マミーロイド

あじみうお

マミーロイド

うちにはマミーロイドがいる。見た目も中身も私にそっくりの、コピー型アンドロイドだ。


少子化対策の一環として母体の健康を守るために、産前産後育児中の女性に国から支給されるようになったもので、期間は最長三年間。この支給期間中、私は家にいて、出産に備え、子どもが産まれてからは育児に専念する。代わりに私を外見も能力も完全にコピーしたマミーロイドが仕事に行ってくれるのだ。


導入前、世間からは逆にマミーが子育てを担ってもいいのではないか?という声も上がった。それに対し人権団体や教育専門家の間から「母性が育たず、母と子の絆が芽生えずに育児放棄につながる恐れがある」との反対の声が上がり、使用は仕事への代替え要員と家事の補助に限られた。マミーはいつも穏やかだが、喜怒哀楽がほとんどない。一時期とはいえ、そういう人間以外のものに育てられた場合の子どもへの影響はまだ実験段階で、国としても責任を負いかねたのだ。


ともあれ、マミーロイドの導入により、私は、少なくとも三年間は、子育てか仕事かという選択に悩まされる必要は無くなった。


使ってみるとマミーロイドは想像以上に便利な優れものだった。私の代わりに仕事に行ってくれるだけでなく、子育ての最良のパートナーとなってくれた。赤ちゃんのお世話で、思うように家事がはかどらなかった日には、仕事から帰ったマミーが代わりにやってくれる。体調がすぐれず休みたい時や、自分の時間がほしいときには、子守りも頼める。

マミーは疲れを知らないから、私の持つ能力を常にフルパワーで使えるのだ。


私は、自分そっくりのマミーの働きをほれぼれと眺めた。これが本来の私の能力。私ってすごい。私は、自分の気力と体力が本来有限で不安定なものだという事実などすっかり忘れて、スーパーお母さんになった気分になってしまった。なんでもできる自分。時間を有効に使える自分。私なら育児も家事も仕事も趣味も全てに全力で取り組める。

そんな充実した頼もしい自分の人生について思いを巡らせていたとき、夫が仕事から帰ってきた。


「ただいま。モモはもう寝ちゃった?」


モモというのは、産まれたばかりの娘の名前だ。娘をかわいがっている割に、家事も育児も何もできないのん気な夫に私は失望していた。マミーがいるから手伝ってもらう必要などなかったのだけれど、だからといって、あまりにも何もしようとしない姿には腹が立つ。私は、おかえりなさいというかわりに、一つ大きなため息をついた。


「あなたって気楽よね。家事も育児も何にもしないで、ただ子どものかわいい寝顔を眺めて眠るだけ。それに比べて私はどう?すごいと思わない?仕事に家事に育児にあなたのお世話に・・・なんでもできちゃうからついやっちゃうけど、なんだか不公平よね」


夫はピクリと眉毛をあげて私を見た。


「何だって?すごいのはマミーだろ?仕事も家事も寝かしつけも、全部マミーにやらせているくせに」


「何よ、マミーはあたしの分身よ。マミーがすごいのは私がすごいからでしょ。ああまったく、あなたなんかいなくたって、この家じゃ誰も困らないのよ」


「それは逆だ、マミーがいれば君の方こそいなくたって困らない」


言い争った挙句、私は、ぐしゃぐしゃになって部屋に閉じこもった。モモはマミーに任せてある。


「マミーがいれば私はいらないですって?何それ?マミーは私なのよ」


と涙をこらえながらつぶやいた。けれども同時に、マミーだったら疲れて仕事から帰ってきた夫に、喧嘩を吹っ掛けるようなばかげたことはしないだろうなと考えた。マミーは私の分身のはずなのに、やっぱり私ではないのだ。

心の整理がつかなくなった私は、久々に職場の後輩に電話をしてみた。


「久しぶり有紗。元気だった?」


「香織先輩どうしたんですか?私としては、全然久しぶりという気はしませんけど」


「あ、そっか私のマミーが仕事に行ってるもんね」


「そうですよ。見た目も能力も香織先輩そのもの。すごくてきぱき働いてますよ。気分にもムラがないし。実は香織先輩って、できる女だったんですね」


褒められているんだかけなされているんだか、複雑な心境だったが、有紗はお構いなしに私のマミーを褒めちぎった。悪い気はしなかった。マミーの能力は私のコピーなのだから、やっぱり私はすごいのかもと、立ち直りかけた時、有紗が言った。


「でも百合枝先輩のマミーはもっとすごいんですよ」


私は、耳を疑ったと同時に一気に心が凍りつくような衝撃を受けた。私の同期で、ファッションと男にしか興味がない、のろまでやる気のない百合枝。私のすぐ後に出産した百合枝。そのマミーが今、職場で大活躍中だという。

百合枝のマミーは、疲れしらずにてきぱき働くだけでなく、元の本人の能力を超えて、多言語を操り、複雑な計算をこなし、理路整然と先の見通しや予測を述べることまでやってのける。その能力が上層部に買われて、百合枝はマミーであるにも関わらず、直に栄転する予定だというのである。

どうやら、マミーはお金を払えば後付けでどんどん高スペックにできるものらしい。三年後に返却しなければならないものにそんなにお金はかけられないと、庶民の私は考えていたけれど、百合枝は違った。資産家である実家からの潤沢な資金を使って最高レベルのスペックをマミーに装備させたのだ。

夫婦喧嘩をぶちまけて、すっきりしようと思ってかけた電話で、私は余計にむかむかしてしまい、腹の虫がおさまらなくなってしまった。

夜通しパソコンに向かい、マミーの後付けスペックについて調べたのち、私は一か月分の給料をはたいて、一番安価なビジネス英会話初級のスペックをマミーに追加装備させたのだった。


その頃、世間では、徐々にマミーの便利さが評判になってきていた。感情や体力に左右されず、能力をフル活用できるマミーの仕事力の高さに誰もが注目し始めていた。若い女性を積極的に採用して、マミーを使うチャンスを増やそうとする企業まで出始めたくらいだ。

そうなってくると、マミーの使用が母親のみという原則に不満を抱く人々も現れ、


「マミーが母親だけのものというのは不公平だ、自分の分身を持ち、より充実した二倍の人生を送る権利は万人にあるはずだ。すべての人にマミーの使用を認めるべきだ!」

と訴え始めた。


 それに対して慎重派からは、マミーの能力が高すぎることや、お金の力で高スペックにできることなどから、全ての仕事がマミーにとってかわられて人類の存在が脅かされることを懸念する声や、乱用は格差の拡大につながるとする声が上がった。そもそもマミーは「少子化対策の一環として、母体の健康を守るために導入されたもの」という前提など忘れ去られ、いつのまにか世間はマミー論争でもちきりになっていた。


「有紗はマミー論争についてどう思う?」


「そうですね。私もマミーに憧れますけど・・・先輩の寂しそ~な声聞いていると、ちょっと考えちゃいますね」


あの晩以来、私はちょくちょく有紗と連絡を取り合うようになっていた。喧嘩以来、夫とはぎくしゃくしたままで、あまり口をきいていない。夫は、用事がある時は、私ではなくマミーに頼むようになっていたし、娘もついカリカリ怒ってしまう私よりも、いつも穏やかなマミーの方を好むようで、私とは寝てくれなくなってしまった。

そんなわけで、むなしくあいた夜のひと時、私は有紗に電話して、夫や娘に対する愚痴を聞いてもらっていた。


「みんなマミー、マミーって私の事なんて無視なのよ。私なんていなくたっていいんだわ」


私は、マミーに嫉妬していたのかもしれない。世間からも評判で家族からも慕われているマミー。誰もが憧れるマミーのいる生活を、私はちっとも喜べなくなっていた。


「先輩、大丈夫ですか?誰も先輩がいなくてもいいなんて思ってないですよ。そんな寂しいこと言わないでください。私はマミーよりも、本物の先輩とまた一緒に仕事がしたいです。早く戻ってきてくださいね。先輩なら、家事だって仕事だって育児だって、マミーがいなくたって大丈夫。こなせますって」


私は不覚にも、有紗の言葉に泣いてしまった。


結局、年度の区切りや保育園入園のタイミングもあり、私は二年弱で職場復帰することにした。

とっても便利で力になってくれるマミーだったけれど、マミーがいると、職場でも家庭でも自分の存在がどんどん薄くなっていくようで、不安で仕方がなかったのだ。


「もっと長くマミーを使ってくれていいんだよ」


上司には嫌味を言われた。

夫は、言い出したら聞かない私の性格を知ってか、マミーの返却について、特に何も言わなかった。もしかしたら、このままではいけないという気持ちが夫の方にもあったのかもしれない。


マミーがいなくなって一年。私はてんてこ舞いだった。ぐずる娘を保育園に送り届け、遅刻ギリギリで職場に滑り込む。仕事は思うように手につかず、やりきれない仕事を残して同僚の目を気にしつつ定時で上がり、娘を保育園に迎えに行く毎日。夫も、以前よりは家事も育児も手伝ってくれるようにはなったとはいえ、しんどくてたまらない。仕事から帰って、てきぱきと家事だなんてとても無理だ。家にいてもやりきれない家事を、仕事で疲れて帰ってきた私ができるわけがない。何もする気がない。夕食は冷凍食品。趣味の時間などあるはずもなく、子どもを寝かしつけるのと同時に寝てしまい、何もできずに一日を終える。そしてまた、あたふたと次の日が始まる。

やっぱりマミーのようにはいかない。スーパーお母さんだなんてとんでもない。家事も仕事も育児も全てが中途半端だ。でも、いまさら弱音は吐けない。全部わかっていたはずだ。マミー返却前に十分シュミレーションもしたのだ。

私はこの一年、心と頭をふさぎ、なるべく何も考えずにただ日々をこなした。ある意味、マミーよりもアンドロイドのようだったかもしれない。しかも気分屋でとっちらかった、粗悪品。


百合枝は、三年を過ぎてもマミーを返却していない。次の子を妊娠し、使用期間を延長しているためだ。百合枝が子育てしている間にも、マミーは順調に昇進を重ねている。


「百合枝先輩は、もう復帰できないかもしれませんね。本人の実力とあまりにも違い過ぎる仕事を与えられてしまって。復帰しても、今の仕事がこなせるとは思えませんよ」


昼休み、訪ねてきた有紗と久々に話しをした。職場復帰以来てんてこまいだった上、私の復帰と同時に有紗が別の部署に異動になったことなどもあり、すっかり疎遠になっていた。


「その点、香織先輩は、期間も短かったし、追加のスペックも・・・ビジネス英会話の初級でしたっけ?そんな程度だったから・・・復帰後ちょっと英語がたどたどしくなったかな~っていうくらいのマイナーチェンジですんでよかったですよねー」


有紗はいたずらっぽくクスリと笑って肩をすくめた。


「悪かったわね。英語が苦手で!これでもマミーと差が付いたらまずいと思って、家でがんばって勉強してたんだから」


「別に先輩をけなしてるわけじゃありませんよ。マミーに負けなかった香織先輩は偉いなって思ってますって」


その時だった、有紗の言葉に重なるように、有紗の声が聞こえてきた。私の頭の中からだ。

マミー返却時、記憶を移した際に私の脳に移された記憶らしい。仕事の内容や手順には関係ないから、今まで意識に上らなかった記憶だ。マミーの立ち聞きの記憶。食事をしないマミーが立ち働く横で、ランチタイムの後輩たちがしていたおしゃべりが、なぜか今、頭の中で再生されていく。


「香織先輩ったらね、マミーがいることで自分の存在が薄くなる、なんて言っちゃって、どんだけ自尊心が高いんだって話。だから、私言ってやったの。マミーなんか早く返しちゃいなさいよって。早くまた本物の先輩と一緒に働きたいですって。やっぱり真面目なだけのアナログ人間には、使いこなせないんだよね。もったいない。あ~あ、私も早くマミーを使いたい。そしたら、百合枝先輩以上に使い倒してやるのに」


頭の中に聞こえた声を、私はいつのまにか

声に出してしまっていたらしい。

有紗の顔がこわばっている。私は自分の顔が青ざめてひきつっているのを感じた。

有紗はそんな私を見て、開き直ったようにふっと笑った。


「マミーの記憶・・・ですか?マミーのいる場所での陰口には気をつけなければいけませんね。先輩」


呆然とたたずむ私の前で、有紗はポーチから母子手帳を取り出し、まだ膨らむ気配のないお腹にあてた。


「私、実は明日からマミーと交代なんです。今日はそれをお伝えに来たんです。ああ楽しみ。マミーには仕事も家事もうんと頑張ってもらわなくっちゃ。計画的に出産して、十年は使い倒すつもりです。道具は使いようですからね。先輩は、育児に家事に仕事に、家族総出であくせくがんばってくださいね」


有紗は私にバカにしたような視線を送り、去って行った。


猛烈な怒りが腹の底から込み上げてきた。親身なふりして、陰では私のことをバカにして笑っていた有紗に対する怒り?でも、そんなこと、本当はわかっていた気がする。私が、自分の聞きたい言葉を有紗に言わせていた。聞きたい言葉しかきかなかったのはこの私だ。それに、マミーを早めに返却することは、私の意志で十分によく考えて決めたこと。有紗に言われたからじゃない。毎日必死だけど、これでよかったと思っている。


私は歯を食いしばった。

「人生なめやがって!ちくしょう!お前なんてマミーにとってかわられてしまえ!」


おわり

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