因習周圏論

るあす

第1話

 日本語学という日本語について研究する学問の論説のひとつに、「方言周圏論」というものがある。柳田國男が唱えた、都などの文化の中心地から離れたところに同心円状に古い言葉が残るといったようなもので、これは概ね正しいことが立証されている。

 柳田國男は日本を代表する民俗学者として広くその名を知られている。民俗学者と聞いた時に多くの人が初めに思い浮かべるのが彼ではないだろうか。

 そんな彼が、方言や古い言葉についての論説である方言周圏論をただそれだけで唱えるものだろうか。――察しの良い方はそろそろお気づきだろうが、そう、実は何を隠そう方言周圏論はただのついででしかなかった。彼の専門分野である民俗学の論説で、風習や因習について同様の考えを唱えた「因習周圏論」こそ彼が本来世の中に発表したかったものなのである。

 本来発表したかった、ということからもわかるように、実際には「因習周圏論」は公にはされていない。論中で具体例として取り上げた因習のある村から抗議されたとも、立場ある彼が発表するには相応しくないと周りから反対されたとも言われている。




 私はこの話を、まだ方言どころか日本語すら自分の口で上手く話せなかっただろう幼少の頃から何度も何度も聞かされ育ってきた。

もちろんその頃に理解などしているはずもなく、思春期の頃には一般的に言われるような反抗期でもあったために聞きもせず、初めてまともに興味を持ったのは2年前、高校3年の夏休みだった。

その頃の私はいよいよ半年後にまで迫って来ていた大学受験に向けて毎日勉強するとともに、志望校や学部など取るべき進路について悩んでいた。

そんなパブリックイメージそのままの受験生らしい日々を過ごしていた夏休みの半分を過ぎお盆を迎えた頃、息抜きも兼ねて母方の親戚の集まりに行くことになった。この集まり自体は毎年恒例のものなのだが、私は部活で忙しいことを建前に中学生で反抗期を迎えてからは一度も行っていなかったため実に4、5年ぶりで、場所が自宅からそれなりに離れた地方ということも相まって柄にもなく浮かれていた。

実際に親戚一同が集まってみればそれはとても喧しくそして忙しない空間であった。数年ぶりの私は挨拶や近況などを会う人会う人に繰り返し話したり食事の準備の手伝いをしたりと勉強の息抜きと言えど休む暇など全くなく、ただでさえじめじめとした暑さだったため汗で全身がベタベタし不快で仕方がなかった。

そんな暑さと喧噪も少し落ち着いた夜のこと、一同が長い机を囲んで食事をとり大人たちに酔いがまわり始めた頃、どうやら幼少時よりここで聞かされていたらしい話が始まった。

そう、因習周圏論の話である。

どうやら母方の親戚は血筋を辿れば遠縁ではあるが柳田國男にもつながるらしく、親戚一同は酔えばすぐにこの話をするらしいことを隣で私に合わせて麦茶を飲んでいた母が教えてくれた。母も子供の頃から聞かされていたらしい。

幼い頃から聞かされていたものの理解できる年齢になってからは初めて聞く因習周圏論の話はとても興味深く、柳田國男と親戚であるということもあって民俗学に興味を持ち、こうして現在大学で専攻している。





 私が通っている大学の民俗学専攻では夏季休暇の間にひとつレポートを書かなければならず、それにはフィールドワークが必須であった。

そのためだけにどこかに行くのも癪なので、私は同じく夏季課題にレポートが課されている観光学専攻の学生で、彼が中学生の頃に転校してきて以来仲良くしている三原を誘って旅行も兼ねることにした。

 方言や古い言葉が強く濃く残っている場所は、方言周圏論で唱えられたような辺境ともいえる地方に加え、山間部や離島などであることが知られている。

私は因習周圏論について学びを深めるためにこれを参考に地方や離島を提案し、三原がそれなら行きたい離島があるから任せてほしいというので完全に任せ、私は出発に向けての準備に専念した。

出発の3日前になっても三原は行き先を教えてくれず、ただ南の島というだけだった。



そして迎えた当日、三原の手配とプランに従い東京から飛行機と船を乗り継ぐことおよそ6時間、ようやく小さな島に着いた。

「とーーうちゃーーっく!」

長旅の疲れなどないかのようなテンションの三原に、もう乗り継がなくていいのかという期待も込めて訊ねる。

「本当に着いた?三原」

「あぁ、着いたぞ、この島が俺たちの目的地だ!」

どうやら着いたらしい。しかし、本当に

「長かった……」

「行き先知らねえとより長く感じるよな、でも楽しませたくてよ」

私から誘ったにもかかわらず面倒な手配を全部引き受けたうえでこういうことを心の底から思ってそして口にできるのが三原だった。きっとモテる、というかモテているだろう。

「三原……なんで彼女いないんだっけ」

「うるせえほっとけ!!ほっとけホットケーキ」

これさえなければ。

「そういやここどこなの?なんていう島?」

「ん?そこに書いてあるだろ」

そういって三原は船着場に立っている看板を指さした。そこにはようこそ灯籠光島へと書いてある。なんと読むのか微妙にわからない。

「とうろうこう……じま?」

「とろぴかるとう、な」

なるほど、とろぴかると読むらしい。って、え?

「とろぴかる?ほんとに?」

「そう思うよな。でもほんとにとろぴかる。信じられねえなら訊いてみろよ」

「訊くって誰に――あっ」

そこまで言って気が付いた。少し離れたところでガイドさんらしき人が待っている。

「あれ、ガイドさん?」

「そう。すいませーーーん!!!!!」

「うるさっ……ってかここから呼ぶの!?」

三原が大声で呼んだからか単にそろそろだと思っただけなのかわからないが、ガイドさんがこちらに歩いて来た。

もちろん私たちもただ待っていたわけではなくガイドさんの方に向かう。

「こんにぃいちぃはぁ、よくきぃてくれまぁしたぁね」

訛っている。かなり強めに。驚き動揺した私をよそに三原が手早く挨拶をする。

「こんにちはっす、よろしくお願いします!」

「お、お願いします」

どもってしまったがなんとか挨拶は出来た。

その後は事前に電話で打ち合わせていたらしい三原とガイドさんの話が続き、今日はすこし早いが宿へと向かうことになった。

船着場から見える限りはなんの変哲もないように見えたこの島に宿なんてあるのかと少し不安になったが、そこは流石にガイドさんもいる島、空き家になった古民家を改装した風情のある宿があった。



案内してくれたガイドさんが、夕飯のときに島総出で歓迎会をするから20時に迎えに来るね、それまでは自由にしていていいよ、と例の強い訛りでいうので――宿に来るまでに数人の島民に出会ったがどうやら彼は島民のなかでも特別訛っている――私と三原はくつろいだりレポートを進めたりしながら過ごしていた。

20時、迎えが来るはずの時間だが5分待てど10分待てどガイドさんが来ない。

「なにかあったのかな」

「んぁ~?待っときゃ来るだろ~ふくさよ~う」

不安になってきた私とは対照的に能天気な三原。さっきまで寝ていたこいつがまだ寝ぼけているのが途端にムカついてきたのでとりあえず肩パン。

「あいたぁっ!!?なにすんだ!」

「目覚まし」

「あのなぁ……」

こんなくだらないことをして時間をつぶし、そろそろ21時になるのではという頃、ようやくガイドさんが迎えに来た。

「ごめんなぁさい、すこしぃおくれちゃぁいまぁした」

これでも少しなのかと驚いたが、そろそろ空腹も限界だったのでガイドさんの後に続いて歩き、島の集会場を目指す。



集会場に着いた頃にはもう一歩も動けないほど疲れていたが、肉の焼ける良い匂いがしたことに気づいた時にはたくさん集まってくれた島民への挨拶や会話もそこそこに、目の前の肉にがっついた。

ひとり残らず満面の笑みで私たちを見ていた島民に気づくこともなく、なんの肉かも訊かぬまま――。












気が付いたときにはビカビカとレーザー状に光を放つライトに照らされ集会場の広場の中心で転がされていた。

ステージライトの隣に置かれたフェスでしか見ないようなスピーカーからは大音量でEDMが流れ空気を振動させていて、それに合わせて島民たちが踊り狂っている。

体を起こそうとするが手足に力が入らず動かない。

「お、起きたか」

三原の声だ。

返事をしようとしたが声も出せない。

「あぁ、無理すんな!いろいろ混ぜられたシャブ肉食ったんだから動けねぇだろ」

EDMの低音が響いて上手く聞き取れない。

「ちなみに肉自体は前の観光客のだ、そういう島でなここは」

三原がなにかを持っている。

「俺この島出身でよ、外から人連れて来る役目の家なんだ」

手だ。足だ。

「音楽聞かせた肉、すげぇ美味いんだ!」

人の――私の。

「今度はお前が食べられる番だなバンダナ」

力が入らないんじゃなく既になかった。

首はつながっている。

「じゃあな、おやすみ~」


首は、転がっている。

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