死喰らいの島

狂フラフープ

死喰らいの島

 プロペラ機が高度を下げて、真っ青な水平の小さな緑が近付いてくる。

 穏やかな海面に飛沫を上げ着水すると、背に入道雲を従えた島景が立ち上がる。長く伸びる桟橋の上で、生温い空気と、陽射しと、エンジン音の陰の波音と海鳥の声がぼくを出迎えていた。


 先輩から届いた時代錯誤な大量の手紙の束を収めた封筒には、南の島の消印が押されていた。手紙の他に、島への旅券と一葉の写真。フィルム式のカメラで撮られた思しきその写真には、消印と同じ日付が刻まれていた。

 乗り合わせた乗客の格好で薄々察してはいたが、先輩の故郷、古式ゆかしい因習の残る太平洋の孤島とやらは聞いた話から受ける印象と随分違う。目の前に広がるのはどう見ても因習の香りよりトロピカルなアイランドスケープだ。

 ぼくは手紙の束から、着いたら読むページと題された一枚を探し出す。

(人の故郷を人喰い蛮族の根城だとでも思った? 残念でした。ようこそトロピカル因習アイランドへ。楽しんでいってね)

 

 先輩と出会ったのは、大学の民俗学ゼミだった。

 ゼミ室の片隅に置かれた一番年季の入ったブラウン管テレビで古い特撮映画の擦り切れたビデオを見ながら、先輩は彼女の故郷について教えてくれた。

 半魚人がでないこと以外は、この映画はわたしの地元と同じだ。

 スナックを頬張りながら、ちゃちな特殊メイクを指差して笑う先輩に、ぼくは尋ねた。先輩の地元の半魚人はどんな感じですか?


 足を運んだ先輩の実家はその際に聞いた通り、海辺の小さなダイビングショップを営んでいた。

 御両親がぼくを温かく迎えながら、詳しいことを何ひとつ尋ねなかったのは先輩がそう言い含めていたからだろう。この島での初めての食事を終えたあと、ぼくはもう一度港の方へ向かった。この島へ来た目的を果たす前に、一通りの観光を済ませておくためだ。


 天然の地下鍾乳洞窟を用いて作られた共同墓地は、表の喧騒とも暑気とも無縁の世界で、炎に似せたLEDライトの揺らめきは無数の墓石の影を洞窟の壁面を躍らせていた。伝統衣装を着て椅子に座った島の年寄りが語ってくれる話は学芸員の解説より島の家系図に近い。

 この先で神送りの儀アマヌゥギが執り行われるのだと、老人は教えてくれた。多くの参列者に見守られて送られるのは、島では最上の名誉であるので、遠慮せず見て行って欲しい。そう言って小さな守り刀を渡される。

 神送りの儀にはぼく以外にも多くの観光客が参加している。国の無形文化財として登録されている神送りの儀は、この島の伝統文化であり、また島の観光の目玉として、重要な収入源でもあるらしい。


 神送りの儀は海蝕洞窟を用いた、死者の水葬だ。

 地上まで続く巨大な縦穴から、正午のわずかな時間だけ地下の海面に光が届く。

 深い海溝へと向けて岩壁を削った階段を下り、死者を乗せた神送りの船はゆっくりと海底へ向けて沈んでいく。

 透明度の高い南海の水に満たされた大穴は、地上からの陽光が届くその数分の間だけ、不気味な洞穴から荘厳な聖殿へと姿を変える。

 祈りは反響し、幾重にも重なり合い、遥か海底へ溶けていく。

 美しい光景だった。きっとこの場に居合わせた誰もが、神の存在を信じるほどに。


 神送りの儀の後、参列者は死食儀と呼ばれる会食を行う。

 具体的には、彼らは葬式の後に餅を食う。皆が交代で杵でついた餅を人の形に整えて、故人に見立て口にする。人々は死者から力を貰うのだという。

 思うに、過去には水葬した遺体が腐敗ガスで浮き上がってこないように守り刀を用いて参列者が刺すという行程でもあったのだろう。杵での餅つきは簡略されたその行程の見立てというわけだ。

 そしてあるいは、餅を口にするのもまた然り。


 儀式が終わると、入ってきたのとは別の経路で外に出る。胎内くぐりを思わせる、狭い穴倉を抜け地上へ戻るのだ。

 地上で思い返すと、明らかにおかしな点がいくつかあった。

 たとえば、観光業の繁忙期に合わせて人が死ぬはずもない。死体は本物だった。腐敗こそしていなかったが、死んで間もないものではないのかもしれない。

 だが、それよりも気になるのはまず何より、葬式の数だ。

 儀式のたびに鍾乳洞窟に追加されているであろう真新しい墓石が、あまりに多すぎる。島の人口から推定される葬式の数ではまるで足りぬほどに。

 手紙の束を捲ると、案の定に答え合わせのページがある。

(実のところを言うと、行われる葬式のほとんどは島の住人ではなく無縁仏のものです。もちろん違法性はありません。合法的手続きを踏んで葬儀を引き受けた方々のものです)


 やはりそうかとぼくは得心した。

 こんな小さな島で、住人の葬式など、滅多にあるものではない。

 前回は半年前。島で土産物屋を営む老婆。

 次は明日。本土でぼくと将来を誓い合った、ダイビングショップの娘が死んだ。


 ◇


 縁のない者の死を観光資源として消費する行為は、たしかに眉をひそめる類のことなのかもしれない。だがそれは野球ドームで葬式をやるのと何が違う?

 死者の冒涜。それはぼくが決めることではない。遺族もいない客死人にとっては、人知れず事務的に無縁墓地に葬られるよりも、縁はなくともこうして多くの人に見守られて逝けることは幸福なのかもしれない。

 この島には歴史的に、客死した余所者を盛大に送り出してきた文化がある。

 

 それにしたって、『死人に口なし』とはよく言ったものだと思う。

 口とはいつだって人間が生きるために用いるものだ。語るのも、喰らうのも。

(君ならこの島が、島流しの場所だったってことくらい気付くと思う)

 手紙を読み進める。

 先輩の持って回った言い回しと、島で目にしたものを、ぼくは読み解いていく。

 そもそもこの孤島は、本土との交通が極めて不便な場所にある。外から訪れる人間は皆無と言っていいはずだ。そんな土地で生まれた伝統でありながら、島の客葬文化はあまりにも外部の余所者を前提とし過ぎている。


 だが実際に、多くの余所者たちはこの島を訪れそしてこの島に葬られたのだ。

 ではなぜその余所者はこの島にやってきた?

 導き出される答えは単純明快だ。

 島が余所者を盛大に送り出すのは、騙し連れ込まれた外の人間の、死後の恨みを恐れてのことではないのか?

 身震いするような想像がぼくの脳裏をよぎって、それを振り払うように頭を振る。


 だとして、過去の人間の罪で、今ここに生きる人々を断罪することに何の意味があるだろう。彼らが死肉ではなく死を食らって生きることができるようになったことを今更と罵り、死者に代わってその無念を晴らせとでも?

 島の地形や地理を見れば、かつての住民がどういう生活を送ってきたかは理解できる。共同体を維持するための最低限の人数さえ、この島のもたらす恵みでは満足に養うことは出来なかったのだろう。

 そもそも初めから、葬儀は死者でなく生者のためのものだ。生者がそれを望むなら、死に逝くものがその望みに応える。己の死を糧と差し出すことで、島の人々はこの狭く貧しい島で生き抜いてきた。今も昔も。


 言うまでもなく、先輩はぼく以上にこの島の実相を見透かして居ただろう。

 けれどぼくと将来を誓い合った彼女は、ぼくの目の前を去り、ぼくの知らないこの土地で死んだ。

 自らが糧と喰らわれることを、彼女は望んで島に戻ったのだろうか。

 死を目前にして撮られた写真の中で、彼女はどこまでも明るく屈託のない笑顔を浮かべている。


 人の死を喰らって栄える、この人喰いの島で。


 ◇ 


 決して立ち入るべからず、そう書かれた地下の氷室へと続く扉を抜ける。

 神送りの儀が行われる鍾乳洞の奥へと足を踏み入れたぼくの目に、表に貼られたお札にまるで似合わない、整備された近代的な冷蔵室が飛び込んでくる。そして、棺に納められ安置された無数の死体が。


 氷室は入り組んだ造りをしている。

 凍える空気に震えながら、棺の蓋を開けて回った。病で亡くなる直前、ぼくを島に呼んだ先輩の死体を探すため。

 やっと見つけた先輩は、写真に映る姿よりもずっと痩せこけていて、肌の色も土気色をしていた。

 ぼくは先輩の頬を撫でながら語りかける。

 ぼくは先輩のすべてを誰にも渡したくなかった。

 その死さえ、ぼくだけのものにしてしまいたかった。

 その気持ちは今でも変わらない。


 複数の足音が背後から聞こえてきて、ぼくは思わずその場で伏せる。

 見つかるのは時間の問題だろう。明確にぼくを追ってきたとわかるやり取りを交わしながら、彼らは氷室に踏み込んでくる。

 どう擁護したところで今の自分は死体泥棒だ。

 それでもぼくは、この人を誰にも渡したくなかった。


 手の中の手紙の束には、もはや満足にペンすら握れなくなった彼女の、歪んだ字が並んでいる。


(叶うならあなたと共に生きて死にたかった)


(ごめんなさい。どうかわたしを許してください)


(余すことなくあなたのものになりたかった。島の一部になどなりたくなかった)


 ぼくはようやく理解する。彼女の望みを。

 彼女はこの島を憎んでいた。

 島と、自身を絡めとる因習を、彼女は心の底から憎んでいたのだ。

 けれど抜け出そうとしたこの島へ、結局彼女は骨を埋めることを選んだ。

 ぼくを巻き込みたくなかったから。

 死に逝く自分で、未来あるぼくを縛りたくない。この島の呪われた歴史から、先輩はぼくを遠ざけようとした。

 けれどその必死の強がりは、衰えゆく身体へ貪欲に喰らいつく島の因習に打ち克つことは出来なかったのだと思う。


 そうして彼女は望んでしまったのだ。それが皮肉にも、かつて彼女が悍ましいと逃げ出したこの島の歴史と同じ、罪深い行いだったとしても。

 手紙の束の、涙で貼り付いた最後のページを捲る。

 滲んだ筆跡で綴られた最後の言葉。

 必死に閉ざそうとした口は、最後の最後にぼくに助けを求めてしまった。


 その一言で良かった。

 それが彼女の望みというなら、ぼくにできないことなど、ひとつもない。

 口付けるように、ぼくはきみとひとつになる。

 凍ったように冷たい感触が、喉元を過ぎ、ぼくとひとつになっていく。

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