雪、涙。
クリスマスケーキのCM、おせち料理のパンフレット。
北海道ではもう雪が降って積もっているらしい。
みんながクリスマスが近づいてテンションが上がる中、俺は日に日に下がっていた。
十二月。楓桜がとうとう入院したのだ。
部活に出ると面会時間が過ぎてしまう。
でも部活をサボって楓桜のお見舞いに行くことは本人に辞めて欲しいと言われた。
病気だってことは知られてもいいけど、春夢病だということはあまり知られたくないらしい。
あとはきっと、俺のことを考えてくれているのだろう。
月火木金日。週五日ある部活は、平日は十八時に解散だ。
学校から楓桜の入院している病院まで約二時間かかる。
着くのは面会時間終了の二十時だ。
部活のある日は変わることなんて三ヶ月に一回あるかないかで、それも楓桜はもちろん把握済み。
学校が終わって、暗闇の中スマホを開くと、楓桜からメールが入っていた。
『やばい!すごい快適!』
そのメッセージと共に一枚の写真。
この前ブログで読んだ通り、本当にアパートの一室のような部屋だった。
『一人暮らし始めたのか?』
ついこの間お見舞いに行った時はまだ検査中で、まさに病院ですよって感じの部屋にいたのに。
思わずそう聞きたくなるような空間だ。
送ってすぐ、スマホをポケットに滑り込ませてまだ慣れることができない一人の帰り道を歩く。
明日は部活が休み。お見舞いに行く日だ。
家の前まで歩くとブブッと震えるスマホ。
楓桜かなと画面を見ると、楓桜の桜ではなく水族館のシャチのアイコン。
なんだ、蒼か。
『オープンスクール明日だから袴忘れんなよ』
明日。土曜日。普通なら部活は休みだ。
……いやいや、明日じゃないだろ、確か。
急いでカレンダーを確認すると、めちゃくちゃ書いてあった。オープンスクール。
しかもいつもは服装は体操服と袴どちらでもいいのにこの日は必ず袴着用。
もちろん袴は好きだ。
でも人間たるもの好きでもだるいときはある。
まあ、着るんだけど。
『おう。今週土日両方部活かよ』
送るとすぐに既読が付いて返信が来た。
『んなわけないだろ。代わりに日曜休み』
そのメッセージへの返信の隙も与えてくれないまま、次のメッセージ。
『先生の話聞いてなかったのかよ』
そりゃあ担任だったらまあまあちゃんと聞くけど。でもそれは後々の学校生活に関わることもあるし、下手したら呼び出されることもあるからで。
部活に関しては名前を呼ばれるのは大会のチーム発表のときくらいだ。
『俺が顧問の先生の話ちゃんと聞いてる方が珍しいだろ』
返信をして、楓桜のトークルームを開く。
『明日部活になったから昼過ぎに会いに行くな』
そう送った後、外の寒さとは裏腹に温かい家の中へ入った。
高校に中学生がたくさん。
夏に一度あった、懐かしいような、そうでもないような光景。
「鴻基荷物多くね?」
おはようもなしに声をかけてくる蒼。
「部活終わったら行くとこあるからさ」
「あぁ、槙原のとこか」
「うん」
……え?
なんで知ってるんだ?
楓桜もクラスの人には何も言わずに入院生活をスタートさせたし、先生も何も伝えていない。
ただ、家庭の事情で、と。それだけ。
俺も誰にも言っていないのに。
「驚きすぎだろ」
そんなこと言われても。
知らないはずのやつが知ってたらそれは驚くだろ。
「いや、なんで知ってるんだよ」
「槙原から聞いたんだよ。メールで」
見せられたトーク画面。俺も見たことがある桜のアイコンの相手とのやり取り。
『高尾くん、私ちょっと入院しないとになったから、その間鴻基のことよろしくお願いします』
『おう。分かった。大丈夫か?』
『全然大丈夫。心配されるようなことじゃないから』
『おっけ、鴻基のことは任せろ』
『ありがとう!』
そこでやり取りは終わっていた。
まるですぐ戻ってくるような、来年も再来年も、そのまた先も元気に生きていけるような文面だった。
「結局、なんで槙原は入院してんの?」
「それ聞くのかよ」
本人には深掘りして聞かないのに俺には詳しく聞こうってか。
蒼に言わないってことは言いたくないってことだろうし、察しろよ。
「何となく。別にどこも悪くなさそうだったからちょっと気になって」
どこも悪くなければ、良かったのにな。
楓桜の記憶能力は日に日に落ちてきている。
ミリ単位の変化ではあるけど、一週間経つとその病状は明らかに悪化しているのが嫌でも分かるのだ。
映画を観たってメールが来た次の日、なんの映画を観たのか、スマホで観たのかテレビで観たのか分からない。
大会でいい成績残したよ、と言うと、つい先日まで大会頑張れって言ってくれていたのに、大会あったなら教えてよって言われたこともある。
病状が悪化していくってことは、死が近づいているってことで。
「俺の口から言っていいのか、分かんない」
「そうだよな、ごめん」
「いや、大丈夫」
バシッと少し強めに俺の背中を叩いた蒼と、中学生へ向けて部活動紹介をする準備へ向かう。
本当は男女一人づつで紹介する予定だったのに、俺と蒼になったのには理由がある。
女子の部長が急用で来られなくなり、副部長は生徒会の仕事で手一杯。
これ以上女子が抜けると立ちが回せなくなるからと、一週間前に男子副部長の蒼に指名されて俺もやることになったのだ。
ちなみに男子部長は一ヶ月ほど前にオープンスクールの役員に推薦されて、今日はその仕事がある。
袴に着替えて時計を見る。
もうすぐ九時。部活動見学が始まるのは十時からだ。
複数の班に別れて一つ一つ部活を回っていくから、同じ説明を何度もしなければならないらしい。
シャッターを開けると、暗い道場に一気に光が差し込んで、少し暖かくなったような気がした。
個人個人の準備を終え、集まって挨拶をする頃にはもうその時間に差し掛かっていた。
「それじゃあ高尾と仁海、よろしくね」
顧問が話の最後にそう言って、部活が始まった。
部活に来て袴を着たのに、今日は弓を触れるかどうか。まぁ、そういう日があってもいいか。たまには。
弓を見ながら考えていたら外がざわざわし始めた。
来たみたいだ。
「行くか」
「そうだな」
外に出ると、引率係と書かれた腕章を付けた部長だった。
「あ、俺の代わり鴻基になったのか。しっかり頼むよ」
「おー、任しとけー」
棒読みで返すと、笑って言った。
「こんな奴に任せられねーわ」
「皆、ここは弓道部です。副部長の高尾蒼くん、部員の仁海鴻基くんに説明してもらいます」
素早く切り替えたかと思うと、いきなり名前を呼ばれて少し驚いてしまう。
「弓道部男子副部長の高尾蒼です。ちなみに部長はこの引率係さんです」
「仁海鴻基です」
よろしくお願いします、と揃って挨拶をしたあと、練習風景を一緒に眺めた。
「ざっくり言うと、ここで矢を射って、あそこにある的に当てる競技です。危ないので矢道……この草むらのところは入らないでください」
おぉ、しっかりしてる。いつもとは違う先輩感がある。
そんな蒼からのアイコンタクトを受けたら、次は俺の番。
「これは行射という、立って行う試合形式の練習方法です。四本打つので、二本は床に、残りの二本は手に持って始めます。二本打ち終わったら、床に置いた二本も取って同じようにやります」
蒼と違って下手な説明に話していて嫌になりそうだ。
それでもへぇー、と頷きながら聞いてくれる中学生に救われた。
「次は矢取りを見てもらいます」
雨宿りができる程度の小さい小屋から少し離れた所で矢取りが始まるのを待つ。
「さっき立っていた人の一番前の人がお願いしますって言ったら矢取りに入ります」
その説明をした直後、道場からお願いしますと聞こえた。
大前の人が先導しながら、一番一本、二番三本、三番残念、四番三本、五番皆中です!と少し張った声で言う。
「当たった本数を言ってもらって、道場にある黒板に書いてもらっています。足し算をして当たった総数が大会のチーム決めに関わってきます」
流石だ。これからこういうことがあったら蒼に任せよう。
「なにか質問がある人はいますか?」
最後に聞いてみるも、誰も手を挙げず。
「それじゃあ、時間なので次の部活に行きます。弓道部の高尾くん、仁海くん、ありがとうございました」
部長はそう言って、体育館の方へと中学生を引率して行った。
同じことを四回くらい繰り返して、丁度部活が片付けに入る時間に仕事が終わった。
初めて来た。病院の最上階にある春夢病専用病棟。
部屋番号の隣にある名前を確認する。
槙原楓桜様と書かれた扉をノックをしてゆっくりスライドさせる。
「あ、鴻基!久しぶり」
声がする方へ顔を向けると、元気そうな笑顔が目に入った。
「なにしてんの?」
「え?あー……壁ドン?」
自分の体制を思い出したのか、気まずそうに言った。
「楓桜はする方じゃなくてされる方だろ」
「それは私の自由でしょ」
そう言いながら体制を戻して、ソファに座った。
俺も隣に腰掛けて、荷物を降ろした。
「あ、これやるよ」
手渡したのは、コンビニで買ってきた五百ミリリットルの抹茶ラテ。
学校の自販機は同じやつでも二百五十ミリリットルで寂しいと言っていたから来るついでに寄ってきた。
「やった!おっきいのだ」
「あと、これも」
「うぇ」
机の上に楓桜用にとったノートを広げた。
現代文、古典、生物に日本史、数学、英語。
楓桜が好きそうなルーズリーフのバインダーに全教科まとめて留めておいたのだ。
「今日補習だっけ?」
もうテスト週間かー、なんて呑気に抹茶ラテを開けて飲んでいる。
「来週からだよ。そしたら毎日会いに来れるな」
「毎日ノート届けに来るのかー。それは嫌だな」
楽しそうに笑った。嘘偽りの無い満面の笑みで。
「あれ、じゃあなんで制服着てるの?」
土曜日。いつもなら部活がないってことは覚えているらしい。
でもやっぱり、メールの内容は綺麗に消え去っていた。
「オープンスクールで部活だったんだよ。だから明日は部活なし」
ふーん、と数回頷いたあと、突然立ち上がって俺の手を引いた。
「お腹すいたでしょ。売店行こ!」
確かに腹ぺこだ。学校から病院まで、コンビニで楓桜の抹茶ラテだけを買って自分のご飯のことなんて考えていなかった。
「でも出ていいのかよ」
「病院の敷地内ならいいの。ここの病院庭みたいなとこあるからしょっちゅう散歩してるよ」
へぇ、病院にもそんなところがあるのか。
建物だけが凄いだけだと思っていたら意外と外の環境もちゃんとしてるんだな。
「雪降ったら楽しいな」
「雪降らなくても楽しいよ」
目をキラキラさせて、ワクワクが止まらないみたいな表情で言葉を続ける。
「春になると桜が咲くんだって。満開の桜のトンネルをくぐれるの」
桜が咲く。それを楓桜が見る。
それは楓桜にとって人生最後の桜になる。
そういうことは、きっと考えていても言わずに、できるだけ考えないようにしているんだろう。
それを、話し終わった後に時折寂しそうにする表情が物語っていた。
「外で食べない?案内してあげる」
「おう」
エレベーターで一階まで降りて、売店という名のコンビニに入る。
置いてあるものは、そこら辺のコンビニと全然変わらない。
カップ麺とか、絶対置いていないと思ってた。
意外にもラーメンも焼きそばも、うどんもそばも、定番のものが揃っていた。
ドラマでは病院の先生はカップ麺をよく食べているイメージはあるが、そのためだろうか。
「鴻基何食べる?」
しばらく別行動で物色していた後、隣に来た楓桜は既にカゴにサラダと梅干しおにぎり、デザートを入れていた。
「んー、サンドイッチと餃子かな。あとカップ焼きそば」
片手にそれらを抱えていると、楓桜に奪われた。
「今日は私の奢りね」
そう言うとレジまでの道のりにあるお菓子やデザートを次々とカゴに入れ込んでいた。
「そんなに食べて大丈夫かよ」
それに病院は病院食を食べて生活するんじゃないのか?他のものは検査もあるから食べちゃダメですよ、みたいなのをドラマで観たことがあるような気もする。
「今日は春夢病患者は俗に言うチートデイなのです」
ふふん、と得意げな顔で笑ってみせると、小走りでレジまで行ってしまった。
「ちょ、俺が払うよ」
流石に女子に、彼女に奢ってもらうのは男としても彼氏としても申し訳ない。
でも俺の声は届かず、あの量を全てレジに通すには早すぎるスピードでレジを抜けた。
「早くね?」
「この病院、最新機器搭載してるから。服屋さんみたいにカゴ置くだけで中身の商品全部一覧になって出てくるの」
まじか。今どきの最先端コンビニはそこまで進化してるのか。
「いくらだった?」
あの量は五千円、下手したら一万円を超えているかもしれない。
カゴいっぱいに買っていたもんな。
その恐ろしさからか、楓桜が口を開くのがスローモーションに感じる。
「タダだよ」
……え?は?
「いやいやいや、そんなわけないだろ。少なくとも千円以上は確実だろ」
「商品券持ってるからいいの」
「はぁ」
意外な答えに呆然とした声が出る。
それに付け足すように、楓桜は言った。
「試薬飲んだり血液検査とかしょっちゅうだから、病院が支給してくれるの」
そうなんだ。なるほど。
そんな制度があるのか。
「行こ!」
食べ物をいっぱい詰めた袋を片手に、外へ案内してくれた。
「もう息が白いね」
そう言われて、息を吐いてみた。
もくもくと空へ昇っていく俺の息。
冬だなとしみじみと感じる。
「ここが桜のトンネル」
そこには、両側にたくさん生えた大きな木が二十メートルほど続いていた。
ここが満開になったらどれだけ綺麗か、想像出来ない。
それは今までこんなに桜が集まった所を見たことがないからだろう。
他にもクリスマスローズやパンジー、センリョウの木。
季節を感じさせてくれる植物がたくさんあって心が休まるような気がした。
ただ、寒い。寒すぎる。
それは楓桜も同じようで、結局食事は部屋で取ることになった。
「何食べる?いっぱいあるよ」
袋から出した中身をどんどん机の上に並べていく。
「どんだけ買ったんだよ」
「鴻基とお腹いっぱいに食べきれそうなくらい?」
食べ切れるのか?これ。
主食・六個。
サラダ・四個。
おかず・五個。これはまぁ、いけそう。
デザート・九個。
しかも全部手前取り。消費期限今日明日中で数十パーセントオフばっかりだ。
いい事だけど。もちろん。
忘れていた。あとお菓子十個。でもこれは日持ちするからいいや。
それに俺は健康体だけど楓桜は病人だ。
「こんなに食べて大丈夫か?」
「お医者さんに認められたチートデイって言ったでしょ」
「そうだったわ」
俺が納得すると、楓桜は手を合わせてご飯を食べ始めた。
おにぎり、サンドイッチ、唐揚げ。
どんどん食べる。じゃんじゃん食べる。
俺も食べるけど、それに負けない勢いで食べる。
「将来フードファイターにでもなるつもり?」
つい口を滑らせて思ったことを聞いてしまった。
「そんなわけないじゃん。スタイル維持したいし、こう見えてちゃんと夢あるし」
「へぇ、どんな?」
楓桜だから、メイクアップアーティストとかかな。それかデザイナー?
少しわくわくしながら答え合わせ。
「保育士になりたい。だから奇跡が起きた時のために一応勉強してるの」
「あー、確かに楓桜っぽいかも」
小さい子が大好きな楓桜にピッタリだ。頭の中で想像出来る。
「そんな鴻基の夢は?」
夢。
小さい頃はヒーローとか警察官とか、そういうのに憧れていたけど、今はこれといってなりたいものもやりたいこともないことに気づいた。
「今はないかな」
「そっか。じゃあ色んな挑戦できるね」
そう笑う楓桜はどこか寂しそうだった。
十二月二十四日。クリスマスイブ。
学生にとってその日は、冬休みの始まりの日。
部活も奇跡的に二十四、二十五と休みで、これはきっと神様がくれたクリスマスプレゼントだと思っている。
サンタとは程遠くなったお年頃。
今やプレゼントは、毎年やっている楓桜とのプレゼント交換のみだ。
雪の結晶があしらわれた巾着袋を持って朝から病室へ向かう。
ノックをして部屋に入るも、楓桜の姿はなかった。
検査中だろう。
待っている間、ソファに寝転がってスマホを眺める。
蒼からのメッセージを開くと、メリークリスマス!と楽しそうな顔つきクリスマスツリーのスタンプが送られてきていた。
同じように返せばいいかと、クリスマスと打ち込んでも持っているスタンプは何も出てこなかった。
『メリークリスマス』
付け足すようにサンタの絵文字も送っておいた。
暇つぶしに漫画アプリを開くと、スマホが震えてバナー通知が来た。
蒼と表示された隣に赤いバツマークと青いチェックマーク。
まだまだ来そうにないから、応答のチェックマークを押す。
「鴻基メリクリ」
「おー、メリークリスマス」
恋人か、俺らは。
クリスマスイブの昼間から電話して、虚しくないか?
「今日何すんの?」
そう話し始めるときはだいたい暇なときだ。
「会話かな」
「は?」
向こうから聞こえてくるガチトーン。
何言ってんだお前みたいな声だ。
「蒼は何すんだよ」
分かりやすく話題を蒼へと向けると、ドアの方から音がした。
「あ、鴻基!」
「え、誰?」
楓桜の声が聞こえたのか、電話越しに聞かれる。
「楓桜」
俺が答えると、嬉しそうに駆け寄ってくる楓桜となるほどみたいな声を出す蒼。
「蒼、電話切るわ」
「え、高尾くん?」
電話しているのに気付いていなかったようで、びっくりしたように言った。
「ちょっと貸して」
そう奪われた俺のスマホは楓桜の耳にあてがわれた。
「もしもし高尾くん?」
話し始めたかと思うと、今から送る!と言ってあとでねと勝手に電話を切った。
俺のスマホを片手に、自分のスマホでなにかしている。
「電話切った?」
「あ、切っちゃった。ごめん」
「いや、いいよ。切るつもりだったし」
そこで電話の話は終わりだと思った。
でも楓桜はびっくりするようなことを口にした。
「今から高尾くん来るよ」
ふーん。そうなんだ。蒼も来るのかって思った。聞いてすぐは。
「え?まじで?」
よくよく考えたら楓桜の病気のことも病院も知らない蒼がいきなり来る。
状況を理解したとき、一瞬時が止まった気がした。驚きすぎて。
「うん。看護師さんがホールケーキの引換券くれたからクリスマスパーティーしよ!」
病院の売店……コンビニのクリスマスケーキの引換券を見せながら言った。
テレビCMで毎年見る、ズコットのショートケーキだ。
あれ、これここのコンビニのじゃなくないか?
「これ、交換してきて欲しいって言ったら行ってきてくれる?」
上目遣いで言われたら、ただでさえ可愛いのにさらに可愛くなって、もちろん断れるわけが無い。
「うん、行くよ」
そう受け取った引換券の住所を見ると、病院の近くのものだった。
「これ、看護師さんに貰ったんだよな?」
「うん、なんで?」
なんでって、楓桜は病院から出られないのに。
新手の嫌がらせか?
「これ、ここのコンビニのじゃないだろ?」
「あぁ。看護師さんね、彼氏さんにサプライズで予約したんだけど彼氏さんが予約してたんだって。だから今日お見舞いに来てくれる人がいる私にくれたの」
なるほど。納得だ。
「じゃあ行ってくるな」
「うん。お願いします」
楓桜に見送られて病室を出た。
ケーキを引き換えるついでに三人分の飲み物とクリスマスらしいおかずを買ってコンビニを出た。
「あ、鴻基」
声の方へ振り向くと蒼が立っていた。
「おー、昨日ぶりだな」
「おつかい?」
俺の手元を指さして言った。
「まぁ、そんな感じ。行こう」
蒼と並んで歩く。
それはほとんど学校でしかないイレギュラーなことだ。
蒼と遊んだのは昨年の夏祭りで最後。
ということは、私服で並んで歩くのは一年以上ぶりってことになる。
「お楽しみ会どうしようかな」
不意に蒼が口からこぼした。
お楽しみ会とは、きっと部活の年に一度あるイベントのことだろう。
どうするもこうするも、今年最後の部活である納射の日か、来年最初の部活の初射の日かのどちらかだ。
決めるのは、今年を楽しく終わるか、来年を楽しく始めるか。
「正直どっちでもいいけどな。女子はなんて言ってんの?」
悩むなら女子の意見に頼ればいいんじゃないかと思って聞いてみる。
「どっちでもいいからあとは男子に任せるって。なんで部長は冬休み全部使ってばあちゃん家帰るんだよぉぉ」
「部長の家庭では毎年恒例だから仕方ないよ。昨年もいなかったし、遠いんだろ?確か」
この前聞いたら、片道二十二時間、休憩込みで一日半くらいかけて車で行くらしい。
それは短い冬休み全部使うよな。
「じゃあジャンケンで決めよ。早いし」
いきなりスンとした顔をしたと思ったら閃いたように言った。
「ありだな」
「じゃあ俺が勝ったら納射、鴻基が勝ったら初射で」
分かったと返すと、最初はグー!といきなり言われる。
ジャンケンポン。あいこでしょ。
グー、パー、パー、チョキ、グー。
病院の敷地内に入っても決着がつかない。
何度目かの、少し疲れが見えるあいこでしょで決着がついた。
蒼がパー、俺がチョキ。
「決まりだな。初射の日だから、一月五日で」
スマホのカレンダーに書き込んで、二人でエレベーターを降りた。
見慣れた景色を蒼と二人で見て歩く。
不思議な感じがする。
「俺ら仲良しだな」
病院の廊下だからか、何も話さなかった静かな空間で蒼はそんなことを言い出した。
「なんだよいきなり」
「だってそうだろ?あんなにあいこになるなんてさ」
確かに、言われてみればそうだ。
昔、よく何度も何度もあいこになると、仲良しだねと言われたものだ。
「ここ」
楓桜ともそんなことあったな、と思っていたら、病室の前まで来ていた。
ノックをして部屋に入る。
そこはここを出たときから打って変わって、キラキラとした部屋に生まれ変わっていた。
「鴻基おかえり!高尾くんいらっしゃい!」
やけにテンションが高い楓桜に背中を押されるように部屋の中へと押し込まれる。
「あ!さっすができる男鴻基くん!ケーキのついでにジュースにおかずまで。ありがとう」
「シャンメリーとかじゃないんだな」
袋を覗いた蒼が不思議そうに言った。
「私炭酸飲めないの」
そうなのだ。だから楓桜は抹茶ラテ。
炭酸好きの蒼はサイダー。
俺は気分だったレモンティー。
「そうなんだ。なんか意外」
「なんで?」
「イチゴ系の炭酸飲んでるイメージあったから」
分かる。甘酸っぱくて可愛いもの飲んでるイメージある。
机の上に買ってきたものを出しながら二人の会話を聞く。
「てゆうか、蒼でいいよ」
「じゃあ楓桜でいいよ」
出会いたてホヤホヤか、君たちは。
はじめまして、僕高尾蒼っていいます。あなたは?
私は槙原楓桜です。
槙原さん。よろしく。
よろしくね、高尾くん。
あ、蒼でいいよ。
じゃあ楓桜でいいよ。
こんな感じだよな。
「鴻基は鴻基だもんな」
「は?」
「うん、鴻基は鴻基」
要するに、俺のことは二人とも名前で呼ぶのに楓桜と蒼はお互い苗字呼びってことだな。
「じゃあ改めて。よろしくね、蒼くん」
「よろしく、楓桜」
手を取り合い二回上下に振ると、ゆっくりと離された。
「じゃあ、メリークリスマス!カンパーイ」
完全に楓桜のペースに乗せられてクリスマスパーティーが始まった。
「そういえば楓桜ってなんで入院してるの?」
話しながら食べていたら、ついに聞かれた。
楓桜はなんて答えるんだろう。
シンと静まり返ったこの空間に、ドクンドクンとやけにうるさい心臓の音が二人に聞こえていないか不安になる。
「蒼くんは友達だから、特別に教えてあげる」
そう言ってすぐ、少し焦った顔をして、慌てて付け足した。
「誰にも言わないって約束してね」
「うん、分かった」
緊張に満ちた空気の中、俺をチラッと見た楓桜はゆっくりと息を吐いて話し始めた。
「春夢病って知ってる?」
「あぁ、あの春の夢しかみられなくなる病だっけ。治療法はない、昔で言う結核みたいなやつだよな」
結核。
昔は不治の病として知られていたけど、今は薬を飲めば治るところまで医療は進歩した。
ただ、春夢病と結核の違うところは、春夢病は人には決してうつらないこと。
早く春夢病の治療法も見つかってほしい。一日でも早く。
「そう。それでね、これ……」
落ち着いた口調で話す楓桜は、通院帰りにカラオケに寄った日と同じようにウィッグを取って見せた。
それは、もう俺には見慣れてしまった姿。
半分くらいの髪が桜色に染まっていて、それは最期の日が近づいていることを表している。
人が来ると事前に分かっていたらウィッグを被るから、その方が俺には新鮮に映っていた。
「髪……染めたの?」
蒼の反応は、俺の時と同じだった。
あの時よりも美容院で染めました感が強く、一瞬見ただけならインナーカラーで桜色を入れたんだと思ってしまう。
もちろんしっかり見ると一本の髪が桜色と黒の二色に分かれているから春夢病の症状の悪化が見て取れてしまう。
少し俯いた楓桜は、ゆっくりと首を左右に振った。
「私、次の夏まで生きられないの。桜が散るのと同じ時期に……」
死ぬんだ。
とは言わなかった。
ただ黙って俯いて、手をグッと握っていた。
俺は何を言ったらいいのか分からなかった。
それはきっと、蒼も一緒だ。
「でも、特別扱いとかはしてほしくないの。だから病気のこと話してないし、話さないでって頼んである。だから蒼くんも、今までみたいに接して欲しい」
「うん、わかった」
楓桜の言葉をしっかり飲み込んだ蒼は、サイダーを一口飲んで頷いた。
朝起きると異様に寒かった。
遮光カーテンを開けると、真っ白な雪景色が広がっていた。
一年を通して雪が降るか降らないかのこの地域。
自分の最寄り駅から楓桜の病院のある駅を検索にかけると、雪のため運転見合わせと表示された。
つぶやきがメインのSNSを覗いたら、起点から終点まで全部止まっているらしい。
雪降ると大変なんだなと初めて実感した。
何時まで降るのかとお天気アプリを開くと、ブブッとスマホが震えて蒼からのメッセージが届いた。
『今から家出る』
まじか。俺も早く準備しないと。
『わかった』
簡潔に返事をしてスマホを置いた。
今日は蒼と映画を観に行く。
それもこれも、楓桜に頼まれたことだ。
好きなドラマが映画化して、それをどうしても観に行ってほしいと頭を下げられたのだ。
流石に一人で映画館は勇気がいるから暇だと話していた蒼と二人で行くことにした。
家の近くの映画館。
蒼の家から映画館へ行くまでのあいだに俺の家があるから蒼とはこの家で待ち合わせだ。
待ち合わせというよりも、迎えに来てもらうという方が正しい気はするけど。
急いで朝食を食べて準備を始める。
ちょうどカバンを手にした頃、ピンポーンと来客を知らせるチャイムが鳴った。
ナイスタイミング。
モニターホンには出ずに、直接玄関へ向かう。
扉を開けると案の定蒼が立っていた。
「おはよ」
「おー」
軽い挨拶を交わし、誰もいない空間に行ってきますと家に鍵をかける。
「いい天気だよな」
サクサクと雪を踏みながら道を歩く。
なんで雪道は誰も踏んでいないところを歩きたくなるんだろう。
永遠の謎だ。
「綺麗だよな、雪って」
見慣れた景色が真っ白な別世界に一変する。
結晶がキラキラと輝いて、小さな宝石が沢山集まった世界にいるみたいだ。
……こんなにメルヘンチックな考え方になったのは、きっと楓桜の影響だろう。
雪は世界を真っ白なキャンパスに変えるし、雨は虹への希望の道。
これは楓桜の言い方をキラキラ、とかそういう表現を無くした言い方を必死に考えた結果である。
「何観るんだっけ」
そういえば、なんだっただろうか。
裁判系の映画だったことは覚えているけど、タイトルまではきっちり覚えていられなかった。
楓桜とのメッセージでのやりとりを見返して、タイトルを見つけ出す。
『法律の演奏』
どこか音楽関係の映画かと勘違いしてしまいそうなタイトルだ。
「法律の演奏。正しく、尚且つ楽器演奏のように美しくなめらかに判決を決める裁判官の話らしい」
簡単に調べて、ホームページに書いてあるキャッチコピーらしき文章をそのまま読んだ。
よくドラマが映画化すると書いてある、『あの裁判官・佐藤伊須萌がスクリーンへ!』と大きく書いてある。
佐藤伊須萌。女か?
ページをスクロールしていくと、イケイケ男子大学生としか見えない人の顔写真の下に、さっきの名前。
男でも『萌』って字がつくことがあるのか。勝手な偏見だけど、あの漢字は女の子につける感じだと思っていた。
しかも可愛いというよりはイケメンの方が似合う。なんか、すごくモテそうな顔をしている。
実際、俳優になっているという時点でモテているのは確定だろうけど。
「あー、それ母さんが観てた。法律の演奏ってタイトルだけあって、トランペットとかバイオリンとか、楽器弾きながら裁判進めてた」
なんだそれ。
でもまあ、確実に見ることのできない無い世界観を味わえることは分かる。
「正直乗り気じゃなかったけど楽しみになってきたわ」
楓桜の頼みだからと引き受けたけど、ドラマを知らないし俺に頼むのは間違いじゃないかと思っていた。
だけどなんだか、このホームページといい蒼の観たドラマの一部といい、どことなく面白い要素が詰まっている気がする。
視界も空気もひんやりとするのを感じながら、軽い足取りで残り半分の映画館への道のりを歩いた。
「凄く面白かったよ」
「でしょでしょ!」
堂々と映画の内容をネタバレしていくのを楽しそうに相槌を打ちながら、ときには声を出して笑いながら聞いてくれる。
「かっこよかったでしょ、佐藤伊須萌」
キラキラした目で話す。
俺にはその気持ちがよく分かった。
「おう。あんなになめらかに判決を下すだけじゃなくてどんな楽器でも引ける法律家ってすごいな」
楓桜と二人でワクワクしながら話すのは楽しかった。
でも心から楽しめていない自分がいた。
一月に入って十数日がすぎた今、楓桜の病状はハッキリ分かるほど悪化していた。
もうほとんど桜色だ。黒の方が少ない。
壁にかけられた新品のカレンダーをみると、余命はもう三ヶ月を切っていた。
本格的に死へのカウントダウンが始まる時期が、とうとうやってきてしまったのだ。
「これ、買ってきたんだけどいる?」
カバンから取り出したのは、映画グッズのガベルとバイオリンのチャームが付いたストラップ。
よく分からないものより、こういうどこかに付けられるものの方が楓桜は好きだ。
あとはパンフレット。
映画を観たら、楓桜は絶対に買うやつ。
俺は中身を見たことがないけど、楓桜にとって欲しいものなら無駄だとは思わなかった。
「高尾くんと観に行ったんだよね」
ついこの間、お互い名前呼びになったのに、楓桜は蒼のことを高尾くんと呼んだ。
忘れたのだ。名前呼びになったことを。
「うん。すぐに来れなくてごめんな」
きっとこれは、入ってきたらすぐ言うようなセリフ。
部活と大会、家の用事。
色々なことが重なって、やっと久しぶりに会いに来れたのに、用事があって帰る寸前に言う言葉じゃないだろう。
「いいよ。来てくれただけでも嬉しいから」
そう笑う楓桜の笑顔は、どことなく寂しそうに見えた。
まるで、まだ行かないでと言っているみたいだ。
「じゃあ、また来る」
楓桜をぎゅっと抱きしめて、病室を出る。
なんでこんなときに大会が重なるんだ。
少しイラついて、握り拳で自分の太ももを殴る。
出してもらえることは嬉しいこと。
だけどやっぱり、好きに優先順位は必要だ。
エントリー済みの大会に出たくありませんなんて顧問に言える訳もなく、結局出るんだけど。
人生が残り少ない好きな人に逢いに行く時間を作れない自分に嫌気がさした。
ただ悔しくて、悲しくて。
帰りの電車の中でこっそり泣いた。
「今日ってなんの日だっけ」
持ってきたものをまじまじと眺めながら言う。
昨日来たとき、楓桜がSNSを見てもうこんな時期かと零した。
そう、もうバレンタインだ。
刻一刻と別れが近づいている足音がする。
「ていうかさ、鴻基が来てくれるの、久しぶりだよね」
無邪気な笑顔で口にする。
「え……?」
思わず戸惑いの声が口から漏れてしまう。
だって、昨日も来た。その前の日も。
昨日はまぁ、大体いつも通りだったのに。
「どうかした?」
「いや、なんでもない」
逆チョコレートを渡すも、それがバレンタインだからということに気付いていない。
もしかしたら、バレンタインというイベントすら忘れているのかもしれない。
完全に染まりきった髪。
一日前の俺との会話もとうとう忘れてしまっていた。
視覚からも聴覚からも、病状の進行が嫌でも伝わってくる。
「わ、チョコだ。綺麗……」
そうだよ。チョコだよ。
ちゃんと楓桜が好きそうな、見た目が綺麗で味の種類も豊富なやつを選んできたよ。
楓桜にとって最後のバレンタインデーだから、いいものを食べさせたかったんだ。
奮発して、有名なショコラティエのものを買ってきた。
喜んで欲しくて、買ってきたんだ。
「美味い?」
だから、せめて笑顔だけでも見せて欲しい。
美味しそうに食事をする姿は、どんなに酷い進行状態でも変わらないから。
美味しいって、幸せそうな笑顔なのは、ずっとずっと変わらなかったから。
「すっごく美味しい!」
幸せそうだ。すごく。
楓桜の周りがぽわぽわしてみえる。
「よかった」
「どうしたの?今日なんか変だよ?」
俺が言ってすぐ、間もつくらずに聞いてくる。
ほんと、楓桜はなんでも分かるな。
流石幼馴染だ。
「また、気が向いたら話すよ」
「ふーん」
そう、口をとがらせる。
仕方ないよ。こんなことを話したところで楓桜を苦しめる材料にしかならない。
話せるわけない。
限られた人生を苦しいことだったり辛い顔をして過ごすよりも、少しでも幸せに、笑顔で楽しんでほしいって思う。
好きだから。楓桜は俺の彼女だから。
誰よりも長い時間を過ごしてきて、誰よりも大切な人だから。
少しでも、俺の中に残る楓桜が笑っていてほしいから。
でもそんなことを考えてしまっている自分が、何よりも嫌いだった。
無意識に楓桜と別れる準備を始めている自分が、楓桜がもうすぐ死んでしまうことをどこかでしっかり理解している自分が、嫌で嫌で仕方なかった。
少しでも楓桜の死を受け入れている自分が、有り得ないのに。認めたくないのは変わらないのに。
楓桜はこの先、何年も何年も生きていくって信じていたいのに。
なんで俺は、こんなに最低なヤツなんだろう。
嬉しそうにチョコレートを頬張るのを見ながら、このまま時が止まればいいのにと考えてしまう。
楓桜がずっとこの笑顔を俺の隣でみせてくれるように。
俺が、もっと最低な人間にならないように。
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