いつか、誰かに教わった
連れて行かれたのは、野外の訓練場でした。
夏の日差しが降り注ぐ中、若い騎士たちが、槍や剣の訓練で汗を流しています。
ミルク色のマントをすっぽり被ったメーラが、それを遠目に眺めていました。リンネたちに気付くと、ひらひらと片手を振ってみせます。
「頼まれた通り、的と衝立は置いておいたわよ」
指さした先には、訓練用の的がありました。
エストレアが見習い魔法使いたちへの講義で使っていたのと、同じものです。
そこから少し離れたところには、やはり薄い木の板で作られた、大きな衝立が置いてありました。
「おう、ありがとな」
「大したことじゃないし、いいけど。それより、なにするの?」
「リンネに、なにか身を守れる道具を持たせたいなあと思ってさ」
「護身用に? たしかに、なにかあったほうがいいとは思うけど……」
メーラはリンネを見下ろしました。
「リンネちゃんの体格だと、大きい武器とかはまだ難しいわよね。ナイフとか?」
「それは一応、もう持ってる」
エストレアの元へ来たばかりの頃に、旅道具を一式買い揃えてもらいました。ナイフはその中に含まれています。ロープや小枝を切ったりする作業用のものと、調理用の小さいものです。
調理用の方はともかく、作業用のナイフはそれなりに頑丈なので、護身用にいつでも取り出せるよう、革のケースでベルトに提げてありました。
「リンネの体格じゃ、組み付かれたらほぼ勝てないだろ。ナイフを使う余裕なんて、ほとんどない」
「そうねえ。近づかれたら近づかれただけ不利でしょうね」
「そう。だからもっと早く、相手が寄ってくるのに対して先手を取れる方法を考えてたんだよ」
そう言ってエストレアが出してきたのは、黒っぽい小さな筒でした。大きさも太さも、リンネの手でも握り込める程度です。ちょっと太めの枝くらいでした。
端のから、麻紐が一本、飛び出しています。先の方が輪になっていました。
まじまじとそれを見たメーラが、首を傾げました。
「なに? これ?」
「爆炎筒」
「なんか、だいたい予想がつくけど……危ないもの?」
「それは、実際に見た方が早い」
エストレアに促されて、リンネは恐る恐るそれを手に取りました。
見た目よりずっしりしています。じっくり見てみると、薄手の布袋の中になにかを詰めて筒状に巻き、それをさらに別の布で包んで、きつく縫い合わせてあることがわかります。とても大雑把な縫い目から、作ったのがエストレアであることは明らかでした。
「よし、リンネ。使い方説明するから、よく聞けよ」
「はい」
使い方は簡単です。
紐を引き抜く。
投げる。
距離を取る。あるいは物陰に隠れる。
耳を塞ぎ、身を低くする。口は開ける。
それだけです。
「間違って抜けないようにしてあるから、紐を引くときは強めに引くように」
「はい」
「じゃあ、あの的狙って使ってみて」
「はい」
エストレアはそう言って、自分は衝立の向こうにしゃがみ込みました。メーラとノイエも、言われるままに同じようにします。
エストレアが頷くのを確認して、リンネは手袋をはめました。
右手で筒を、左手で紐を握ります。
強く引くと、一瞬、なにかに引っかかるような手応えがありました。
それでも、きちんと紐は抜けました。
抜けた紐の先が赤く染めてあるのが、その証です。
それを確かめると同時に、リンネは数を数え始めます。
一、二。
じわり、と。
筒を持つ手のひらが熱を持った気がしました。
三、四。
ぽーん、と。
的へ向けて筒を投げます。
狙ったとおり、的のすぐ横に落ちました。
五、六、七。
リンネはそれを見届けることなく、踵を返して駆け出します。
八。
九。
衝立の影に滑り込み、その場に伏せて、耳を塞ぎました。
十まで数えたところで、どかんっという爆発音がしました。
衝立が軽く揺れます。
ぶわりと、熱を持った風が吹き抜けました。
地面が少し揺れて、衝撃が駆け抜けていきました。
当たりが落ち着くのを待って、恐る恐る身を起こします。
衝立の向こうを覗き込むと、そこにあったはずの的はなくなっていました。地面が浅く抉れています。遠くで訓練していた兵士たちが、驚いた顔でこちらを見ていました。
「子供に持たせていい威力じゃない」
視線を巡らせたノイエが、とても正しい指摘をしました。
「直撃したら死人が出るんじゃないか」
「金属片とかは入れてないし、大丈夫だろ。吹っ飛ばされて転けたときに怪我する可能性はあるけど。あれ自体は、せいぜい軽い火傷させるくらいの威力しかないよ」
「威力はともかく、投擲武器っていうのはいいわねえ。リンネちゃん、もの投げるの得意だし」
メーラがにっこり笑ってリンネを見下ろします。
「昔から得意だったの?」
「いいえ」
──こうやって、持って。
──力一杯じゃなくていい。
──勢いを乗せるんだよ。
「教えてもらいました」
「誰に?」
「それは……」
誰でしょう。
思い出せません。
けれど、記憶の奥の奥。
ぼんやりとしたその声。表情。仕草。
どれも、ひどく懐かしいような気がします。
それは、そう、最近よく思い出すあの声と同じです。
心地が良くて、ほっとする、あの声。
誰なのでしょう。
わかりません。
思い出せません。
でも──。
「農場の誰かです」
それだけは、確かでした。
一番初めの場所。
気がついたら働いていた、あの広大な農場。
そこにいた誰かであるのは、確かです。
なぜならリンネはこれまで、そこと魔法使いのお屋敷以外の場所で暮らしたことがないからです。
そして農場にいたときから、リンネはものを投げるのはすこぶる得意でした。
だから教えてくれた誰かは、農場にいた誰かで間違いありません。
「それは……奴隷の誰かってこと?」
「はい」
「そうだったの」
「そういうこと、教えてくれる奴もいるんだな」
エストレアがそう呟きました。
きょとんとしたリンネに、ほら、と言います。
「前に言ってたろ。余計な会話をすると怒られるから、仕事は見て覚えなきゃいけないって」
「はい」
「でも上手い投げ方は、誰かに教えてもらったんだろ。だから、教えてくれる奴もいるんだなって」
「…………」
そうです。
奴隷に余計な会話は許されません。
みんな黙って、自分の仕事をしていました。
リンネだって、そうしていたはずです。
それなのに、どうして。
こんな風に、話しかけられた記憶があるのでしょう。
誰かに教わった覚えがあるのでしょう。
「──リンネ?」
突然黙り込んだリンネの顔を、エストレアが不審そうに覗き込みます。
「大丈夫か?」
「はい」
もやもやします。
なにか、おかしい気がします。
大事なことを、見落としているような。
重大なことを、忘れているような。
なんなのでしょう。
なにがこんなに、引っかかるのでしょう。
わかりません。
「なんでも、ありません」
はっきりとしない嫌なもやもやを呑み込んで、リンネはそう答えました。
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