は、大人であっても音を上げてしまうに違いない。両親を失い、勇者に追われ、悲しむ余裕すらない。

 振り返ると、マルギットも深い寝息を立てている。彼女もそれなりに修羅場を潜っているはずだ。その彼女がこれだけの手傷を負うとなると、やはり今回の依頼は一筋縄ではいかないだろう。

「……」

 さっきの絵本で見た魔王の姿を思い出したアレンは、ふとイリアの頭をさすってみた。

 やはり角はない。口にも牙は生えていない。

 何度確認しても、目の前にいるのは、どこにでもいそうな女の子だった。

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