【肆怪】(肆)
『探しておったぞ、茨木童子よ』
四季が鬼を見据えて唸った。
その言葉を聞いて、徹は、四季と鬼を見比べて言った。
「もしかして、こいつがお前らの探していた大妖怪なのか?」
徹の問いかけに四季が答えるよりも先に、鬼が口を開く。
『そうか……わしを追って、ここまで追っ手が来ておったのか……』
その意外そうな口調とは裏腹に、鬼は、どこか楽しんでいる風にも見える。
しかし、それよりも徹には、気掛かりな存在があった。
「四季……あの……綱は……」
徹が周囲を見回しながら四季に訊ねた。ここに四季がいる、ということは、綱も一緒だと思ったからだ。だが、見たところ、綱の姿は見えない。
『
四季の答えに、徹が顔を俯ける。
「俺……綱に会わせる顔がない」
『そのような事、我は知らぬ。ただ、こいつを消し去るのみよ』
そう言うと、四季が牙を剥いて唸った。
鬼がそれを見て、馬鹿にしたように笑う。
『犬畜生に何が出来る』
『我を侮辱するなっ』
四季が一際大きく吠えた。すると、四季の身体から爆風と閃光が
「お前……し、四季なのか?!」
『これが我の真の姿よ』
驚いた徹が問いかけると、龍の姿をした四季が答えた。その声は、狼の時のものと違い、神々しい。
『言ったであろう? 我は犬などではない、とな』
龍の姿となった四季を見て、鬼が一瞬
四季が畳みかけるように叫ぶ。
『我は、平安の都より陰陽師・安倍晴明が遣わした式神。
今、貴様を成敗してくれるっ』
そう言うが否や、四季が鬼に飛びかかる。
驚いた鬼の顔を見て、徹は、これなら勝てる――そう思った。
しばし鬼と黄金の龍は、絡み合い、もつれあい、互いの身体を組み伏せようと必死になって戦った。
そして、格闘の末、鬼に傷を負わされた四季が、鬼の傍を離れて徹の前に舞い戻る。その姿からは、先ほどの神々しいほどの眩さが消え、今では、小さな蛇ほどの大きさに縮んでいた。
「み、見かけ倒しかよっ!」
『黙れ! 我は、半身を元の世界に置いてきておるのだ。それに、こちらへ来る時に力を大分浪費しておる故……これは我の本力ではない』
必死に言い訳をする小さな龍を見て、にたり、と鬼がほくそ笑む。衣服が乱れ、所々敗れてはいるものの、その身体には傷一つついていない。
鬼が笑いながら近づいてくるのを見て、徹の目尻に涙が浮かぶ。
「つまり、役立たずって事じゃないか~!」
〆 〆 〆
徹は、息を切らしながら廃ビルの階段を上へ上へと駆け上って行く。そのすぐ後ろから、小さな龍の姿をした四季が宙を飛んで追い掛けている。そして、二人が居る一つ下の階では荊木透子――茨木童子が鬼の形相で徹を追い掛けていた。
まさかこの歳になって、鬼ごっこをすることになるなんて、と徹は心中で皮肉った。それも、捕まったら食われてしまうリアル鬼ごっこだ。
やがて階段が途切れて、二人は屋上に出た。周囲に遮る物はなく、見晴らしの良い景色が眼下に見える。せっかく四季が隙をつくって、何とかここまで逃げてくることは出来たが、これ以上逃げ場がないことは明白だった。
『どこへ行く? それ以上、逃げ場はないぞ』
階段を登り切った茨木童子の声が背後から聞こえ、徹は振り返った。四季が徹を庇うように前へ出る。金色に光る四季の身体は小さく、見るからに頼りない。徹は、恐怖で身体の震えを抑えることが出来なかった。
「まてぃ!」
空から聞き覚えのある低い男の声がした。
徹が頭上を仰ぐと、太陽の光の中から黒いシルエットが浮かび上がる。どこをどう登って来たのか、太陽を背にして、徹の目の前に降り立ったのは、正義の味方、渡辺綱。その姿を見た途端、徹の中に暖かい何かが広がるのを感じた。たった数日離れていただけだと言うのに、何故か懐かしい気持ちになる。
「綱!」
『遅いっ!』
四季の非難する声に、綱が渋い顔をして答える。
「むむ……登る建物を間違えてしまったのだ」
どうやら隣のビルから飛び移ってきたらしい。
徹は、隣のビルとの距離を目で確かめて、身のすく思いがした。必死に階段を登って来たのでここが何階かは分からない。それでも、ここから落ちたら助からないことは分かる。
綱は、腰から刀を抜き、その切っ先を茨木童子へと突き付けた。
「茨木童子。とうとう貴様と決着をつける時が来たな」
『おお、貴様はわしの仲間らを討ち取った憎き敵……。
じゃが、こちらへ来て、力を蓄えたわしに敵はなしっ』
そう言いながら茨木童子が高笑いをする。
しかし、徹には、茨木童子の不気味な笑い声よりも、綱の背中の方が気になって仕方がなかった。
「綱……俺……っ」
「徹殿。お約束を少しでも違えてしまったこと、お詫び申し上げる」
徹は、出鼻をくじかれた思いで綱の背中を見つめた。謝らなければいけないのは、自分の方だ。
「えっ……なんでだよ!
俺の方こそ、あんな酷い事言って……ごめん。八つ当たりだ」
「徹殿のことは、拙者が命に代えてもお守り致す」
綱は、刀を構えると、茨木童子を睨み付けた。綱の身体から、これまでにない殺気が立ち昇る。
その様子を見て、徹は、前に綱が言っていた『復讐』という言葉の意味を考えていた。綱の言う復讐とは、茨木童子を倒すことなのだろうか。
『生意気な小僧がっ。わしの腕一本、切ったからと言って、調子に乗るでないぞっ』
茨木童子が怒声と共に、綱へ向かって飛び掛かった。鋭く伸びた鉤爪を綱の頭上目掛けて振りかざす。
綱は、それを刀で止めると、まるで金属と金属が擦れ合うかのような音が鳴り響いた。
何度か切り合うも、その力は互角。どちらも一歩も退かない……かに見えたが、少しずつ、綱が茨木童子を押している。
そして、とうとう綱が茨木童子を壁際まで追い詰めると、綱がとどめとばかりに刀を大きく振りかざした。
「……とおるくん……たすけ、て……」
茨木童子の真っ赤な口から、女の声が漏れた。その声は、荊木透子のものだった。すると、鬼の形相が、徹の見知った可憐な少女の顔へと変わる。黒く潤んだ瞳が徹を見つめる。
それを目にした途端、思わず徹は、一歩前に踏み出していた。
「ま、待ってくれっ! その子は、俺の……俺の……友達なんだ」
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