“落星”の魔法使い
「さっきの人たち」
王の部屋へ通じる廊下を走りながら、メーラが呟きます。
「みんな、労働者っぽい服装だったわね」
「半分は奴隷」
ぼそりとノイエが応じます。
「首輪をしていた?」
「いや。ただ、首回りに傷跡があった。──こいつと同じだ」
そう言って、リンネを一瞥します。
リンネは思わず、自分の首元を触りました。
ストールに隠されたそこには、冷たい首輪。
そしてそれによってできた傷跡があります。
長く首輪をつけていると出来る、首輪の跡。
重い金属の首輪が擦れて、傷になるのです。
それを繰り返すと、やがて跡が残ります。
肌の色が変わり、肉が盛り上がります。
そうして、消えない傷跡になるのです。
「そう……」
メーラは眉を潜めました。
「リンネちゃんの話のとおりなら、奴隷の解放が目的なのよね? みんな、解放された奴隷ってことかしら」
「知らん」
ノイエの返事は切って捨てるようなものでした。
「それより、こいつは置いてきた方がよかったんじゃないか。役にたたんだろ」
こちらを見ることはありませんでしたが、それは明らかにリンネのことを言っていました。
「ついてくるだけで精一杯じゃないか」
「ここの連中が、リンネを守ってくれると思うか?」
エストレアは振り向くことなく、そう答えました。
「放置ならいい方だ。下手したら適当な囮か盾にされかねない。俺は、そこまでここの連中を信用してない」
「だが……」
「あとなあ、役に立たないって言うけど、この前お前をとっ捕まえられたのは、リンネがいたからだぞ。適当言うな」
そう言ってから、ああでも、と首を傾げます。
「リンネの足で俺たちについてくるのはしんどいか」
「私が抱えて走るわ」
言うが早いか、メーラがリンネを掬い上げます。
リンネは咄嗟にメーラの首にしがみつきました。
まるで、真っ正面から抱き合っているかのよう。
リンネはメーラの肩越しに、後ろを向いています。
まっすぐな廊下。
窓の外から月明かりが差し込んでいます。
その光が届かない最奥には、青黒い闇がわだかまっていました。
走っているので、見えている景色が上下に跳ねています。
その中で、なにかが動きました。
一瞬、気のせいかと思いましたが、違います。
「メーラ様。うしろに、なにか」
ぐっと、メーラの腕に力がこもります。
「エスト! 後ろ!」
「!」
エストレアは機敏に反応しました。一足で踏み切り、方向転換します。
「先行け!」
メーラとノイエは足を緩めず、エストレアを追い越します。足を澱ませていた案内役の兵士を、ノイエが急かして走らせました。
廊下の向こうで蠢いていたものが、月明かりの下に姿を見せました。武装した労働者風の人が、五人、六人。
エストレアが魔法を放ちました。
圧縮した霊素特有の、青い閃光。
小さな光弾が爆ぜて、辺りを吹き飛ばしました。
光が収まった後には、粉砕された壁の瓦礫と、床に倒れた労働者たちがいました。
ぴくりとも動きません。
死んでしまったのでしょうか。
エストレアは、むやみに人を殺さない、とよく言います。
それは褒められたことではない、と言います。
そして実際、エストレアは人を死なせません。
例えこちらに刃を向けた相手でも、死なせずに済むならそうします。
どんな悪党であっても、命が助けられそうならば助けようとします。
けれど、同時に。
エストレアは、必要ならば人を殺すのもやむを得ないと言います。
自分たちの身を守るのに必要なら、そうすると。
リンネも、それはわかります。
なにもおかしくはありません。
でも実際に、エストレアが誰かを殺したかもしれない、と思うと、お腹の辺りがきゅうっと縮まりました。
彼らは、死んだのでしょうか。
エストレアは、彼らを殺したのでしょうか。
エストレアは踵を返し、先行していたリンネたちを追いかけます。
メーラに抱えられたままのリンネと、目が合いました。
薄紫の目が細められて、唇の端が少し上がります。
「大丈夫だよ」
そう言われた気がしました。
実際に、そう言ったのかはわかりません。
リンネの気のせいかもしれません。
最近は、そういうことがよくあります。
だから、わかりませんでした。
◇◇◇◆
廊下の突き当たりに、大きな扉がありました。
この豪奢な城の中で、とりわけ豪華で大きな扉です。
その前に二人、立ちはだかるように立つ槍を持った男たちがいました。
「! 何者だ!?」
「止まれ!」
二人は揃って、こちらに穂先を向けます。
しかしその時にはもう、ノイエが懐へ滑り込んでいました。長槍では、それに対応できません。あっという間に一人の顎を殴りつけて、意識を奪います。もう一人の胸ぐらを掴んで引き寄せて、腹に膝をたたき込みました。
げえ、という声を上げて、男はその場に崩れ落ちます。
「陛下っ! ──くそっ、開かない! 陛下! ご無事ですか!? 陛下!」
「どけ」
扉に飛びついた案内役の兵士を、ノイエが引きはがします。
メーラが廊下の端で、リンネを下ろしました。
そのすぐ横を、青い光が駆け抜けます。
豪奢な大扉は、周りの壁を巻き込んで粉砕されました。
続けざまにひゅうっと音を立てて風が吹いて、細かな破片が一掃されました。
ノイエとメーラが先行して部屋に踏み込みます。エストレアと案内役の兵士が続き、リンネは最後尾です。
「まだ死体はなさそうだな。いいことだ」
部屋の中を見回したエストレアが、そんな軽口を叩きました。
広い部屋でした。
高い天井。大きな窓。重厚な執務机。豪奢なソファ。ふかふかの絨毯。細やかな細工の施された書棚。みっしりと収まった革張りの本。きらびやかながらもどっしりとした、落ち着きのある部屋です。
そこに、たくさんの人がいました。
武装した一団。
それに相対する近衛隊の兵士たち。
その後ろに立つ、白髪頭の老人。
そして、そのさらに向こう。
一番遠く。大きな窓を背に立つ、大柄な男の人。
腰に佩いた剣に手をかけ、険しい顔をしています。
いっとう豪華な服を着て、明るい茶色の髪をなでつけた、初老の男です。肌の色から、大地の民であることがわかります。榛色の目が、リンネたちを見ていました。
その色の組み合わせに、見覚えがあります。
「陛下!」
「ああ、あれが王様? うーん、想像してたよりはいい人そうねえ」
メーラが場違いな感想を呟きます。
「さて、どうしたものかしら」
「投降してくれたら、一番話が早くて良いんだがなあ」
エストレアがそう言って、敵の一団を見ました。
やはり、労働者風の格好をしています。
ただ、一人だけ雰囲気の違う人がいました。
魔法使いらしい、若い男です。
濃紺のローブ。金属製の杖。少し神経質そうな顔つき。髪と瞳は栗色で、肌は黄味を帯びた白。こちらも、大地の民です。
「何者だ、貴様」
「こっちの台詞だ。いきなり王宮を襲撃してくるなんて、どこのどいつだ?」
「答える筋合いはない」
男は杖を構えると、目を閉じてなにやら念じ始めました。
周りにいた労働者風の人たちが、そんな魔法使いを守るように展開します。
ノイエがちらりとエストレアを見ました。
エストレアは動きません。魔法使いの男の様子を見ています。
ばらりと触媒がばらまかれました。
「業火よ、我が敵を焼き尽くせ!」
ごうっと音を立てて、炎が噴き出しました。
渦を巻きながらエストレアに襲いかかります。
火の粉混じりの熱風が吹き付けました。
「リンネちゃん、下がって」
言われるまでもなく、慌てて壁際まで下がります。
「建物内で火を使うとか、馬鹿なのかお前は」
エストレアがそう言うのが聞こえました。
同時に、ざあっと冷たい風が吹き抜けます。
渦巻いていた炎がくるくると巻き取られるようにして、エストレアの杖の先に吸い込まれていきました。
しゅん、と気の抜けるような音と共に、火の粉一つ残さず消えてしまいます。
あまりもあっさりと消えてしまったことに、リンネも、他の人たちも、ぽかんとしてしまいました。
落ち着いているのは、エストレアを除けば、メーラとノイエ程度のものです。
「エスト、怪我は?」
「ないよ。……ああ、服が焦げたかな?」
「後で繕わないといけないわね」
「いや、これくらいは別に──」
雑談をする二人を憎々しげに見ていた魔法使いの男が、ふっと、表情を変えました。
「……エストだと?」
エストレアの杖を見て、目を見開きます。
「三連の星。七芒星の刻印。大地の紋章──まさか、貴様。“落星”のエストレアか!?」
「あ?」
エストレアは盛大に顔をしかめました。
「てめえ、そのあだ名知ってるってことは、ただのポンコツじゃねえな?」
「ぽ、ポンコツだと!?」
「部屋の中で高威力の火の魔法を使う奴は、満場一致でポンコツだろ。仲良く焼き肉になる気だったのか?」
「く……っ」
言い返せなかったのか、男は言葉に詰まりました。
「ねえ、エスト」メーラが興味津々な様子で聞きます。「“落星”ってなあに?」
「一時期、俺についてたあだ名。……恥ずかしいからあんまり呼ばれたくないし、知られたくない」
「恥ずかしいの?」
「あんまりいい経緯でついたあだ名じゃないからな」
エストレアは、はあ、とため息をつきました。
「俺、学生だったことがあるんけどさ」
「知ってる。二年で辞めたんでしょ?」
「卒業したんだよ。──とにかく、その学校にいたときにさ。ちょっとした興味本位で、図書室にあった持ち出し禁止の魔道書を持ち出したんだよ」
「あらまあ。──それで?」
「適当に開いたページに書いてあった魔法を、使ってみた」
「うん」
「そしたら、星が落ちてきた」
「うん?」
メーラは頭上を指さします。
「星って、あの星? 夜空できらきらしてる」
「それ」
「あれが落ちてきたの?」
「そう」
「すごいじゃない。綺麗だった?」
「……たぶん、お前が想像してるような夢のある感じじゃないぞ。きらきらした手のひらサイズの星が降ってくるわけじゃない」
「えっ、じゃあ、なにが落ちてくるの?」
「燃える岩」
「……星って岩なの?」
「そう」
「えー……」
「そんながっかりするなよ」
エストレアがくしゃくしゃと自分の髪をかき回しました。
「もうね、後が大変だったんだよ。辺り一面吹き飛んだから」
「それは、その岩が落っこちたから?」
「いや、落ちてくる途中で爆発して、その衝撃波で。星自体はその時に砕けたみたいで、破片しか見つからなかった」
「それでついたあだ名が“落星”?」
「いや、その件で死ぬほど怒られて、星取り上げられて卒業が半年延びた。──俺のいた学校はな、卒業するのに必要な試験を受けて合格証を集めないと、いつまでも卒業できないシステムだったんだよ」
「その合格証が、星?」
「通称な。……“落星”ってのはな、実際に星を落としたやつって意味でもあるけど、問題行動で一度は取得した星を取り上げられた、落第野郎って意味でもあるんだよ」
「なるほど。それは不名誉ね」
「だろ?」
エストレアは深々とため息をつきました。
「卒業して、呼ばれなくなったと思ったのに。あんた、どこでその呼び名を知った?」
「……私は、お前と同じ頃にあの学園に在籍していた」
魔法使いの男は忌々しげにいいました。
「お前は有名だったよ。入学してすぐ、あっという間に俺たちを追い越していった。誰にも発動できなかったはずの魔法を使ってみせ、問題行動を山ほど起こし、幾度となく指導を受けながら、最後は聖名を授かり、ほんの二年で学園を去った。過去最速だったそうじゃないか」
「へえ」
「天才だと、誰もが褒めそやしていたよ」
「ハア?」
エストレアは苛立ちを隠さず、顔を歪めました。
「あの連中、俺の努力を才能の一言で片付けやがったのか」
腹立つ、と毒づくエストレアを、男はいよいよ憎らしげな目で睨み付けました。
「何故だ」
「なにがだよ」
「何故、お前のような若造が……周りに迷惑ばかりかけていた問題児のお前が、どうして聖名を授かることができたんだ!」
「それこそ知るかよ。神々の考えることを、人が理解できるもんか」
「────」
男はなにかを呟きました。
聞き取ることはできません。
ですが、予想は出来ます。
なにか悪態をついたか。でなければ、エストレアを侮辱するようなことを言ったのでしょう。顔を見れば、なんとなくそれがわかりました。
「──殺してやる」
憎悪の籠もった声。
切りつけるような目。
しかしエストレアは動じません。
涼しい顔で、その視線を受け流しています。
「やってみろ」
「言われなくとも……っ」
男は杖を構え──そして、顔色を変えました。
「なに……?」
ぐっと杖を握り直し、目を閉じます。
ぶつぶつと口の中でなにかを唱えていますが、なにも起こりません。
表情に、焦りが浮かび始めました。
まわりで見ていた労働者風の人たちも、それに気付いたのでしょう。落ち着きなく、視線を彷徨わせています。
「無駄だよ」
エストレアが静かな声で告げます。
「お前の呼びかけに応えるものはいない」
「なぜ……」
魔法使いの男は目を開けて、辺りを見回しました。
焦りと、不安の浮かんだ顔。
唇が色をなくして震えています。
「なぜだ!? なぜ、交霊ができない!?」
交霊。
精霊魔法を使う上で必ず行う、一連の手続きです。
精神を集中し、精霊に呼びかけ。交渉を行う。
この一連の手続きによって、魔法の内容と必要な対価が決まります。
この手続きなく、精霊魔法を使うことは出来ません。
「なぜ誰も呼びかけに応じない!」
「俺がそう頼んだからだ」
エストレアは当然のように答えました。
「次に太陽が地平から現れるときまで、この男の呼びかけに答えないでくれってな」
「そんな……馬鹿なっ! そんなことをしている暇は……」
そこでぴたりと、男は口を閉ざしました。
怖ろしいものを見る目で、エストレアを見つめます。
「そういえば、エストって魔法を使うのが速いんだったわね」
メーラが独り言のように呟きます。
リンネも、覚えています。
指揮官の男が言っていました。
優れた魔法使いほど、交霊にかかる時間は短い、と。
エストレアほど速い魔法使いは見たことがない、と。
リンネはその時、その意味がよくわかりませんでした。
魔法使いが魔法を使うところを、それまで見たことがなかったからです。
でも、今なら少しわかります。
魔法使いの男は、魔法を使うまでに少しばかり間が開いていました。
杖を構え、目を閉じて、なにかを唱えていました。
あれは、交霊をしていたのでしょう。
ああして、精霊たちに呼びかけ、交渉をしていたのでしょう。
エストレアは、ああいったことはしません。
触媒をばらまいて、次の瞬間にはもう魔法が発動します。
指揮官の男が言っていた速さとは、そういことでした。
「精霊時間、というものがある」
エストレアが突然、そう言いました。
「俺たちが生きている物質界と、精霊たちが暮らす精神界は、全く同じ形でぴったりと重なっている。だが、その法則は大きく異なる、と言われている。その代表的な要素の一つが、時間だ。俺たちの感じる一秒は、精霊にとっては五分近い時間が経過する。そして俺たちが精霊と交渉を行う際、適用される時間は精霊時間だ」
突然始まった魔法の話に、部屋にいる誰もが困惑していました。
エストレアはそんなことを気にせず、話を続けます。
「つまりな、体感五分で話をまとめれば、魔法を使うのには一秒あれば十分なんだよ」
「馬鹿を言うな……」
魔法使いの男が、呻くように呟きます。
「それはあくまで交渉にかかる時間だ。それも、理論値でしかない。精神界へ意識を接続するのには精神統一が必要だし、交渉が五分で終わることなど……」
「それは修練不足だろ」
エストレアは、反論を切って捨てます。
「精神統一なんぞ、修練を繰り返せば一瞬で切り替えが出来る。交渉に時間が掛かるのはお前の交渉能力が低いか、でなければ信用がないんだろ。ちゃんと毎日お祈りしてるか?」
「…………」
男は沈黙しました。
「常日頃から神に感謝し、祈りを捧げるべし。──大賢者ミカだってこう言ってる。精霊は精霊主を祖とし、精霊主は神々を祖とする存在。彼らはそのルーツに並々ならぬ誇りを持っている。だからこそ、神々への敬意なきものには手を貸さない。──学園で、散々言われたことだろうが」
エストレアは呆れた顔で言いました。
こそりと、ノイエが囁きます。
「あいつ、もしかしてすごい魔法使いなのか?」
「ええ、そうよ」
メーラが、これまたこそこそと小さな声で答えます。
「本人は、まったくそんなつもりないけどね」
「ふーん……」
「たぶん、同レベルの魔法使いとなると──」
メーラは突然、ぱっと背後を振り返りました。
粉砕されたドアを、その先の廊下を、じっと見つめています。
その様子に、ノイエが身構えました。
「……どうした?」
廊下は静まりかえっています。
動くものはなにもありません。
ですがメーラは、緊張した鋭い目でそちらを見つめています。
その様子に、ノイエも顔を強ばらせています。
ふっ、と。
一瞬。
空気が動いた気がしました。
「──来る」
夏空色の目が、見開かれます。
「エスト! 廊下!」
「伏せろ!」
ぐねり、と。
空気がたわみました。
そうとしか言いようのない、異様な空気の変化。
ぶわりと膨れあがる、大きな力を感じます。
それは明らかに、危険で。
そして、明らかにこちらに向けられたものでした。
メーラがリンネを抱えて、ソファの後ろに飛び込みました。
同時に、光が。
真っ白な光が、さあっと差し込んで。
音が消えて。
色が消えて。
そして。
無音。
衝撃。
────。
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