奴隷少女の選択

 数日後。

 リンネたちは、街を出ることになりました。

 予定していた指導は終わり、王城の事件も、もうリンネたちが関われるようなことはなくなって、留まり続ける理由がなくなったからです。

 騎士団本部の部屋で、リンネは一人、荷物をまとめていました。

 メーラとノイエは、買い出しです。

 エストレアはさっきまで一緒にいましたが、今は指揮官の男に呼ばれていきました。

「勝手に人が入れないようにしておくから」

 そう言って、ドアになにか細工をしていきました。

 知らない人が来る心配は、ありません。

 だから、一人きりでも平気でした。

 服をたたんで、鞄に詰めて。

 出しっ放しになっていた道具類を片付けて。

 そうして、最後。

 ポケットから、恐る恐る鍵を取り出します。

 軽くて、小さな、けれど大きな意味を持つ鍵。

 首輪の鍵です。

「…………」

 リンネは、そろりと首輪を撫でました。

 手探りで、そこにあるはずの鍵穴を探します。

 指の腹で首をなぞって、それらしいものを見つけました。

 何度も確かめてから、恐る恐る鍵を差し込みます。

 見えなくて、手が震えて。

 何度も失敗しました。

 何回目かで、鍵は鍵穴に収まりました。

 ふうっと、息をつきます。

 ぎゅっと目を瞑って、思い切って。

 鍵を回しました。

 思いの外、軽い手応えでした。

 かちゃん、という音と共に、首回りがすっと広くなります。

 重たく、冷たかったものが、離れていきます。

 ぶるり、と。

 身体が震えました。

 ぞわぞわとしました。

 全身の産毛が逆立ちます。

 ゆっくり、ゆっくり。

 深い呼吸を繰り返します。

 大丈夫。大丈夫。

 繰り返し、その言葉を思い出します。

 そっと、目を開けました。

 膝の上に、首輪がありました。

 手が震えます。

 身体に力が入りません。

 くらくらしました。

 ふらふらしました。

 息苦しい。

 こんなに何度も、息を吸っているのに。

「──戻った」

 突然、ドアが開きました。

 ぎょっとして、息が止まります。

 振り返ると、エストレアがいました。

 リンネを見て、僅かに眉を寄せます

 そしてリンネの首元を見て、少し笑いました。

「準備は、できたか?」

「──はい」

 当たり前のように、返事が口から出ました。

 さっきまでの息苦しさは、もうありません。

 手の震えも、くらくらするのも、収まりました。

 嘘みたいに、リンネはいつも通りを取り戻していました。

「なら、よし」

 エストレアは笑って、リンネの前にしゃがみ込みました。

「これ、リンネに。アルマ王子から」

「?」

 渡されたのは、柔らかい布でできた袋でした。受け取ると、中になにか入っているのがわかります。

「開けてみな」

「はい」

 紐を解き、袋を傾けて、中身を手のひらに出しました。

 それは、ペンダントでした。

 青みを帯びた月下銀。細い柄と、その先の広げた翼。そして翼の間に収まった、深い緑色の宝石。

「礼拝杖?」

「そうだ。ほら、前に話しただろ。街に行ったらリンネの礼拝杖を買おうって」

「はい」

 確かに、そんな話をしました。

 あの時は、エストレアの礼拝杖──呪符でもある──を借りていました。

 とりあえずは貸しておくけど、今度、街に行ったら買おう。

 そういうような話をした気がします。

「でもこの騒ぎで、買いに行けなかっただろ。そのことを話したら、王子がぜひ自分から贈らせてくれって」

「どうしてですか」

「お詫びだって。言葉で謝っただけじゃ、気が済まなかったんだろ」

 リンネはなんと言ったらいいかわからなくて、困り果てました。

 だって、それは本当なら必要ないことです。

 王族が、奴隷に謝るなんて。

 それ自体が、必要のないことでした。

 それをしたと言うだけで、十分過ぎるくらいのことです。

 なのに、その上こんな風にものを贈られるなんて。

 おかしいことでした。

「これは、受け取れません」

「どうしてだ?」

「奴隷に王族がなにかを渡すというのは、おかしいです」

「まあ、普通はそうだな」

 エストレアはくしゃくしゃと髪をかき回します。

「けど、そんなのは関係ないと思ったから、王子はこれを用意したんだろう。王族としての正しさより、自分のがそうすべきと思ったことをした。それだけだ」

「はい……」

「それに、リンネはもう奴隷じゃないだろ」

 そうでした。 

 首輪は、奴隷の証。

 それを外したリンネは、もう奴隷ではありません。

 奴隷ではなくなると決めたから、首輪を外したのです。

「リンネ、いいか」

 エストレアが、難しい話をするときの口調で言いました。

「別に、無理に受け取らなくてもいい。受け取るってことは、王子の謝罪を受け入れるってことだからな。だから、受け取れないと思うなら、返してしまってもいいと思う」

 エストレアはゆっくりとした口調で、ただな、と続けました。

「きっと王子は、とても苦労してこれを届けさせたと思う」

「……?」

 リンネには、よくわかりませんでした。

 どうして、苦労するのでしょう。

 王子なら、従者に言えば簡単に用意できるはずです。

 王族はとても偉いのですから、それくらいは簡単なはずです。

 リンネはそう思いましたが、エストレアの顔を見ると、どうやらそれは違っているようです。

「王族っていうのはさ、自由がないんだよ」

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