深き雪の下
イーリーの麓
濃い青色の空でした。
ふうっとついた息が、白く変わって風に流されていきます。
からからに乾いた冷たい空気が汗を奪い去って、ついさっきまで暑かったのが嘘のように身体が冷めていきます。
見上げた先には、真っ白な万年雪を冠する、天をつく山々。
その頂には、神話に語られる神聖なる獣が住むといいます。
未踏の霊峰。
酷白の神域。
踏み入るものを絶命させる、死の山脈。
白き衣の死神姫と称される、絶望の山。
イーリー山脈。
その麓。
人が住むことの出来る限界地点と言われる街に、リンネたちはやってきました。
「リンネ、寒くないか」
隣を歩くエストレアがそう言って、こちらを見下ろしました。
薄紫の目は、いつも通り眠たげ。白髪の混じった黒炭色の髪と、黄白色の肌は、今は防寒具でほとんど隠されていました。リンネも、先を行くメーラとノイエも、だいたい同じ状態です。
ここは夏でも寒く、軽装ではいられません。
「さっきの袋、まだ温かいか?」
「はい」
首から提げて、上着の中にしまってある布製の袋は、どういうわけか、ずっとぼかぼかと温かです。
開けるなと言われているので、中身がなんなのかはわかりません。
外から触った感じだと、柔らかい綿のようなものが詰められている感じがします。
「冷えてきたら言えよ。温め直すから」
「はい」
魔法か、そうでなければ、薬草などを組み合わせた薬品の類いが詰めてあるのでしょう。
最近知ったことですが、エストレアはそういう調合の類いも得意なのです。
「こういうのをな、錬金術というんだ」
この街へ来る途中。
山の中で夜営をしたときに、エストレアはそう教えてくれました。
その時は、たしか爆炎筒──リンネがエストレアからもらった、身を守るための道具──の作り方の話をしていました。
『錬金術は、簡単に言えばものを変化させる術だ。もの同士を組み合わせて、変化を起こす術を指して、錬金術という。元々は、鉄や鉛から金や銀を造ろうとしていたんだけどな。その実験の間に、様々な道具や薬品が開発されていったわけだ』
錬金術のいいところは、誰にでも使えるということです。
錬金術そのものは使えなくても、錬金術で作られた道具は誰でも使えるのです。
まったく知識がなくとも、使い方さえ知っていればその恩恵を受けられます。
特別な修練が必要な魔法とは、そこが違っていました。
『錬金術はな、人々の暮らしにとても関わりが深い分野だ。今は錬金術から離れて、別の分野になっているものも多いけど』
例えば、医学や薬学は元々錬金術のうちに含まれていました。錬金術の研究を続ける内に明らかになった、生き物の身体の仕組みや、薬草などのもつ効果。それらが発展したのが、医学や薬学です。
また、魔法使いたちが使う魔法具も、錬金術から生まれたものでした。今では、大型の魔法具は機術師の作る物になっていますが、
『生活用品の中にも、錬金術によって作られているものは多い。リンネも知らない間に、錬金術に触れてるはずだ』
そう言って、エストレアはカバンからレニの根の粉末を取り出しました。
『俺たちは今、これを髪や身体を洗うのに使ってるよな。でも、それが出来るようになったのはけっこう最近なんだ。錬金術師たちがレニの根からこの粉を作る方法を見つけるまで、レニの根はなにかの役に立つようなものではなかった。──錬金術っていうのは、そういうものだ。それまで意味がないと思われていたものを調べて、試して、組み合わせて、意味を生み出す。隠されていた法則や機能を見つけ出す学問だ。だから、最も暗い場所を進む学問と言われている』
エストレアは錬金術について、そう説明していました。
リンネには、よくわかりません。
わかるのは、とても便利であることくらいです。
「ああ、やっとついた」
先を歩いていたメーラが足を止めて、大きく息をつきました。
いつも通り、フードを深く被ってマフラーで顔を覆っています。
メーラはツノビトという人で、頭からぐねりと捻れた金のツノが生えていました。それだけでも目立つのですが、さらに撫子色の髪や薄褐色の肌、女の人としてはかなり高い背丈など、色々な部分が、この辺りで暮らす人たちとは違っています。
非常に目立つので、メーラは普段からそれらをマントとマフラーで隠していました。
それはそれでまた目を引くのですが、今はそうでもありません。
みんな寒くて厚着をしていて、顔をマフラーで覆っているのが普通だからです。
「ここね? エストの知り合いがいるって神殿」
そう言って見上げた先にあるのは、大きな石造りの建物。
この街の大部分を占める、巨大な神殿兼学校です。
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