王族であるということ
「変な話だろ?」
エストレアはそう言って笑いました。
困ったような、呆れたような。
そんな顔でした。
「でも、本当にそうなんだよ。彼らは自由に笑えないし、自由に泣けない。本人がどう思っていても、どう感じていても、それを正直に表すことはできないんだ、本来は」
「どうしてですか?」
「一つは、国同士の関係があるからだ。王は国を代表して、他の国の王族や権力者たちと会う。そういう場での王の言動は、そのまま国の意志として扱われる。これは、わかるか?」
「はい」
エストレアはうんと頷き返して、
「もし、そういう場所で無礼な行動をとってしまうと、どうなると思う?」
「……相手を怒らせてしまいます」
「その『相手』は誰だと思う?」
「相手は、」
相手は、他の国の王で。
それはつまり、その国そのものです。
「相手の、国です」
「そう。王同士の問題は、そっくりそのまま国同士の問題になる。国同士の関係が悪くなるわけだ」
「はい」
「とはいえ、ちょっと仲が悪くなるくらいならまだいい。人が互いの国を行き来できなくなったり、商売が出来なくなったりする程度だ。最悪なのはな、関係がこじれすぎた結果、戦争になって戦う羽目になることだ」
「せんそう」
「そう。──戦争は、嫌なもんだ。人が死ぬし、あらゆるものが傷ついて壊れていく。だから本当は誰だってやりたくない」
「やりたくないのに、戦争になるのですか?」
「なることもある。国同士の関係ってのは、単純な損得だけで出来てる訳じゃないからな」
エストレアはそっと息をつきました。
困り果てたような。
なにかを嘆くような。
そんなため息でした。
「国同士の喧嘩はさ、仲直りが難しいんだよ。ちょっとした小競り合いでも大きな争いになってしまうことがあるし、そうなるともう、謝ったら負けになってしまう」
「まけ?」
「そう。戦争ってのはな、単なる喧嘩とはルールが違うんだ。戦争のルールでは、謝るということは自らに全ての責任があると認めることだ。そしてそれを認めるということはすなわち負けを認めることで、負けた側はたいていの場合、勝った側に完全に従わなくてはならなくなる」
「絶対にですか?」
「そうだ。まあ、意見を言うくらいは認められることもあるが、その意見を受け入れて貰えるかは、勝った側が決める。主張は出来ても決定は出来ない。戦争に負ければ、その国に属する全てのものが、そういう立場になる」
それは、まるで奴隷のようです。
ただ、言われたことに従うだけの存在。
負けたら、国全体がそうなってしまう。
国そのものが、別の国の奴隷になる。
戦争で負けるというのは、そういうことでした。
「どこの国だって、そうなるのは嫌なわけだ。だから国同士の関係に、とても気を遣うんだよ。戦争にならないように」
王族は誰もが、言葉や行動に気を付けて、無礼のないよう心がけます。
多少嫌なことがあっても顔には出しませんし、本当は怒っていても表向きは穏やかに振る舞います。
それで大きな争いが避けられるなら。
戦争を避けることが出来るなら。
そのためなら、そうします。
そうしなければなりません。
王族とは、そういうものでした。
「もう一つ、民にそう求められている、というのもある」
「民に?」
「そう。民から期待される王としての振るまい、というものがあるんだよ」
国は、たくさんの個人の集まりです。
しかし、個人が集まっただけでは国にはなれません。
それだけでは、ただ集まっただけの個人でしかないとエストレアは言います。
「集まった個人が国という集団になるには、集まった個人をまとめ上げて導く指導者が必要なんだ」
エストレアはそう言って、あるお話しを聞かせてくれました。
ある時代。ある場所。ある日の夕暮れ。
広い荒野の真ん中に、四人の旅人がいました。
一人は北から。
一人は南から。
一人は東から。
一人は西から。
それぞれにやってきて、それぞれに火を焚こうとしていました。
彼らはそれぞれに落ち葉を集め、小枝を拾い、薪を探しました。
それぞれに集めたので、落ち葉も小枝も薪も、少ししか集まりません。
旅人たちはそれぞれに火をおこし、荒野には四つの小さなたき火ができました。
でも落ち葉も小枝も薪も少ないので、たき火はどれも、すぐに消えてしまいました。
暗闇に怯える旅人たちを、指さして、炎女神ゼインは言いました。
──あれこそが愚か者だ。
「これは司祭が教えを説くときに使う話だ。この後は、四人はたき火の支度で時間を使い切ってしまって、食べ物の支度も水の用意も出来なかった、という風に話が展開していく」
そして最後は、四人が協力して役割を分担していればこうはならなかったろう、というふうにまとめられるのだといいます。
「この話の通り、もしも四人のうちの誰か一人が、協力しよう、分担しようと言い出していれば、彼らは一つのたき火を囲んで暖をとり、食事をして、一夜を明かす事が出来たわけだ」
それまでは、この四人は単なる個人の集まりでした。
一人と。
一人と。
一人と。
一人。
一人が四つ並んでいただけで、四人ではありません。
けれど、もし誰か一人が、協力を提案していれば。
他の三人がそれに賛同していれば。
彼らは四人で、夜を明かせたことでしょう。
「国も、これと同じだ。こうしよう、こんな風に協力しよう、と言う人がいて、周りがそれに従うことで初めて国になる。そんで、それをする人のことを、人は王とか指導者と呼ぶわけだ。わかるか?」
「……はい」
リンネが頷くのを見て、エストレアは目を細めました。
「とはいえ、人は誰にでも簡単に従うようなものじゃない。この人の言うことになら従ってもいいかも、と思わせる必要がある」
「はい」
「じゃあどんな風に振る舞えば、そう思って貰えると思う?」
リンネは、答えに困りました。
今までずっと奴隷で、誰に従うかなど考えたことがありません。
奴隷は主人に従うもの。
そう決まっています。
奴隷が主人を選ぶことはありません。
だから、困ってしまいました。
困って、困って、そこで思い出します。
ついこの間、その答えは出してありました。
アリエラに、一緒に行こうと誘われたとき。
その時、リンネはそれを断りました。
エストレアについていくと答えました。
それは、エストレアがリンネの手を、引いてくれるから。
わからないものに出会ったとき、そっと教えてくれるから。
「困ったときに、助けてくれる人」
ぽろりと、言葉が口から溢れました。
「そういう人に、ついていきたいです」
エストレアは、うん、と頷きました。
「そうだな。困ってるときに手をさしのべてくれる人なら、信じていいと思える」
「はい」
「困ってるときに知らんぷりするようなやつや、逃げていくようなやつは、あんまり信用できないよな」
「はい」
「逆に言えばな、心の中でどう思っていようと、そういう振る舞いが出来る人は信用されるんだ」
「ふるまい」
急に、なにかがわかりました。
「だから、王様は……?」
「そう。王様は、民から信頼されるためにそういう振る舞いをする。というか、しないと駄目なんだ。そうしないと、民はついてきてくれないから」
例えば、民が不安がっているとき。
民が求めるのは、安心です。
それを与えてくれる人を求めます。
一緒になって不安になるような王は、尊敬されません。
知らんぷりをして逃げるような王は、軽蔑されます。
民が求めているのは、自分たちを守ってくれる王です。
不安を取り除き、安心を与えてくれる王です。
困ったとき、苦しいとき、助けてと頼ることができる。
頼ってきた民を受け入れ、支え、導いてくれる。
それが、民の求める王の姿でした。
「だから王族は、自分の心を簡単には表に出せない。心の中ではどんなに不安でも、民のためには勇敢に振る舞わなくてはいけない。本来はそういう立場なんだ、王族ってのは」
ああ、と納得します。
アルマ王子は言っていました。
『私は将来、この国の王立騎士団を率いる長になれと言われている』
『そういう立場のものが、私室に隠れ臣下に守られるなどという情けない様を晒すわけにはいかない』
あれは、そういうことだったのです。
隠れて守られるのは、求められていない姿でした。
部屋を出て勇敢に戦うことが、求められる姿でした。
だからアルマ王子は、部屋に隠れることを拒んだのです。
安全な部屋に籠もるのではなく、危険な外で戦うと言ったのです。
今になって、それがわかりました。
「王族は、自由に振る舞えない」
エストレアは、その言葉を繰り返しました。
「特に、この国は。今までがそうでなかった分、これからはそうであることが強く求められている。そう期待されている。──今の彼らに求められるのは、いつも堂々としていて、寛容で、穏やかな振る舞いだ。怒ったり、泣いたり、不満をいったり、不安がったりは出来ない。──そして、自由に謝ることも出来ない」
覚えてるか? とエストレアは言います。
「王子がリンネに謝ろうとした時、近衛兵がそれを止めただろ?」
「はい」
よく覚えています。
奴隷に頭を下げるなんて、と。
近衛兵たちに止められていました。
「王族として、奴隷に謝罪することは出来ない。もっとも位の高いものが、もっとも位の低いものに頭を下げてはならない。そういう決まり事があるんだ」
「謝ったら負けだからですか?」
「そう。そして奴隷に負けるような王は、民に求められてない。王族は、そんなことをするべきじゃない。それをするような人物は、我々の王にふさわしくない。──そう、思われている」
きっと王子も、そうなのでしょう。
思った通りには行動出来ない。
自由に気持ちを表すことが出来ない。
本当は、そういう人なのです。
リンネは手のひらに乗った礼拝杖を見ました。
これは、そういう人が贈ってきたものなのです。
「王子がリンネに謝って、こうしてお詫びの品まで用意した。それは、とても大変なことだったんじゃないかな、と俺は思う」
「はい」
「さっき俺は、王族としての正しさより、自分のがそうすべきと思ったことをした。それだけだって言ったな?」
「はい」
「でも、その『それだけ』は、王子にとっては『それだけ』では済まないことなんだよ」
「はい……」
手のひらの上の礼拝杖は、窓からの日を受けて輝いています。
曇りのない青銀色は、上質な月下銀の輝きです。
深い緑の宝石も、負けず劣らず上等なものです。
奴隷が持つには、ふさわしくない。
いいえ。
奴隷でなくとも、持つにはふさわしくないでしょう。
それくらい、上等で、美しいものでした。
「エストレア様」
「うん」
「これを受け取ったら、アルマ王子は、許されたとおもうでしょうか」
「そりゃあ、思うんじゃないか」
「許されたと思えたら、王子は喜ぶでしょうか」
「うん。きっと喜ぶし、ほっとするだろうな」
「なら──」
そうすることで、王子がよかったと思えるなら。
王子の苦労に見合うものを返せるのなら。
「受け取ります」
「うん、そうか」
エストレアは笑って、礼拝杖を手に取りました。
しゃらりと鎖が鳴ります。
エストレアは恭しい手つきで、それをリンネの首にかけました。
「せっかくもらったんだ。──大切にしような」
「はい」
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