第5話
佐藤 太鳳という少女は、特別な女子ではなかった。
杏璃の中学生の頃からの友人で、違う高校に通っている今でも、定期的に連絡をとりあって遊ぶ仲であった。
杏璃のように容姿や立ち振る舞いがとりわけ人気という訳ではないが、顔もスタイルもそれなりに整っているように見えた。
依頼を受けた翌日の土曜日、予定通りに、祝詞と頼光は杏璃に連れられて、直接太鳳の実家へと足を運んだ。
太鳳の家は、杏璃と最寄り駅を同じくするところにあって、杏璃の家からも数分の場所にある。
「ああ……」
杏璃がチャイムを押して、出迎えを待つ間に、太鳳の家を見つめた祝詞が、思わず声を漏らした。
「なんか、凄く嫌な感じがするね」
頼光が、祝詞に小声でつぶやく。
「お前も感じるか?」
「うん、霊は……見えないね。それに、とり憑いているとしても、なんだか、普通の憑き物とは違うような気がするけど」
「頼光もなかなかわかるようになってきたな」
祝詞が言ったところで、佐藤 太鳳が現れて家へと招き入れられる。
なんてことはない、普通の一軒家だ。
普通の玄関から、普通の廊下があって、普通のリビングへと通される。
古臭い家ではないが、かといって、デザイナーズマンションのような最先端の作りや洒落っ気はない。
リビングには、今回の依頼の当事者、太鳳の父親、佐藤 淳が待っていた。
何の変哲もない挨拶と紹介を済ませてから、太鳳とその父親、ローテーブルを挟んで祝詞たち三人が向かい合って座る形になる。
「あの、すみません、ちょっと動かないで貰えますか?」
祝詞は言いながら、持ってきていた特製のバットをケースから引き抜いて、立ち上がる。
「動くと逆に危ないですから。手元狂うんで」
祝詞が言うと、淳は驚いた顔をしたが、杏璃と太鳳が「いう通りに」と言ったこともあって、じっと固まっていた。
祝詞は淳の頭の横を、かなりの速度で振り抜いた。
淳は目をつぶって、それでも言われた通り動かなかった。
祝詞のバットは、淳の側頭部あたりで、『何か』に当たって、そのままカーペットにへと落下した……ように感じたのは、きっとそこにいた全員だった。
「失礼」
祝詞は一言だけ機械的に断って、カーペットに転がっている『何か』に向かって、バットの先端を突き立てた。
バチンッ、という音が微かに聞こえて、その気配が消えた。
静かにバットを収めると、祝詞はゆっくりとまたソファに腰かける。
「い、今ので、祓ったのかい?」
淳が尋ねると祝詞は、「ええ」と言った後で、首を横に振った。
「今のは、憑いていたその辺の……霊です。詳細は分からないけど、雰囲気からして悪い影響を及ぼすものなので、消しました」
「消した……?」
「ええ。でも、俺が見たところ、何も解決してないっぽいんですよね」
「どういうことだ?」
「ええと、説明するのに、かなり時間かかりますけど、どうします?」
祝詞はつづけて、
「あと、客観的に聞くとかなり胡散臭いし、オカルト感も強いんで、正直信じられないと思います」
「……説明してくれ。信じるさ。だって、私はすでに信じれないような体験をいくつもしてるんだ」
淳の言葉に祝詞は小さく頷き、
「それでも、信じたり、理解するには、かなり壁があると思いますけど……」
と言った。
「私には、その……見えないんだけど……」
口を開いたのは、娘の太鳳だった。
「さっきのも、見えなかったけど、確かに、何かを感じてる。良くないことが起きていて、良くないものが憑いているって、そんな気配は凄く感じるんだ。お父さんは、ずっと苦しんでて、それを見てるお母さんも、私も、辛いから。式守君は、なんだか本物って感じがするし、さっきのもすごく、信憑性があった。あなたが言うことなら、きっと信じられる」
そう言う太鳳を見て、親光が「だってさ」と言った。
「ありがたいけど、安易に信用しすぎるのはおススメしない」
皮肉を言ってから祝詞は大きく息を吸った。
「これは、俺の経験測と、実践して検証してきた結果と、事実俺が見えてるモノと、そういう、言ってしまえば『俺の真実』ってことになってしまうんだけど……」
祝詞は前置きをしてから語りだした。
「まず、そうですね。幽霊というものの、一般的な認識や定義と、俺が言う定義の誤差あたりから説明しますね」
幽霊……死んだ人間の魂的な何かが、何らの理由や、強い想いによって『あの世』というところに行くことができずにこの世にとどまっている状態、所謂『成仏』できていない人の魂を指す。
幽霊は死んだ人間であり、人間同様に意思を持ち、生きている人間に語り掛けたり、影響を及ぼす。
解釈の違いや、細かな齟齬はあるだろうけど、概ね、一般で認識する幽霊とは、このようなものだ。
「しかし、俺が知ってる事実というか、現実は、少しですが致命的に違っている部分があります。仮に、幽霊が人間の体から抜け出た死後の姿……魂だというのなら、それは違います」
「何が、どう違うんだい?」
「幽霊に、意思はありません。幽霊は思考しないし、感情もない。だから、会話も成立しない」
祝詞の言葉に、淳と太鳳、杏璃までもが、怪訝そうな顔をした。
疑っているのではなく、純粋に現時点では理解に至っていないのだ。
「で、でも、よく心霊体験をした人の話だと、語りかけてきたり、恨みをもって何かをしたりするって聞くじゃないか。現に私のこの現象も、何か恨みのようなものを持っているとしか思えない。心当たりは全くないが」
今一つ、自分の言葉の意図が正確に伝わっていない感じがして、祝詞は少し考えた。
独特かつ、唯一の真実である祝詞の感覚を説明するのは、いつも困難であった。
仕事の都合上、大抵のクライアントには、実はこの手の説明はしないことが多い。説明はいつだって面倒な上に、伝わらないことが多い。祝詞たちに幽霊退治の依頼をしてくる者たちの目的は、霊障やら心霊現象が起こらなくなることであって、その理由まで詳細に知りたがる人間は案外少ない。となれば、わざわざ説明する必要はないのだ。
だが、今回は少し違う。
同級生の幼馴染という、微妙にドライな関係に徹することが難しい今の状態では、説明した方が円滑にするのは明らかなのだ。
「……佐藤……いや、淳さん。あなたは、ゲームとかはやりますか?」
「ああ。今はウエブデザイナーだが、実は以前は、ソーシャルゲームのディレクターをやっていたんだ。人並み以上には詳しいよ」
「ならば、簡単ですね。分かりやすく言うなら、幽霊はゲームのプログラムのようなものです。作られたキャラクターは、時に話し、行動し、影響を及ぼす。でも、それはプログラムされているからであって、ゲームやキャラクターに『意思』はないし、もちろん、魂なんてものもないでしょう?」
祝詞の言葉に続けたのは、親光だった。
「大前提として、死者は意思、人格を持たないんです。僕たちの結論では。死後の世界がどうとかは、正直分からないですけど、でも、少なくとも、死者は化けて出てこない……」
「じゃ、じゃあ、その……霊障っていうんだっけ? それらは、何なんだ? 幽霊のせいじゃないなら……まさか、思い込みだとでもいうつもりか?」
戸惑いながら、少し憤るように、淳が祝詞と頼光に言う。
「死後の魂は、存在しないけど、人間の『意思の力』というものはあるんです」
表情を変えずに、じっと淳を見つめ、祝詞は説明を再開する。
「これは、精神論みたいな曖昧なものではなくて、人間の感情が現実に干渉する力がある、という話です。脳波は微弱な電気信号を帯びています。電磁波のようなものを出すこともある。脳波は互いに干渉し、趣味趣向、思考などが似てくるという事実は、実験の結果ある程度検証されているんです。つまり、脳波……感情が極限に昂れば、この現実にも干渉することができる。……死んだあとも、影響を及ぼす電気信号、あるいはプラズマ体として残り続けて、プログラム通りに動き、話し、干渉する」
祝詞が言い終えると、淳は納得がいったように目を見開き、何度も頷いた。
「そういうこと、か。死んだ人間の最後の意思や感情が、電気信号として強く残って、それが映像化して見えたり、音になって聞こえたり、時には物理的な干渉をする。一瞬聞くと、ファンタジーのようにも思えるけど、辻褄は合う……か」
淳はテーブルの天板を見つめながら、そう言った。
「ええ。言わんとしていることが伝わったようで、良かったです。それで、この式守祝詞は、その電気信号やプラズマ体と言ったエネルギー体を、分解する力を持っているんです。おそらくですが、特異体質のようなものですね。他に、電磁波や強い磁力を発生させるもので攻撃すれば、僕のような普通の人間でも、ある程度は干渉できるんです。まぁ、彼のようには確実には行きませんけどね」
頼光が補足する。
「幽霊が見えるとか、見えないとか、そういうのもその信号に波長があうかどうかってところが大きいので、どの程度見えるかというのは、それ如何になります。俺には、大抵のものがはっきり、くっきりと見えるし、触ることもできますけど」
「霊能者ってそう言うことなんだ……」
これまでずっと沈黙していた太鳳が、ようやくそこで口を開いた。
「他の『専門家』のことは分からないけど……。少なくとも俺や頼光はそうだし、この方法で見て聞いて、消してきたから、これが唯一の真実だと俺は思っています」
祝詞は言い切って、一息つく。
「ということで、俺の定義では、『幽霊』は、ただのプログラムなので、交渉も会話も成立しない。消すしかないんです。だから、さっき、あなたの肩の上にいたよくわからない女性の霊も、強制的に消した訳ですけど……」
前置きと説明が何とか終わり、ようやく祝詞は本題に入る。
「普通の場合は、霊障の原因となっているプログラム……『幽霊』を消してしまえば、それで終わりなんです。現状、あなたに憑いていた霊いなくなり、他に幽霊は見当たらない」
「だから、それなら、もう解決したんじゃないの?」
太鳳の言葉に、祝詞だけでなく、親光も渋い顔をする。
「さっきのは、本当に大した霊じゃないんだ。それに多分、淳さんとも全く関係がない霊だと思うんです。地縛霊のようなものを、引き連れてきてしまっただけ」
頼光が太鳳と淳に向かって言った。
「地縛霊も、同じなんだよね? その……プログラム? みたいなものっていう」
「地縛霊、悪霊、守護霊。色々な呼び方とジャンルがあるけど、全部同じです。死んだ人間の最後の感情、つまりはプログラムが、憎しみなら悪霊、守りたい気持ちなら守護霊、未練なら地縛霊っていう、それだけの話だから。それで、淳さん。問題なのは『幽霊』ではない、ということなんです」
祝詞はいよいよ、核心に迫ることを口にする。
「式守君、どういうこと?」
そう聞いたのは、杏璃だった。
「淳さんの霊障の原因は、幽霊ではなく他にあるってことだ」
祝詞の言葉に頼光以外の三人が、驚いた顔をした。
「幽霊じゃない……なら、なんなの?」
太鳳が問う。
「う~ん、そうだな。おそらくだが、『呪い』だと思う」
「呪い?」
杏璃が、怪訝そうな顔で聞き返す。
「そうだ。霊が見えない……つまりは、祓うべき相手が見えない。なのに、霊障は確実に起こっている。となれば、考えられるのは『呪い』だ」
「でも祝詞、『呪い』は専門外じゃないのか?」
「専門外、というか、単純に経験数が少ないんだ。これまでに遭遇した呪いは、たったの三件だけだ。それも解決したのは、一件だけ。幽霊に関するものが四十件以上ってことを考えると、圧倒的に少ない」
「じゃあ、どうするの?」
不安な声で、杏璃は聞く。
祝詞は黙ったまま、少し考えこんでいた。
幽霊を始めとした怪奇現象、超常現象を前に、祝詞がこれほどまでに真面目な顔で悩むのは、珍しいことだった。
幽霊に対して、祝詞の優位は常に圧倒的であった。
どんな悪霊であっても、祝詞の特異体質と道具を駆使すれば、まともに対応することが出来、大抵の場合は怪我すら負うことなく消し去ることができる。
だが、それは先ほどの説明のように、相手が『幽霊』であり、プログラムであるからだ。
「式守君……の、力は、本物なんだよね? なら、その……お父さんに起こっていることが、『呪い』でも、なんとかできるんだよね?」
太鳳が縋るように言う。
「佐藤さん、一般的な認識では、幽霊も呪いも同じようなものだと思っているかもしれないけど、実は全くといっていいほど、その二つは違うんだ」
祝詞の代わりに、親光が答える。
「幽霊や霊障っていうのは、確かに生前や死に際の強い意思が作用して現実に干渉するものなんだけど、そこに儀式的なものが介入していないんだ」
「儀式的なもの?」
杏璃が小首を傾げる。
「……少しニュアンスは違うが、一番近いのは『過失』と『故意』みたいなものだな。例えば、怪奇現象の末に、死に至った人間がいるとして――」
その言葉に、太鳳と杏璃、そして淳は苦い顔をするが、祝詞はそれを受けてなお、構わずに続ける。
「幽霊による死は、過失。呪いによる死は故意の殺人となる。そして、故意の殺人には対価を支払う『儀式』が不可欠だ。あいにく、俺はその『儀式』に関しては、そこまで詳しくない」
「祝詞、例えが良くないよ」
「いや、だって、それが一番分かりやすいだろう」
「それで、の、呪い、だったとして、私は、どうなるんだ? このまま放っておいてよいものじゃないよね?」
淳が恐る恐る訊ねる。
「……分からないです。さっきも言った通り、呪いに関しては、俺は大して詳しくないので、確かなことは何も言えません。なので、少し対応が変わります。俺だけで完結できない以上、俺より呪いに詳しい人に聞いて、それから調査します」
祝詞は、淳をじっと見つめながら、そう言った。
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