第15話

高木紗代に呪いを教えたであろう人物、塵野異忌が何者なのかは、一向に判明する気配がないまま、二週間が過ぎた。

 当然と言えば当然だが、通常の高校生が、高校生活を送りながら調べるには限界があった。

 しかし、意外なところから、塵野の情報を耳にすることになる。

 それは、祝詞がしばらくぶりに、父親とまともに話をした時のことである。

 祝詞は特殊能力の一件で、両親との仲というか距離というか、接し方に蟠りが生じていた。

 単純に仲が悪い、という訳ではないのだが、住職である父と、元巫女である母は、その性質上、その役職と人間性や思想を切って成立しにくいという部分があり、その結果、幽霊を物理的に殴り、消滅させることができる祝詞とは、倫理的な相性が悪いのだ。

 祝詞が最も戸惑い、悩んだ時期であった幼少期に、あくまで既存の宗教的概念でしか幽霊や魂というものを話すことが出来なかった両親は、ある意味祝詞からの信頼を失った。といえば、少し大げさだが、祝詞は幼い頃に、この手の話を両親にしても無駄だということを悟った。

 葛藤をしながら育つ数年を経て、小学生の高学年になる頃には祝詞は自分の力を正確に親へ説明すること、理解してもらうことを諦めた。そこからは、なんとなく心の深層の部分で距離が出来てしまったように感じており、常に極微弱な反抗期状態のようなものが続いている。特に、祝詞がバイトを始めた中学生の後半からは、経済的にも独立状態にあることもあって、会話の機会自体も減っていた。

 そうは言っても、離れとはいえ実家暮らしであり、学費もさることながら、食費、光熱費以外は養ってもらっている身である祝詞は、特別反抗的な態度をとっている訳ではない。

 ただ、一般家庭よりも会話の頻度が極端に少ないのだ。

 だからこそ、いつもなら境内で偶然遭遇した時も、特別話すこともないのだが、この日はなんとなく祝詞は父親に聞いてみた。

「塵野 異忌ってあの、塵野 異忌か?」

祝詞がその名前を出した途端、 父、隆寛(りゅうかん)はそう言った。

「親父、知ってるのか?」

「直接関わりがあった訳じゃないけどな。今考えれば、ある種の新興宗教……みたいなもんだあったのかもしれないな。今から十二、三年前くらいか。郊外にあった廃教会を無断で使って、変な寄り合いを開いていた奴がいてな。その人柄なのか、話術なのか、妙に人が集まって、数カ月で三十人を越える集団になったんだ」

「集まって、何をしていたんだ?」

「それが、よくわからなくてな。その寄り合いに参加したやつ曰く、講義のような、演説のようなことをして、その後、一人一人に質問やらをしていたらしい。つまりは、アレだな、自己啓発セミナーとか、集団カウンセリングみたいな感じか。俺たちがする説法よりも、カルト色が強い感じのな」

「それで、その集団はどうなったんだ」

 祝詞は矢継ぎ早に尋ねる。

「突然、いなくなったんだ。別に、集まって交流会みたいなことをしていた以外、目立った行動は何もしていなかったし、警察が動き始めたのだって、教会を無断で使用としてたことに関してのみだった」

 結局のところ、警察が介入しようと動いた時には、すでに集団は解散していたそうだ。

 その後の足取りは分からず、何をする集団だったのかもわからない。

「ただ、その塵野って男が、異常なほどのカリスマ性を持っていたのは事実だ。それと、」

 隆寛はふと、表情を一気に真剣にした。

「『おまじない』っていうのがあってな。催眠の一種なのか、精神誘導なのかは分からないが、まるで超能力みたいに、願いを叶える効果があったって話だ」

「超能力……」

 祝詞は繰り返しながら、疑惑をより確かなものにしていく。『願いを叶える効果』とは、まさしくそのまま『呪い』で間違いないだろう。『願い』が常に、プラスのこととも限らない。

「その塵野って、今どこにいるのか、分かる?」

「いや、それは分からない。警察もマークはしていたが、実際に逮捕したわけではないし、そもそも大きな事件にもなっていないからな」

「その集団の当事者や、関係者で、連絡を取れる人は?」

「おいおい、探偵まがいのことをしようっていうのか。あんまり危ないことをするんじゃないぞ」

「それは、まぁ、大丈夫だよ。前にも話したと思うけど、怪奇現象に関しては、親父やお袋よりも耐性があるから」

「幽霊を具体的にどうにかできる力、か。耳には入っているよ。これでも、この辺では一番檀家が多い寺の住職だからな。この町でお前みたいな仕事をしてれば、それは嫌でも知るものだ。……本当に幽霊を見て、消滅させられるみたいだな。別に、疑っていた訳じゃないんだが、立場的にそれを肯定できなくてな。すまんな」

 バツが悪そうに、隆寛は息子に謝った。極軽くではあったが、その言葉には独特の温かみがあり、それを口にした隆寛は何かを成し遂げたような、安堵にも似た表情をしていた。

「俺が坊主じゃなかったら。母さんが巫女じゃなかったら、もっと手放しで、お前の力を受け入れることが出来たかもしれないのにな」

「別に、いいよ。確かに、昔は不満に思ったけど、今となっては、逆に親父たちの気持ちもよくわかるし」

「なぁ、お前の力って、幽霊にだけ効くのか? それとも、その……なんだ、超常現象全部に効くのか?」

 その境界線に関しては、説明が面倒くさいと、祝詞は思った。

「その辺はちょっと複雑で、細かい説明が必要なんだけど、とりあえず確実なのは、幽霊だけ。呪いは、消せなかった」

 そう言うと、隆寛は何かを悟ったように頷いて、

「だったら、やっぱり気を付けろ。呪いは、生きている人間だけができるものだ。いつだって怖いのは、生きてる人間の方だからな。俺の能力が、お前より劣っている、もしくは方向性が違うのなら、残念ながらこの分野において、俺はお前を守り切れない。お前自身が気を付けるしかないから……」

「わかった。気を付けるよ」

 祝詞が言うと、隆寛は『塵野 異忌』の開いていた寄り合いに参加していた人物の名前を数人あげた。

 そして、

「これは、単純に俺の勘だけど、なるべく、『塵野』本人とは関わらない方がいい」

「どうして?」

「坊主の勘ってやつだ。これでも、人を見る目はかなり養っている方だからな。名前と少し人となりを聞いただけで、直接会ったわけじゃないが、なんとなくわかる、そいつは、何か『良くない』ってな」

 祝詞はそれに頷いて返した。

 『良くない』とは、邪悪ということだろうか。

 父、隆寛という人物は、寺の住職としては、優秀であると祝詞は思っている。優秀の基準は人それぞれではあるが、坊主に必要なのは、

 一、説得力のある人柄と親しみやすい表情、納得させられるだけの教養と話術。

 一、人を見る目、洞察力。

 一、幽霊が見える、もしくは感じる。

 この三点であると思っている。

 一つ目は普段の説法や葬式で、坊主として振舞うにあたり必要なものであり、二つ目は檀家がどんな人間なのかを見抜き、それに沿った説法なり対応なりをする為の基礎能力であり、三つは単純に人間ではないものにどこまで通じているか、という宗教家としてのプラスアルファとなる特異な才能である。

 この観点で言えば、父はそれなりに才能のある僧であると言える。

 そこそこストイックで、もちろん、悪いことはせず、案外人々に寄り添える僧侶は、それなりに徳が高いと言える。

 そんな隆寛が、塵野を『良くない』というのだから、何かしら感じるものがあるのだろう。

「まぁ、決して良い人間とはいえないだろうな。何しろ、その人、『呪い』の方法を人に教えて回っているみたいだから」

 『教えて回っている』は言い過ぎだと思ったが、呪いを意図的に教えるような人間が、一人だけにしか教えないはずはない。

「……呪い、か。祝詞、お前、本当に気を付けろよ。俺がいうのもナンだが、宗教っていうのは、闇が深い。人の思いってのは、悪い方に傾くと、手のつけようがなくなるからな。まぁ、そうならない為に宗教ってものがあるんだが、時には宗教がその発端となる場合もあるけどな」

「ああ……ありがとう。わかっているよ」

 父親とこんなに長く話したのは、いつ以来だっただろうか。

 そんなことを思いながら、祝詞は自分の住んでいる離れへと向かった。

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