【壱怪】(参)

「おお、徹じゃないか。こんなところで何してるんだ」


 一瞬、警備員に見つかったのかと慌てて振り返ったが、声の主を見て、ほっと肩の力を抜く。

 同級生の平井 将だ。

 そう言えば、彼も、先ほど徹が受講していた講義を選択していた筈だが、教室で彼の姿を見ていなかったことを思い出す。


「堂々と遅刻かよ……」

「じゃ、お前はサボリか」

「俺のは、不可抗力だっ」


 将は、徹の主張を無視して、背後へと視線を向けた。その丸眼鏡の下にある目が何かを見つけて、ぎらりと光る。


「……んん? 君は……!」


 そう言って、将が徹の背後に居た綱の方へとにじり寄る。そして、綱の頭の天辺から足のつま先までを舐めるように検分し終えると、ほうっと関心するように溜め息を吐いた。


「いやはや、これはまた美形な上に凝ったコスプレですな。

 服装は、狩衣、腰には佩刀、平安時代の貴族衣装か。

 これはなかなか秀逸な」


 ずれ落ちた丸眼鏡をかけ直しながら、将が綱の腰に刺さった刀を食い入るように見つめる。綱は、彼から一歩身を引き、刀の柄に手をやると、真正面から将に向き直った。


「拙者は、渡辺綱と申す。

 とおる殿とは、昨晩知り合ったばかりだが、大変世話になっている」

「ほほー」

「俺は、知らん。まるで知らない赤の他人だ!」


 今すぐにでも、この危険な侍男から逃げ出したい思いでいっぱいなのに、これ以上いらぬ誤解を受けたくない。

 しかし、徹の訴えも空しく、将は、意味深な視線をちらと徹に寄越しただけで、すぐに綱の方へと向き直る。よほど綱のことが気になるようだ。


「なるほど、四天王の一人だな。

 綱と言えば、やはり美形。尚且つ、腰に佩するは、〝髭切りの太刀〟か」


 一人で全てを納得したように頷く将に、徹が驚いた顔で訊ねた。


「お前、綱のこと知ってるのか?」

「当たり前だろう! 俺を誰だと思ってる? 平将門たいらのまさかど様だぞ!」

「平井将だろ」

「うるさい! 将門と呼べ。親王であるぞ」

「わけわかんねーよ!」


 歴史オタクの将は、徹にも解るように説明してくれた。

 渡辺 綱わたなべのつな。通称、渡辺源次綱。正式名は、源綱。平安時代の武将で、源頼光みなもと の よりみつに仕え、頼光四天王の一人として鬼退治をした話で有名だ。かの有名な『源氏物語』の光源氏のモデルと言われている源融を先祖にもっていることから、彼もまた容姿が端麗であったと言い伝えられている。


「まさか、実在の人物だったのか……」

「お前に勧めたアレにも書いてあっただろう」

「アレ?」

「【御伽草子】だよ」


 将に言われて、徹は、読みかけのままになっていた本のタイトルを思い出した。あれも確か、将に読みやすいからという理由で奨められて選んだのだ。


「そう言えば、そんな話も……」

「あれは、御伽噺おとぎばなしだって言っても、実際にあった出来事をフィクション化してる話なんだ」


 その時、徹は、ある有り得ない可能性に思い当たり、はっと顔色を変えた。焦った様子で将の肩を掴むと、激しく揺さぶる。


「おい、将。俺の頬を叩いてくれ!」

「ぇえ?!」

「いいから、思いっきりやってくれ!!」


 しかし、将が手を出すより先に、式神が徹の足に噛みついた。


「い゛っでぇ~~~!!!」


 徹は、噛まれた足を抑えて、涙目になりながら式神を睨んだ。

 式神がふん、と鼻を鳴らす。

 とりあえず、夢ではないことだけは確かなようだ。 

 ずれ落ちた丸眼鏡をかけ直しながら、将が心配そうな目を徹に向けた。


「おい、一体どうしたんだよ。……ってか、その犬、何?」

「……将。落ち着いて聞いてくれ。

 どうやら俺、その『御伽草子』って本から、渡辺綱って武将を召喚しちまったみたいなんだ」


「……………………は?」


 呆けた顔をした将の肩を徹が再び激しく揺さぶる。


「本当なんだっ、この……こいつ渡辺綱って言って、なんとかっていう妖怪を探しているとかで、急に俺の目の前に現れたんだよ!

 それも、『御伽草子』を読んでる最中にだぞ?

 本から飛び出てきたんだよぉ~~~!!」


 あんまり激しく揺さぶるので、将の顔から丸眼鏡がずれ落ち、今度は、地面に落ちた。

 あ、と徹が手が止めると、おい、と将がむっとした声で眼鏡を拾う。

 幸い地面が土だったため、眼鏡は割れていない。


「それは違う。拙者は、本から出て来たのではない。

 時代を超えて、やって来たのだ」


 綱が落ち着いた口調で、横から口を挟んだ。

 徹と将は、綱を見た後、互いに顔を見合わせて固まる。


(マジか)

(ああ、おおマジだ。「本気」と書いて、マジだ)


 と、互いに目だけで語り合うと、将は、拾った眼鏡をかけ直しながら綱に向かった。


「……えーっと。つまり、おたくは、本物の渡辺綱で、

 過去から時空を超えて来た、と。そういうことかな?」


 将が確認を求めると、綱は、大きく頷いて見せた。


「仰る通り。この時代よりも遥か彼方にある過去の時代より参ったのだ。

 将門殿の仰っていたように、拙者は、源頼光様に仕えている。

 未来でも、頼光様のお名前が知れ渡っているとは、さすが頼光様だ」


 清々しい程に一点の曇りもない綱の笑顔を見て、将は、ふっと笑みを浮かべると、降参するように手を挙げた。


「変わったお友達だな……じゃ、俺は、これで」

「待て! さらっと俺を置いて行くなぁ~~~!!」


 そのまま笑顔で背を向けて去ろうとする将の肩を徹ががっしりと掴んで止めた。


「……そうだ、将。お前の入ってる、あの妙なおオタク研究会に、こいつを案内してやったらどうだ、きっと皆、泣いて喜ぶぞー」

「失敬な。妙なオタク研究会じゃない。列記とした歴史研究会だ。

 それに、自分を歴史上の人物と同一化するような危ない思考の人間をうちの神聖な活動に入れるわけにはいかん」

「お前が言うなっ!」


 将は、ごほんっ、と改めて綱に向き直ると、更なる説明を求めた。


「あなたが本物の渡辺綱である、という証拠は?」

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