【弐怪】(参)

 駅の構内は、休日ということもあり、混雑していた。人混みに紛れてしまえば一安心、と思った徹は、歩を緩めて息を整えた。


「徹殿、なぜ逃げねばならぬのです」


「あのなぁ、この時代じゃ、刃物を持ち歩く事は〝銃刀法違反〟っつって、犯罪になるんだよ!」


「武士たる者、刀は己の魂。がなくて、どうやって身を守るのです」


「今の時代、そんなものは必要ないっ」


「なんとっ。未来とは、かように平和であるのですか」


「そうだ……って、わけでもないか」


 先程、包丁を持って暴れていた男といい、通り魔事件や身内殺し、放火、幼女誘拐事件など、ニュースで見る限り、物騒な事件は絶えることがない。

 ただ、それらはテレビやネットニュースで見て知識としてあるだけで、どこか他人事のような、まるで異世界の話でも聞いているような心地なのだ。


『おかしな時代よ』


 四季が低く唸るように呟いた。それを聞いた徹は、自分の所為ではないと思いつつも、なんだか言葉にならないむずがゆさを腹の底に感じるようだった。



 駅の改札口に着いた徹は、はたと立ち止まり、足元を振り返った。視線の先には、犬にしては大きい狼の姿をしている四季がお行儀よくお座りをしている。


「これから電車に乗らなきゃいけないんだけど、犬を連れては入れないんだ。

 なにか別のものに変身できないか?」


『犬ではないと言っておるのに……まあよい。この姿では、不都合か』


 すると、四季は、傍にあった柱の陰へ入ると、女人の姿になって現れた。銭湯で見た時よりも更に美貌が増し、豊かな胸元が着物のあわせから零れんばかりに主張している。

 通行人の男性たちの熱い視線を背中に感じながら、徹は、無表情のまま訊ねた。


「なんでそこまで女にこだわる」

『性比が偏らぬよう気を遣っておるのよ』

「……あっそ」


 徹は、券売機で大人二人分の切符を購入した。徹自身は、定期券があるので、これは綱と四季の分だ。財布から小銭を取り出しながら、徹がひとりごちる。


「どうせなら、金のかからないものに変身して欲しかったなぁ……」



   〆  〆  〆



 駅のホームへ降りると、ちょうど電車が入ってくるところだった。妖術が妖術が、と騒ぐ綱と四季を引っ張り、徹は、車両に乗りこんだ。

 車両の中は、満員だった。徹は、つり革に掴まるよう綱に伝えようと、後ろを振り返って口を開きかけた。 


「おおおっ!」


 見ると、綱は、閉まったドアの窓にへばりつき、興奮した様子で外の景色を眺めている。


「な、ななな・なんとっ! 徹殿! 箱が動いておるぞっ?!

 う~む……まるで大蛇のようだ。

 これが〝でんしゃ〟というものなのか」


 更に、綱の隣では、同じく窓にへばりついている四季の姿があった。


『ほほぅ。足の遅い人間が作ったものか。だが、我の速さには到底及ばぬ』


 二人の様子に閉口した徹は、くるりと彼らから背を向けて、赤の他人の振りをすることに決めた。



 電車が走る間、しばらく徹は、ぼうっとどこを見ることなく車内の中に視線を彷徨わせていた。すると、ふと視界の端に、何やら違和感のある動きをする女性がいる。


(……ん? 何をしているんだ……?)


 徹の視線の先には、狭い人混みの中、身をよじらせている女性の姿があった。背後には、中年の男性がぴたりとくっついている。

 初めは、満員電車の所為かとも思ったが、それにしても二人の間には隙間がなく、逆に男の背後は余裕すらあるように見える。


(やべ……もしかして痴漢?)


 徹は、自分以外にも誰かが気付いていないだろうかと、助けを求めるように周囲を見回してみた。もしかすると、自分の勘違いかもしれない。

 しかし、周囲の人たちは誰も気付いていないのか、それとも気付いていて知らないフリをしているのか……女性の方を見ていそうな人は、一人もいない。


 これが痴漢なら、助けるべきだ、と思った。でも、知り合いか恋人という可能性もなくはない。自分の勘違いだったら、はた迷惑なだけで、赤っ恥を掻くだけだ。

 それに、もう少しすれば、次の駅に着く。ドアが開けば、女性も男から逃げることが出来るのでは……と、徹が自分自身を納得させようとした時だった。

 徹の耳に、かすかな声が聞こえてきた。


「や、やめて下さいっ……!」


 小さな声だった。それでも、徹の耳には、しっかりと、女性が助けを求める声が聞こえた。

 徹は、再び女性の方へと視線を向けた。

 女性は、涙目で身体をよじりつづけ、男から逃げようとするが、男は、更に女性を壁の方へと追い詰めていく。


 どっ、どっ、どっ、どっ…………と、耳の奥で心臓の音がうるさく聞こえる。

 喉の奥が熱い。

 口を開いたが、何故か声が出ない。


 その時、徹の様子に何かを察したのか、それまでずっと窓の外を眺めていた綱が後ろを振り返った。


「徹殿、どうされた?」


「……あ、綱。大変だ。痴漢が……」


 はっ、として徹は口を塞いだ。慌てて女性を見たが、どうやらこちらには気付いてはいない。


「徹殿、『チカン』とは何であろうか?」

「わ、ばかっ」


 綱のはっきりとした声が聞こえたのだろう。ぱっと女性が顔を上げた。潤んだ目で、徹を見る。


「……た、助けてください!」


「いかがされた」


 女性の声に、綱が答えた。


「この人、痴漢なんです! 助けて下さい!」


 綱は、動けずにいる徹の傍を抜け、人混みを掻き分けると、迷わず、女性の背後にいた男の腕を掴んだ。

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