第4話

カフェ『アンバードロップ』は、駅前の総合ショッピングモールから続く旧商店街を抜けた先にある、個人経営のカフェだ。

 漆喰塗とレンガ張りの風情のある外観は、どこか厳かで礼儀正しく、少しばかり入りにくい雰囲気はあるものの、外からでもそこが『特別な場所』であることを分からせる、無言の線引きめいた『隔絶』がある。

 これだけ見ると、拘りの強い、独りよがりの喫茶店のような印象を受けなくもないが、一度ドアを開けて店内に入ると、一気にまた別の空間が広がっている。

 北欧風の椅子とテーブルで揃えられた店内は、ホワイトオークとブル―を基調としていて、とにかく清潔感がある。

 アンバードロップは、祝詞が良く使うカフェであった。

 外観とのギャップや洗練された内装は言うまでもないが、なによりこの店のコーヒーは圧倒的に美味い。

 四十代前半のイケメンマスターのバリスタとしての技術が、いや、コーヒーに関するあらゆる技術が別次元なのだ。

 コーヒーに拘りがあり、実際味にもうるさい祝詞が、掛け値なしに『美味い』と思うのは、ここのコーヒーだけであった。

「それじゃあ、早速相談の詳細を聞こうか」

 祝詞はテーブルの向かいに座っている緋ノ森 杏璃に向かって、そう尋ねた。

 約束通り、祝詞と頼光、そして杏璃の三人はこの店で落ち合っていた。ちなみに、頼光は祝詞の隣に座っている。

「別の高校に通う、私の友達のことなんだけど……」

 杏璃は、静かに語り始めた。

 杏璃の友人の佐藤 太鳳の家で、なにやら奇妙な出来事が起こっているらしい。

 始まりは、去年の冬。今から七カ月ほど前のことだ。

 佐藤 太鳳の父親、佐藤 淳が、奇妙な夢を見てうなされた。うなされていたところを、妻に起こされたのだが、夢の内容は殆ど覚えておらず、ただ息苦しさと、漠然とした『恐怖』が彼の中にはあったという。

「もちろん、それは今になって思い起こせば、あの時が最初だったかもしれないっていう、不確かなものだし、ただ夢を見てうなされただけの、ありがちなことだったみたいなの」

 杏璃が、丁寧に語る。

 夢でうなされる。確かにこれだけでは、ごくありふれた、何でもないことに過ぎない。

 奇妙に感じたのは、その『夢』と『うなされる』日が、定期的にあって、その間隔がだんだんと短くなっていったのだそうだ。

 しかも回数を重ねるごとに、少しずつではあるが、夢の内容を覚えていることが多くなっていった。

 数秒ずつ、覚えている夢の記憶が長くなっていく。

 そしてその記憶はどういう訳か鮮明に脳裏に焼き付いて忘れられないのだという。

 そこまで聞いて、祝詞はおおよその推測を立てはじめる。

 悪夢を見せるというパターンは幽霊には案外、有り勝ちなことではあるが、もちろん色々な

「二ヶ月経つくらいで、その夢の記憶は全部完成して、最初から最後まで覚えているようになったみたいなのよ」

 夢の内容は、恨みつらみを口にする女性が、じっと彼(佐藤馴)を見つめ、その声がだんだんと大きくしていく、というもので、『何を』や『何が』という具体的な理由は口にせず、ただ『責任を取って』とか『彼を返して』とか『絶対に許さない』という憎しみの言葉を繰り返すだけのものだという。

 よく聞くような、『血まみれ』とか、『顔が欠損してる』とか、そういう直接的な怖さの記号めいたものはないが、その睨みつける表情には凄みがあって、それがなんとも恐ろしいのだそうだ。

 もちろん、その女性の顔には全く見覚えがないという。

「……もちろん、夢だけで終わってる訳じゃないんだろう?」

 祝詞は、杏璃が続きを話し始める前に、そう言った。

「そうなのよ。夢の次は、実害……実際に、幻覚が見えたり、足を引っ張られて躓いたり、そういうのが、だんだん増えていってるの」

「増えていってるって、追加されていってるのか? 夢と幻覚、その次は、夢と限界と足を引っ張られる、みたいに」

 頼光が尋ねると、杏璃は頷いた。

「それもやっぱり、少しずつなのよ。例えば、ええと……夜中にトイレに起きて、洗面台で鏡をみたら、一瞬だけ誰かがいた、みたいなのが、見える時間が増えて、最後にはしっかりと鏡に映るようになる。しかもね、組み合わせもパターンがあって、毎回全部起こる訳じゃないみたいなの」

「当事者じゃないのに、いやに詳しいんだな」

 その言葉に、杏璃は祝詞を見て、小さく苦笑いをした。

「その友達、佐藤太鳳が最初に頼ってきたのは、私なの。友達として相談しに来たんじゃなくて、霊能力者として、私を頼ってきたの」

 それを聞いて、祝詞は杏璃から感じる奇妙な気配の正体を察した。

 おそらくそれは、その力を間接的に感じているからだろう。彼女の持つ所謂霊能力的なものが、祝詞に妙な雰囲気を抱かせているのだ。

「……あんたも見えるのか?」

「見える……そうね。見えるわ。でも、本当に見えるだけ。さっきは『霊能力者』として、って言ったけど、そんな風に呼べるようなものは持っていないわ。多分、普通の人よりも少し見えるっていうだけ」

「それで、何が見えた?」

 祝詞が聞くと、杏璃は目を伏せて首を振った。

「何も、見えなかったの。彼女の家にも行ったし、寝室も見せて貰った。それに、彼女の父親とも会ったけど、それでも何も見えなかったのよ」

 それを聞いて、う~ん、と呻きながら、祝詞は首を傾げる。

 時間や条件がそろった時にのみ見えたり、害がでたりするものもあれば、姿自体が見えにくいものも存在する。

 あとは、この緋ノ森 杏璃という少女に、そもそも超常の何かを見る力が本当にあるのか、というところも怪しんで然るべきだ、と祝詞は思っていた。

「でも、実際に霊障は起きている。それでね、ある日、彼女の父親が足を引っ張られて、転んだの。それは、軽い打撲で済んだんだけど、足首に手形がくっきりついていて……それで、いよいよ恐ろしくなって、お祓いをしてもらいに行ったの。元々は真言宗だったから、近くのお寺にも相談したし、神社にも行ったの。それでも全然変わらなくて、だから除霊師の人にも相談をしたの」

 杏璃の話では、『除霊師』と名乗る人物には、多方面からアプローチした合計三人の人間と会って、この霊障に関して相談したらしい。

 一人目は完全な偽者で、幽霊すら見えているか怪しい感じで、数万円を支払ったが、何も変化がなかったので、やめたそうだ。

 二人目は、『幽霊じゃない』と言ったが、それ以上が分からなかった為、結局相談料の数千円だけで打ち切った。

 三人目は、いかにもそれらしい雰囲気を纏い、それっぽい言葉を連ねたが、良く調べたら、怪しい新興宗教の信者であることがわかり、依頼前に手を引いた。

「まぁ、そんなもんだろうな」

 杏璃の話を聞いて、祝詞は頷く。

 大抵の場合は、『霊能力者』や『除霊師』を名乗る連中は、イカサマ師やペテン師か、あるいは詐欺師であり、一番良心的な部類で、『思い込みの激しい妄想癖のある人間』なのだ。

 少なくとも、祝詞の経験測では。

「未だにずっと続いているの。半年以上も続いて、徐々にだけど悪化していってる。すごく、嫌な感じがするのよ。とても、良くない者が憑いているような……」

「話は大体わかった。でも、やっぱり実際に見てみないと分からないな。会わせてくれないか? その友達の父親って人に」

「受けてくれるの?」

「ああ。詳細は見てから判断するけど、俺は成功報酬だから、金は解決してからの後払いでいい。相場は『一事象』につき、五万から八万。払えるか?」

「多分。それで本当に解決するなら、払うと思うわ」

「了解。ならさっそく、スケジュールを合わせてくれ」

「ありがとう」

 素直にそう言う杏璃を見て、祝詞は少しだけ意地悪な顔をした。

「……あんた、 いいのか? そんなに簡単に俺を信用して」

 言われて、杏璃が怪訝そうに眉を顰める。

「祝詞っ」

 頼光が祝詞を止めようとするが、それは逆に祝詞が制して言葉を続ける。

「嘘かホントか怪しい『専門家』が三人、坊主や神主を合わせれば五人以上、なんの解決もできない連中を相手にしてきたっていうのに、今の会話だけで俺を信用するのは、迂闊じゃないのか?」

「そうね。でも、今の成功報酬の後払いって、いうのと、見て見ないと分からないっていうのが、信憑性が高いと思ってね。それに、同級生相手に、嘘ついて騙すってのも考えにくいでしょ? 私、これでも結構信頼と人脈はあるのよ。私を悪戯に騙すのは、評判が悪くなるだけだもの。ならば、現時点では、かなり信用して良いと判断できるんじゃない?」

 やはりこの子は冷静で、想像以上に聡明な人間なのだと、改めて祝詞は感心する。

「そういうことか。あんたが『見える』理由が少しわかったよ」

「さっきから気になっていたんだけど、その『あんた』っていうの、やめて。私は緋ノ森 杏璃。二回目よ、この自己紹介」

「一回目は、自分で言ってない。頼光からの紹介だ。だから事実上一回目だな。……それで、緋ノ森、でいいか? 」

「呼び捨てなのは少し気になるけど、まぁ、いいわ」

「取引成立だね」

 ようやく、久方ぶりに頼光がまともに発言する。

「頼光、今日も見事な聞き役だ」

「僕はサポート役だらね。あと、交渉や広報担当」

「イケメンと生まれ持っての好感度を最大限に行かせる役職だな」

 そんなやり取りを見ていた杏璃が、小首を傾げる。

「なんか、あなた達って……高校生らしからぬ雰囲気ね」

「そうか?」

「どうしても、大人相手に仕事をすることが多いからね。そういう意味では、ちょっとだけ大人びているかもしれない」

 適当に聞き返す祝詞と、しっかりと返す頼光。

 杏璃は頷いて、スマホを取り出す。

 少しだけ操作すると、

「式守君、千賀君、明日でも大丈夫かしら?」

「話が早いな。フットワークが軽いのは嫌いじゃない」

「明日は、ええと一先ず仕事は入っていないね。祝詞にプライベートな用事がなければ、問題ないよ」

「プライベートな用事がある可能性が高いのは、親光の方だろう」

「あっても依頼を優先させるよ。僕にとって、今は祝詞の受ける依頼の方が大事だからね」

 やはり爽やかすぎる笑顔で言う頼光に祝詞は無言で肩を竦めると、

「明日で大丈夫だ」

 と答えた。

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