【壱怪】(肆)

「証拠か……そうだな」


 綱は、少し考えて、腰に挿している刀をすらりと抜いた。

 そして、刀身がよく見えるように、将の前へ差し出す。


「これは、源家に代々伝わる名剣<鬼切丸>。

 源満仲みなもと の みつなか様が天下守護のため、唐国で尊名高い刀鍛冶につくらせたという、

 目に見えぬあやかしらを切り捨てることができる妖刀だ」


 抜身の刀身がまるで生き物のように蠢き、鈍い光を放つ。

 徹は、綱の言っていることの半分も理解できなかったが、目の前にある刀身からは、ただの刀ではない異様に重たい気配が伝わってくるようで、息苦しさを感じた。


「こ、こここ、これが本物の<鬼切丸>?!

 ちょ、ちょっと見せて頂いても宜しいでしょうか??」


 将は、急に眼の色を変えて、敬語まで使いだした。

 徹は、嫌な予感がした。


「それは、できん。刀は、武士の命。

 今は、頼光様より信を得て、拙者が手にしてはいるが、本来は、主である頼光様のもの。拙者は、ただお借りしているに過ぎない。

 それを易々と他人に手渡すわけにはいかぬ故、こうして見るだけで、ご容赦願いたい」

「……おい。それ、本当の本当に本物なのか?」

「おおお……す、すごいっ! これが伝説の<鬼切丸>か!

 この波紋は……本物だ……っ!」


 将は、涎を垂らしながら綱の掲げている刀を見物をはじめ、徹の声など耳に入らないようだ。


「くっ……この歴史オタクが!」


 徹は、仲間を失った。



  〆  〆  〆



 その後、懐柔された将が警備員たちを引き付けてくれている間に、徹と綱は、大学の敷地から脱出することに成功した。

 まだ午後の講義が残っていたのだが、今戻っては、また騒ぎになってしまう。

 とりあえずは、将がうまく誤魔化しておく、と請け負ってくれたので、任せるしかないだろう。ついでに、代筆※も頼んでおいた。

(※出席率が単位取得の条件になっているため、出席しましたという代筆が必要なのだ。)


「……で、なんで俺についてくるんだ」


 徹は、先程からずっと自分の足元について歩く犬を忌々しいものでも見るような目つきで見やった。二歩ほど下がった後ろからは、綱がついて歩いてくる。


『言ったであろう。お主からは、陰の気が漂っておる。

 がつられて現れるまで、我らは主から目を離さぬからな』

「どうか、ご安心下され。貴殿の事は、拙者が必ずお守り致す」

「いや、頼んでないし。

 ……え、もしかして、俺を追って、教室まで来たのか?

 なんで俺があそこに居るって分かったんだよ」

『愚か者め。お主の匂いなど一度嗅げばわかる。何度逃げても同じことよ』


 どうやら上手く巻いたと思っていたのは間違いだったらしい。

 徹は、何やら渋い顔をして、歩を早めて歩いた。それに置いていかれまいとするように、犬と綱も歩を早める。


『昨日は、何故逃げた』

「誰だって逃げるだろう! あんな状況で!!」


 日本刀を振りかざしながら、侍の恰好で近づいてくる輩を世間では、〝変人〟〝奇人〟はたまた〝犯罪者〟と呼ぶ。

 徹は、更に歩幅を広げて、どんどん道の先へ進んで行く。

 犬は、苛立ったように吠えた。


『お主、先程からそのようにいて、一体どこへ向かっておる』

「家だよっ。他に行く場所もないし……でも、その前に……」


 徹は、そう言うと、突然、ある建物の前で足を止めた。

 建物の屋根には、煙突があり、もくもくと白い湯気が立ち上っている。


「まずは、風呂だ!」

『なんだここは』

「何? 銭湯を知らないのか」


 まさか、と思い、徹が綱の顔を見ると、綱は、ぽかんとした表情で煙突から出る煙を見上げている。


「お前ら、身体は、どうやって洗うんだ」

「湯浴みのことか?」

「そうだよ。いいか、お前ら言っておくが、すごい臭いだぞ」


 そう言って、徹が鼻に皺を寄せる。

 出逢った時から彼らの悪臭には気付いていたが、それ以上に刀の与える印象が強すぎて、突っ込む余裕がなかったのだ。


「一体いつから風呂に入ってないんだ」

「ぬぬ、そう言われてみれば、こちらの時代へ来る五日前に一度、湯浴みをしたきりだな」

「ぬあんだとっ?! 平安時代の人間は、毎日風呂に入らないのか?」

「うむ。湯浴みをするのは、占いで入る日が決まっている。

 貴族でも六日か七日に一度入るくらいだ。

 あとは、蒸し風呂というのもあるが……」

「……もういい。いいから、さっさと風呂に入ろう」


 徹は、軽いカルチャーショックに項垂れながら銭湯の中へ入った。その後から続いて、綱も店内へと足を踏み入れる。

 すると、番台に座っていた年配の老店主が、徹の足元を見るなり、渋い顔をしながら手で仰ぐような仕草をした。


「お客さん、悪いけど、犬は外に繋いでおいてくれ」


 徹は、その時、自分の足元にくっついて入ろうとしていた犬に気が付き、慌てて外へと連れ出した。 


『人であればよいのか』


 犬は、そう言うや否や、徹の目の前で突然、人間の女に姿を変えた。しかも、長く美しい銀髪を腰まで伸ばし、紫色の着物を着た艶やかな美女だ。


「えぇえっ?! 変身出来るのかよ!

 ……しかも、不必要に美人だし」

『当たりじゃ。我は、何事にも手を抜かぬ』


 そう言って犬は、腰に手を当ててポーズをとって見せた。胸元の合わせ目から胸の谷間が強調されて見え、思わず視線がそこへ向く。


「高位の式神になると、自在に姿形を変える事が出来るのだ」


 綱が補完するように説明をしてくれた。


「でも、姿は変わっても、口調は変わらないんだな……まぁ、便利な事だけは確かか」


 そして、再び三人で銭湯の中へ入ったが、男風呂へ入ろうとするところ再度、店主に留められた。


「女風呂は、あっち」

『むっ』

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