生誕祭

 お城は、とても大きな建物でした。

 高い壁に囲まれていて、その先に更に背の高い建物があります。細長い塔がいくつも伸びて、夕暮れ時の空に突き刺さっていました。

 あちこちで、豪華な旗がばたばたと風に吹かれています。

 街の方からは、楽団が奏でる音楽が微かに聞こえてきました。

 どうやらお祭り気分なのは、お城だけではないようです。

 今日は、生誕祭。

 第一王子の十七歳の誕生日を祝う日です。

「いかにも金持ちって感じ」

 王宮へ通じる橋に並ぶ豪奢な馬車の列を見て、メーラはそう呟きました。

 いつも通り、ミルク色のマントで頭から足元まですっぽり覆い隠しています。

 メーラだけではありません。エストレアも、ノイエも、そしてリンネも、服装はいつも通りです。

 本当は、舞踏会の服装にはたくさんの決まり事があります。王宮での舞踏会ともなれば、着るものはいっとう高価なドレスやスーツ。身につける宝飾品も、これ以上ないほど美しく輝かしいものでなくてはいけません。色、形、素材、細工。どれも一級品で揃えるのがマナーというものでした。

 出入りする商人や労働者も例外ではありません。彼らもまた。上等な服を着て、身なりを綺麗に整えて王宮にやってきます。招待客ほどではなくとも、相応に着飾らなくてはいけません。

 しかしエストレアは、そんな面倒なのは嫌だと言って、きっぱり断りました。いつも通りの服装、いつも通りの装備。それが認められないのなら、絶対に参加しない。──そう主張し、そして押し通しました。

 きっとまた、指揮官の男が大変な思いをしたのでしょう。

 ともあれ。

 そういうわけで、リンネたちはいつも通りの格好です。

 さすがに正門を通ることは出来ず、裏手にある通用門から王宮に入りました。王宮で働く人たちや、商品を運び入れる商人たちが使う、仕事用の出入り口です。こちらも、とんでもなく混み合っていました。一人一人持ち物を確かめられているので、時間が掛かります。

 居並ぶ人々の横を、エストレアを先頭に進みます。リンネたちは、指揮官の男によって特別な通行証を作ってもらってあるので、審査は受けませんでした。

 荷物を満載した馬車の横を通り抜けたときでした。

 門番に指図されながら荷物を動かしている人たちの中に、見覚えのある顔を見つけました。

 灰色の髪。薄茶色の目。そして頬に浮かぶ、花びらのような赤い痣。

 街に出掛けたとき、路地裏にたたずんでいた少年です。

 でも、あの時とはずいぶん雰囲気が違います。

 ぼさぼさだった髪は、さっぱりと短く整えられています。顔にも手にも、汚れ一つ見当たりません。着ている服は、どれも労働者のものとしてはかなり上質なものです。新品なのでしょうか。汚れ一つ、ほつれ一つありません。布地は滑らかで、形はぴたりと身体に合っています。

 なにより、その細い首には首輪がありませんでした。

 前に見たときは、間違いなくあったはずです。

 人違いでしょうか。

 でも、特徴的な痣は間違いなくあの少年のものです。

 気になって見ていると、それに気付いたのでしょうか。少年が、ちらりとリンネたちの方を見ました。それは本当に一瞬で、すぐに作業に戻っていきます。

 リンネにはそれが、なんだかわざとらしく見えました。

 気のせいかもしれません。

「リンネ。どうした?」

 名前を呼ばれて、リンネは自分がだいぶ遅れている事に気がつきました。エストレアたちはもうずいぶん先に進んでいます。

 リンネは慌てて駆け出しました。


◇◇◇◆


 そこは、とてもとても広い部屋でした。

 天井近くに、真っ白な魔法の明かりがふわふわと浮いています。いくつも。いくつも。ゆっくりと、浮かんだり沈んだりを繰り返しています。

 それに合わせて調度品が煌めき、影が揺らめいて、なんだか不思議な雰囲気がありました。

 深い水の底のような。

 長い夢の途中のような。

「綺麗ねえ」

 天井を見上げたメーラが、そう呟きました。

 光を受けた夏空色の瞳が、宝石のようにきらめきます。

「メーラ」

 エストレアが、囁きます。

 メーラはすぐにフードを下げて、顔を隠しました。

 ノイエがじろりと周囲を見渡しました。

 奇異の視線を向けていたものたちが、一斉に目をそらします。

「……ツノ、見えてないわよね?」

「大丈夫。見えてない」

「よかった」

 メーラのツノはとても珍しいもので、悪党に狙われやすいのです。人目にさらすとなにが起きるかわからないので、普段から隠していました。

「こっちだ」

 壁際の、目立たない一角にあったソファに移動します。

「やっぱり居心地悪いわねえ」

「そうだな」

 広間のなかを見回します。

 部屋の半分ほどは、なにもない、がらんとした空間です。そこで数組のペアが、ドレスのすそを揺らしながらくるりくるりと踊っています。奥の方には楽団がいて、今はゆったりとした音楽を奏でていました。

 もう半分には、料理と食器の並んだテーブルがいくつもありました。どうやら、そこから自由に料理を取り分ける形式のようでした。

 招待客たちはテーブルの間に立ち、グラスやお皿片手に楽しげに話しています。あるいは、リンネたちの様に端の方にあるソファに座っている人もいます。

「お飲み物はいかがですか?」

 洒落た衣装の使用人が、グラスの載ったトレイ片手にやってきます。グラスの中身は、白く濁った液体です。一つもらって飲んでみると、甘酸っぱい味の、さっぱりとした飲み物でした。

「主役は不在?」

「王族は、朝からパレードだの式典だので忙しかったからな。ついさっきまで神殿での祭儀をやってたはずだし、しばらくは顔出さないよ。少し休憩もするし、着替えもあるだろ」

「じゃあ、さっさと挨拶してお暇するってわけにはいかないのね」

「そうだ。諦めて料理でも楽しむしかない」

 エストレアとメーラがそんな話をしている横で、リンネはぼんやり考え事をしていました。

 お城へ入るときに見た少年のことです。

 少年は首輪をしていませんでした。

 それはつまり、奴隷身分から、解放されたということです。

 彼は、それを受け入れて首輪を外したということです。

 そうとしか考えられません。

「…………」

 リンネは、そっと自分の首元に触れました。

 花模様のストールの下に、硬い感触があります。

 リンネの首輪は、まだ、そこにありました。

 どうしても、外すのが怖くて。

 外してはいけない気がして。

 ──だめだって。

 ──そんなこと、言ったら。

 喧噪に紛れて、そう囁く声がします。

 ──お前は奴隷なんだよ。

 あの少年は、怖くはなかったのでしょうか。

 首輪を外すとき、恐ろしさに震えることはなかったのでしょうか。

 そうはならなかったとしたら、それはどうしてでしょう。

 なぜ、彼は平気で。

 なぜ、リンネは平気ではないのでしょう。

 どうしてリンネは、こんなにも。

 ──痛い思いをするのは嫌だろう?

 ──わかってくれ。

 なにが、こんなにも。

 ──お前がわかってくれないと。

 ──俺が。

 怖い。

 くらくらします。

 ぐるぐるします。

 部屋の中は、ますます人が増えて。

 たくさんの色。

 たくさんの匂い。

 甘くて。苦くて。酸っぱくて。煤けていて。

 混ざっていて。

 増えていって。

「──リンネ」

 エストレアの声がしました。

「はい」

 顔を上げると、薄紫の目がこちらを見ています。

「具合が悪そうだ。どうした?」

「いえ、なにも……」

 大きな手のひらが、額に触れました。

「熱はなさそうだな」

「慣れない場所で、気分が悪くなったんじゃないかしら」

 メーラがちらりと客たちの方を見ます。視線の先では、高価そうなスーツの男たちが、パイプを燻らせていました。

「ああいうのもいるし。空気が良くないわ」

「そうだな。少し外で──」

 広間を見回したエストレアが、眉を寄せました。

 人混みを縫うようにして、指揮官の男がこちらへ向かってきます。

「タイミングの悪い。──ノイエ、リンネのこと、ちょっと外に連れ出してやってくれ」

「なんで俺が」

「じゃあお前が指揮官殿とお話しするか?」

「…………」

 ノイエは顔をしかめると、ものを扱うような手つきでリンネの手を取りました。


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