【弐怪】正義の味方・渡辺綱、参上!

【弐怪】(壱)

――……とおるくん。ねぇ、とおるくんってば。


(……ん? 誰だ? 女の声……?

 どこかで見覚えがあるような……)


――とおるくん。私のこと、忘れちゃったの?


(え……いや、君みたいな可愛い子を忘れるわけないよ。えっと……)


――まあ、いいや。とおるくんは、私のこと、好き?


(え?! きゅ、急にそんなことを言われても……)


――私は、とおるくんのこと…………


 視界いっぱいに女の顔が近付いてきて、俺は…………



  〆  〆  〆



「徹殿。お目覚めか。

 朝餉あさげを用意しておりますので、お召し上がりください」


 徹の視界いっぱいに、白く美しい顔が微笑んでいる。徹は、一瞬、自分がまだ夢の続きを見ているのかと思った。しかし、それが狩衣を身に纏った綱であることを脳が認識すると、一気に現実世界へと覚醒する。


「…………あ、はい」


 徹は、ベッドから身体を起こし、机の上を見た。そこには、焼き鮭の切り身と味噌汁、納豆、漬物、ご飯が行儀よく鎮座している。味噌汁とご飯からは、白い湯気が立っていた。

 机の脇では、綱が正座をして、何かを期待するような目で徹を見上げている。

 徹は、寝癖のついた頭を掻きながら、これかなと思う言葉を選んで口にした。


「えーっと……ありがとう?」


 綱は、ぱっと顔を輝かせると、ご主人様に褒められた大型犬のような反応を示した。


「いえ、某は、徹殿の世話になっている身。

 これしきのこと、朝飯前でござる」


(他意はない、んだよなぁ~……)


 大学の同級生にも、わざわざ頼んでもいないのに講義のノートを見せてくれ、御礼の言葉を求めてくる輩がいる。

 しかし、綱からは、そういう〝あざとさ〟は微塵も感じられない。彼にあるのは、ただ忠義のみ。相手の役に立てる、ということが心底嬉しい、という顔をする。


 徹が綱の純真さに気付いたのは、彼と寝食を共にするようになって割と直ぐのことだった。とにかく綱は、思っていることがすぐ顔と態度に出る。綱がトランプを見つけて興味を持ったため、徹がババ抜きを教えてやったら、何度やっても綱が負けてしまう。そんなレベルだ。


 逆に、四季の場合、平時は犬の姿――本人は〝狼〟だと言って聞かないが――をとっているためか、あまり感情が表に出ない。何を考えているのか分からない不気味さは、やはり式神という人間ではないものの所為であろうか。それでも、クッションを抱えて丸くなる姿を見ると、ただの犬にしか見えないのだから不思議だ。


 そんな綱と四季が徹のアパートに住み付いて、早三日が経とうとしていた。 


「ところで、お前ら、いつまでここに居るつもりなんだ?」


 徹が鮭の切り身を箸でつつきながら訊ねた。綱の作る料理は、見た目が地味ではあるが、味は美味い。鮭の焼き加減も絶妙で、少し箸でつついただけで、ほろほろと身がほぐれた。

 健康的な食生活のお陰であろうか、いつの間にか徹を苛立たせていた口内炎も治っている。


「徹殿には、大変申し訳ないと思っている。拙者も、毎日あちらこちらを探して歩いてはいるのだが、なかなか見つからず……」


 綱が悔しそうな表情で下を向く。顔が整っていると、眉を寄せただけでも絵になるのか、と徹は少し妬ましく思った。


「えーっと……確か、妖怪を探してるんだっけ?」


 綱と初めて会った時、四季が話していた言葉を思い出しながら徹は訊ねた。今でも半信半疑ではあるが、少なくとも綱は、嘘をつけない人間だ、ということは分かる。

 それに加え、四季という、人間の言葉を解して喋り、姿も変えられる存在があることは確かなのだ。徹には、妖怪の姿を見ることは出来ないが、四季の存在を認めるなら、妖怪というのも、もしかすると本当にいるのかもしれない、そう思うようになっていた。


「どんな妖怪なんだ?」


 徹は、そう訊ねると、まだ暖かい味噌汁をすすった。豆腐とワカメを入れた味噌汁は、ダシの味がしっかり効いていて、優しい味が身体の隅々まで染み渡る。

 綱は、徹の質問に、真剣な表情で答えた。


「ヤツの名は、〝茨木童子いばらきどうじ〟。

 京を荒らし回っている鬼の一族のうちの一人です」


「鬼……って、妖怪の類なのか?」


 徹の知識にある〝鬼〟とは、桃から生まれた桃太郎が猿・犬・雉を連れて鬼退治へ行く、という日本人ならば誰もが知っている昔話に出てくる鬼だ。そんなものが本当にいるものだろうかと、徹には、まるで現実身が沸かない。それこそフィクションの世界だ。


「左様。茨木童子は、〝酒呑童子しゅてんどうじ〟という鬼の配下で、最も力のある大妖怪なのです。あと一歩、というところまで追い詰めたのですが、時空の裂け目に逃げ込まれてしまい……くっ、面目ない」


「しゅてんどうじ……どっかで聞いたことがあるような名前だけど……。

 何か他にそいつの情報はないのか?

 見た目とか、他にはない特殊な特徴とか」


「おお、見た目でしたら、このような面をしておりまする」


 そう言って綱は、意気揚々と、胸元から一枚の紙切れを取り出して見せた。そこには、子供の落書きのような絵が墨で描かれている。


「……………………これ、まさか、お前が描いたのか?」


「なかなかよく描けていると、頼光様にも褒めて頂きました」


 寸分の疑いも持たない綱の笑顔を見て、徹は、絵についての感想をそっと胸の内に仕舞っておくことにした。

 

「でも、探すにしても、何か手掛かりがないとなぁ。

 ただ闇雲に探すのは、非効率だ。俺は、非効率が嫌いなんだ」


 徹は、沢庵をぽりぽり齧りながら考えた。その時、ふと将が話していた言葉を思い出す。


『お前に勧めたアレにも書いてあっただろう』

『アレ?』

『【御伽草子】だよ』

『そう言えば、そんな話も……」

『あれは、御伽噺おとぎばなしだって言っても、実際にあった出来事をフィクション化してる話なんだ』


 茨木童子という鬼が本当に存在するか否かは置いておくとしても、【御伽草子】が実際にあった出来事を元にしているということならば、過去の文献を探せば、何か手掛かりが見つかるかもしれない。


「とりあえず、大学の図書館で資料を漁ってみるか。

 今日は、土曜で講義も休みだし。少しくらいなら、俺も手伝うよ」


 徹は、照れくささを誤魔化すように、味噌汁の具を箸で集めながら言った。綱の顔を見なくても、彼の喜ぶ様子が気配だけで伝わってくる。


「誠かっ?!

 なんと徹殿は、懐の広いお方だ。

 のう、四季! 誠に有難いことだ」


 綱に話し掛けられた四季は、綱の方をちらと一瞥しただけで、鼻を鳴らした。やはり何を考えているのかよく分からない、と徹は思った。


(まぁ、早く目的を果たして、ここを出て行ってもらいたいしな)


 決して、胃袋を掴まれたわけではないからなっ、と徹は、自分に言い訳するように心の中だけで呟き、残りの味噌汁を飲み下した。



  〆  〆  〆



 徹は、身支度を整えると、綱と四季を連れて家を出た。大学は、最寄りの駅から電車で二駅行った先にある。

 駅へ向かう途中、公園の前を通りかかった。

(そう言えば、ここで初めて綱と会ったんだったな。

 あー……読書感想文もまだ書けてねぇや。

 ……あれ、そういやあの本、どこやったっけ?)


 徹がそんなことを考えていると、一歩先を歩いていた四季がぴたりと足を止めた。くんくんと鼻を動かし、公園の方を見つめる。


『……ゴミ虫めが』


 そう低く呟くと、徹を置いて、公園の中へと駆けて行く。


「あっ、おい。どこへ行くんだ」


「妖気の臭いを嗅ぎ付けたのでしょう。

 徹殿。申し訳ないが、しばしここでお待ちくだされ」


 そう言って、綱までもが四季を追って、公園の中へと入って行く。

 まさかもう茨木童子を見つけたのだろうか、と思い、徹も後を追うことにした。

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