夏の終わりのデュオ

いちはじめ

夏の終わりのデュオ

 茜色に染まった空の下、畑の中を通る道のまだ昼間の熱を残しているアスファルトの上に、自転車を押す二人の影が長く伸びている。


「今日も補習か? 夏休みだというのにご苦労さんだな」


 カラ、カラ、カラ、カラ


「私、春先に一か月も入院してたから仕方ないんです。おかげで夏休みの宿題もはかどっているし、そう悪くはないです。先生も毎日部活のお守りで大変ですね」


 カラッカラカラ、カラッカラカラ


「まあクーラーの利いた理科室だからな。運動部の顧問に比べると大したことはない」

 カラカラと二台の自転車が発するラチェットの音が、まるで二重奏(デュオ)のように絡み合ってアスファルトの上を流れていく。

 セーラー服の少女が、二台の自転車を隔てて歩く先生に話しかけた。

「それはそうと先生。先生の噂が広まっているようなんですけど知ってます?」

「俺の噂?」

「そう、先生の噂」

「知らないな」

「えっ、知らないんですか?」

「ああ、知らん」

「じゃあ知りたいですか?」

 少女は話たくて仕方がないとばかりに、自転車を先生の側に少し倒して先生の横顔をのぞき込んだ。

「別に」

 先生は前を向いたままそっけなく答えた。

「自分の噂に興味ないんですか」

「生徒が流す先生の噂など、どうせろくなもんじゃないに決まっている。特に知りたいとは思わないね」

「へー、そうなんだ。それが女子生徒との禁断の噂だったとしても?」


 キキッー


 ブレーキが強く鳴った。

 少女は、先生の二、三歩先であわてて止まると、振り向きざまに片手を顔の前であたふたと左右に振った。

「いやいや、私が言ってるわけじゃありませんよ、先生。噂です、う・わ・さ」

 ため息をつきながら、先生は自転車をゆっくりと少女の隣まで進めた。

「……困るな、そんな根も葉もない噂を流されたんじゃ。そうでなくても最近は条令やら、コンプライアンスらや、なんだかんだと世間の目がうるさくなっているんだから……」

「困りますねぇ」

 少女はなんだかうれしそうにおどけると、再び自転車を押し始めた。先生もその後に続いく。

「いいかよく聞け、これは昔の同僚の話なんだが、女子生徒と付き合っているという根も葉もない噂を学校で流されて、しかも相手の女子高生が妊娠……」

「ええっ~、やだ~、やっちゃったの~」

 少女は大げさにのけぞった。

「バカ、人の話はちゃんと最後まで聞け」

 少女はわざとらしく首をすくめて舌を出した。

「……それでだな、大騒ぎになったんだけど、実際、妊娠はおろか付き合っている事実もなかったんだ。どうもその生徒が同僚の気を引こうと自分で流した噂だったようだ。でもやつは父兄会やら教育委員会やらにこっぴどく叩かれて、結局他校に異動させられる羽目になったんだ。そしてその生徒も居づらくなったんだろう、しばらくすると退学した。だから興味本位で、そんな噂流すんじゃないぞ。流された側も、流した側もろくなことにはならないんだからな、分かったか」

「だから、私が流しているんじゃないんですってば」

 今度はふくれっ面をした少女がブレーキ音を響かせた。

 再び二人は立ち止まった。

 辺りは少女の表情を窺うことができないほど暗くなりかけていた。

「でも先生。その噂が本当だったらどうなったんですかね……」

「ん? どういう意味だ?」

「だから……、ほんとに付き合っていたらどうなったのかなぁって。異動や退学ってことにはならなくて、めでたしめでたしってことになったのかなぁって」

「バカ、さっきも言ったようにそんなことはだな、今や……」

「あ~あ、つまんないの」

 少女は先生の言葉を唐突に遮るや否や自転車に跨り、力いっぱいペダルをこぎだした。そして瞬く間にスピードに乗り、少女は黒髪をなびかせて遠ざかっていく。

 その少女の背中に向かって先生は声を投げかけた。

「そんな噂、本当は無いんだろう」

「知りませんよ~だ。先生、サヨウナラ~」

 少女は立ちこぎをしながら、前を向いたまま片手を振った。

「ライトは点けとけよ、気を付けて帰るんだぞ」

 そう付け加えると先生も自転車に乗り、ゆっくりとペダルを踏みこんだ。

 晩夏の夕暮れ、更に湿度を増した空気はかすかに少女の香をはらんでいた。

                                  (了)

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