第17話
「ここが、その、塵野 異忌って人が住んでいたアパートか。確かに僕でもヤバいの感じるよ。202号室だろう? もうここからでもわかるね」
古谷アパートの前に立った親光は、古びた階段越しに眺めてそう言った。
時間は昼下がりで、天気も良いはずなのに、どうにもそのドアからは薄暗い何かが滲み出ていた。
「だろ? とりあえず、俺一人でやるから、親光は万が一の時と、ないとは思うけど、部屋から幽霊が逃げた時の対応をしてくれ」
祝詞は、呼びの磁力バットとグレネードを二つほど親光に手渡して、そう告げた。
「ほんじゃ、行ってくるわ」
すでに鍵は大家から預かっている。
祝詞は、バットをケースから抜き出して、ワザとガラ悪く担ぐ。
もう片方の手には、部屋のカギ。腰に付けたダンプポーチの中には、電磁波グレネードが三つ。
さび付いた外階段を静かに登り、202号室のカギをゆっくりと開ける。
開錠の音の後、大きく息を吸い、祝詞はグレネードのピンを抜く。
心の中でカウントを始め、二秒が経過したところでドアを開け、室内へとグレネードを放り込んで、直ぐに閉める。
バンッという破裂音がしたのを確認してから、改めてドアを開けた。
小さな玄関から、すぐにキッチンがあり、そのまま六畳の居間へと続くワンルームのアパート。
「こんな狭い所に、よくもまぁ、ぎっしりと……」
思わず、祝詞はそう呟いた。
キッチンにへばりつくように三体の幽霊。おそらく男二人に女一人だが、グレネードの影響をもろに受けたせいか、半身や顔が吹き飛んでいる。
それらに一撃ずつ、バットで攻撃を加え、確実に消滅させていく。
それぞれが各々に、何を口にしながら動き始めていたが、それを制するように形が保てなくなる程度に破壊する。この幽霊というエネルギー体の仕組みは奇妙で、体を半壊以上させると自然に証明するのだ。個体差はあるが、どんなにしぶといものでも、三分の一になるまで破壊すればあとは消えていく。
相手が幽霊なら、祝詞の専門だ。
祝詞はこれまでのうっぷんを晴らすように、容赦も情けも迷いもなく、次々に始末する。
居間には、佇む半透明な人影が三体、もっとはっきり見えるものが五体、地を這っているのが、四体。女性が七で男性が五。祝詞が扱ってきた案件のうち、圧倒的に女性の霊の方が多いが、所詮は数十件程度。統計としてどちらが多い、と断定するには数が足りない。
そんなどうでも良いことを考える余裕を持ちながら、玄関口付に数歩下がって、再びグレネードを投げる。
電磁波グレネードは、実害はほぼない。
爆発音はするものの、それはこの小さな機構内で電磁波を発生させる時に生じる電気音――つまりは、『バチッ』という音が大きくなったもので、単発の爆竹程度の音量だ。
そしてもちろん、通常のグレネードのような実害的な破壊力はない。
もっとも、電子機器は多少なりとも故障する可能性は高いが。
グレネードは周囲一、二メートルに軽い衝撃波のような空気の歪みを発生させ、その歪みはそのまま幽霊へのダメージとなる。それはまさしく本物のグレネードのごとく、幽霊の体を破壊するのだ。
血まみれの顔、恨めしい顔、暗く影のかかった顔。
どれも、人間と呼ぶには違和感を覚えるほどに異質な顔と、個体によっては体すら生きてる人間とは到底思えない状態の人型に、恐怖を覚えないといえば、語弊がある。
不気味なものはいつ見ても不気味であり、血塗れの恨み顔など、何の影響もないと分かっていても、突然目の前に現れれば、軽く声を上げる程度には驚くし、怖いか怖くないかで言えば、『怖い』のだ。
だがそれ以上に、
「俺はそういうこっちの都合を無視して干渉するお前たちが、心底ムカつくんだよ」
狭い室内でも効率的にバットを振り回し、残りを撃破していく。
途中、女性の幽霊が瞬間移動的なものを見せて、背後を取られるも、その気配をも正確に捉えることができる祝詞は、瞬時に身をかがめて応戦する。
祝詞は素手であっても、幽霊を十分に破壊し、消滅させることができる。
バットを使うのは、より効率的に相手にダメージを与えられることと、単純に赤の他人を、それも幽霊などという正直訳の分からない状態になり下がった人間を素手で触りたくないという実に利己的な理由からであり、体一つで殴り合っても、本来ならなんら問題はない。
「数が多いと、やっぱ手足を使わなくちゃいけないよな」
面倒くさそうに呟いて、右手のバットをふりまわしながら、左手で殴り、時に掴んで放り投げ、蹴りで転ばせ、踏みつけるといった、大立ち回りをする。
アクション映画の殺陣さながらの動きで、部屋に詰め込まれていた幽霊共を消していく祝詞。
時間にして、五分弱。
最後の一対の頭をバットの先で潰して消滅させたところで、祝詞は大きく息を吐いた。
「さすがに十五対一は初だが、案外イケるものだな」
部屋を改めて見回し、倒しそびれがないかを確認する。
「ひとまず、ここは終わりか」
祝詞はゆっくりと部屋を出て、ドアの前で待っていた親光に軽く手を挙げる。
「やっぱり僕の出る幕はなかったね」
頼光の言葉に、軽く手をあげて返す祝詞。
二人はその足で近くに住む大家、古谷の家に行き、始末が終わったことを告げて、報酬の『情報』を聞き、最寄りの駅までもどることにした。
いつものように、アンバードロップの奥の席を陣取ると、
「それで、ここに戻って来たってことは、塵野を追うよりもまず、緋ノ森さんってことだよね?」
頼光が珍しく祝詞よりも先に話題を提起する。
「ああ。詳細は昨日電話で話した通りだ」
緋ノ森杏璃という少女が、実は高校には在籍していない。
その奇妙過ぎる事実に関してである。
「……そうだ。僕は確かに、彼女をこの高校の生徒だと認識して、祝詞に紹介したんだ。その記憶は今でもきちんと覚えているよ」
「俺も覚えている限りでは皆、なにも違和感なく、緋ノ森をウチの生徒だと認識していたはずだ」
祝詞はいいながら、杏璃と初めて会った時の印象を思い出してみる。
確かにあの時、祝詞は杏璃に、違和感を覚えた。
何か、一言では安易に言い表せない気配というか、雰囲気を感じたのは確かだ。だが、それは、あくまで『違和感』や『奇妙な感覚』の範囲内であり、何が言いたいかといえば……そうだ、まず確実に言えることは、緋ノ森 杏璃は生きている人間だということだ。
生きてる人間の気配に、奇妙な何かが混じっていて、それは大抵の場合、所謂霊能力というものが原因だ。
幽霊が見える、見えない、をよく『チャンネル』が合うとか表現するが、まさしくそれであり、チャンネルがあっている人間は、そうでない者に比べて、異なる雰囲気を持っている。
杏璃から感じた違和感も、それであると祝詞は解釈していた。
しかし、どうにもそれは少し違っていたようだ。
「そうだ、佐藤さんなら……ああ、娘の太鳳さんね。彼女なら、緋ノ森さんを知ってるはずだよね? だって、幼馴染みたいに仲がよいんだから」
思いついて言う頼光だったが、祝詞は首を横に振った。
「すでに連絡は取ったよ。そんな人間は知らないってさ」
「ちょっ、ちょっと待って。なら、太鳳と淳さんの中では、僕たちは誰の紹介で知り合ったことになってるの?」
「『友達の紹介』って認識らしいけど、それが『誰』だったのかは思い出せないってさ。まるで度忘れしたように」
「そんなことってあり得るのかい?」
「幻覚を見せるような幽霊はいるにはいるけど、今回みたいな認識そのものを弄れるようなやつは見たことがない。そもそも、緋ノ森は幽霊じゃないしな」
「急にきな臭くなってきたね。僕らまで認識を狂わせられていたっていうのも、ある意味怖いというか、脅威というか……」
「ああ。一番の問題はそこかもしれない」
祝詞はそう言ってから、間をおいて、
「……心当たりがない訳では、ないんだがな」
「それって、緋ノ森さんが何者かということに関して?」
「いや、もっとざっくりとしたものだがな。俺があえて幽霊専門と謳っている理由を知ってるよな?」
「データが圧倒的に少ないから、だろ?」
「そうだ。今回の呪いもそうだが、幽霊と比べて遭遇率が極めて低く、対処した経験もすくない。正直、俺の力がどこまで効くのか分からないからだ」
祝詞の言葉に頷く親光。
「俺は幽霊に関しては、事細かく説明も解説もできるが、それ以外はできない。だが、それは出来ないだけであって、いないとは言い切れないんだ」
人によって、あるいは研究分野によって定義や仕切り、区別は異なるが、大きく分けて、『幽霊』『妖怪』『その他の上位存在』に分けられる、と祝詞は思っている。
『呪い』はどこに入るのか、と聞かれれば、きっと『人災』という、また別のカテゴリーである。ようは、生きている人間か、それ以外(人外も含める)にまず大きく分けられ、その中に『幽霊』、『妖怪』、『上位存在』がある、というイメージだ。
「幽霊はいる。呪いもある。上位存在……所謂天使や神や仏、悪魔、なんかもそうか。そう言ったやつらには会ったことがないから、今のところ『いない』ってことになる。だがな、妖怪はどうかと聞かれれば、俺は安易に否定しきれない」
「前から、そこに関してはあまり触れないよね、祝詞は」
「分からん部分が多いからな。だけど、実は以前、俺は二度だけ、幽霊でも人間でもないものに遭遇したことがある」
一度目は幼いころ、確か五歳くらいだったはずだ。母方の実家の神社の境内で遊んでいた時のこと、夕暮れ時に少し強い風が吹いた。それに木々の枝が揺れて、葉擦れの音が派手に鳴った。最初は、突然のそのガサガサとした音に驚いたのだと、自分で思った。だが、そうではなかった。
その『驚き』は、もっと奥底の方の、本能が感じるものであったと、今では確信できる。
人ではない。そして、おそらく幽霊とも違う。何かもっと、圧倒的に『異質』なもの。全身の毛穴が開くような、寒気にも似た焦燥に祝詞は襲われた。
その正体を、詳細に目にしたわけではなく、祝詞が感じたのは、大きな何かが木の枝の上を滑り歩くような影と気配だけ。それだけで、祝詞は固まってしまったのを覚えている。
恐怖と、焦りと、緊張と、その手の類の圧力で、冷や汗が止まらないにも関わらず、一歩も動くことができなかった。ただその場に立ちすくみ、やり過ごすだけで精いっぱいだったのだ。
その体験を、母方の祖父に話したところ、祖父は少しも迷うことなく『狒々』であると言った。
狒々。
文献によれば、巨大な猿の妖怪という話で、猿神として信仰の対象にしていた地域もあったという。
祖父が言った『狒々』が本当にその『狒々』であるかどうかは分からないが、とにかく祝詞が気配を感じたそれは、異常な威圧感を放ち、それまで知っている何者でもないことを半ば強制的に悟らせたのだ。
あれが本当に『妖怪』だというのなら、祝詞は納得ができる。
そしてもう一つは、中学の頃だった。
修学旅行で京都に行った時、とある寂れた稲荷神社で目にした
この時も狒々と同じく、全身をしっかりと見た訳でもなく、また明るい場所でもなかった。
昼間ではあったが、神社の境内の奥、神木の枝の影に隠れた、黒い影を見た。影だけであり、もちろん半身程度した視界には入っていなかったが、どういう訳かそれが『狐』であると祝詞は認識したのだ。
狒々の時とは違い、直接的な恐怖は感じなかったが、人でも幽霊でもない気配は、ただただ不気味であったのを覚えている。
祝詞が見た『例外』はその二回である。
「だからな……いない訳じゃないと思うんだ。妖怪も、もしかしたら、神と呼ばれるような何かもな」
「それじゃあ、祝詞の見解としては、緋ノ森さんは、そういう妖怪の類だと思っているってことかい?」
頼光の問いかけに、祝詞は少しだけ虚ろに宙を見つめて、小さく笑った。
「ああ、それかもしくは、上位存在……いや、突飛だな。あまりにも脈絡も、信憑性もなさすぎる……」
「でも、祝詞がそう感じるなら、それが概ねあっていると思うよ」
「買いかぶりだな」
そう言って、祝詞はいよいよこの一連の事件のキナ臭さを改めて痛感し始めた。
そもそも『呪い』なんて滅多にないことがここで起こり、その依頼を持ってきた人間が、実在しないとは、あからさまにおかしすぎる。
「くそっ、結局呪いの時と同じ、ここで手詰まりか」
祝詞は言って、頭をかいた。
「なんとも気持ちが悪いな。分からないことと、解決しないことだらけだ。こんなこと、今までになかったよな……」
「その一つを解決するために、塵野を追うんだろう?」
「そうだ。ああ、そうだな。考えても分からないものは、ひとまず放っておくほかない。それよりも勧められるところを進めるべき、だよな」
古谷アパートの大家からもらった『情報』は、思いの外役に立ちそうなものであった。
なんでも、202号室で起こる怪奇現象の報告があまりにも多すぎたことで、大家も原因と思われる塵野について、探偵を雇って調べたことがあったらしいのだ。
結局のところ、塵野が事件らしい事件に直接的には関わっておらず、また報告された内容があまりにもオカルトめいていることから、調査を途中でやめたようだが、すくなくとも三年前の時点でどこに住んでいるのかは突き止めていた。
「今もそこに住んでるかは分からないけどな。そこでまた大家か管理会社に聞いて、辿っていければいい」
祝詞の言葉に頼光が爽やかな笑顔で頷いた後で、すぅっと真剣な顔になる。
「追い詰められた人に、本物の呪い……それも、自らの命を捧げるような方法を教えて、何が目的なんだろう」
「さぁな。だが、ただ他人の苦しむ姿を見て喜ぶ連中もいる。生きてる人間が一番怖いってやつだ」
「……確か、呪いを振りまく存在って意味では、さっき話した妖怪にも多いよね? そういう、厄災の中心になるような、さ」
「塵野が妖怪の類だってか? ははっ……それは……だとしたら、もう何が何だか、だな」
「可能性の話だよ。緋ノ森さんが幽霊ではない人外だと仮定するなら、塵野だって人間じゃない可能性も出てくるってこと」
「だとするとなんでもアリになってくるな」
言いながら、祝詞は大家に聞いた塵野の住所を確認する。
スマホにメモしたその住所は、県境の向こう、祝詞の生活している街からは、電車で一時間弱と言ったところで、近くはない。
時刻は午後の二時を回ったところ。今から行っても十分に間に合うが、着く頃には夕暮れ時だ。土地勘のない場所を、暗い時間に歩くのは、リスクを伴う。それに、妖の類が活発になるのは、黄昏時から丑三つ時にかけてだ。昔から言われているそれらは、迷信ではなく、傾向であろうと祝詞は解釈している。相手がよくわからない物である以上は、万全の、こちら側が有利である時間で臨むべきだ。
「塵野のところは明日行こう。明日が日曜で良かった」
金曜の授業をさぼったことで、強制的に獲得した三連休は、少しも休むことなく出歩く羽目になりそうだ。
「僕も一緒にいく。いいだろう?」
「ああ、もちろん。誘うつもりだったさ。物理的に味方がいた方が心強いし、それに、相手が人間なら、交渉の類はお前の方が圧倒的に上手いからな」
頼光はそれに頷き、意気込みを見せる。
幽霊以外のことが絡む今回のような案件において、親光の存在は大きいと、祝詞は感じていた。
好感度や交渉術がものを言う対人説得の技術は、どうしたって親光の方が上なのだ。
とはいえ、はたしてどうしたものか、と祝詞は思っていた。
塵野が本当に高木紗代に呪いを教えて実行させた犯人だとして、祝詞は何を言うことができるだろうか。
罪を明らかにし、それを突き付けて、どうするのか。
祝詞は当然、誰かを逮捕することも、裁く権利も持ってはいない。そもそも、呪いを教えたなどという実に曖昧なことで罪に問うこと自体もナンセンスであることは理解している。
祝詞が呪いの出どころを追うのは、ただの自己満足であり、個人的なうっぷんを晴らす意味合いが大きいことを、祝詞自身は気づいている。
それを理解してなお、塵野を探し出して、ひとまずコンタクトを試みなくてはいけないと判断したのだ。
つまりは、実際に見つかって、遭遇したとしても、出たとこ勝負になるのは間違いなさそうなのだ。
「いったい、何をしようとしてるんだろうな、俺は」
自分自身にも分からなくて、祝詞は思わず小さく呟く。
「一銭にもならないことを……」
「それは、祝詞が善人で、正義の味方だからだよ」
頼光は言った。
「諸悪の根源を、野放しにしておけない。そう考えてしまう祝詞は、ヒーローと同じ思考を持っているんだ」
「そんなんじゃないって言ってるだろう」
そうじゃない。
祝詞は心の底からそう思っていた。
そんな立派な信念など持ち合わせていない。もっと個人的で、俗的な感情から、半ば衝動的に行動を起こしているに過ぎない。
幽霊も呪いも、そして新興宗教も下らないから否定したい。
多くの人には見えないから。
多くの人には感じないから。
だから曖昧で、知ってる側の人間だけが一方的に干渉して、搾取にも似た状況が起こる。
自分の力の正体は、未だに分からないが、それでも、そう言った、胸糞の悪い何かを壊すことができるなら、報酬がなくてもそれを成す。
頼光の言うように、祝詞の中には正義にも見える何かがあるのは確かであった。
しかし、祝詞自身が思っているのは、そんな大それた名分などではない、もっと個人的で感情的なものだ。
ともかく。
塵野の足跡を追うこと。
そうしないことには、納得がいかないのだから。
式守祝詞は祈らない 灰汁須玉響 健午 @venevene
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。式守祝詞は祈らないの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます