【肆怪】(弐)

 荊木透子との待ち合わせ時間までは、まだ十分以上もある。


(ちょっと早く来すぎたな……)


 徹は、はやる気持ちを落ち着けようと、深呼吸をした。


 その時、ふと徹の頭によぎったのは、級友のことだ。あれから徹は、何度か将と連絡をとろうとしたのだが、研究会の方が忙しいと言われて、ろくに会話もできずにいる。疑いたくはないが、気になって落ち着かない。


(まさか将が茨木童子なのか………?)


 徹がそう考えたのは、【御伽草子】を薦めてくれたのが将だったからだ。それに、先日の食堂で、将の言った意味深な言葉が徹の頭にずっと引っ掛かっている。


『もしかしたら、誰か人間に化けてたりしてな……』


 将と徹は、大学一年の頃からの付き合いだ。彼が茨木童子だと仮定すると、本物の将は、一体今どこにいるというのだろうか。


(鬼って、人を食うのかな……)


 徹は、背中にうすら寒いものを感じて、ぶるりと身震いした。


「徹くん、お待たせ」


「わっ! ……い、荊木さんっ」


 突然、声を掛けられて驚いた徹が飛び上がると、すぐ脇に荊木透子が立っていた。どうやら考え事をしていた所為で、気付かなかったようだ。


「どうかしたの? 顔色が悪いけど……」


「いや、なんでもないよ。ごめん、ちょっと考え事をしてて……」


 徹は、その時、改めて荊木透子を上から下まで眺めた。白いブラウスに桜色のカーディガン。黒いフレアのスカートから覗く、白くてすらりと伸びた足。私服姿は大学でも見ているが、学区外で見ると印象が少し違って見える。それは、自分と会うために彼女が選んで着てくれたのでは、という期待から想像を膨らませてしまうからだろうか。


「私で良かったら、相談に乗るよ」

 

 可愛く小首を傾げる姿を見て、徹は、自分が今何を考えていたのか、すっかり忘れてしまった。


「いやぁ、大したことじゃないんだ。気にしないで」


「そう? じゃあ、行こっか」


 そう言って、透子は、徹の腕に自然と自分の腕を絡ませた。彼女の柔らかな膨らみが腕を伝って感じられ、徹は、頭が真っ白になった。ふんわりと良い香りまでする。


 透子がよく行くと言う喫茶店で軽く食事をとりながら、色々な話をした。最初は、慣れないことに緊張していた徹だったが、話し上手な透子のおかげで、喫茶店を出る頃には、すっかり打ち解けていた。

 

「どころで、俺に見て欲しいって言ってたシナリオって……」


「あー……うん。その話なんだけど、ちょっとここじゃあ人目があるから……そのぉ~……移動してもいいかな?」


 透子が恥じらうような仕草で、周囲の様子を伺いながら言った。それを見た徹は、わけのわからない胸の高鳴りを感じた。


「え、うん。俺は、構わないよ」


(なんだろう。まだ未公開のシナリオだから、他の人に知られたらマズイのかな)


 徹は、透子と腕を絡めて歩いた。通り過ぎていく人たちが透子を見て、振り返りながら歩いて行く。改めて見ても、透子は、その辺の女の子よりもずっと可愛くて、たおやかな美しさがあった。ふいに自分が隣を歩いていることに気恥ずかしさを感じた。彼女と自分では、誰が見ても釣り合っていない。

 そんな徹の想いは、徹の歩みを重くしていった。そもそも何故、透子は徹に声を掛けてくれたのだろうか。


「徹くん、どうかした?」


 徹の歩みが遅くなったのを察した透子が声を掛けた。徹の顔色を伺うように、黒い瞳で覗き込む。その視線に顔を赤くしながら、徹は、頭を掻いた。


「いや、その……今更だけど、どうして俺だったのかなって……。

 荊木さんなら、他にいくらでも……って、変な意味じゃないんだけどっ!

 俺なんかが君の隣をこうして歩いていて良いのかなって思って、さ……」


「そんなことないよ。私、ずっと徹くんのこと、気になってたの……」


「えっ……」


 透子は、頬を赤く染めながら顔を俯けた。徹の腕に絡めた自分の腕にぎゅっと力を込める。

 それきり、なんだか妙な空気になってしまい、徹は、どう声をかけていいのか分からなくて口をつぐんだ。自分の心臓の音だけが早く聞こえて、それに合わせるかのように自然と足が速くなる。そのまま無言で、透子に連れられるまま歩いて行った。

 そして、気が付くと、人気のない公園の前まで来ていた。周りを廃ビルに囲まれて、辺りはしんと静まり返っている。


 すると、突然、透子が足を止めた。

 不思議に思った徹が声を掛ける。


「荊木さん?」


「徹くん、私……」


 そう言って、顔を上げた透子の瞳が黒く、やけにぎらついて見えた。



  〆  〆  〆



 四季が突然、何かの気配を感じ取り、ぴくりと耳を立てた。


『掛かったな』


「どうした」


 公園で、水道の水を飲んでいた綱が濡れた口を拭いながら訊ねた。

 四季の声には、どこか嬉々として楽しんでいるかのような感情が感じられる。


『あの男に、密かに忍ばせておいた護符が発動した』


「何っ?!」


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