神様の思し召し

「その包みはなんなんだ」

 今まで黙っていたノイエが、話の流れを無視して言いました。

 テーブルの上に無造作に置かれた包み。

 エストレアが持ってきたものです。

「ああ、それ。預かった」

「誰から」

「国王陛下」

「なぜ」

「神の思し召し」

 ノイエは無言で片眉を上げました。

 エストレアは少し笑って、包みを解きました。白い布の結び目が解かれ、中に入っていたものが露わになります。

 木製の箱でした。

 王家の紋章の焼き印がされています。

 元々は、蝋で封がされていたのでしょう。僅かに跡がつき、欠片が残っていました。

「──アリエラには教えなかった、もう一つの回収物、だそうだ」

「…………」

 ノイエの目が、険しさを帯びました。

 エストレアが蓋を開けます。

 綿の敷かれた中に、上等な布でくるまれたものがありました。

 布が取り払われます。

 そこに収められていたのは、金色の円盤でした。

 あまり大きくありません。

 リンネの手のひらより、一回り大きいくらいでしょうか。

 円盤には、細やかな細工が施されています。動物や人。植物らしきもの。不可思議な文様。それらがみっちりと、一面を覆っていました。

 エストレアは無言で、円盤を裏に返します。そちらの面は、つるりと磨かれていました。少しの凹凸もない、見事な平面です。

「鏡か。祭儀用の」

「ああ。……お前、見覚えあるか?」

 ノイエは無言で首を横に振りました。

 彼は子供の頃、当時の村の巫子によく懐いていて、熱心に神殿に通っていました。祭儀の手伝いもしていたという彼が知らないということは、村の祭儀で使っていた道具ではないのでしょうか。

「村の神殿は、祈り場こそ片付いていたけど、他はそうでもなかった。特に祭儀の準備をする部屋は、半分物置みたいな状態だった」

「そんなことになってたのか」

「そのうち片付けると言っていた」

 けれど、そのうちは来ませんでした。

 ノイエは目を伏せました。

「開けたことのない箱や包みも多かった。俺の知らないものがあっても不思議じゃない」

「……そうか」

 エストレアは鏡を箱に戻しました。蓋をして、布で包み直します。

「こいつには、神託が下っている」

 布の端同士を結びながら、エストレアは言いました。

「この鏡を最初に回収したのは、神殿騎士団だった。派遣したのは西方大神殿直下のラフトーシエ神託神殿。その名の通り、ラフトーシエには神託神子がいる」

 当時の神託神子が、この鏡についての神託を受けたのは、回収されたその日の夜でした。

「内容は?」

「『血染めの大地にて守り続けよ。三連の流星が来たる日まで。その日、月は満ち星と共に去るであろう』だそうだ」

「……三連星は、アンタのシンボルだな」

 リンネは、思わずエストレアの杖を見上げました。

 そこに宿った三連星は、確かにエストレアのシンボルと言えるでしょう。

「血染めの大地ってのは、この国のことか?」

「当時の神子は、そう判断した。……当時は、まだ革命の傷が大きく残っていて、国が荒れてたらしいからな」

「なるほど。それで、この国に」

 ノイエは口元に手を当てて、考え込みました。

「鏡は月の象徴。それが星と共に去る。そしてその星とはアンタのこと。……そういう解釈なのか?」

「ああ。王と宰相と、イルム神殿の神殿長の話し合いが行われて、そういう解釈がされた。ラフトーシエの神託神子も、同意見だそうだ」

「聞いたのか」

「俺たちがこの国に滞在すると決まった時点で、早馬を飛ばしたんだとさ」

 エストレアはくしゃくしゃと髪をかき回します。

「正直、こういう意味深なものは持ちたくないんだ。変な因縁が出来そうで」

「言いたいことはわかる。とはいえ託宣となれば、拒否もできないんだろ」

「ああ。ほぼ強制的に押しつけられたよ」

 やだやだ、とエストレアはぼやきます。

「あの女と、変な縁ができないといいんだけどな」

「アリエラ?」

「そう」

 メーラは軽く頷きます。

「そうねえ、これきりの関係で終わるといいのだけど」

「……あの女、ツノビトだったな」

 ノイエの呟きに、そうね、とメーラは答えます。

「でも、私とは違う。ツノの形も肌の色も、まるで違う。見たことのない姿だった」

「ありゃ北方民族だ。北方有角民。北方枝角種って言い方もするな。このへんじゃまず見かけない民族だな」

「北方って、大陸の北って意味?」

「いや、北方大陸のこと」

「……。えっと、遠いわね?」

「遠いよ、とんでもなく」

 リンネは地図を全く知らないので、実際にどれくらい遠いのかは知りません。だから二人の話を聞いても、まったくピンときませんでした、

 ただ、異国から来たというメーラが驚くほどなのですから、相当に遠いのだろうということはわかりました。

「あの女、魔法使いなのか?」

 唐突に、ノイエが聞きました。

 あまりに突然だったせいか、エストレアは少し間を開けて答えます。

「広義の魔法使いだな。広い意味では、そう。だが厳密には違う」

「よくわからん」

「あの女が使ったのは神聖魔法だ。精霊魔法じゃない。同じ魔法ではあるけど、まったく系統が違う。一般的な魔法使いが使える魔法じゃないからな。だから広い意味では魔法使いと言えるけど、正確にはそうではない」

「じゃあ、なんなんだ、あの女」

「本人が言ってただろ。司祭だ。聖職者だよ」

 エストレアはくしゃりと髪をかき回します。

「神聖魔法ってのはな、神の力を借りた魔法だ。必要なのは触媒ではなく、神々への信仰だよ」

 神様は時々、贔屓をすることがあります。例えば、人に聖名を与えるのもその一つです。気まぐれに、あるいは神自身の個人的な理由で、特定の人に少しだけ目をかける。そういうことが、時々あります。

 神聖魔法は、そんな贔屓の一つです。

 いつも熱心に自分へ祈りを捧げてくれる人間が、困っている。自分に助けを求めている。

 そんな時、神様は少しばかり力を貸してくれることがあります。

 日々の祈りへの、ささやかな返礼として。

 神聖魔法は、まさにそういうものでした。

 神の加護や恵みに、日々感謝する。

 祭儀を行い、神々に祈りを捧げる。

 そういった信仰を日々積み重ねることで、特例として神からその力の一部を借りることを許される。

 神聖魔法は、そういう魔法でした。

 当たり前ですが、その場で適当に祈ったくらいでは使えません。

 日々の祈りと、神への奉仕。心からの信仰心こそが、神々を動かすのです。 

「あんなもん、一朝一夕で使えるようなもんじゃない。使えるのは、常日頃から神に奉仕し祈りを捧げている筋金入りの聖職者ぐらいなもんだよ」

「ということは、本当に聖職者なんだな、あの女。口先だけの詐欺師じゃあないわけだ」

「そう。少なくとも信仰心は本物だろうよ」

 ノイエは不服そうな顔でした。

「……ロニアを信仰している、と」

「そう言ってたわね」

 メーラは頬に手を当てて、ため息をつきました。

「ロニアって、やっぱりあのロニアなのよね?」

「他にいないだろう」

 ノイエが囁くような声で言います。

「あの人が使った魔法は……」

「ありゃ雷神ルースの力を借りたもんだ。ロニアとは違う」

「そう。信仰しているからといって、その力を借りるとは限らないのね」

「借りないのか、借りられないのかはわからんけどな。貸すかどうか決めるのは神々で、使い手じゃない。使い手はただ祈り願うだけ。神聖魔法ってのは、そういうもんだ」

 エストレアは難しい顔のまま、天井を仰ぎ見ます。

「しかし、ロニアねえ……どこで知ったんだか」

「別に、不思議はないだろ」

 ノイエは興味の薄い返事をしました。

「俺たちの村と同じように、信仰を残す土地があってもおかしくない。それに聖職者なら、神殿に残るロニアの資料を知る機会があっても、不思議はない」

「そりゃそうだ。ロニアへの信仰だけならな。俺が気にしてるのは、彼女が言ってた遺物だよ」

『ロニアの聖鎧』

 アリエラが探している、かつて山間の村にあったとされる遺物。

「あれって……やっぱり、ノイエの?」

「そうなんじゃないか、たぶん」

 視線が、ノイエの籠手に集まります。

 この遺物は、かつてエストレアたちの故郷に隠されていた遺物です。

 代々の巫子──民間司祭が受け継いでいて、どんなものなのか、どこにあるのかは隠されていました。そして、無闇に語ることを禁じられていました。

「ロニアのことを知っているのは、まだわかる。村に遺物があったことを知ってるのもいい。噂はあったみたいだからな」

「ああ、ケインが聞いたって言ってた話ね」

「気になるのは、その名前だ」

 エストレアは険しい目で虚空を睨みました。

「『ロニアの聖鎧』という名前は、どこから来たのか」


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