第1話 その少女は

 冬が通り過ぎ、寒々しい木々が新緑の葉を纏い始める。痛いばかりだった風は暖かさを帯び、陽が十分に登ると大気も暖かくなって、人々は家の外に出始めるようになった。

 人が外に出るようになれば、それだけトラブルも増えるものだ。つまり、ギルドへの依頼も増える。

 アレンは玄関を出ると、春の陽気に当てられて欠伸をかいた。目抜き通りで朝食がわりの果物を買って、口に頬張る。

 数年前までは広々としていた通りも、今は注意しないとすぐに人にぶつかってしまう。街の賑やかな喧騒は、戦争からの復興を感じさせた。

 アレンは街の中央部へと足を向け、歩き慣れた道を進んでいく。歓楽街と商店街の間、人通りの激しい一角に陣取った、煉瓦造りの建物があった。二階建ての建物は大きな玄関口が設けられ、玄関の上には籠手と羽を象ったギルドの紋章が飾られていた。

 建物の中に入ると、正面には受付窓口があって、右にはギルド職員の業務区画、左にはギルドメンバーが集う酒場、もとい集会場が用意されていた。

 ギルドは人々から受けた依頼と、その依頼をこなす請負人を仲介する民間組織だ。受付の横には、既に登録された大小様々な依頼が張り出されていた。ギルドメンバーはここから依頼を受注し、依頼の達成と引き換えに報酬金を得る。

 しかし、アレンはそれらには目も暮れず、真っ直ぐ受付に進んだ。書類仕事をしていた受付嬢がお客様用の笑顔を見せるが、相手がアレンだとわかるとすぐに笑顔を引っ込めた。

「おはようございます」

「どうも。依頼はあるか?」

 アレンは気にした風もなく、受付嬢に尋ねた。

 受付嬢は静かに「ええ」と短く答えた。

 依頼には請負人の指定のない、いわゆるフリーの依頼と、予め請負人を指定した指名依頼がある。後者の依頼は受付の横には張り出されず、指名された請負人に直接連絡が行く。

「依頼人は……」

 受付嬢は言いかけて止めた。彼女の視線はアレンの隣に向けられる。

「よお、色物ぐい。また魔族からの依頼か?」

 突然、アレンの隣に男がやってきたかと思うと、挑発するような喧嘩腰の態度で絡んできた。使い込まれた胸当てをつけた無精髭の男は、さも知り合いのように話しかけてきたが、アレンは男のことを知らなかった。受付の長机にもたれかかりながら、酒臭い息を吹きかけてくる。目の前では受付嬢が目を潜め、あからさまに嫌悪を示していた。

 ギルドには獣の駆除や、盗賊の討伐など、荒事の依頼も相当数来るが、それを受けるギルドメンバーの気性はお世辞にも穏やかとは言えない。自分から荒事に突っ込んでいく者の気性は、推して知るべきということだ。

 そして荒くれ者と酒は、いつだって切っても切り離せない関係にある。

「人と話すなら、まずは酔いを覚ましてきてくれ。話はそれからだ」

「なんだ。偉そうに説教かよ。裏切り者のくせに。魔族なんかに媚びへつらって金稼いで、恥ずかしくねえのかよ」

 アレンは深いため息をついた。向こうだって、昼間から酒を飲み、酔っ払って他人に絡むような奴に言われたくはないだろう。男はその後も何やらうるさく喚いたが、アレンはそれを聞き流すことに決めた。

 とはいえ、ここまで露骨でなくとも、魔族とアレンに対する周囲の考え方は似たようなものだった。

 只人(ただびと)が魔族を敵視するのは、今に始まったことではない。両者の間に横たわる歴史は戦争の歴史と言っても過言ではなく、歴史書に載っているだけでも数えきれないほどの戦いが繰り広げられてきた。この大陸で、只人と魔族の交流は戦争しかないのではと言う者さえいる。

 その中で最も苛烈な戦争と言われた『人魔戦争』が終結したのが、今から七年前のことだ。

 その当時の勇者が魔王を討ったことで、人魔戦争は只人の勝利で幕を閉じた。

 ……そう。勇者だ。改めて言葉にすると間抜けだが、現実に彼らはいる。

 魔王と勇者という言葉は、いつだってセットだ。魔族の王である魔王と、只人の中に現れた勇者。

 御伽噺でも現実でも変わらない。

 彼らが御伽噺から着想を得て勇者と名乗ったのか、彼らの活躍が御伽噺になったのか、その順番はよくわからない。アレンが物心ついた時には、そのどちらも存在していた。だから、勇者という、よく考えると幼稚な響きの言葉を人々は自然に使い、彼らに敬意を向ける。

 もっとも、現実に存在する勇者は、御伽噺に出てくるような高潔で慈愛に満ちた、絵に描いたような完全無欠な善人ではない。彼らは御伽噺の住人ではなく、自分達と同じ只の人だ。誰にでもあるように、弱さも醜さも人並みに備えている。

 御伽噺と現実は違うのだ。

 もう彼らに会うこともないだろうから、好き勝手言っても問題ないだろう。

「終わったか?」

 しばらくすると、何やら捲し立てていた男が一息ついたようなので、アレンは尋ねた。

 戦争は終わったとはいえ、血みどろの争いをした敵と、それを助ける者に向けられる感情は決して良いものではない。七年という時間は人々の根底にある敵意を払拭するには短すぎるのだろう。

 だが、目の前の酔っ払いの言い分が正しいとは全く思わない。

「魔族から受け取ろうが、金は金だ。それに、仕事を選り好みばかりしていると、どっかの誰かみたいに昼間から飲んだくれるしかなくなる」

「何だと?」

 ギルドは大陸各地に支部を持つ巨大な民間組織で、ギルドが定めるモラルの範囲内であれば、誰のどんな依頼も受けて良いことになっている。相手が魔族であってもだ。

 ギルドへの依頼の全体数を十とすると、魔族からの依頼は一にも満たない。だが、護衛など荒事を伴い、実入りのいい仕事に限って言えば、この割合が三つに一つになる。

 人魔戦争以降、魔族への憎悪犯罪は後を絶たない。彼らは常に危険と隣り合わせで、何をするにしても、只人から襲われることを念頭に置く。だが一方で、魔族の依頼を受けるギルドメンバーの数は少なく、簡単にいえば需要過多なのだ。

 只人からの依頼ももちろんあるが、大抵は同じ相手、つまり見知った馴染みに声をかける。身を預けるなら信頼できる相手にするのは自然なことで、それ故フリーの傭兵がそこに割って入るのは難しい。

 流れの商人や、飛び込みの依頼がないわけではないが、そういった場合、荷物の中身に問題があったり、支払いで揉めたりすることがあり、依頼を受ける側にとってもリスクが高い。

 だから、報酬の高い依頼で大きく稼ごうとする奴に限って真っ当な仕事にありつけず、こうして酔っ払いになって周囲に迷惑を撒き散らす。

 付け加えると、アレンの経験上、魔族からの依頼で依頼者とトラブルになったことはない。彼らは信頼できる相手も、依頼を引き受ける人間も希少だと知っているから、頼んだ仕事を完遂する相手に対して、きちんと責任を果たす。そうでないと、次がないからだ。

「てめえ、喧嘩売ってんのか?」

「絡んできたのはそっちだろう」

 だが、そんなことをわざわざこの男に話してやる義理はない。アレンが男を鋭く一瞥すると、男はびくりとたじろいだ。酩酊状態で喧嘩をするのは分が悪いということに気づくだけの、僅かな理性は残っていたようだ。

「魔族は人間の敵なんだ。あいつらにどれだけの仲間が殺されたと思ってるんだ。そいつらの家族に、お前が魔族を助けてるって教えてやりたいね。魔族好きの色物がいるって」

 勘違いされるが、アレン自身は別に魔族が好きなわけではない。魔族を助けるのは確かに個人的な事情によるものだが、そこに好き嫌いは介在しない。そんなことを言ったら、只人だからといって信用できるわけでも、只人だから善人というわけでもないだろう。

 只人だろうが、魔族だろうが、クソはクソだ。昼間から酒を飲んで喚くだけの男を目の前にして、アレンは改めてそう思った。

「案外、今噂のこの魔族もお仲間なんじゃないのか?」

 男はそう言って、一枚の紙をアレンの手元に滑らせてきた。

 そこには似顔絵が描かれていた。絵だと正確な年齢はわからないが、まだ年端も行かない少女だった。まだあどけなさが残るが、くっきりとした目元に力強さを感じる。

 一目見て、国が出している懸賞首の手配書だとわかった。アレンは目を丸くした。まだ幼い少女に懸賞金がかけられていることもそうだが、何よりその金額だった。

ギルドには他にも手配中の賞金首の似顔絵が並んでいる。見るからに人相が悪く、いかにもといった面々は、強盗や殺人など、凶悪な犯罪を犯した者たちだ。彼らにも相当額の懸賞金がかけられているが、その少女にかけられていた金額は彼らよりも三桁ほど多かった。

「今、ギルドも国もそいつの話で持ちきりだ」

「この子は何でこんな金額をかけられているんだ?」

「それがな、そいつ、死んだ魔王の血縁者らしいぜ」

 男は口元に笑みを浮かべて、面白そうに言った。アレンは驚愕を顔に貼り付けて、初めて男の方を見た。

 先代魔王が勇者に討たれた後、各国は苛烈な魔族弾圧、俗に言う『魔族狩り』を行った。

 特に魔王の血縁者に対する執着は強烈で、大陸中をしらみ潰しに探し、一人残らず粛清していった。魔王の力を身に宿し、次代の魔王になり得る存在を根絶やしにすることが、戦後秩序を維持するために必要なことだと、彼らは考えたからだ。

「魔王に、まだ血縁者が残っていたのか?」

「らしいな。で、そいつのこと、知ってるか?」

 アレンは改めて紙に目を落とした。自分はこの少女に会ったことがない。何度見ても、それは確かだ。

 だがその一方で、なぜだがその少女に見覚えがある気もするのだ。

「いや、知らないな」

 男は短く舌打ちした。

「何だよ、使えねえな」

「そういうお前は使い物になるのか?」

 流石にカチンときたのか、男は凄んでくる。顔が真っ赤だが、酒のせいか、怒ったせいかはわからない。

「いい加減にしてください。ここは受付です。喧嘩なら別の場所でお願いします」

 身を乗り出す男を制するように割って入ったのは受付嬢だった。仕事の邪魔だと言わんばかりに苛立っていた。

 酔っ払いの男はアレンと受付嬢を交互に見やる。出鼻を挫かれ、行き場を失った怒りが宙を漂う。やがて「チッ」と短い舌打ちを残して、千鳥足で去っていった。

「あなたも、一々喧嘩を買うのはやめて頂けると」

「悪かったよ」

 受付嬢からすれば迷惑でしかない。流石に申し訳なく思い、アレンは謝った。受付嬢はため息を漏らすと、顔を寄せ、声のボリュームを下げた。

「話を戻します。あなたを指名した依頼が来ています」

「誰から?」

「わかりません。依頼書を持ってきたのは若い男性でしたが、彼は頼まれて依頼書を持ってきただけみたいです」

「胡散臭いな」

 アレンが率直に感想を述べると、受付嬢も頷いた。

「ですね。ただ、代理人が依頼をすること自体は問題ないので、あとはあなた次第です」

 アレンは少し考えたあと、「とりあえず、依頼書の中身を見てから決める」と言って、依頼書を受け取った。

 依頼書は蝋で封がされていた。封は剥がされた形跡はなかった。アレンは封を開けて、用紙を開いて眺めた。

『よっ。久しぶり。ちょっとやばい。助けてほしい。マルギット』

 名前がなくとも差出人が一瞬でわかったであろう簡素すぎる文面に、アレンは頭が痛くなった。封を開けたことを心底後悔する。

 依頼概要も何もなく、助けてほしいという言葉だけ。以前にもこういうことがあったが、決まって途轍もない面倒ごとだった。

 紙にはアレンが使っている隠れ家の一つが記載されていた。ここに来いということだろう。ここから西に行った街の外れだった。

 このまま見なかったことにしようか。そんな邪念が浮かんだが、ふと、昔自分が放った言葉が頭に浮かんだ。

「何かあったら呼べ。必ず助けになる。約束だ」

 このクソ馬鹿野郎が。アレンはかっこつけた十年前の自分を殴ってやりたい気分になった。

余計なことを思い出した今の自分も、ついでに殴ってやりたい。




「約束なんて、簡単にするもんじゃないな」

 そうしてアレンは悪態をつきながら、険しい山道をかき分けるように進んでいた。

 道なのかどうかさえわからないような、申し訳程度の舗装がされた道は、それでも人魔戦争当時からすれば随分とマシだった。

 とはいえ整地された道を行くのに比べれば面倒なことは変わりない。アレンはこの面倒を運んできた、あの快活な依頼人にむかっ腹が立った。

 指定された場所は、オルレント皇国の西部に位置する町外れの山奥だった。ここからさらに西に行けばマルドレイク帝国との国境に近づく。

 雑木林をかき分けていくと、山奥に一軒だけぽつんと家屋が佇んでいた。小さな平屋で、壁には草の根が張っている。そこはアレンが各地に用意しているちょっとした隠れ家の一つで、少量だが物資を蓄えている。マルギットもここを知っていた。

 風の音だけが響く静寂の中にある風景は、一見何も変わりがないように見えるが、よく観察すると草木を踏みしだいた跡や、家屋にかかった埃が一部払われているのがわかる。

 そして、ところどころに血痕が残っていた。

 不穏な気配にアレンは警戒心を強め、腰に差した剣に手をかけた。家屋に近づいたアレンは、窓から中を覗き見ようとしたが、ガラスがひび割れているせいでうまく見えない。

 立て付けの悪いドアは、つい最近誰かが開けた跡があった。中に誰かがいるのは確かなようだ。

 アレンはドアを開け、ゆっくりと中に足を踏み入れる。灯りはなく、窓や割れた壁の隙間から入る陽光が、薄暗い屋内を照らしている。

 アレンは一室ずつ、丁寧に確認しながら奥へと進んでいく。そして最後に、一番奥の部屋のドアに手をかけて、奥へと押し開けた。

 次の瞬間、アレンの左側から、鋭い刃物の先端が空を切り裂いて視界に飛び込んできたかと思うと、首元の寸前で止まった。

「アレン?」

「……呼び出しておいて、随分な歓迎だな」

 アレンは首筋に迫った剣先に動揺することなく、その剣の持ち主を睨んだ。彼女は真紅の瞳に安堵の色を浮かべた。

 明るい茶髪を頭の後ろで結え、冒険者然とした短いパンツルックの女、もとい今回の依頼人であり、厄介ごとを運んでくる天才でもある、マルギット・レチカは剣を引っ込めると、緊張が解けたのかその場に座り込んだ。

「ふえー……助かったよ。来てくれて、ありがとう」

 間の抜けた声を出すマルギットは疲れた顔をしていて、額には汗が滲んでいる。

「用件も言わずに、一体今度は……」

 こちらの都合も考えず呼びつけておいて、なかなか趣向のある歓迎をしてくれた彼女に、嫌味の一つも言ってやろうとアレンは口を開いたが、彼女の衣服の脇腹部分が赤く染まっていることに気づいてやめた。

「触るぞ」

「ええ」

 アレンは彼女の服を捲り上げる。彼女の脇腹には鋭利な刃物で切り付けられたような傷があり、アレンは眉を顰めた。

「死にはしないが、重傷だな。今回はお転婆が過ぎるんじゃないか?」

 アレンは背負ってきた鞄を下ろすと、中から薬、針、糸、そして包帯など医療道具を取り出した。

「かもね」

 マルギットは決まりが悪そうに苦笑した。

「用件を聞きたいところだが、応急処置が先だな。ただ、その前に確認しておきたいことがある」

「なに?」

「そこにいるのはお前の連れか?」

 アレンは肩越しに部屋の奥を見遣った。そこには朽ちて扉が外れかけたクローゼットがあり、その中でガタンと物音がした。

「……ええ、そうよ。危害は加えないから大丈夫」

 マルギットは痛みを堪え、平然を装いながら頷いた。

「大丈夫。この人がアレンよ」

 マルギットはクローゼットに隠れている者に対して呼びかけた。すると、扉が軋みながら開き、中から人影が出てきた。

 部屋の奥側には陽光も届かず、薄暗い中では顔を窺い知ることはできない。だが、背格好からしてまだ子供だろう。見たところ、アレンの胸元に届くかどうかという背丈だ。

 怯えているのだろうか、頼りない足取りで近づいてくる人影は、窓から入る光で徐々に視認できるようになっていく。

 細い手足に、肩より長い髪。女の子だろう。近づいてくる少女は、そして陽光が差し込む窓の前まで足を進め、その容貌が露わになる。

 恐怖を滲ませる、まだ幼さの残る顔。しかし目元がはっきりしていて、アレンを見据える瞳には力を感じる。ちょうど、ギルドの酔っ払いに見せられた賞金首にそっくりの……。

 いや、賞金首の少女そのものだった。

 紅玉を思わせる深紅の瞳に、銀色の髪が陽光を反射する様も相まって、どこか浮世離れした神秘的な光景を見ているようだった。

 紙の上で見た人物がそのまま出てきて、初めて見るはずなのに、初めてあった気がしない。

 そして、一呼吸置いて思い出したのは、彼女には極めて重要な肩書きがあることだった。

 魔王の血縁者。

「君の名前は?」

 アレンは自分の心臓が大きな音を立てているのを自覚しながら、少女に尋ねた。少女は逡巡し口籠るが、マルギットに促され、小さな口を開いた。

「イリア。イリア・フェンネス」

 わあ、喋った。などという馬鹿みたいな感想が頭に浮かぶ。

 それくらい、何もかもに現実味がなく、アレンは呆然として怯える少女を見つめた。

「……マジかよ」


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