【肆怪】茨木童子、現る。
【肆怪】(壱)
綱が去って、二日が経った。
徹は、ちょうど今、【御伽草子】のレポート――という名の読書感想文――を教授のところへ提出して来たところだった。提出期限ぎりぎりだったが、何とか間に合ってほっとしている。
(そう言えば……綱と初めて会った時、この本の中から飛び出してきたのかと思ったんだよなぁ……)
徹は、【御伽草子】と書かれた表紙を感慨深げに手でなぞった。本の中には、鬼退治をする渡辺綱の話が書かれていた。たった二日前のことなのに、今では、綱と四季と過ごした生活が、まるで夢の中の出来事だったのではないか、と思えてくる。
『我らが探している大妖……ヤツの匂いがお主からしたのは確かなのだ!』
徹に向かって牙を剥く四季の姿がふと頭に浮かぶ。
(……待てよ。四季が言っていた匂いって、もしかして……この本についていた匂いなんじゃないのか?)
あの時、徹は、この本を読むために公園へ行ったのだ。それに本ならば、図書館にあって誰でも手にとって読むことが出来る。この学校の生徒、もしくは先生か大学関係者に紛れ込んだ鬼が、自分のことについて書かれた本に興味を持ち、手に取った……と考えても不思議はない話だ。
図書館の貸し出しカウンターへ行って確認すれば、この本を借りた人を絞ることが出来るかもしれない。
その考えに閃きのようなものを感じた徹は、図書館へ足を向けようとし、ふとあることに気が付く。そうだ、この本は、友人から薦められて……。
(まさかまさかまさか……)
「あら、徹くん?」
とんでもない事実に思い当たり、徹が顔を青くしていたところに、突然後ろから声を掛けられた。驚いて飛び上がるように振り返ると、そこには、徹の心の癒しである荊木透子が、親し気な笑顔を向けながら手を振っている。
「い、荊木さんっ」
急に声を掛けられて、徹の声が緊張で裏返る。そんな様子を見て、荊木透子は、くすり、と笑みを漏らした。
「その本……読み終わったの?
もしかして、これから返しに行くところ?」
透子が可愛く小首を傾げると、絹糸のような黒髪がさらりと音を立てて流れた。
「あ……それもあるんだけど、ちょっと調べたいことがあって……」
徹は、顔を赤くして、自分を見つめる透子の黒い瞳から視線をずらした。
「……あ、この本……次、読みたいって言ってたよね。今から渡そうか?」
徹が持っていた【御伽草子】を透子の方へ差し出すと、透子は、一歩身を引いて首を振った。
「ううん、それはもういいの。次にやる劇の話、別のに決まっちゃったから」
「そ、そうなんだ」
徹が残念そうな口調で言った。そうなると、これ以上、彼女との接点がなくなってしまう。
すると、透子が突然、そうだ、と言って笑顔で手を叩いて見せた。
「実は今度、うちの演劇部でやる劇のシナリオを作ってるんだけど、良かったら、読んで感想を聞かせてくれないかな?」
「えっ、俺なんかでいいの? お芝居とか、ド素人だよ?」
「その方が、客観的な意見を聞けるでしょう。
どうかな? ……だめ??」
長い睫毛と、ぱっちりとした黒い瞳が上目遣いで自分を見つめるのを見て、徹の心臓がばくばくと音を立てた。
「お、俺で良ければ……全然、構わないけど……」
「よかったぁ。それじゃあ、シナリオが出来たら連絡するね。
徹くんの連絡先、教えてくれる?」
そして、お互いの連絡先を交換し合うと、徹は、透子と別れて図書館へ向かった。カウンターで本を返す際、この本を過去に借りた人がいないか司書の人に確認したが、本を返却した時点で借りていた人の情報は消去されるため残っていないとのことで、結局、何の情報も得られなかった。
〆 〆 〆
人気の少ない住宅街の公道を、一人の侍が走っていた。手にしていた刀を振るい、目の前に現れる小妖怪たちを次々と切ってゆく。切り損ねた獲物は、脇から駆けてきた一匹の狼によって食い千切られた。
『ちっ、小物ばかりよ』
狼の姿をした四季が、不満げな声を漏らす。
綱は、立ち止まると、手にしている刀を見て、眉をしかめた。
「<鬼切丸>が震えている。茨木童子は、この近くにいる筈……」
『やはり、あの男に憑いておった方が良かったのではないか。大物が釣れるぞ』
「徹殿を釣り餌にするつもりはない」
『何を今更。そのつもりで、あの男に取り憑いておったのだろう』
「違う。徹殿に頂いた御恩を返す為」
『ならば何故、ここにいる。傍を離れて約束を違えるつもりか』
「徹殿をこれ以上危険な目に遭わすわけにはいかぬ」
『調子の良い事よ』
「何とでも言うがいい」
頑として意志を曲げようとしない綱を見て、四季が呆れたように、ふっと息を吐いた。
『人間とは、まっこと難儀な生き物よ』
〆 〆 〆
数日後の休日。徹は、駅前にある時計台の下で、待ち合わせの相手が現れるのを今か今かと、そわそわしながら待っていた。
荊木透子と連絡先を交換した後、荊木透子からシナリオが完成したという連絡があった。せっかくだから、どこかの喫茶店でお茶でもしながら話したい、と透子に言われたので、こうして休日に街へ繰り出している。普段からオシャレになど気を遣わない徹だったが、今日は、この日のために新調したコーディネートでめかしこんでいた。
(なんか……デートみたい、だな)
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