第16話

父から教えてもらった三人の人物全員と、祝詞は連絡をとることができたのだが、誰も塵野の今の居場所を知っている者はいなかった。

 だが、当時、塵野が住んでいたアパートと、隆寛が言っていた廃教会以外に、集会場所として使用されていた市民会館を知ることができた。

 市民会館は、隣町にある多目的施設で、会議室のような部屋を一、二時間であれば、それほど高くない金額で借りることもできる場所であった。

 市民会館の事務員に、当時の利用者リストがあるか確認してみたが、個人情報である上に、十年以上前ということもあり、塵野を知る人間とも接触することは出来なかった。

 祝詞が次に向かったのは、当時塵野が住んでいたという『古谷アパート』だった。

 町の端の方にある、駅から徒歩二十分以上歩いたところにある、格安物件だ。

 祝詞は建物の名前から管理会社を検索して、入居希望者のフリをして連絡を繋ぎ、アパートの持ち主である大家の古谷 夏美にまで、コンタクトをとることに成功した。

 古谷 夏美は、五十代後半から、六十代くらいの女性で、とても温厚そうな人であった。

 祝詞が正直に自分の行っている仕事と、調べていることを話すと、古谷はそれを疑うことなく、信じてくれた。というのも、かねてから祝詞の噂はなんとなく耳にしており、繋がりが持てれば、依頼したいと考えていたからだそうだ。

 大家など、不動産を営む人間の間では、祝詞の仕事を知るものも少なくない。理由はもちろん、持っている土地や家、ビルやアパート、マンションで起こる怪奇現象を即時解決できる専門家として、口コミが広がっているからである。

 事故物件ではなくても、多くの人が住み、生活する場所では何らかの霊障が起こることは珍しくはなく、それを解決できる人間はそうはいない。

「噂には聞いていたけど、直接面識はないし、紹介してくれっていうのも、自分のところに事故物件抱えているのを言いふらすようなものだからねぇ。どうにか、個人的に連絡をとれないか、悩んでいたのよ」

 古谷はそう言って、快く古谷アパートの見学の許可と同行を許してくれた。

 古谷アパートは、独身向けの格安アパートで、築三十二年ということもあり、かなりガタがきている決して『綺麗』とは言えない建物だったが、管理だけはきちんとされているようで、特別汚れているような印象は受けない。

 しかし、祝詞はその建物を見た途端に、眉を顰めた。

 所謂『嫌な感じ』が、建物から滲みだしているのだ。本当に出る心霊スポットや、霊障被害のある場所から感じる、あの感じだ。それも、これまで感じたことがないほどに、強烈なものであった。

 だが特段、恐怖はない。

 現在の祝詞は、どれほど強い念を持った幽霊でも、凄惨な行動を起こす悪霊でも、影響を受けることはない。霊の超常的が物体に作用して、ポルタ―ガイストを起こし、実際の皿やコップが飛んでくる場合などを除けば、祝詞が霊障を被ることはまずないからであり、幽霊である以上、倒せない相手ではない。

「202号室、ですよね。その、塵野さんが住んでいたのは」

「どうしてわかったんだい?」

「あの部屋だけ、ヤバいんですよ。すでに、雰囲気が」

「やっぱり、そうなの? 実はね、ここだけの話だけど……」

 古谷曰く、元々この部屋では一人も人は死んでいない。土地にも建物にも、そういった『いわくつき』な事件は、調べられる限りでは起こっていない。

 にもかかわらず、塵野が退居後に入居した住人に、次々と怪奇現象が起きたらしい。

 それも刻一刻と、霊障は悪化し、実害が出るまでに半年とかからなかったそうだ。

「幽霊が出る、っていう、直接的な報告を受けてね。最初は私も信じなかったけど、そのうち、心を病んじゃって……」

 精神的におかしくなり、退居を余儀なくされた。そこから、次の入居者も、次の入居者も、幻覚が幻聴の症状が現れ、精神を病んでいったそうだ。

「……殆どの住人がね、自殺をしたみたいなんだよね」

 古谷は渋々と言った感じで、そう口にした。

 もちろん、このアパートではない。退居した先で、自殺をした人間が、大家の知る限りで八人いた。塵野の後、この十年で入居者は十七人ということを考えると、かなり多い。その数字も、あくまで『大家が知る限り』であって、もしかしたら、さらなる人数がこのアパートを去った後で自ら命を絶っているかもしれない。

「住むと気が狂う部屋、か」

 祝詞は呟くと、

「明日、もう一度来ます。その時、部屋に入れて貰えますか? やりますよ。『幽霊退治』ってやつをね。202号室も、その他に飛び火している部屋も、全部まとめて片付けます」

「本当かい? それで、値段は?」

「本来なら、一現象につき五万……あそこには少なくとも十体以上いるので、七十から八十万になるのですが。今回はお代はいりません。その代わり、入居者の情報を、塵野のものも含めて、教えてください」

 祝詞は取引を持ち掛けた。

通常八十万の料金を個人情報の漏洩という違法な手段で帳消しにすること。

「どの道、成功報酬なので、金にしても、情報にしても、幽霊を消して実際に霊障がなくなってからってことになるんですけど、どうします?」

 この手の依頼者で、初めて祝詞を利用する人間の殆どは、半信半疑であることが多い。

 霊障やそれに伴う実害は目の当たりにしているので、仕方なく信じているとしても、それを祓う、解決できるという霊能力に関しては、半分以上は信じていないことが殆どなのだ。

 その信用度というのは、そのまま支払う金額に比例する。

 何とかはして欲しいが、眉唾ものには、金を払いたくないというのが本音なのだ。

 だからこそ、祝詞が持ち掛けた取引は、成立しやすい。

 霊は祓ってくれる、実質金は払わなくて良いとなれば、大抵頷くのだ。

「交渉成立ですね。では、明日改めてお伺いします。ああ、そうだ。明日は少し爆竹のような破裂音や、バットを振り回したりもしますけど、基本部屋は傷つけないので、安心してください」

 祝詞は古谷にそう言って、一度帰ることにする。

 今日、このまま十数体を消し去ることもできなくはないだろうが、それは単純に十数人対一の喧嘩をするようなものであり、ガチの格闘家や兵士でもない限り、対多人数の戦闘などこなせるわけもない。

 圧倒的に優位だとは言っても、タイマンの殴り合いと、一対十では、話が違うのは言うまでもない。

 電磁波プラズマグレネードとプラズマバットくらいの装備は欲しいところだ。

 祝詞はグッと伸びをした。

 少し早すぎるが、ウォーミングアップだ。佐藤 淳の一件では、祝詞の唯一にして最大の能力を一つも生かすことが出来なかった。

 高木紗代の呪いの一件は、調べれば調べるほど胸糞が悪く、救いもなかった。

 おまけに何もできない自分に心底ムカついていた祝詞のフラストレーションは、すでに限界に近い。

 祝詞は、スマホを取り出して、親光に電話をかける。

「頼光、明日なんだが、時間あるか?」

 一応、親光を呼ぶことにする。実際に部屋に入るのは自分一人で、親光はドアの外で待機しておいてもらう予定だ。

 頼光は確かに幽霊がはっきりと見えるし、日に日にその力は強くなっているが、それだけだ。道具を使えば、それなりに幽霊にダメージを与えることはできるが、祝詞のように完全に消し去ることは出来ない。

 霊障への耐性も高く、所謂『憑りつかれる』可能性は低いが、それも絶対ではない。

 装備を持たせて、万が一……実に万に一つの事態ではあるが、祝詞が幽霊消滅に失敗した時の『保険』として、祝詞の救助及びとりあえずの応急処置要員として、それが親光の主な役割である。

 家に帰り、いつものように磁石が埋め込まれた電磁波バットをケースに仕舞い、電磁波グレネードが入っているボストンバックを準備する。

 祝詞はイメージトレーニングも兼ねて、想像してみる。

 あの202号室には、確かに十数体の『気配』を感じた。嫌な空気は、ドアの隙間や窓越しに滲み出ており、中に蠢いているものが、決して守護霊や誰かを思いやった結果、この世に残った思念ではないことは明白だった。

 まずはグレネードで先制、全体にダメージを与えて、近くのやつから可能なら一撃で消滅させていく。

 問題は幽霊の強度だが、それは考えても仕方がない。タイプや思念の強さによって幽霊の強度はかなり変わってくるものだ。

と、そこにスマホの着信音が鳴り響く。

『もしもし? 式守、あんた、今日学校来ていないの?』

 その声と口調には覚えがある。京珠のものだ。京珠からの電話は珍しいものではないが、大抵の場合は、祝詞が製作を依頼していたアイテムが、完成したか、あるいは現段階では製作が不可能であることが判明した時、その報告が殆どとなる。

 今現在は、何も頼んでいないのだが――。

「ちょっと調べたいことがあってな。仮病で休んだ。それで、どうしたんだ? お前から連絡なんて、珍しい」

『この前の依頼主、緋ノ森、杏璃、だっけ?』

「ああ、緋ノ森が、どうかしたのか?」

『うちの生徒で、同じ学年の式守の隣のクラス、つまりは『B組』だよね?』

 祝詞がA組で、その隣となればB組なのは当然である。順序的にも、そして教室の物理的位置関係からも、『隣のクラス』はB組であることは間違いない。因みに、京珠のクラスは、E組である。

『いないんだよ』

「いない? じゃあ、別のクラスか。頼光は隣のクラスって言ってたけど……実際、俺も校内ではあまり見かけないからな」

『違うんだよ。いないんだ。緋ノ森杏璃っていう生徒は、どこにもいない』

「はぁ……? どういうことだよ。じゃあ、外部の生徒だったってことか? でも、制服もウチのを着ていたはずだ。そんな手の込んだことをしてまで、俺に依頼に来たってことか」

 そこまで言って、自らの言葉に違和感を覚える。

 いや、そんなはずはない。

 頼光は、なんて言って紹介した?

《見ての通りの美人さんで、校内ではそれなりに有名なんだけど……祝詞は知らないよね?》

 確かにそう言っていた。

 校内で有名ということは、祝詞の高校の生徒でなくてはあり得ない。

 可能性として、校内で有名な別の高校の生徒で、それが制服を調達して着こんで、生徒のフリをして依頼しに来たというのも、佐藤太鳳が別の高校の生徒であることから考えられることではあるが、それにしてはあまりにも、不自然だ。

 それにそもそも、祝詞と頼光は、佐藤淳の一件で共に調査したり、相談するにあたり、校内で会うこともあった。

 その時はどうしていた?

 校内で偶然会うこともあり、祝詞たちがB組に会いに行くこともあった。

 そう、不自然な点や怪しい点はなかったのだ。だからこそ、彼女が同じ高校の生徒ではないなどとは、考えもしなかった。

『一応、ウチの生徒達にも聞いてみたんだけど、誰も知らないんだ。緋ノ森杏璃って人間をね』

 祝詞は絶句した。

 大抵の不可思議な現象は、彼にとって『日常』であって、一通り自分なりに説明もできるし納得も出来ている。

 だが、今回のこれは、明らかにおかしい。

「ありがとう、京珠。俺も少し当たってみる。詳細が分かったらまた連絡する」

 祝詞は殆ど一方的に電話を切ると、杏璃へと電話をする。

 が、その電話はすでに使用されていないことになっていた。

「やっぱり、そうなるよな」

 一人呟くと祝詞は次に、つい先ほど電話したばかりの親光へと連絡をした。

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