【閑話】
満月に誓う。
満月に誓う。(壱)
満月の夜だった。
一人の狐顔をした男が縁側に立ち、蝋燭の灯りを背に立っている。
「…………行くのか」
男が庭に向かって呟く。
「はい」
と、答える声がある。そこには、狩衣を身に纏った長躯の男が立っていた。男の腰には、長い刀が
「私の式神を連れて行くといい」
縁側から男が何か白いものを投げた。人型を模した白い紙が、夜風に乗って、庭の塀を超えてゆき、やがて闇に消えて見えなくなった。
「一条戻り橋のふもとへゆけ。
「かたじけない」
庭から男が頭を下げた。縁側に立つ男は、それを見て笑みを浮かべる。
「無事に戻れよ。お前がいないと、碁を打つ相手が減るからな」
男は、それに笑顔で答えると、縁側に背を向けて闇の中へと消えていった。
〆 〆 〆
男が一条戻り橋へ辿り着くと、橋の真ん中に、一匹の白い大きな狼がいた。闇夜にぼうっと白く光る様は、この世のものではないことを告げている。
『……遅い』
狼が低く唸った。
「すまぬ。貴殿が、清明殿の遣わしてくださった式神殿か」
男が頭を下げて、狼に問うた。
『いかにも』
狼が胸を張って答えた。白い毛がふわりと膨らんだ。
「拙者の名は、渡辺綱と申す。貴殿の名をお尋ねても宜しいか」
『ならぬ。我が名を呼ぶのも知るのも、主のみ』
「そうか。では……」
『名など、いかようにでも呼ぶがよい。鬼の臭いを辿る。しばし待て』
「恩に着る」
『言っておくが、この術を使うには危険が伴う。
はたや戻って来られぬやもしれぬぞ。それでも良いのか』
宵闇の中、式神の金色の眼が妖しく光る。
「……よい。拙者には、やらねばならぬ悲願がある」
覚悟のこもった綱の声に、式神は、ふんと鼻を鳴らした。
『人間というものは、ただでさえ短い命を、何故そのようにして自ら縮めるのか』
式神の口調は、綱に直接問い掛けている風ではなく、胸の内にある疑問をただ吐き出しただけのようであった。
それでも、綱は、真面目な顔で何かを考えているようであったが、ふと空を見上げて、目を細めた。
「今宵は、満月か。あの夜も、同じような月夜であった。
……式神殿。すまぬが、少しだけ、拙者の話を聞いてくれるか」
式神が長い鼻先をひくひくと動かす。どうやらまだ、目当ての臭いは辿れていないようだ。
『…………まぁ、暇つぶしにはなるであろう』
〆 〆 〆
時は、平安時代の中期頃。
一条天皇の御代にあった話である。
京の若者や若い娘たちが神隠しに遭うという事件が起こった。それも皆、見目の麗しい者ばかりだという。
物の怪の仕業となれば、ことは一般人の手には負えぬ。
検非違使には、こんな時のために、物の怪を専門に退治する玄人たちがいた。
渡辺綱を筆頭とする頼光四天王――渡辺綱、
「皆、集まっているか」
主君である源頼光の声掛けに、屋敷へ馳せ参じた綱は、さっと
「……なんだ、お前たち二人だけか」
頼光の拍子抜けした言葉に、綱が顔を上げた。
「ここへ参る前に、卜部殿の屋敷へ伺ったのですが、昨晩飲んだ酒が身体に合わなかったそうで、体調が整い次第いらっしゃるとのことです」
「馬鹿か、お前は。それは、ただの〝二日酔い〟と言うのだ」
貞光が、綱に向かって鋭いツッコミを入れる。
だが、季武の酒癖の悪さは、頼光もよく知っているため、またか、と思うだけに留めた。
「金時は、どうした」
頼光の問いに、今度は、貞光が答えた。
「大方、またどこかで人助けでもしてるんでしょ。
えーっと、確か前の時は、親とはぐれた子供の親を探していて遅れて、その前の時は、腰の悪いおばあさんの荷物を持って道案内をしてて遅れて、そのまた前の時は、財布を落として困っていたおっさんと一緒に財布を探してあげてて遅れて、そのまたまた前の時は……」
「……もう、よい。始めるぞ」
頼光は、ため息を吐きながら上座に腰を下ろすと、二人をここへ呼んだ理由について語った。
「鬼、ですか」
綱の神妙な面持ちに、頼光が言葉を付け足す。
「あくまで噂だがな。誰かが姿を見た、という話は聞かぬのに、何故そのような話が往来しているのか……そのあたりのことについても、探って来てほしい」
「陰陽寮には?」
「まだ伝えてはいない。はっきりと鬼の仕業だと決まったわけではないからな。噂の出どころを掴んで、真偽のほどが解ってから、正式に依頼をすることになるだろうが……まぁ、あそこも色々と案件が多くて手が回らないようだからな」
頼光が渋い顔をして顎をさする。
「まずは、二人で調べに向かってくれ」
頼光の言葉に、綱と貞光が揃って頭を下げる。
「はっ」「はい」
こうなるのも、毎度のことであった。
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