『ロニアの聖鎧』
アリエラは、途方に暮れたような顔でリンネを見ていました。
磨き上げた宝石のような目が、リンネを見つめています。
その目が怖くて堪らなくて、リンネはまた、下を向きそうになりました。
「リンネ」
エストレアに呼ばれなかったら、きっとそうしていたでしょう。
「よく言った」
そう笑いかけられなければ、そうしていました。
「はい」
エストレアはリンネに笑いかけて、それからアリエラに向き直りました。
もう笑っていません。
挑むような真剣な顔で、アリエラを見据えています。
「話は済んだな。そろそろ、こっちの質問にも答えてもらう」
「あなたは──」
「目的はなんだ?」
ゆるやかなアリエラの声を遮るようにして、問います。
「わたくしは、不当に虐げられているものたちを救いたいのです」
アリエラは怯むことなく答えます。
「人は皆、神によって生み出されたもの。そこに優劣はありません。ですが、人々は本来ないはずの優劣を見いだし、階級付けし、立場の低いものを虐げている。こんなことは間違っているとは思いませんか?」
「思うよ」
「え?」
思わぬ答えだったのでしょうか。
アリエラは目を丸くしました。
その反応に、エストレアは苦笑します。
「俺はこれでも、奴隷制には反対なんだよ」
「でも、あの子は……」
「リンネはワケありだ。元の持ち主が面倒見きれなくなったのを引き取って、自立できるまで世話してる。本人がまだ馴染めてないから首輪をしてるだけで、いつでも外していいと言ってあるよ。鍵だって渡してあるし」
困惑したアリエラが、リンネを見ました。
本当ですか? と問われている気がします。
リンネは慌てて、ポケットに入れてあった小さな鍵を引っ張り出しました。
黒いそれは、リンネの首輪の鍵です。
エストレアから、自分の意志で使えるように、と渡されたものです。
アリエラは困惑した顔のままでした。
ただ、鍵を見てとりあえず納得したのでしょう。
小さく頷いて、エストレアに向き直りました。
「そういうことでしたら、わかっていただけるはずです。わたくしは、すべての奴隷の解放を目指して旅をしているのです」
「……そこの連中は、あんたの旅の成果か?」
労働者風の人々を指して問うと、アリエラは少し嫌そうな顔をしました。
「皆、わたくしの考えに賛同してくれた同志たちです。成果などという言い方は、やめてください」
「そうかい。そいつは失礼した」
エストレアは肩をすくめると、ところで、と話を変えました。
「話を聞く限り、王宮を襲撃する必要性はまったく感じられないんだが、今回のこの騒ぎはどういうことなんだ? いい迷惑なんだが」
「今日、ここに集まっているものたちは、奴隷を酷使している富裕層たちです。彼らがいる限り、この国から奴隷制はなくなりません」
アリエラは悲しげに言いました。
「わたくしは長い時間をかけて、彼らに奴隷を解放するよう訴えてきました。書簡を送り、対話を求めてきました。けれど誰一人、わたくしの話に耳を傾けるものはいませんでした」
「だから強硬手段に出たと?」
「こうでもしなければ、彼らはわたくしの話を聞いてくれませんから」
「こんな状況で話をして、果たして真意が伝わるかな」
エストレアは呆れ顔です。
「暴力で脅して話を聞かせるのと、暴力で脅して奴隷を従わせるのと、なにが違う? 結局あんたも、暴力で他者を支配しようとしているだけじゃないか?」
「そんなことは……」
「姫神子を侮辱するな!」
魔法使いの男が、怒鳴りました。
激しい怒りを含んだ、轟くような声。
周りにいた『同志たち』も、それにつられるようにして口々にエストレアを非難しました。
「みんな、落ち着いてください」
アリエラがそう言うまで、非難の声は止みませんでした。
「ずいぶんと愛されてるようで、なにより」
エストレアはうんざりした顔になりました。
「それで、ここまで来たって事は国王陛下相手にも説教するつもりってことか?」
「それもあります」
「あるのか……」
「ですが、本来の目的はまた別のものです」
アリエラはそう行って、若葉色の目で国王を見据えました。
「わたくしには、長年探し求めているものがあるのです」
「なにかね」
掠れた声で、国王が応じます。
「十年前、山間の集落から回収された遺物──」
エストレアが、眉を寄せました。
ノイエが、身じろぎをします。
「『ロニアの聖鎧』と呼ばれる遺物と、それに関する古文書。──それを、わたくしに譲り渡していただきたいのです」
◇◇◇◆
ロニア。
それは、今は失われた古き神の名前です。
神話の中に、僅かにその存在を残す女神。
今はもう、誰にも信仰されていません。
時の流れに埋もれ、信仰は朽ちました。
──かつて、失われた古の信仰を残す村がありました。
山間の小さな集落には、他の地では失われたロニア神への信仰が残っていました。
そしてその信仰故に、その村は狂信者によって焼かれ、灰になりました。
その村は、エストレアとノイエの故郷でした。
今はもう誰も住んでいません。
竜の縄張りになって、誰も近づけなくなりました。
「『ロニアの聖鎧』……?」
国王は、訝しげな顔でその言葉を繰り返しました。
「十年前、巡礼の一団によって山間の集落が焼かれた事件があったと聞いています。事件の後、一部の祭具は王立騎士団によって回収され、国庫に収蔵された。そうですね?」
「ああ、それは……そのとおりだ」
「村には、遺物があったと聞いています」
「それは、誰が……」
「お答えできません」
アリエラはきっぱりと拒みました。
「本物の遺物であれば、火災で焼けてしまうようなことはない。おそらくは騎士団に回収され、国の宝物庫にでも収められているのだろう。そう聞きました」
「いや、その……たしかに、当時の村から回収されたものは、宝物庫に収めてある。しかし、『聖鎧』とは……」
国王は困惑した顔で、隣にいた老人を見ました。
「じい、覚えはあるか」
「いいえ、陛下。そのようなものはなかったかと……」
老人は袖口で額の汗を拭いました。
「あの村から回収されたのは、そのような大それたものではありません。神殿の焼け跡から見つかった焼け焦げた神像と、祭儀用の器や燭台がいくつか。それと、書物が数点。それだけだったと記憶しています」
「本当ですか?」
疑わしげなアリエラの視線に、老人は身体を震わせました。だらだらと冷や汗をかきながら、何度も頷きました。
「本当ですとも。たしか、あの件には神殿騎士団も関わっていたはず。もし遺物が見つかったとなれば、彼らが見逃すはずがありません。最低でも目録への記録は行うでしょう。しかし、そのような遺物の記載はなかったはずです」
「そうですね。目録には載っていませんでした。……見つかった書物というのは?」
「農業指南書が数冊と、薬用植物の一覧だったと記憶しております」
「…………」
アリエラは難しい顔で考え込みました。
今の話が信じるに足るものか、考えているようです。
近衛兵たちが、そんなアリエラを捕らえようと踏み出しました。
セトが機敏に反応して、前に出ます。
『同志』たちも、武器を構えました。
結局は睨み合いになって、どちらも動けません。
じりじりと時間だけが流れました。
「……わかりました」
やがて、アリエラはそう呟きました。
「信じましょう。ここに、わたくしの求めるものはない」
「……なぜ、遺物を探している?」
エストレアが問います。
厳しい目が、アリエラに向けられていました。
「その遺物はどういうもので、なんのために探しているんだ?」
「あれは、ロニア神に所縁のある遺物です」
「ロニア?」
エストレアは、知らぬふりをしました。
「救済女神ロニア──今は忘れ去られた、古き神格です」
「…………」
「わたくしは、ロニア神を信仰しているのです」
アリエラはにっこりと微笑みました。
「きっと、ロニア神なら弱きものを救ってくださる。そう信じているのですよ」
「それと、遺物と、なんの関係が?」
「ロニア神への信仰を、取り戻したいのです」
ロニアは失われた女神。
その信仰も。
その神話も。
今はもう、ほとんど残っていません。
その名前すら、知っている者は限られています。
「ロニア神にまつわる器物や物語は、どれも歴史の中に埋もれてしまいました。わたくしはそれを掘り起こして、もう一度人々の目に触れさせたいと思っています。そしてもう一度、人々に信仰して欲しいのです」
「それは、なぜ?」
「多くの人に知って欲しいのです。弱きものを救ってくださる神が、この世界にいること。そして、弱きものを虐げれば、神の怒りを買うということを」
「その信仰によって、奴隷の解放を推し進めるつもりか」
「それは、目指すものの一つですが、全てではありません」
アリエラは凜とした目でエストレアを見返します。
「わたくしは、辛い思いをする人が一人でも減ったらいい。そう思うのです。そしてロニア神への信仰は、その一助になると信じています」
「他の神々への信仰では駄目なのか?」
「駄目です」
「なぜ?」
「人のための神ではないからです」
「…………」
エストレアは無言で、しかし確かに頷きました。
リンネにはその意味がわかりません。
人のための神ではない。
それは、どういうことでしょう。
神々は、人々を見守っている存在のはずです。
リンネは、他ならぬエストレアからそう教わりました。
神様は、この世界の全てを生み出した存在。
そして、この世界の全てを守っている存在。
全てが神々によって作られ、守られている。
そう教わりました。
それなのに、人のための神ではないとアリエラは言います。
エストレアも、それに頷き、反論しません。
それは、どういう意味なのでしょう。
リンネにはわかりません。
聞いてみたいと思いましたが、今はそれどころではありません。
「これ以上の話は、時間の浪費にしかなりませんね。──セト」
「はい」
黒い影が進み出ます。
「目的のものは、ここにはありません。撤退します」
「承知しました」
セトは低い声でそう応じると、ぱっと両手でなにかをばらまきました。
ほとんど同時に、横合いから身体が引っ張られました。
リンネは床に転がりました。
かつっと音がして、目の前になにかが落ちてきます。
黒い、巨大な針のような。
見覚えがあります。同じものを、さっきメーラが叩き落としていました。
「──高貴なる金の君。天かける牙。白雷の王。忠実なる臣民に、その剣を貸し与えたまえ」
「全員動くな!」
アリエラの声。そしてエストレアの声。
ノイエがリンネに覆い被さります。
轟音と閃光が、世界を粉砕しました。
◇◇◇◆
頭がくらくらします。
音が聞こえません。
目の前が、ちかちかしました。
「生きてるな」
ノイエの声が、遠くでしました。
顔を上げると、すぐそこにノイエの顔があります。
まだ、耳が少しおかしいようです。
のそのそと身を起こして、辺りを見回します。
目に入るのは瓦礫と土埃。
そして薄青い、透き通った壁のようなもの。
「?」
手を伸ばしてみると、かつんと音がしそうな程に硬いのがわかります。
それがリンネとノイエの周りをぐるりと覆っています。
目をこらすと、土埃に混じって金の粒子が舞っているのが見えました。
霊素魔法の青と、金の粒子。
これは、エストレアの魔法です。
がこんと、目の前の大きな瓦礫が動きました。
「リンネちゃん! ノイエ! 無事!?」
「はい」
「問題ない」
「ちょっと、待ってね」
メーラはあっさりと大きな瓦礫を退かしました。
のそのそと立ち上がって、ふと頭上を見上げると、星がきらめいているのが見えました。
天井が、まるごとなくなっています。
いいえ、それだけではありません。
床にも大穴がぽっかり開いていました。すぐ下の部屋と、その下の部屋と、更にいくつか下の階まで見通せるほどの深い穴でした。
辺りはすっかり、吹き飛ばされていました。残っていた壁も家具も吹き飛んで、隣の部屋まで滅茶苦茶です。
「あの女、無茶苦茶しやがる」
大穴を見下ろしていたエストレアが、不機嫌な声で呟きました。
見たところ、怪我はないようです。
王も側近も、近衛隊も、皆無事のようでした。
アリエラの姿はありません。
セトも、他の者たちも、いなくなっています。
襲撃者は、一人残らず立ち去っていました。
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