02 誕生日
「……ねえ、ミナセ、ミナセってば」
石鹸と花の混ざり合い。その香りは、昔と比べて少しずつ大人びたものに変貌しているのに、それでいて彼女だとはっきりわかるから、不思議だった。
僕はゆっくりと、目を開いた。目の前には予想していた通り、リーシアの姿がある。彼女の首元には、双子のようなほくろが並んでいた。
「……ああ、おはよう、リーシア」
「おはようって、もう午後だよ? 木陰に座ってお昼寝なんて、心地よさそうなことしちゃって」
リーシアはくすりと笑って、目を細めた。銀色の長髪を二つに結ぶのも、瞳と同じ色合いのカチューシャを付けているのも、ずっと変わらない。出会った頃から七年ほどが経ったけれど、リーシアがリーシアのままでいてくれることが、僕に安堵をもたらした。
春風が、彼女の衣服を揺らした。レースがあしらわれた真っ白なスカートが風にそよいで、僕は何となく、リーシアが昔持っていたあのハンカチを思い出していた。
「それで、僕に何の用?」
「用がなかったら、話しかけたらいけないの?」
「少なくとも、気持ちよさそうに眠っている友人を起こすのなら、理由が必要じゃない?」
「確かに、それもそうね」
リーシアは微笑う。本当は理由などなくても、起こしてくれてよかった。好きな人に話しかけられて嬉しくない人間など、きっと存在しないから。でもそれは、彼女には内緒だ。
「用事、あるよ。隣町にお買い物に行きたいんだけれど、ミナセも一緒に来ないかなって」
「へえ、何が欲しいの?」
「髪飾り。『ライラ』で、可愛いお花のヘアピンが出たらしいの」
「……君、既にカチューシャ付けてるから、何というか渋滞しちゃわない?」
「もう、ミナセはわかってないな。ああいうのは、持っているだけでわくわくするんだから」
「なるほどね」
僕は頷いて、ゆっくりと立ち上がる。少しばかり緊張しながら、一つの提案をしてみることにした。
「リーシア、来週誕生日だったよね?」
「わあ、覚えててくれたんだ、嬉しい。そうだよ、十八歳になるんだ」
「いいね、僕はまだ当分十七歳だな。……その、よければ、今日町に行ったとき、欲しい髪飾りを一つ買ってあげるよ。それを誕生日プレゼントに……どう?」
リーシアは、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。その反応に、僕は心の中で勝手に反省会を開き始めた。余計なお世話だったかな、というか若干しどろもどろだったかな、ああ……
「本当? 本当だとしたら、すっごく嬉しい! ありがとう、ミナセ」
そんな彼女の言葉に、僕はどうしようもなく安心した。花咲いたような笑顔を浮かべているリーシアを直視できなくなって、僕は視線を逸らす。
「……ミナセ、顔が赤くない? どうしたの?」
「何でもない。まじで、何でもないから……」
「そうなの? ミナセって時々、顔が赤くなるよね。もしかして、暑がり?」
「うん、そう、僕は暑がりなんだよね……」
リーシアは楽しそうに、「やっぱり」と言う。鈍感な人だなと思いながら、でもその鈍さで僕たちの関係はうまくいっているのかもしれないとも、思った。
カラフルな建物が連なっているからか、灰色の煉瓦道がどこか素朴に感じられる、そんな町だった。僕とリーシアは並んで歩きながら、目的のお店を目指していた。昔は彼女の方が少しだけ背が高かったけれど、今は僕の方が高い。何となく、彼女と過ごした年月の長さを思った。
「ミナセは何か、欲しいものとかある?」
「……僕の誕生日は、冬だよ?」
「ふふ、それくらい覚えてるもん。お誕生日じゃなかったら、プレゼントしちゃ駄目なの?」
「駄目な訳ないしむしろ嬉しいけど、今日は大丈夫。……また一緒に、来ようよ」
少しぼそっと言った僕に、リーシアは「もちろん」と微笑んでくれた。その表情を自分に向けてくれることが嬉しくて、でもだからこそ僕は、中々彼女に自分の恋心を伝えることができないでいる。
今この関係性が、愛おしいから。僕が告白をするというのは、ともすれば関係性を壊してしまうことに等しい。リーシアの隣で笑い合えなくなる未来を、僕は恐れていた。
けれどそれと同時に、もっと彼女に近付きたいと思っている自分も間違いなく存在して、そんな自らの欲望に板挟みになりながら、僕は全てを隠して微笑っていた。
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