満月に誓う。(参)

 没落貴族の家の出であるモモカは、とある官僚の屋敷で仕えているものの、未だに世間知らずで、人を疑うことを知らない。

 そんなモモカと、親のないツバキは、何故か妙に馬が合った。ツバキにとって、モモカは、仕事の終わりに食べる甘味のような、泥にまみれた道端に咲く菜の花のような存在だ。モモカも、何かある度に、こうしてツバキの元へ相談に来るくらいにツバキのことを頼っている。


 文に記された〝茨〟という文字は、くだんの神隠しの噂にある文の名と一致する。おそらく無関係ではないだろう。

 そう思ったツバキが事情を説明してやると、モモカは、赤い顔を今度は青くして、その華奢な肩を震わせた。自分がとんでもない間違いを起こすところだったと、ようやく気が付いたのだ。


 モモカは、同姓であるツバキから見ても、整った愛らしい顔立ちをしており、その噂を聞きつけて求婚する者が少なくない。それでも未だに未婚のままであるのは、モモカが優柔不断であることと、〝運命の相手〟とやらを待っているからだそうだ。


 ツバキとモモカは仕事柄、読み書きはできるものの、庶民の中には、まだ文字の書けぬ者も多い。そこへ、このような達筆な字で書かれた風流な文をもらえば……まるで貴族の女として扱われたように感じ、心をときめかす……というのが事の経緯であるようだった。


「でもねぇ……これだけじゃ、鬼の仕業かどうかなんて分からないわよね。

 〝茨鬼〟なんて、あからさますぎるし、鬼がわざわざわ自分のことを〝鬼〟なんて書くかしら?

 それに、鬼と言われて、どうしてほいほい着いて行く馬鹿がいるって言うの?」


 ツバキの最後の疑問には、モモカが答えてくれた。見ると、ほんのり頬が赤い。

 どうやら最近、若者の間で流行っている〝吸血鬼〟という話があるらしい。ツバキは知らなかったが、舶来の話を元にして、とある覆面作家が手掛けている、恐ろしいほど美しい鬼と人間の切ない恋物語なのだそうだ。

 その手の話に疎いツバキは、熱を込めて〝吸血鬼〟の魅力について語るモモカに、怪訝そうな顔を向けて話を聞いていた。


 すると、客の中にいた一人の白髪の老婆が、突然、飲んでいた湯呑を取り落とし、店内に派手な音が鳴り響いた。どうやら老婆は、ツバキとモモカの話を聞いていたようだ。


「ひぃい~……っ! お、鬼じゃ。鬼が出たんじゃ……!」


 老婆は、顔面蒼白な自分の顔を両手で覆いながら、ひどく狼狽した様子で床に膝をついてうずくまった。

 そこへ、ツバキが優しく声を掛ける。


「おばあさん、しっかりして。大丈夫よ、こんなの、ただの悪戯よ」


「わ、わしは……わしは……」


 ツバキは、割れた湯呑を片付けて、新しい湯呑にお茶を注いだ。モモカが老婆を再び椅子に座らせて、その曲がった背を優しくさすってやる。

 そうして、ようやく落ち着きを取り戻した老婆は、ツバキとモモカに、驚くべき内容を語った。



「鬼の母親だって?」


 老婆の語った話を聞いて、貞光が素っ頓狂な声をあげた。

 鬼は、人間の成れの果て、という話は、誰もが知っている話ではあるが、まさかその母親という人物が実在するとは、誰も想像すらしていなかったようだ。


 老婆には、かつて一人の息子がいた。その子は、大層な美貌の持ち主で、数多の女たちの心を虜にした。息子を取り合い、女同士の熾烈な戦いが繰り広げられるのを見て、これはいけない、と思った老婆は、息子を寺に預けることにした。

 ところが、息子を想って女たちが文をしたため、老婆の元へ持って来る。その文を仕舞っていた籠を、寺から逃げだして来た息子が見るなり突然、鬼に変化したのだと言う。どうやら文の中には、女が男への想いを綴るため、己の血を墨の代わりに用いていたものが混じっていたらしい。女の血と妄執に取り憑かれた文は、男を鬼へと変えた。そして、老婆の前から姿を消したのだという。

 以来、息子と会うことはなかったが、こうして京の都で騒がれている、くだんの神隠しに〝茨〟という文字が使われていたことを知り、老婆は、それがかつて自分が捨てた息子の成れの果てであると確信したようであった。


「その息子の名前が――〝茨郎しろう〟というのか」


 頼光が、何かを考え込むように唸った。


 ちなみに、文をもらった者が男であった場合は、〝茨姫〟と記されていたらしい。

 よほど〝茨〟という文字に執着があるのだろう。

 もしかすると、自分を捨てた母親に対する恨みをそれで伝えようとしているのかもしれない。


 真偽のほどは分からないものの、これで神隠しと鬼の話が一応は繋がった。


 かくして、ツバキは、モモカから文を預かった足で、源頼光の屋敷を訪れた――というわけだ。

 そして、自分がモモカの代わりに橋へ行くから、鬼が現れたところを四天王たちに倒してくれ、と言うのである。


「囮などなくとも、我らだけで橋へおもむけば良いではありませんか」


 綱が頼光に向かって訴えると、季武が冷静に口を挟む。


「だが、女がいないとなれば、やっこさんも警戒して現れぬかもしれんぞ。

 ツバキ殿には申し訳ないが、こちらとしては、とてもありがたい申し出。

 まぁ、他によい案があれば良いが……」


 そうして、誰もが口を閉ざしてしまい、今に至る。


 とうとう重苦しい空気に耐えきれず、貞光が軽い口調で言った。


「綱が女装すりゃいいんじゃねぇ? ほら、こいつ顔だけは良いからよ」


「あほう、女に化けるには、背がでかすぎるだろうが。

 ……ま、酒のつまみとしちゃあ、いい余興にはなるがな」


 季武が無精ひげをさすりながら口角を上げる。どうやら、女装した綱を想像したらしい。

 

「ふざけている場合ですか。

 私も囮作戦には、反対です。

 やるなら私がやります」


 柔らかな金時の声音は、逆にその場の空気を和らげた。


「馬鹿野郎っ! お前みたいに横にも縦にもデカイやつが、どうやったら女に見えるってんだ?」


 季武は、自分で言ってから、自分の腹を抱えて笑い転げた。

 何とも緊張感のない場の空気に、頼光は嘆息し、ツバキは肩の力が抜けたようだ。

 綱だけが一人、真面目な顔で口を真一文字に結び、黙り込んでいる。


 お願い、とツバキが綱の目を見て言った。


「綱が守ってくれるでしょう?」


 綱は、ツバキの熱い視線を真正面から受け止めた。

 自分が何を言っても、この頑固で気の強い娘を止めることは出来ない、と悟った綱は、腹をくくった。


「必ず、ツバキを守ると誓おう」


「約束よ」


 二人が見つめ合う横で、頼光と他の四天王たちがやれやれと暑がるように視線を外すのを、当の二人は気が付かないでいた。

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