ツノビト
話がまとまると、エストレアは鞄と杖を持って席を立ちました。
「あら、お出かけ?」
「予定が変わったからな。道具類とか、買い足してくる。その間にリンネのこと、風呂に入れてやって。あと飯も」
「はーい」
「リンネ」
「はい」
「メーラの言うことをよく聞くように」
エストレアはそう言い残して、部屋を出て行きました。
「迷子にならないようにねえ」
手を振って見送ったメーラが、リンネの肩に手を置きます。
「それじゃあお風呂よ、リンネちゃん」
「はい」
「私も入ろうかしら。汗かいちゃったし」
メーラは鼻歌交じりに、リンネを浴室に連れて行きました。狭い洗い場と大きめの湯桶。湯桶には、綺麗なお湯がなみなみと注がれ、湯気を立てていました。
「このお湯はねえ、エストが魔法で作ってくれてるのよ」
普通、浴室付きの部屋に泊まると、部屋代とは別に風呂代がかかります。湯を沸かすための燃料代と、運んでもらうための手間賃です。
どこの宿でも風呂代は安くはないので、浴室のない安い部屋を借りて節約し、身体を洗うのは町の外の川や池、という旅人も珍しくありません。
「エストが自分でお湯を用意できるから、その分、浴室付きの部屋を少し安く借りられるのよ」
助かっちゃうわねえ、とメーラは歌うように節をつけて言いました。
「さ、冷めちゃう前に入りましょ」
「はい」
「お風呂よお風呂~。神のお恵み~」
妙な歌を歌いながら、メーラはマントを脱ぎました。これまで隠されていたメーラの顔が、露わになります。
メーラは、やはり若い女性でした。
くるりとした緩い癖のある撫子色の髪を、頭の後ろで丸くまとめています。肌はこんがりと日焼けをしたような、明るい褐色。瞳は息を呑むほどに鮮やかな、夏空の色をしています。
そして頭の両脇。左右の耳の少し上から天に向かって、ぐねりと捻れた金色の角が一対、生えていました。
「──驚いた?」
ぽかんとして見上げているリンネを見て、メーラはくすくす笑いました。
「私、ツノビトなのよ。ツノビトは知っている?」
「いいえ」
「この大陸じゃあ、あまり見かけないものねえ」
メーラは服を脱ぎながら、簡単にツノビトについて教えてくれました。
ツノビトというのは、その名の通り、頭から角が生えている人のことを言います。
多くは、メーラのように左右一対。時々、額や頭のてっぺんから一本生えている人もいます。ごく稀に、三本や四本という人もいます。まっすぐだったり、捻れていたり、枝分かれしていたり。金色だったり、黒色だったり、焦げ茶色だったり。形も色も、人それぞれです。
「ツノビトの角にはね、いろーんな迷信があるのよ。手にすると、幸せになれるとか。あとは、万能薬になるとかねえ」
そういう迷信を信じた人は、手に入れるためにお金を惜しみません。そしてお金が欲しい人は、そういう人に売るために、ツノビトの角を狙っています。
乱暴な方法で角を奪おうとする人がいるので、メーラは普段、フードを深く被って角を隠しているのでした。
「特に金角は珍しいから、欲しがる人が多いのよ。角は折れたらそれっきりで、新しく生えたりはしてこないから、困るんだけどね。──はい、座って」
木製の椅子に腰を下ろすと、お湯が頭からざぶんとかけられます。レニの根の粉末が頭にかけられて、濡れた髪に揉み込まれました。しゅわしゅわと白い泡が立って、すぐに汚れと混じって茶色くなりました。
「私はねえ、この大陸の生まれじゃないの。三年前まで、海の向こうの土地で暮らしてたのよ」
メーラの生まれ故郷はツノビトが暮らす土地でした。角のない人など一人もいない。そんな土地です。
メーラは訳あってそこを離れ、海を渡ってきたのでした。
「こっちに来てすぐの頃に、たまたまエストに出会ってね。その時に色々教えてもらったの。こっちの大陸の言葉とか、決まり事とかね」
しゃかしゃかとリンネの髪を洗いながら、メーラは言いました。
「あの頃は、私も今のリンネちゃんと同じでね。故郷とはいろんな部分が違っていて、混乱したものよ」
角が様々な人に狙われるものであることも、その頃のメーラは知りませんでした。
もしも最初に出会ったのがエストレアでなければ、とうの昔に角をもがれていたかもしれません。その後の生活も、ずいぶん違うものになったでしょう。
「今、こうして角が二本揃っているのも、言葉を話せているのも、普段の生活で困らないのも、みんなエストのおかげね。──だから、リンネちゃんも心配しなくていいわよ」
「?」
「リンネちゃんがこれから、どう生きていくことになるかは、わからないけど……エストならきっと、いい人生を歩めるように、手を貸してくれるわ。長く旅暮らしをしているだけあって、博識だし、頭もいいし。──ああ、でも。あれこれ考えすぎて、時々一人で突っ走って行っちゃうのが玉に瑕かしら?」
ふふふ、とメーラの笑う声が聞こえます。
「でも、頼りになるのは確かよ。心配いらない。──さ、流すから目を閉じて」
目を閉じて、息を止めます。
ざぶん、とお湯がかけられました。
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