【壱怪】(伍)

 三人の男が並んで湯舟に浸かっている。

 結局、犬は、男の姿に変わると、徹と綱について男湯へ入った。

 湯加減は最高だったが、美丈夫の男二人に挟まれて、徹は、居心地の悪さを感じていた。


「ほう。これは、もしや……富士の山か。素晴らしい」


 綱が背後の壁に描かれている絵を見て、感心したように声を上げた。

 それを聞いた徹は、特段何とも思わなかったが、ふとある事実を思い出して、首を傾げた。


「……あれ。平安時代の都って、京都だよな。

 富士山って、見たことあるのか?」

「うむ。以前、絵巻で拝見させて頂いたことがある。

 聖徳天皇様が神馬に乗って登ったとされる、伝説の山であろう」

「伝説? 聖徳天皇って……聖徳太子のことか?」

「そうだ。真に存在しているものかどうかは分からぬが、このように見事な出来栄えを見ていると、まるで現実にあるかのようだな」


 綱は、晴れやかな笑みを浮かべて、富士山の絵を見つめている。


「え……いや、富士山は、現実にあるだろ。

 天気のいい日なら、うちからでもたまに見えるぞ」

「なにっ?! この富士の山が現実に存在しているだと?

 しかも、この目で見ることが出来ると?

 そ、それは是非、この目で見てみたいっ!」

「わ、わかったから、そんなに顔を近づけるなっ。

 裸でくっつかれたら気色悪い!」


 綱は、近くで見れば見るほど、綺麗な顔をしている。男同士だというのに妙にどきどきしてしまう自分にぞっとしながら、徹は、顔を背けた。

 すると、向けた視線の先に、湯舟に浸かる犬の顔がある。


『ふぉ~ん……ほんに気持ち良いのぉ~……』

「う、うわあ! 犬に戻ってる! 戻ってる!

 ばか、早くなんとかしろ!」

『ばっ、ばびをぶぶっ……!』


 徹が慌てて、犬を湯船に押し込む。犬は、前脚で湯を掻き、口から泡を出しながら暴れた。

 幸いなことに、他に客があまりいなかったため、注目を浴びることなく、犬は、再び人間の男に姿を変えた。しかし、湯に沈められたことを根に持っているのか、不機嫌そうだ。


『何故、犬が湯に浸かってはいかんのだ』

「風呂好きな犬がいるか!」

『ここに……ぬ、我は犬ではないわ!』

「自分で言ってるじゃねぇか」

『むむ……この姿でいる時間が長かった故、つい板についてしまった』


 その時、ふと徹は、あることに気付いた。


「そういや、お前の名前、なんて言うんだ?」


 これまでは、彼が犬の姿をしていたので、ただ〝犬〟と呼べていたが、人間の姿をしている時に、人前で〝犬〟と呼ぶのは、はばかられる。知らない人間が傍で聞いていたら、徹が妙な性癖の持ち主と誤解されかねない。

 しかし、聞かれた式神は、聞いているのかいないのか、目を瞑ったまま答えようとしない。代わりに、綱が横から口を挟んだ。


「式神の名は、使役する主しか知らぬのだ」

「ふーん。でも、名前がないと不便だな」

『好きなように呼ぶがいい』


 う~ん、と徹は、首を捻って考えた。


「じゃあ……シキ! 四つの季節って書いて、四季はどうだ?」

「ほう、良い名だ。良かったな、式神……いや、四季よ」


 四季は、綱に褒められても、さほど興味がなさそうに、ふん、と鼻を鳴らした。


『我は神ぞ。偉そうに呼び捨てになどするでない』


 しかし、その口調は、満更でもなさそうだった。



    〆  〆  〆



 風呂から出て、小綺麗になった綱を見て、徹は、驚いた。先程までは、浮浪者にしか見えなかったが、今は、ちょっとくたびれた袴を着た、イケメンのコスプレイヤーに見える。どこかの流浪の剣士にも見えなくもない。

 元がいいと、それだけで得だな、と考えていると、ちょうど徹の腹からくぐもった虫の声が聞こえた。


 ぐりゅるるる~……


「腹、へったなぁ~……」


 徹が腕時計を見ると、既に午後三時を過ぎている。お昼ご飯を食べ損ねてしまった。


「では、拙者が何か料理を振る舞おう」

「え、お前、料理なんて作れるの?」

「徹殿には世話になっておるからな。

 お礼と言っては何だが、こう見えても拙者、手先は器用なのだ。

 安心して任されよ」


 意気揚々と胸を叩いて見せる綱を見て、徹は、まさか刀を包丁替わりに使わないだろうな、と不安に思った。



 徹は、普段からあまり自炊をするタイプではない。そこで、食材を買うため、まずは、近所のスーパーへ向かった。

 四季は、犬の姿に戻ると、スーパーの中へは入らず、外で待つと言った。人間の食べ物には興味がないらしい。

 綱は、見る物全てが珍しいようで、まるで幼い子供のように目を輝かせて徹を質問攻めにした。


「おおお……このようにたくさんの品物が一所で売られているとは……一体、いかなる妖術か?」

「科学の進歩、かな」


 綱の相手をいちいちしていたのでは埒が明かないので、徹が適当な食材をカゴに入れてゆき、レジに並ぶ。隣に並んだ綱は、店員が商品のバーコードを読み取るのを目を輝かせて見ている。


「……一応聞くけど、金持ってる?」

「うむ。こちらに来る際、主から必要なだけの銭を頂いておる。任されい」


 そう言って、綱が懐から取り出したのは、真ん中に四角い穴の開いた古びた銅銭だった。


「わーっ、すみません! 俺が今、払いますから」


 訝しげな視線を投げてくるレジの店員に、慌てて徹が財布を取り出す。


(……って、結局金出すのは、俺じゃねーか)


 しかし、徹は、後からお金を出して良かった、と思えることとなった。


 徹が綱と四季を自分の住んでいるアパートへ連れ帰ると、綱は、手際よく数品の料理をこさえ始めた。ガスコンロの使い方には、驚いていたが、綱の口から出る二言目には〝妖術が〟であることに徹は、次第に慣れてきていた。

 食卓の上に並べられた料理は、どれも見た目は地味な和食だったが、一口食べて驚いた。


「……うまい」


 それが徹の正直な感想だった。特別な調味料を使っているわけでもなく、どちらかというと薄味でシンプルな味付けだ。その分、ダシの旨味が余計に引き立って感じられるのかもしれない。あまりの旨さに舌が鳴る。


「それは良かった」


 美味しそうに箸で料理を口へ運ぶ徹を見て、綱が笑う。笑うと尚、美しい。

 徹は、将の言っていた、光源氏のモデルとなった人物の子孫と言うだけのことはある、と思った。

 四季は、綱の作った料理には見向きもせず、犬の姿のままソファに陣取り、眠っている。


(こんなのも悪くないかな……)


 徹は、ふと、しばらく帰っていない実家のことを思い出した。

 誰かが作った手料理を食べるのは、いつ以来だろう。


「それにしても、不思議な食べ物だった。あのような物は、初めて食べた。

 確か……パン、と言ったか」


 綱がその味を思い出すかのように唇を噛み締める。

 徹は、それが綱と初めて会った時に自分が与えたパンのことだと思い出した。


「時代が変われば、食も変わるものだな」

「あんなもんで良ければ、また買ってくるよ」

「誠かっ?! なんと徹殿は、御心広きお方だ」


 喜んで感謝の意を示す綱を見て、徹は、少し照れくさく感じた。

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