星杖の魔法使い 2
「俺の知り合いに司祭をやってる奴がいるから、そいつの紹介で引受先を探して──」
「あの」
「まあすぐには無理かもしれないけど──なに?」
「その命令には従えません。申し訳ありません」
「あ?」
リンネの言葉に、エストレアはぎゅっと眉間にしわを寄せました。眠たそうだった顔が、急に怖い顔になります。
「なんで?」
「私は奴隷ですので」
リンネは、奴隷として生まれました
奴隷という生き物として生まれました。
それは最初からそう決まっていたことで、そうでなくなることはできません。人間が生まれてから死ぬまで人間であるように、奴隷は生まれてから死ぬまで奴隷です。人間が鳥になれないように。鳥が魚になれないように。奴隷は奴隷以外にはなれません。
そういう生き物なのです。
辞めるとか、辞めないとか。
そういうものではないのです。
「奴隷は奴隷という生き物で、人ではないです。だから、人としては生きられません。それに、奴隷は働く代わりに食べ物と寝床をもらっているので、辞めたら生きていけません」
「それは──誰かにそう教わったのか?」
「はい」
「誰に?」
「前にいた農場の人です」
「…………」
エストレアは眉間にしわを寄せて、首輪から手を離しました。テーブルに放り出してあった手紙を拾い上げ、今度はしっかりと目を通します。
二人のやりとりを見守っていたメーラが、横からそれを覗き込みます
「両親ともに奴隷。……生まれつきの奴隷身分ってこと?」
「そうらしい。つまり、ワケありで奴隷に身をやつしているわけじゃないってことだ」
「生まれたときから、そういう環境で育てられたわけね。奴隷としての生活しか知らないし、それが当然」
「そう」
「これ、あれかしら。思ってたより深刻?」
「そうだな。……そうなんだよなあ」
エストレアはくしゃくしゃと髪をかき回しました。
「奴隷ってのは、みんな、さっさと辞めたがってるもんだとばかり思ってたんだがな……」
「そうねえ。みんな嫌々やってて、辞めていいとなったら嬉々として辞めていくものかと。……どうする?」
「ちょっと、予定を変える。さっきのはナシだ」
「じゃあ、当面は面倒を見るのね?」
「嬉しそうだな。……ここで無理を通したところで、苦労するだけだろ、この子の場合。たぶん、育ってきた常識が違う」
エストレアは椅子に座り直して、リンネ、と名前を呼びました。
それが自分に対する呼びかけだと気付くのに、少し時間が掛かりました。
話の内容がよくわからなくて、ぼんやりしていたせいです。
二人の話は、リンネには難しいものでした。
「とりあえず、クビって言ったのは取り消す。当面は俺についてきてくれ」
「はい」
「ただし、だ。俺たちはお前を奴隷としては扱わない」
エストレアはそう言って腕組みをしました。背もたれに体重を預けます。
「元々、俺たちは奴隷を持つ気はなかった。でも事情を聞いて、これが先生の助けになるならと思って、お前を買い取った。その辺の話は、聞いてる?」
「はい」
「そうか。──そういうわけだから、まあ、はっきり言って奴隷を持ち続ける気はなかったんだ。お前のことは、さっさと奴隷身分から解放して、信頼できる施設に預けるつもりだった」
エストレアたちがそうしようと決めた理由は、いくつかあります。
まず第一に、必要ないから。旅をしている彼らは、自分たちのことはすべて自分でこなします。奴隷に任せるような仕事はありません。
第二に、お金に余裕がないから。奴隷といえども、養わないとならない以上、その元手になるお金はどうしても必要です。しかし二人は旅人で、安定した収入はありません。
第三に、そもそも彼らは奴隷制を嫌っています。彼らにとって奴隷は人です。それをもののように扱うのは受け入れがたいのだそうです。奴隷を売買したり、高圧的に命令する行為は、彼らのポリシーに反します。
他にもたくさん理由があるようですが、エストレアはそれ以上は言いませんでした。『きりがないから』といって、その話を切り上げます。
「とはいえ、だ。お前は生まれてこのかた、奴隷暮らししかしたことがない。そんな状態でいきなり普通に暮らすのはかなり無理がある。──というのが今、わかった。だから当面は俺たちと一緒に過ごして、奴隷ではない生活に慣れたほうがいいと思う。……あんまりわかってないな?」
「申し訳ありません」
リンネは正直に謝りました。
エストレアの言うとおり、実はよくわかっていませんでした。
なんとか理解しようとするのですが、上手くいきません。普通の暮らしとはなんなのか。奴隷暮らしのなにが問題なのか。リンネにはさっぱりわかりませんでした。
リンネにとって、奴隷であることは当たり前のことで、売買をされることも命令をされることも、奴隷である以上は当然のことでした。
しかしエストレアたちは、それを悪いことだと思っているようです。
リンネには、それがわかりません。
なにが駄目で、なにが悪いのでしょう。
考えてみても、まったくわかりません。
かろうじてわかるのは、どうやらエストレアたちにとって、奴隷というものは同情すべき存在であるらしい、ということだけでした。
「まあ、今はわかんなくていいや」
エストレアは、目の前のなにかを払いのけるような仕草をしました。
「それより、今後の話だ。──いいか。将来、どうやって生きていくかはリンネが決めていい。奴隷として生きるのも、そうではない別の生き方をするのも、それは本人の自由だからだ」
「じゆう」
「そう。ただ、何事もそうだが、選ぶためにはまず知らないといけない。知らないままじゃ選択肢にあがってすらこないからだ。わかるか?」
「はい……」
頷いてみましたが、あまりわかっていません。
「だからまず、リンネは選択肢を増やすのが先だ」
「はい」
「幸い、俺たちは旅をしている。色んな土地に行くし、色んな人に会う。今までは知らなかったものをたくさん見るだろうし、知らなかった生き方をしている人に会える。そうやって色んなことを知っていけば、将来の選択肢も増えていく」
そう言ってから、やや口ごもって、
「……と、思う。確約はできないけど」
と小声で付け足しました。
メーラがふふふと笑いました。
「そこは嘘でも断言しなきゃ」
「無茶言うな。先の事なんてどうなるかわかんないんだから、断言なんてできるわけないだろ」
「それは、そうなんだけどね。──あのね、リンネちゃん。あんまり難しく考えなくてもいいのよ?」
メーラは、リンネのほうに身を乗り出しました。
「エストは理屈っぽいからあれこれ言うけどね。一緒に旅をして、色々やってみようねって、それだけのことなのよ」
「ものすごく簡単にいいやがったな」
「だって、エストが難しいこと言うから」
「メーラは適当すぎる」
「エストが細かすぎるのよ」
「…………」
「…………」
二人は黙り込み──そして同時に吹き出しました。
けらけらと笑う二人を、リンネは黙って眺めていました。
どうしたらいいのかわからないので、黙っているしかありません。
ひとしきり笑ったエストレアは目元を拭うと、そんなリンネに微笑みかけました。
「まあでも、メーラの言うとおりだな。色々やってみよう。あんまり身構えないでさ」
「はい」
「うん、いい返事だ」
頷くリンネを見て、エストレアは満足げに笑いました。
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