第2話 勇者に追われる手下B
アレンは水筒の蓋を開けると、マルギットの傷口を洗い流した。
「イタタタ!」
消毒して、傷口を縫い上げる。その間、マルギットは痛みを誤魔化そうと奇妙な声を発していたが、アレンは無視して黙々と手を動かした。
しばらくして、アレンは余った糸を断ち切り、応急処置を終えた。
「あんた、治癒魔法って使えなかったっけ?」
「俺程度の治癒魔法じゃ、開ききった傷口の止血はできないんだよ。縫った方が確実だ。自分でやれなかったのか?」
「生憎、色々あって魔力がすっからかんなのよ」
「色々ね」
アレンはマルギットとイリアの体を眺めた。身体のあちこちに切り傷を作り、破れた衣服の下には止血した跡が見える。脇腹の傷以外にも、大小様々な怪我を負っているようだ。
「命には変えられないんだ。これくらい我慢しろ」
「なら、もうちょっと優しくしてよ」
「注文の多いやつだな」
「あー、身体中痛い。お腹すいた。ご飯食べさせて。あと、足揉んで」
「……」
アレンは冷ややかな視線を浴びせ、そして鞄から干し肉を取り出すと、マルギットの口の中に捩じ込んだ。
「ムガ、……ヤベテ」
「ほら、たんと食えよ」
何か言っているが、口に物が入っているせいで聞き取れない。傷を負っているせいか、抵抗も弱い。窮地に陥っているマルギットを見て、イリアがおろおろと狼狽えている。
「ゴホッ、ゴホッ……すみませんでした」
「足も揉んでやろうか?」
「結構です」
マルギットが固辞すると、アレンは鼻を鳴らし、壁際にもたれかかった。
「こんなののお守りをさせられて、大変だったな」
アレンはイリアに話を振った。突然水を向けられた少女は躊躇したが、
「いつもはもっと頼りがいのある人なんですよ」
「こいつがか。それは驚きだな」
「好き放題言ってくれるわね」
「お前と会うときは、だいたい厄介ごとを持ってくる時だからな」
「……そういう見方もできるわね」
じとりと睨むと、マルギットは視線を逸らす。その様子を見て、イリアがくすりと笑った。
「それで、一体どういうことなんだ?」
「どうって?」
「彼女のことに決まっているだろう。あの子の手配書を見た。あの子が先代魔王の血縁ってのは本当なのか?」
マルギットは決まりが悪そうに、「ああ、もう知っていたのね」と苦笑いした。
「ええ、本当よ。彼女の父親が先代魔王の弟だったの。彼女は魔王の姪にあたるわ」
「姪だと? そんな近い血縁者がまだ生き残っていたのか」
魔王の血縁者は、『魔族狩り』の際に五世代前の生家が同じだった程度の、限りなく遠い親戚までもが命を奪われている。魔王の弟やその娘という血縁の濃い者を見落とすとは考えられなかった。
「彼女の父親は、もともと先代魔王の数多くいる兄弟の一人で、王位継承順位も下の方だったらしいの。それに人魔戦争の序盤に家族と縁を切っていて、王家の記録では死亡扱いになっていたから、つい最近まで彼の存在に気づいていなかったんだと思う」
「なるほど。で、どうしてお前が関わっているんだ?」
「そこは本当に偶然よ。色んなところを放浪しているうちに、たまたま山奥にある村で彼女と、彼女の家族に出会ったの。そこで良くしてもらって、それ以来の付き合いになるわ」
ここ一年、マルギットからはたまに便りを貰っていたが、そんな話は一切出てこなかった。いや、そんな重大なことを手紙で教えてもらえると思っているのもおかしな話だし、言われたところで、つまらない冗談だと鼻で笑う自分の姿が容易に想像できるのだが、事前に教えてもらいたかったものだ。
「お前はつくづく、そうやって奇妙(厄介)な出会いに恵まれているな。ついに魔王の後継者とも知り合いになったわけだ。凄まじい顔の広さだよ」
「ふふ、人徳かしら」
人徳という言葉は言い得て妙だ。まるで厄介ごと、もとい素晴らしい出会いの方が磁石のように彼女の元に引き寄せられているような言い分だ。
彼女が歩いて行く先では、必ず誰かが困難に見舞われていて、たとえばそれは弾圧に苦しむ魔族の家族であったり、恋人が奴隷として売り飛ばされそうになっている新進気鋭の商人だったり、暴徒化した魔族に襲われる領主だったりと様々だ。
だが、言ってしまえばそんな出来事は人魔戦争以後の世の中では、大なり小なりどこにでもある出来事だ。違いがあるとすれば、そのありふれた理不尽を避けて通るか、首を突っ込んでいくかの違いだけだ。
厄介ごとがやってくるのではなく、厄介ごとを避けることなく突っ込んでいく。それがマルギットという人物だった。
無論、褒めてはいない。彼女だけでの解決が難しい場合は、決まってこちらに召集状が届くからだ。
そして、今回もそのようだ。
「それで、今回の依頼は何だ?」
「私たちはマルドレイク帝国の、ハインツという街に行きたい。あなたには、そこまでの護衛を頼みたいの。もちろん報酬は弾むわ」
やはりというべきだろう。アレンは腕を組んで瞑目した。
諸事情によって、彼女の頼み事の大半は引き受けてきたが、こればかりは快諾していいものだろうか。
「大丈夫。あんたなら余裕だって。……っていうわけにはいかないわよね」
「当たり前だ。魔王の血縁者だぞ。既にとんでもない額の懸賞金がかかってる。これからわんさか追手がやってくる」
「知ってる。だから、あんたの手を借りたいの。私の知る限り、あんたより腕の立つ傭兵はいないから」
「他に力になってくれるところはなかったのか? それこそ、魔王軍の残党とかに助けを求めたら、喜んで助けに来そうなものだが」
人魔戦争で魔族は敗北したが、その時の敗残兵は各地に散らばり、息を潜めながらも活動を続けていた。彼らは散発的に騒乱を起こし、各国の悩みの種になっている。
世間の彼らへの評判はお世辞にも良いとは言えないが、イリアが魔王の血を受け継ぎ、自分達が仕えるべき相手だとわかれば、勇んで出てくるだろう。曲がりなりにも元々は軍人で腕がたち、何より組織としての強みがある点で自分より適任な気もする。
「それはしたくないの。彼女の両親は、彼女が王家や戦いに関わることを望んでいなかった。彼女は今や魔王の座を継ぐことができる唯一の存在よ。魔王復活と、魔族の復権を望む残党軍に渡したら、担ぎ上げられて利用されるのは分かりきっている」
アレンはふむと頷いた。マルギットのくせに納得の理由が返ってきた。
「彼女の家族はどこに?」
アレンが続いて尋ねると、マルギットは表情を曇らせ、何か言おうとしたが飲み込み、首を小さく横に振った。
アレンは「そうか」と短く答えた。簡単に察しがついた。
「それで、どう? 受けてくれる?」
アレンはここ数年で一番大きなため息をついて項垂れた。何もしていないのに、すでに途轍もない疲労感に襲われていた。
本来、悩む必要はない。これは今までのように、困っていたその辺の魔族を助けるのとは訳が違う。
魔王だ。文字通り、魔族の王。何百万という死者を出した戦争で、敵として戦った相手の総大将。正確にはそうなる可能性があるだけだが、外野には関係ない。ただでさえ魔族に肩入れをしていると煙たがられているのに、これはマズい。自分の立場どころか、下手をすれば命だって危ない。
アレンは部屋の隅に座り込み、不安げに成り行きを見守る少女の方を見やった。十代前半といったところか。まだまだ子供の赤の他人は、一見して魔王などという物騒な響きとは無縁だった。
アレンは頭をかく。これは間違いなく、百人に聞けば、百人が依頼を受けないと即答するだろう。
「わかった。引き受ける」
だが、受ける。受ける義務があった。そういう誓いだ。
「ありがとう。そう言ってくれると思った」
「うるさい」
マルギットは安堵の混じった笑みを浮かべる。流石に断られることも想定していたようだ。
アレンは壁を離れ、イリアの方にゆっくりと歩み寄った。イリアはびくりと体を震わせ、立ち上がってアレンを見上げた。彼女の赤い瞳は頼りなく揺らいでいる。露骨に警戒されているが、自然なことだ。
「アレン・カーチスだ。これからしばらくの間、よろしく頼む」
「ど、どうも」
「いくつだ?」
「え?」
「歳だ。いくつだ?」
「十二です」
まだまだ子供だ。この年で家族を失い、頼る相手はお調子者の姉貴分だけ。挙句の果てには見ず知らずの大勢から命を狙われている。家族を失う子供は珍しくはないが、どこにでもある悲劇でも、悲劇は悲劇だ。苦しいものだ。後者に至っては、きっと彼女は今の世の中で一番詳しい。
「大変だったな」
愚にもつかない言葉しか出てこない。もっと良い言葉はあるだろうと思う。自分の咄嗟の言葉選びに落胆するアレンだったが、それでもイリアにとっては、やっとできた味方二号だったのだろう。感極まったのか、目に大粒の涙を浮かべている。
「あーあ、泣かした〜」
囃し立てるマルギットを無視したアレンは、こういう時にどういう対応をするべきか点でわからなかった。
結局、ぎこちない動きで少女の頭を撫でてみたが、なぜだか直後に思い出すのが、女性の頭を簡単に触る男はキモいというギルドメンバーの会話を立ち聞きしたことだった。
アレンは身構えるが、イリアは目を拭うと、相好を崩した。どうやらセーフである。ホッとして、アレンも表情を緩ませた。
「さて、まずはこの怪我人を何とかしよう。近くに街がある。そこで治療だ」
アレンはマルギットに視線を戻し、彼女を担ぎ上げようとするが、彼女の表情は晴れないままだ。
「あー、私も治療はしたいけど、もしかしたら先を急いだ方がいいかもしれない」
アレンは顔を顰めた。応急処置をしたとはいえ、脇腹を切り裂かれた重傷者の言葉とは思えない。
どうしたと聞いても、「いや」、「えっと」と歯切れが悪い。どうにも嫌な予感がする。
アレンがさらに問い詰めると、彼女はまるで悪戯がバレた子供のようにヘラヘラとした作り笑いを浮かべながらその理由を喋った。
「さっき、これからわんさか追手が来るって言っていたでしょ?」
「ああ」
「実は、追手の中に勇者がいるの」
「……は?」
「勇者」
「いや、聞こえてたよ」
勇者? 勇者だって?
彼女から出てきたその間抜けな言葉に、アレンは思わず立ちくらみを起こしそうになった。現実味はないが、目の前に魔王(の後継者)がいる以上、勇者だっていてもおかしくないだろうと、自分の理性的な部分が言ってくる。
考えてみれば当然のことだった。魔王と勇者という言葉は、いつだってセットなのだから。
魔王を勇者が追う。しっくりくる。そして自分は、さしずめ勇者の前に立ちはだかる魔王の手下Bと言ったところか。
「ちなみに、どの勇者だ?」
「……『真実』の勇者よ」
しかも、よりにもよって彼女か。偶然としても、出来すぎている。
「それは先に言えよ……」
「はっはっは……ごめん」
どう考えても役不足だ。かつての戦場で見た彼女の姿を思い浮かべ、その前に立たなくてはいけない自分を想像する。苦笑いを浮かべながらも、それでもアレンの頭に依頼を断るという選択肢は浮かばなかった。
浮かんできたのは、身から出た錆、自業自得、因果応報とか、そういう言葉だった。
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