【参怪】夢魔
【参怪】(壱)
月曜日の正午すぎ。大学の食堂は、昼食をとる生徒たちで賑わっていた。
徹は、将と机を挟んで向かい合い、座っている。茨木童子の話を聞かせてくれ、と頼むと、将は報酬に昼食代を求めた。
「そもそも、茨木童子の何が知りたいってんだ?」
豪華Aランチセットを注文した将は、美味しそうにお刺身を頬張りながら訊ねた。
人の金だからと全く遠慮を知らない友人を、徹は恨めし気に睨んだ。ちなみに、徹の注文したうどん定食は、ここの食堂で一番安い定食だ。
「だから、俺も何から調べていいのか分からないんだ。
そいつが現れそうな場所とか、好きなものとか……そいつを見つける手掛かりになりそうな習性みたいなものって何かないかな?」
一応、将には事前に、綱の目的が茨木童子という鬼である、ということは伝えてある。将ならば、実際に綱を目にしているので免疫があるであろうし、歴史オタクなので食いついてくるネタだろうと思ったのだが、意外なことに将の反応は鈍かった。あまり興味がないのか、もしかすると、あまり信じていないのかもしれない。
「うーん……って言ってもなぁ。茨木童子よりも、酒吞童子の方が有名だから、そっちの文献ってあまりないんだよなぁ」
思案するように視線を彷徨わせて、将が天ぷらを
「酒呑童子って……確か、茨木童子の親分だっけ?」
徹は、綱が話していたことを思い出しながら訊ねた。
そうそう、と頷きながら将が天ぷらを飲み込む。
「酒呑童子は、茨木童子の他にも多くの鬼を従えていて、大江山を拠点に、京都の姫君を浚っては食っていたんだ。その悪行をどうにかしなきゃならんってことで帝の勅命を請けて、源頼光が渡辺綱を筆頭とする頼光四天王――――渡辺綱、
ちなみに余談だが、この坂田公時ってのは、昔話で有名な金太郎さんだ。
んで、この酒呑童子ってのが大の酒好きでな。それを利用して、毒の入った酒を鬼たちに振る舞い、油断したところで寝首を掻いた――――っていう話だ。
……ってか、お前ちゃんと【御伽草子】読んだのか?
あれにも書いてあったんだけどなぁ……。
茨木童子の方は、一条戻り橋で渡邊綱に腕を切られた、って話くらいで……」
将の問いかけに、うどんを食べながら話を聞いていた徹がぐふっと
「あー……あれな。探してるんだけど、見つからなくて……どっかに落としたのかなぁ」
「おいおい。お前、貴重な文化財を……ってか、講義の課題どうするんだ?
締め切りは、明後日だぞ」
「そうなんだよ、今更ほかの本を選んで読んでも間に合うかどうか……これはもう、お前の力を借りるしかないっ」
と言って徹は、先ほどから密かに狙っていた、将の皿の上にあるエビの天ぷらへと箸を伸ばした。
しかし、寸でのところで将の箸がそれを摘まみ上げる。
「やらん」
むしゃむしゃとエビの天ぷらを頬張る将を、徹が恨めし気な目で睨んだ。仕方なく、自分の小皿に乗っていた漬物をぽりぽり齧る。
そういえば、と将が唐突に話を切り出した。
「鬼が元は人間だった、って話、知ってるか?」
「え」
「もしかしたら、誰か人間に化けてたりしてな……」
将は、エビの尻尾をバリバリ食べながら、にやりと笑った。
「これ、あなたの本?」
突然、徹の横から澄んだ女の声が聞こえた。驚いた拍子に、徹の座っていた椅子が音を立てる。顔を上げようとした徹の目の前に、見覚えのある古びた本が差し出された。表紙には【御伽草子】と書かれている。
「あっ、これ……どうして……?」
本を受け取りながら、徹が椅子から立ち上がる。顔を上げたところで相手の顔を見て、更に驚く。本を渡してくれたのは、徹もよく知る、
「この前、教室で拾ったの。あなたの本だったのね」
「あ、ありがとう。探してたんだ……」
徹が本を受け取り、礼を言うと、透子がふっと優しく微笑んだ。それだけで周りの空気が華やぎ、花が飛ぶようだ。徹の顔が心なしか赤くなる。
「よかった。これ、面白い本ね。
今度、うちの劇でも扱おうと思うんだけど、よかったら次に貸してもらえる?」
あ、私、演劇部に入っているのよ、と透子が説明を付け加える。だが、そんなことは説明されなくても、徹も知っている。演劇部のジュリエット、と噂されて名高い彼女のことを知らない男など、この大学内には一人もいない。
「え、いいよ。それじゃ、先に君が……」
「ううん。課題で必要なんでしょ?
……ごめんなさい、さっき話してる声が、ちょっと聞こえちゃったの」
「いや……ありがとう。助かるよ」
それだけ言うのが精いっぱいだった。目の前に憧れのマドンナが立っていると思うだけで、徹の心臓は今にも爆発寸前だ。本を持つ手が汗で湿っている。
(……そうだ、連絡先を聞くんだ!)
本を読んだら連絡する、と言えばいい。そう思うものの、口の中が乾いて言葉がうまく出てこない。愛くるしい黒い瞳が自分をじっと見つめているのを見て、つい視線をそらしてしまう。
「うん? どうかした?」
透子が小首を傾げて尋ねる。漆黒の長い髪が絹ようにさらりと音を立てた。
「いや……あ、あの……」
「ごちそーさまっ!」
妙な空気を遮るように、将が、ぱん、と音を鳴らして合掌し、席を立った。空になった食器が乗ったトレイを手に、徹の傍を通り過ぎようとして、ふと立ち止まる。
「……あ、そうだ。渡すの忘れてた」
将は、肩から下げていた鞄から何かを取り出すと、お土産だ、と言って徹の方へそれを放った。
徹が受け取ったのは、小さな紙袋だった。封も何もしていないので、中を覗いて見る。白地に赤色で五芒星の描かれた御守りが入っている。
「……なんで御守りなんだ?」
「いや、なんかお前、最近妙なもんに憑かれてそうだったから」
確かに、と徹は複雑な気持ちで半ば納得する。袋から御守りを取り出して、さんきゅ、と将に向かって礼を言うと、それを見た透子がひらりと身を翻した。
「徹くん、いい夢を――」
透子は、手を挙げて意味深な言葉を投げかけると、くるりと背を向けて行ってしまった。
ふつうは、「さようなら」とか「じゃあまたね」だと思うんだがな、と将が呟いた。
だが、透子と言葉を交わした時間の余韻に浸っていた徹の耳には、まるで聞こえていなかった。
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