【伍怪】夢の終焉、始まる物語

【伍怪】(壱)了。

 徹が意識を取り戻した時、綱と四季は、既に姿を消してしまっていた。

 一人きりで自分の部屋のベッドに寝かされていた徹は、まるで夢でも見ていたような心地がした。


 茨木童子を退治する、という目的を果たしたのだ。自分たちの元の時代へと戻ったのだろう。けれど、何か一言くらいあっても良かったのにな、と徹は、少しばかり胸に空いた穴を埋めるように、大学生活を楽しもうと前を向くことにした。


 あれだけ散々、人前で刀を振るって見せたというのに、侍を見た、というニュースが報じられる事もなく、徹に平穏な日常が戻ってきた。

 ただ唯一、大学で〝荊木 透子〟という女学生の存在が最初からなかったことにされていたのには、さすがの徹も肩を落とした。


(初恋……だったんだけどなぁ……)


 まさか初恋の相手が、鬼だったなどと人に言える筈もなく……これからも徹は、初恋もまだ、と言うことになるのだろうか、とそんなことを考えた。


 徹が茨木童子の正体として疑っていた将は、学校へ行くと、元気な顔を見せてくれた。今までどうしていたのかと徹が聞くと、将は、よくぞ聞いてくれたと満面の笑みを浮かべて言った。


「実はな……うちの歴研で大発見をしたんだ。公表するまでは詳しく言えないんだが……お前も知ってる、あの【御伽草子】に関わることだ」


 その裏を取るために、皆で缶詰状態だったらしい。

 結局、具体的な話までは教えてくれたかったが、徹には、なんとなく、それが綱に関わる何かではないか、という気がした。きっと、綱が過去に戻ったことで歴史に何らかの変化があったのかもしれない。


 【御伽草子】には、渡邊綱の鬼退治以外にも、幾つかの御伽噺が記されている。それらの話が全てフィクションを元にしているのかどうか、徹は知らない。でも、自分もいつか、御伽噺のネタになるような物語を紡げたらいい、そんな風に感じるようになっていた。



  〆  〆  〆



 電車の中で、座席に腰掛けている徹の目の前に、初老の男性が立っている。

ここは席を譲るべきだ、という意見と、いや、年寄扱いしたことになって逆に失礼じゃないか? という相反する意見が徹の頭に浮かぶ。

 しばしの逡巡の後、徹は思い切って、ぱっと立ち上がると、男性に席を譲った。


「ああ、ありがとう」


 席を譲られた男性は、笑顔で徹に頭を下げてくれた。

 そして、周囲からの視線を感じて、徹の体が熱くなる。


(やっぱり気恥ずかしい……けど、悪い気分じゃないな)


 そう思って、徹が顔を上げた時、誰かに声を掛けられた。


「あ、あのっ!」


 横を見ると、見覚えのある女性が立っている。


「あ、君は……」


 以前、電車の中で、綱が痴漢から助けた女性だった。女性は、はにかむような笑顔を見せると、徹に向かって頭を下げた。


「この間は、本当にありがとうございました」


「いや、俺は何もしてないし……」


「え、何、言ってるんですか。

 痴漢の腕を掴んで、引っ張ってってくれたじゃないですか」


「え」


今時いまどき、こんな人、珍しいなって思ったんですよ」


 そう言って、女性は俯きながら頬を赤く染めた。


 徹は、自分の顔も赤くなるのを感じて、誤魔化すように視線を窓の外へとやる。後ろへと流れていく景色を見て、はしゃぐ綱と四季の声が聞こえたような気がした。


「あの、変な事を聞くようだけど……君、侍姿の男の人って、見た事ある?」


「えっ……侍、ですか?

 まぁ、テレビの時代劇とかでなら、ありますけど……」


「そっか……そうだよね」


 怪訝そうな表情をする女性に、徹は、変なことを聞いてごめん、と言うと、再び窓の外を流れゆく景色に目をやった。


 おおおっ、と感嘆の声を上げて電車の窓にへばりつく綱。

 作ってくれた料理が旨い、と徹が褒めた時の、綱の嬉しそうな顔。

 逃げ腰だった徹に、真剣な顔で向き合ってくれた綱。

 小僧、と徹を呼ぶ、四季の憤然とした顔。

 牙を剥いて妖怪に立ち向かう四季。

 短い間だったけれど、彼らとの思い出が、徹の心の中に生きている。


「よし。決めた」


 女性が徹を不思議そうに見つめる。


(綱。俺もいつか、お前みたいな正義の味方に、きっとなる)



  〆  〆  〆



 その頃、徹が降りる予定の駅の入り口に、侍の恰好をした男と一匹の狼が物陰に隠れるように立っていた。侍の方は、難しい顔をして、駅から出てくる人の顔を見ている。誰かを探しているようだ。


「今更、どのような顔をして会えば良いのだ」


 侍が言った。


『ふん、あの軟弱な男にたかればよい』


 狼が鼻を鳴らす。


「まさか元の時代に戻れないとは……」


 侍が肩でため息をつく。

 それを見た狼が批難するように牙を剥き、低く唸った。


『我の所為ではないっ。お主がひ弱な故、元の時代へと戻るために残しておいた力を使う羽目になってしまったのだ。助けてやったのだから、感謝されても良いくらいじゃ』


 別れが辛くなるから、と敢えて何も言わずに去ったのに、再び戻ってくることになるとは……情けなや、と侍はこうべを垂れた。


(徹殿に何と言おう……)



「……というわけで、四季の力が回復するまで、今しばらく世話になる」


 と、綱と四季が徹の前に再び現れたのは、また別のお話。



終。

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