予鈴の鳴る時刻に

瑞葉

第1話

(1)

 烏丸(からすま)美羽(みう)はゆっくり歩いている。そこは中学校そばの、白樺がたくさんある森林公園だ。秋の白樺は幹がゴツゴツしていて、森のいい匂いがした。

 公園のベンチに、パンダ柄のハンカチが落ちていた。

 誰のものだろう? 女子か、小さな子供のもの?

 拾い上げてよく見ると、パンダ柄は手縫い刺繍のようだ。「たいら」とひらがなでその脇に刺繍で書いてある。

 公園脇の森林管理事務所に届けよう。

 美羽はハンカチを持って立ち去ろうとする。

 その時、美羽のスマホに朝陽(あさひ)先輩からのメッセージの通知があった。

「今日の放課後、時間ある?」

 困ったようなスタンプとともに表示された言葉。

 美羽の心拍数が一気に上昇した。

「あります!」

 勢いよく人差し指でスマホ画面を押す。

 朝陽先輩は同じ中学校の3年生。美羽は2年生。

 同じ吹奏楽部の先輩後輩だ。楽器は先輩がアルトサックスで、美羽はフルートだ。


(2)

 坊主頭の男子が、そんな美羽を背後からながめていた。彼はハンカチの持ち主だった。

 肌の色が浅黒い。紫色のニットを制服の下に着ている彼は、山岳探検部の黒鉄(くろがね)平良(たいら)。部活の朝練習で体を鍛えるために、毎朝、この公園近辺でランニングやストレッチをしているのだった。

 美羽とは同じクラスだ。話したことはない。

「まずいもの見られたなあ」

 平良は頭をぽりぽりと掻く。烏丸美羽か。男子がパンダ柄を持っているからと言って笑うタイプの女子ではない。

 彼女はいま、スマホに夢中だ。ハンカチを拾ってネコババしようとしたのでもあるまい。森林管理事務所に届けようとしてくれていたのだろう。

 けれど、ハンカチを無意識に鞄の中に入れてしまい、その存在を忘れてしまったのか。森林管理事務所を通らない小道に入っていく。その道はたしかに中学校への近道ではあった。

「おおい、烏丸」

 平良はついに、大きな声で彼女を呼んだ。

 美羽はハッとした表情で振り返る。それは、スマホに夢中な時に他人から声をかけられたら、誰でもびっくりするだろう。

 目を丸くしてこちらを見ている。平良はその表情を見ると、言おうと思っていた言葉、(そのハンカチは俺のだ)がどうしても出てこなくなってしまった。

「いや。別にいいんさ。同じクラスだし、道で会ったから挨拶でもしようと思ってさ」

 照れ隠しに空を向くと、空が龍のうろこのような雲に覆われている。

「みてみ。いい空さ」

 美羽はこちらを警戒していたようだったけれど、空を見上げて表情をほっとゆるめる。

 こうしてみると、えらいべっぴんさんだな。

 平良は途中から空を見るのをやめて、美羽の顔ばかりながめていた。

 ふたりして空をながめているうちに、結構長い時間が経っていたようだ。キンコーン、と中学校の予鈴がなる。この学校の予鈴は朝7時45分と朝8時15分の2回鳴る。吹奏楽部の朝部活は、1回目の予鈴の鳴る時刻ちょうどから始まるのだ。

「部活、朝練サボっちゃったな。たまにはいいかな」

 美羽は笑って、恥ずかしそうに言った。

「部活の先輩と、最近いい感じでね」

「あー。そりゃ、ご馳走様」

 平良は女子と話すことなんかそもそもレアだ。美羽が何を言おうとしているのかわからない。適当に話を合わせるしかない。

「多分、先輩に告白されるのかな、と思ってる。今日の放課後に。だけどね」

 すごくモテる人なんだ。そう小さな声で言った。

「交際なんか、2週間で終わっちゃう子も過去にいたくらいなんだ。先輩、モテるし気が多いから、これから大変なのかな。なんか、むつかしいよね」

「俺に相談されてもわからねー。同じクラスの女子にしろよ! そういう相談は」

 平良は大きな声を出してしまう。美羽が傷ついたような表情でこちらを見ていた。

 平良と美羽は、お互い気まずい思いを背負ったまま、距離を1メートル開けて、並んで登校した。


(3)

 朝陽先輩の件はあっけなかった。

「烏丸さんと同じクラスに、すごい美少女いるだろ。モデルみたいな。そうそう、斑目(まだらめ)さん」

 先輩は、生徒会書記の斑目ユイさんについて知りたかっただけだったみたい。美羽のことが好きなのではなかった。

 結局、渡さなかったな。

 朝陽先輩に渡すつもりで、何日か前から準備していたラブレター。カバンから取り出して、ながめている。

 それから、あのハンカチのことを思い出した。

「たいら」と刺繍されていた、パンダ柄のハンカチ。

「もしかして、黒鉄くんのだったの?」

 彼の名前、平良(たいら)や、朝の不審な態度に納得がいった。

 黒鉄くんの連絡先、知らないや。

 明日朝、また、予鈴の鳴る時刻ちょっと前に、白樺のある公園に行けば会えるかな。ハンカチは洗濯しないといけないから渡せないけれど、ちゃんと、わたしが持ってること言って謝らないとな。


(4)

 翌朝6時半。平良は朝のトレーニングの支度を始めた。いつも持ち歩いているハンカチがなくて、気持ちの奥がすうすうする。代わりに紅葉柄の、高校生の姉ちゃんのお下がりのハンカチを持っていた。

 あのパンダ柄は、俺自身が小学校の家庭科の裁縫実習で作ったもので、お気に入りだったんだ。

 他では手に入らないんだぞ。

「アイツめ」

 低くつぶやいて、平良はトレーニングシューズを履いてカバンを肩にかける。今日も晴れた1日になりそうだ。

 胸の奥でチラリと期待がある。アイツに会えたら、とか、そういう気持ち、ある。いや、そんなの間違いだぞ。俺はそんなの、これっぽちも期待しちゃいないんだぞ。

 龍のうろこのような雲が、今日も空に広がっている。





 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

予鈴の鳴る時刻に 瑞葉 @mizuha1208mizu_iro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ