懲りない男

黒羽椿

懲りない男

 あるところに、こんな男が居た。その男は金も無ければ知恵も無い。技術も無ければ人脈も無く、あるのは無駄に重ねた25年の経験と、肥大化して腐り果てたプライドだけだった。自分は他の奴とは違う。チャンスが来ないだけで、俺の人生はこんなもので終わらないと、何も行動を起こさない癖にそんな妄想ばかりを繰り返していた。


 そしてもう一人、そんな男を観察する者が居た。天上に住まう天使である。その天使は人々を幸福にする使命を持っており、兼ねてから誰かを救済したいと考えていた。


 だから、そんな天使が彼に目をつけるのは必然だったのかもしれない。天使はその男を見て思った。


 「あぁ、なんて憐れなんだろう」


 天使が一番に感じたのは、憐憫の情だった。その次に、使命感を抱いた。きっと、彼にもやり直すことが出来る。彼が思い描いているような、素敵な人生を歩むことが出来る。いや、自分の力で導いてあげようと。


 天使は考えた。この男を幸せにするには、どうすれば良いのだろう? 天使は数分間考えて、とりあえず行動を起こそうと思った。まずは、彼の思っているとおりにチャンスを与えよう。


 第一段階として、彼にあれやこれやと理由を付けてお金を渡す。やはり、人が変わるためにはそれ相応の金銭が必要だ。現代でその事実は誰が見ても明らかである。彼がいつも願っていることだ、チャンスがあるのなら飛びつくに決まっているだろう。


 天使は必死にお金を掻き集め、おおよそ100万円を作った。いかに天使といえど偽札を作る訳にもいかない。天使は毎日働き、一年間でそれだけのお金を稼いだのだ。そんな労働の対価を、天使はあんな男のために全て使おうとしている。紛れもなく、天使は天使だったのだ。


 さて、天使は彼にお金を渡した。方法は秘密である。ただ一つ言えるのは、決して犯罪は犯していないということだけだ。


 するとどうだろう。彼は舞い上がり、有頂天になった。万能感で一杯になった。まさに棚から牡丹餅、彼が待ち望んでいたチャンスだった。


 「ようやくだ、ついに俺にも運が回ってきた。きっと、俺の日頃の行いが良いからだろう」


 彼の行いは決して良くは無い。路上喫煙をしてたばこのポイ捨てはするし、むしゃくしゃして駐輪場の自転車を将棋倒しすることもある。大きな犯罪こそ無くとも、彼の態度は悪いのだ。そんな自分を直視出来ない辺り、ますます救えない。


 だが、天使はそれでも良かった。これから、彼は大成するに違いない。誰もが羨む富豪には成れなくとも、今の様に自らの人生を嘆くようなことは無くなるだろう。だって、彼が一番待ち望んでいたチャンスが巡ってきたのだ。日頃からチャンスがあれば、と悲観する彼ならば、それをものに出来るだろう。


 天使はわくわくしながら、彼の行動を監視した。まず、彼は高級焼肉店に繰り出していた。自分が稼いだ金をいとも容易く浪費される様子に、少しだけ天使は不快感を覚えた。彼の貯金はほぼ無いと言って良い。なのに、どうして節制というものをしないのだ。


 次の日、彼はパチンコ店に朝から並んでいた。気前よくお金を吐き出し、あっという間に財布の中身は空っぽになった。


 次の日はネットショッピング、次の日は外食、次の日は宝くじ、その次は……


 天使のもくろみは完全に的外れだった。そう簡単に人は変われない。ましてや、人から貰ったチャンスなど、彼のような人間にとっては豚に真珠だ。チャンスを生かすことが出来るのなら、彼はとっくの昔にそれを掴んでいるだろう。


 渡した100万円が全て無くなっても、男は何も変わらなかった。いつものように自らの人生を嘆き、俺にもチャンスがあればと思い描く。彼はそういう人間だった。


 天使は反省した。それはもう、猛省した。この考えは短絡的で、相手の気持ちに寄り添っていなかった。彼は、その程度では変わらないのだ。自分がどれだけ愚かなのか分かっていない。自分がどれだけ無知なのか分かっていない。目の前の現実を受け入れず、ただ妄想の中の一攫千金ばかり追い求める。


 彼の根本的な考え方から変えなければ。そもそも、男の行動には無駄が多すぎる。完璧では無いのが人間とは言え、彼のそれは怠慢だ。


 自販機で飲み物を買うのはもったいないと言って、わざわざ水筒を持ち歩く癖に、どうして賭け事になるとその金銭感覚が消滅するのだ。自販機の数百円と、ジャラジャラと喧しいその機械に入れる一万円、どちらがもったいないかなんて火を見るより明らかだろう。


 彼は割り勘の時に、一円単位までグチグチと口出しするほどのケチなのに、賭け事や買い物になるとその節約の心は無くなる。どれだけ自分に都合が良いのだ。もっと削るべきところは一杯あるだろうに。


 天使は考えた。どうすれば、この愚かで憐れで愚物で無知で悪辣で粗悪で馬鹿で馬鹿で馬鹿なこの男を救えるのだろう。もう、救わなくても良くないか? なんて思ってしまうほどだ。


 いやいや、そんなの許されない。一度失敗したからと言って、すぐに放り投げるのは良くない。それこそ、あの男と同じになってしまう。それだけは嫌だった。

 

 本当に自分に落ち度は無かったのか。彼だけが悪いのか。もっとよく考えて行動しよう。一度救うと決めたのだ。天使の矜持として、最後まで尽力せねばなるまい。


 天使は閃いた。そうだ、彼にどれだけ自分が損をしているのか知ってもらおう。現世の仕組みはとにかく不明瞭で分かりづらい。損をしていても、それが損だと分からないサービスが多すぎるのだ。だから、改めるべきところを明確にしてあげれば良いのではないだろうか。

 天使は早速、機会を窺った。そして案外、それは早くに訪れた。男は懲りもせず、パチンコ屋に繰り出して居たのだ。財布には一万円だけしか入っていない。ついでに言えば、それは今月分の食費なのだが……金に余裕が無い癖に来る辺り、本当に救えない。


 結局、男は一時間足らずで店を出た。その手には粗末なお菓子と、空っぽになった財布だけが残っていた。天使は男が家に帰ると同時に、彼の目の前に現れた。


 男は狼狽した。急に絵画に描かれているような、羽の生えた性別不明の人物が現れたからだ。だが、そんな気持ちはすぐに消え失せた。天使から飛び出す発言は、あまりに耳が痛かったからだ。


 「何故、そうも愚かなのです? 貴方も知っている通り、パチンコは確率の世界で、1000円で当たりが出ることもあれば、数万円を入れても当たらないこともある遊戯です。そんな中、どうして今ある確実な一万円より、当たるかどうかも分からないものを信用するのです? そんな振る舞いが許されているほど、貴方の貯蓄は逞しいのですか?」


 「そもそも、どうしてこの歳にもなって貯金の一つも出来ないのです。投資をしろ、などとは言いません。ですが、こんな寂しい貯蓄で、予想外のことが起こったらどうするのですか? 働けなくなったら? 病気になったら? 誰も貴方のことを助けてくれませんよ?」


 「ていうか、なんで私の渡した100万円を使い切るのです! 100万円あれば、色々なことが出来たでしょう! なのに、どうして手元に残ったのがこのほとんど遊びもしない最新のゲーム機だけなのです!」


 天使は今まで貯まりに貯まった鬱憤をぶちまけた。流石にこれには男もばつが悪そうな顔をする。その様子を見て、天使は咳払いを一つしてからこう言った。


 「良いですか? まず、きちんと支出の管理をしましょう。貴方が今日、無駄に浪費した一万円と一時間で何が出来ますか? ……はい、そうです。それも出来ました。はい、それも食べられましたよね?」


 天使は桐箱に入った肉を取り出して、男に見せつけた。


 「さっき貴方が言った、高級なお肉です。あーあ、これはどう調理してもおいしいだろうになぁ」


 男の喉がごくりと鳴った。そして、すぐさま後悔の念が押し寄せてきた。あの肉は、俺が今まで食べたことの無い肉だ。口の中に入れれば崩れ去り、それまで食べてきた肉の常識が覆ってしまうのだ。きっと、想像も出来ない様な味をしているのだろう。あぁ、なんてもったいないことをしたんだ、俺は!


 「これ、貴方が行きたがっていた温泉施設のチケットです。これも、さっきパチンコに行かなければ手に入っていたんですよ? あーあ、ここのお湯は格別で、お風呂上がりの一杯は何十杯もいけちゃう位に美味しいのになぁ」


 頭の中で想像する。普段は浸からない、熱々のお湯に身を沈め、思わず息が出る。そして十分湯浴みを堪能した後は、キンキンに冷えたビールで一杯やるのだ。何も考えず、ただ幸せな気持ちで酔っ払い、幸せな気持ちで綺麗な布団に入る。あぁ、あぁ! なんて無益なことをしてしまったんだ、俺は!


 「どうですか? 今言ったのはほんの一例に過ぎません。この世界にはそれ以上の幸福がゴロゴロ転がっています。絶対に、パチンコのハンドルを握りながらだらだらとスマホを眺めるよりかは、有益で価値のあるものです。ほら、もうパチンコなんて辞めましょう? そんなことをしていても、貴方の人生は変わらないままなんですよ?」


 天使の言葉は鋭く、されど真実だ。それは一番、男が分かっていた。男の胸に、今まで感じたことの無い熱さが溢れ始めていた。十代の頃に感じていたような、何でも出来そうな万能感。ノー勉状態の一夜漬けで受ける、テストの時のようだ。


 もうぐだぐだと妄想するのは辞めよう。行動を起こして、自分の手でチャンスを掴み取るのだ。この肉を当たり前に食べられるように、温泉なんて毎月行けるくらいに、ビッグになるのだ!


 「よし! じゃあ早速、全財産を下ろして、競馬に行ってくる! 待ってろよぉ~! 万馬券!!!」 

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懲りない男 黒羽椿 @kurobanetubaki

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