第3話
祝詞の父、式守 隆寛(りゅうかん)は、寺の住職であった。
日本でも三本の指にはいるメジャーな仏教の、地域密着型ではあるものの、それなりに檀家も抱える名のある寺が祝詞の家だった。
代々寺を継いできた家の長男に生まれた隆寛は、特に反発も疑問も抱かず、住職となる道を選んだ。
自らの宗教の『教え』というものも、それなりに納得していたし、人々の心を安堵させるという職業にも、やりがいを感じていたからであった。
霊感と呼ばれるものも、それなりにあった。
幽霊を見たこともあったし、怪異と呼ばれる現象も、目の当たりにしてきた。そして、それを、自らの父(祝詞からみれば祖父)からの教えや、読経やら、念仏やらという対処法で、それなりに解決できたことも、隆寛を僧侶の道へと誘ったきっかけと言えるだろう。
祝詞の母、(旧姓)諏訪 琴美は、宮司の娘であった。
これまた地元では殆どの人間がそこに初詣に向かうくらいには、大きな神社の娘であり、巫女として行事を手伝うことも多かった。
幼い頃から神道にも興味があって、神職と近い場所で育った彼女は、自然の宗教学を学ぶようになり、大学では専攻するまでに至った。
霊感に関しては、とりわけ琴美の方が強かった。
超常的なものの中で、幽霊だとか、妖怪だとか、はたまたそれ以外というざっくりとした区別をなんとなくすることが出来る上に、近づいて来るのを感知できるらしい。
そんな二人が運命的……かどうかはさて置き、出会って恋をして結婚して出来たのが、祝詞である。
それだけですでに、祝詞がどれだけ宗教エリートであるかは分かるとは思うが、彼の幸運というか、不運というか、特別な運命というものはもっと別の形で現れた。
一先ず、幼い頃から幽霊が見えるのは当たり前として、声も聞こえれば、気配も感じる。
そして幽霊以外のものも、大抵が見聞きすることが出来た。
精霊や妖怪や、生きている人間が齎す事象以外のその他諸々を認識することができるのだ。
無論、当たり前のように見えるそれらが『超常現象であり自分にしか見えないもの(そういうこと)』なのだと理解するまでには、数年を要したが、生れながらにしてそれらを難なく見ることができる、これまた『超常エリート』なのであった。
彼の運命は、それだけではない。
式守 祝詞は、幽霊を滅することが出来た。
最初は、得体のしれないものに対する拒否反応、防衛本能から、祝詞はがむしゃらに腕を振り回して、殴りかかった訳だが、それがなんと、幽霊にヒットした。普通に当たって、触れられたのだ。
幽霊を殴るという、身もふたもない経験をした祝詞だったが、その感触は極めて気味が悪く、また物体を殴るのとはやはり具合が違うようで、殴った相手の感触というか、『思念』的なものが、拳を通して干渉してくるのを感じた。
これに関しても、後々のあらゆる検証で明らかになるのだが、とにかく気味が悪かった彼は、何とか素手で殴らずに対処する方法はないかと考え、既存の様々な超常現象に対抗する知識や情報を自分が実際に見て聞いて、触れてきた体験に落とし込み、すり合わせながらそのスタイルを確立していくことになる。
そうやって中学二年になる頃には、彼は自分の中でほぼ完ぺきに『幽霊』というものを理解し、対処することが可能になったのだ。
「それでさぁ、この前あたしの知り合いの子がね、すんごい怖い体験してさ……」
夏休み明けの教室内。クラスメイトの女子が、友達とそんな話をしてるのが、かすかに聞こえてくる。
祝詞はそれを聞くでもなく、聞き流しながら、自分の夏休みを思い返していた。
祝詞の夏休みの思い出は、キャンプに川遊びに、廃墟にトンネルと、微妙に青春してそうに見えなくもない予定がちらほらとあったが、どれも男二人であったことと、その全てに『幽霊と戦う』という、文字にしてみれば、小学校の低学年ですら書かないような内容を実践していたのだから、なんともお粗末なことだ。
とはいえ、それには例外なくバイト代が出て、その分儲かった訳なので文句はないのだが、健全な男子高校生として、そして、色々と夢や希望や期待に溢れる十六歳の夏休みとしては、決して満足できる類のものではない。
「……それでね、なんか、そのお婆さんが、恨めしそうな顔でずっとこっちを見てくるんだってさ。何かして欲しいのかな?? 旅館の人にも話してみたけど、そんなこと起きたことがないって言われて……」
クラスメイトの女子の話は、要約すると『泊まった旅館の一室に老婆の幽霊が出て、じっと睨みながらずっとそこにいる』というもので、実害はないタイプの怪談のようだ。
(どっかから連れてきたんだろうな。んで、それが見える状態になったのがたまたまその旅館の部屋だったってところか)
祝詞は内心そんな風に分析してみながら、けだるそうに机に突っ伏した。
高校生になって約五カ月。
クラスメイトとは、男女共に大抵の人間とは円滑に話すし、大人数を募っていく遊びなどには、呼ばれるし、参加する程度には、人付き合いがある。
可もなく、不可もなく、人並みに普通であること。
それが、円滑な学校生活を送る上で必要であることを、祝詞は理解している。
そして、その円滑な学校生活というものが、幼少の頃より他人とは明らかに異なる経験をしてきた祝詞にとって、なによりも求めている平穏であることは言うまでもない。
祝詞はあくまで、どこにでもいる普通の男子高校生として振舞っているし、大抵の生徒は彼を普通の男子生徒だと認識しているのは事実だろう。
しかし、それは何もない日常の中の話であって、『案件』が絡めば、その限りではない。
尚且つ、案件はいつだって唐突に訪れるもので……、
「お~い、祝詞、お客さんだよ」
頼光が教室の入り口から手を振りながらそう告げる。
長身のイケメンの隣には、小柄な女子生徒が見えた。
祝詞は、のろのろと立ち上がり、ゆっくりとドアへと向かう。
「こちら、ええと、隣のクラス、一年B組の緋ノ森 杏璃さん。見ての通りの美人さんで、校内ではそれなりに有名なんだけど……祝詞は知らないよね?」
頼光は、ある種の軽薄とも言えるような口調で女子生徒を祝詞へと紹介する。
祝詞はふと、妙な感覚を抱いた。
この緋ノ森杏璃という少女からは、なんとも言えない『気配』がしたのだ。別に幽霊がついているとか、そういうのではない。しかし、ごく普通の、なんでもない生徒のそれとは、何かが違う。漠然としていて、モヤッとしたものの正体が分からなくて、祝詞は少しだけ気持ちが悪かった。
「それで、こっちが……」
「式守祝詞。噂は聞いているわ。私も、それなりに調べたからね。学校の人にはひた隠しにしているみたいだけど、数々の心霊現象を解決している正真正銘、現役の霊媒師……」
祝詞を紹介しようとした頼光に被せるように、杏璃が口を開いた。
「よく知っているな。だが、霊媒師というのは違う。俺は霊媒師でも除霊師でも、霊能力者でもない」
祝詞は言いながら、左手で頬杖をついた。
その際、人差指と中指にはめられたシンプルな無地の指輪が窓から指した陽光を反射して鈍く光った。指輪はそれぞれ、パイライトと黒曜石で作られており、どちらも知り合いが作った特注のものだ。
「じゃあ、なんなの?」
杏璃は、その綺麗な眉を顰めながら言う。
それに祝詞は、頬杖をついている方に顔を更に傾けながら、目を閉じる。
「……さぁな。呼び名は、正直該当するものがない。っていうか、一般人が言う幽霊とか、そういうのとは、概念が違うからな」
「なに、それ? 独自の見解を導き出して、専門家気取りってこと?」
美人な分だけ、冷ややかな視線がより厳しく、鋭く感じる。
「いちゃもんつけにきたのか、あんたは」
「いいえ。ただ、もうなんの結果が出せない自称専門家は間に合っているということよ」
杏璃は表情を変えずに冷酷な口調で言う。
「あ~祝詞、気を悪くするなよ。緋ノ森さんは、これまで何人かの『専門家』に相談したけど、全く解決には至っていないっていう、経緯があるんだ」
すかさず苦笑いをしながら、頼光がフォローする。
「別に気にしないよ。俺だって、世の中に蔓延る霊能者や宗教家へのイメージは最悪だから。肉親も含めて……な。それで、緋ノ森さん、だっけ? 結局は俺に依頼ってことだろう。内容は? それとも、俺で本当に役に立つか証明してからの方がいいか?」
相変わらず頬杖をついたまま、余裕の表情で祝詞は問いかける。
見た目に寄らず、祝詞の沸点は高い。
というより、幼い頃より特殊な体質と能力のせいで、散々な目に遭ってきた彼にとっては、大抵の罵詈雑言は聞き流せる、意味をなさないものになっていた。
宗教色の強い両家の関係上、『変人』から始まり、『異端』『背信者』、果ては『忌子』とまで言われ疎まれた祝詞は、学校でも孤立していた。当然のことだ。幽霊が見える、しかも幽霊を消すことが出来る上に、独自の概念で説明できる彼が、それをそのまま口にすれば、周囲の人間は距離を置くか怖がるのが普通の反応だ。
そんな幼少期を送ってきた祝詞は、どう対応して、どう反応するのが正しいのか(穏便にすごせるか)という処世術の確立も、中学校に入る頃にはほぼ完璧に出来上がっていた。
その分、彼の中に蓄積していくヘイトは、常に一方的且つ、高圧的な超常現象によるマウントに向かう訳だが。
「……あなた、イメージと違うわね。もっと偏屈で胡散臭い人かと思っていたけど……」
「偏屈ではあると思うぞ。こんな力があれば、必然的にそうなる。胡散臭いかどうかは……分からないけど。それでも、俺が見て胡散臭いと思う連中と同じにならないようには気を付けているつもりだ」
そういう祝詞を、杏璃は正面に向き直ってジッと見つめた。
「放課後、改めて時間をちょうだい。結構、長くなるのよ、話」
杏璃が言い終えると、丁度、休み時間終了の予鈴が鳴った。
「はいよ」
祝詞は答えて、教室を後にする杏璃を見送る。
「……祝詞、なんか見える?」
彼女が完全に出ていったタイミングで、親光が聞いた。
祝詞はさきほど感じた奇妙な雰囲気に関しては、ひとまず置いておくことにした。今見るべきは、彼女に幽霊が憑いているかどうか、の判断である。
「いいや。彼女からは何も。ってことは、家族か友達あたりが当事者っぽいな」
「緋ノ森さんは、面倒見が良くて親切な子みたいだからね」
「だろうな」
「え? 今の会話のどの辺からそう思ったの?」
「あの子は、自分が他人からどう見られているかを把握している。自分のキャラというか、振る舞いに伴う評価もな。だから、俺にはあえて、さっきみたいな態度と言葉を投げかけた。警戒しているのもあっただろうけど、それ以上に、推し量ったんだ」
「推し量った? なにを?」
「俺との距離と、信頼と、自分の真剣さと、何を求めているのか。普通の人間なら、一つ一つ行うそれらを一度に把握しつつ、俺にも分からせた。端的にそれらを済ませる必要があったんだろうな。普段のキャラを壊してまで彼女はそうした。それほどまでに、切羽つまっているんだよ、きっと」
「祝詞って、ホント、見た目とか日常の態度からは想像できないくらい人をよく観察してるし、誤解無く理解しようとするよな。端的に言うとスゲー良い人」
「やめろ。『スゲー良い人』は、俺の中では『救いようのないバカ』と同義だ」
「本当に良い人ではあるだろう、お前は」
頼光の言葉に、祝詞はつまらなそうに目を瞑った。
「どうだろうな」
祝詞が言ったところで、親光のスマホにメッセージが届いた。
「さっそく緋ノ森さんからだ。えっと、放課後、『アンバードロップ』で待ち合わせだって」
それを聞いた祝詞は、器用に片方の眉だけ上げて、
「店選びのセンスは悪くない」
と言った。
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