22

 古本屋を出ると、外は夕暮れ時だった。

 懐かしい匂いの温い風が、夏の気配を感じさせた。

 そして、国上と美薗白百合公園まで並んで歩いた。

「国上ちゃん、私さっきは、つい古本屋さんに特に異常ないって言っちゃったけど、右手から少し風が出るんだよね」

 私はそう云って、右腕を上げて、手の平を彼女に向けた。

「え!?凄い!魔法使いみたいだよ、美濃ちゃん」

 国上は、本当に呑気だ。

 そんな彼女を見て、少しからかってやろうという気が湧いてきた。

 それに、さっきの飴玉の仕返しもあるし。

 私は、国上の足元に向けて、風を起こした。

 それは、精神世界で起こしたような竜巻なんかではなく、ふわりとした優しい、そよ風のようなものだった。

 夏が近いこの季節には、実に気持ちがいい風である。

 そして、その風は、国上のスカートを巻き上げた。

 まあどうせ、下には短パンなりを履いているのだ。

 しかし、実際に私の目に飛び込んできたのは――。

 赤色のショーツだった。

「……変態えっちすけべばか雨奈ちゃん」

 国上はそう云って、舞い上がったスカートを急いでおさえた。

 何で何もインナー履いてないんだよ、この子は。

「だって、もう暑かったんだもん……」

「ごめんなさい……」

 国上の頬や耳は、赤らんでいるように見えた。

 しかし、それは、私も同じだった。

 気まずいかも……。

「あのさ、雨奈ちゃん、私にセクハラし過ぎね?美濃ちゃんがこっちもあっちの世界も構わないで、私の自転車のサドルを指でなぞってることとか、その他諸々全部知ってるんだからね」

「……」

 何でやねん。

 しかし、まだ悪魔の告発は続くようで。

 否、悪魔は私だ。

「あと、雨奈ちゃんが気絶して病院に運ばれた時……この際は、雨奈ちゃんのスマホに私一人しか連絡先がなくて、真っ先に私に電話がかかってきたことは、スルーするとして……スルーしてあげるとして」

 やばい、怖い。何がバレたんだろう……。

 徐々に、私の心臓の鼓動が早まる。

 私は、ごくりと生唾を飲み込んだ。

「その時、雨奈ちゃんのスマホを一時的に預かったんだけど……写真ホルダ見ちゃったの」

 え、嘘、何で勝手に見ちゃうの。

 どうしようどうしよう。

「いや、ごめん、勝手に見ちゃった私も悪いんだけど。でも、雨奈ちゃんと写真撮ったこと多かったから、それを見たくて……つい……」

 その時の国上の心境を鑑みれば、確かに、そういうことなら……。

 本当にごめんね国上ちゃん。

 でも、今は、そうも言ってられないのだ!

「雨奈ちゃん、私を盗撮し過ぎ!!」

 国上は、そう私に叫んだ。

 私の人生終わっちゃった……。

「しかも、プールの授業の時の……私のあ、あんな写真とか……」

 今すぐここで全部消してもらうから、と国上は云った。

 これは、真剣な時の彼女だ。

「ごめんなさいっ!」

 私は、公園の芝生の上に頭をつけて土下座した。

 国上の顔こそ見えないけれど、恐らく、それはまあ蔑んだ目をしていることだろう。

 彼女は、私の背中の上に座った。でも、体重をかけないように少し腰を浮かしてくれている。

 そんなことしてくれなくてもいいのに……と思ってみる。

 まだそこまで私は、素直にはなれない。

「いいよ、許してあげる。優しい国上ちゃんが。じゃあ、スマホ貸して」

 私は、土下座したままポケットからスマホを取り出して、国上に渡す。

 彼女は、しばらくの間黙って操作していた。

 そして、返してもらったスマホの写真ホルダを見ると――。

「思い出フォルダ?」

 私が盗撮した写真は、もちろん全部消されていたが、その代わりに、国上と撮った写真がそのフォルダにまとめられていた。

 ちなみに、今はもう土下座はしていないし、国上は私の上に乗っていない。

「そう。これから私との写真は、全部ここに保存してもらいます!」

 国上はそう云って笑った。

「うん!国上ちゃんのスマホにも同じフォルダ作ろ」

「え?わ、私は、もうとっくに作ってあるからいいの……」

 そっか、嬉しいな。

 盗撮の件も無事許してもらえたみたいだし。

「ちなみに、これからは、定期的に雨奈ちゃんの写真ホルダチェックさせてもらうからね」

 どうやら、まだ仮釈放の身らしい。

 ――そして、二人で隣り合ってベンチに座った。

 丁度、沈みゆく夕日が見えて綺麗だった。

 だから、このベンチはお気に入りなのだ。

「雨奈ちゃん、これ、くれたの覚えてる?」

 国上はそう云って、首元に着けた青色のリボンの裏から何かを外した。

 それは、本の形をした――ピンバッジだった。

 夕日の光を受けて、ぴかぴかと赤色に光っていた。

 そして――私は、思い出した。

 私と国上が出会った日のことを。

 友達になった日のことを。

 何でこんな大事なことを忘れていたんだろう。

 否、自ら封印していたんだ。

 この記憶も。

 この大切な大切な記憶も。

 私が国上にあげたこのバッジは、小さい頃お母さんに貰ったものだった。

 そう、それだから封印していた。

 否、それだけじゃない。

 私は、怖かったんだ。

 国上が私から離れるのが。

 私と友達でいてくれなくなってしまうのが。

 それに、そう、本当は、長森さん達にいじめられたから復讐しようとかしたんじゃない。

 本当は、本音は、私が国上を……一人で……独占したかったから。

 ――嫉妬。

 醜い私の心。

 それが私の本当の気持ち。

 でも、今は醜いなんて思わない。

 それも、大切な私の心の一部だから。

「丁度去年のこのくらいの時期、私がこの公園で、そう、こうやって同じベンチに座ってた時……」

 私、泣いちゃってたよね、と国上は、静かにバッジを眺めながら云った。

 バッジに夕日が反射して眩しい。

「うん」

 私は、静かに相槌を打つ。

「私あの時さ、高校に進学して環境が変わってすぐってのもあったり……家のこととか……とにかく、色々あったりしてさ……」

 国上は、思い出すように、噛み締めるように続けた。

「うん」

 私は、国上の横顔を見ながら返事をする。

「そんでさ、あの時、雨奈ちゃん私を見つけて、声かけてくれたよね。……大丈夫って」

 私、それで救われた気がするんだ、と国上は云った。

 その声は、少し震えていたが、口は笑っていた。

 私は、胸ポケットに挟んである青色のヘアピンを外して手に取った。

「このヘアピン、国上ちゃんがその時着けてたヘアピン。それと交換したんだよね」

 元気が出る御守り。

 そう云って、国上に渡した。

 お母さんがそう云って私にくれたから。

 そうしたら、お返しにって、国上がヘアピンを前髪から外してくれた。

「うん。それから辛くなった時、不安になった時、リボンの裏に付けたこのバッジをいつも見るようにしてた。そしたら、本当に気持ちが落ち着いたんだ」

 ありがとう、雨奈ちゃん、と国上は、私の目を見て云った。

 その瞳に映る私の顔は、何だか凄く、嬉しそうだった。

「ううん。こちらこそありがとう、国上ちゃん。私もこのピンを肌身離さず持ってた。御守りのように」

 そこで私は、彼女の手の甲に、自分の手の平をそっと乗せて云った。

「私は、国上ちゃん、あなたに会うために、この世に生まれてきたんだ」

 そう、私の願いは、最初から叶っていたんだ。

 言い終わると、何だかすっきりした。

 憑き物が落ちたような……そんな感覚だった。

「……は、はあ……!?そ、そんなこと言ってくれるのは嬉しいけど……否、重いよ!私はそれを聞いて、一体どう受け止めればいいんだよ~」

 国上は、吃驚したようだった。

 まあ無理もない。

「そ、それに、雨奈ちゃん、いい加減あの時みたいに名前で呼んでよ!さっきから私だけなんだけど!」

 彼女もやられっぱなしではないようで、反撃してきた。

「う、うん……。中々タイミングが難しくて……」

 私は、そう言い訳をした。

「じゃあさ、せ~ので言い合お!もうさ、ちゃん付けじゃなくて、呼び捨てで!」

 国上は、嬉しそうにそう提案してきた。

 くそお。やっぱりまだ彼女の方が一枚上手だ。

 いくよ、せ~の!と国上は云った。

 ま、まだ心の準備が……。

「雨奈っ!」

「陽依っ!」

 そうお互いに呼び合った後、少し黙った。

 そして――。

 雨奈、雨奈、雨奈!

 陽依、陽依、陽依!

 そう何度も呼び合って、二人は笑った。

「もう、これで慣れたね、雨奈」

「うん、陽依」

 私は、前髪を上げて、手に持っていたヘアピンで留めた。

「お、やっと付けてくれた。凄く似合ってるよ」

 陽依は、私の顔を見て、そう褒めてくれた。

「私もさ、これから暑くなるし前髪上げていこうかな。……そしたらさ、お揃いだね」

 彼女は、意地悪そうに云った。

 しかし、もう私には、その程度のものは効かなかった。

「うん!そうしよ。じゃあ、私が留めてあげるね」

 私はそう云って、陽依の胸ポケットに手を突っ込んでヘアピンを取り出し、彼女の前髪をかき上げた。

 お互い凄く密着した体勢になったから、相手の息遣いまで間近に聞こえた。

 胸も当たり合って、そこから心臓の鼓動も感じられた。

 どくどくと、早まっている。しかし、これは私の音、というより……。

 陽依も緊張してくれてるんだ。

 私は、何だかそれが凄く嬉しかった。

「なんか陽依、赤ちゃんみたいな匂いする」

「あ、それ、ずっと私も雨奈に対して思ってた」

 私の鼻腔を掠めた彼女のミルクのような髪の匂いは、懐かしいような安心できる匂いだった。

 見ると、その狭くて可愛らしいおでこの隅に、小さな更に可愛らしいニキビが一つできていた。

「そう、これ!最近誰かさんのせいで寝不足でさ~。ちょっと前くらいからできちゃったんだよね」

 陽依はそう云って笑った。

 もう彼女には絶対に心配をかけない、私はそう誓った。

 そして、彼女のその小さなニキビにキスをした。

「な、何してるの雨奈!?」

「いいの、陽依。黙ってて」

 私は、無理やり彼女を制して、前髪をピンで留めてあげた。

「それじゃあ、帰ろっか」

 私はそう云って、ベンチから立ち上がった。

 すると、陽依が私の手を握った。

「こうやってさ、手握って帰ろ。カップルみたいにさ」

 そう云って、私の手をぎゅうと握ったまま、陽依も立ち上がった。

 やっぱり私は、まだ陽依には敵わなかった。

 ――人間は、物語が終わった後も、この美しく汚い現実世界で生きていかなければならない。

 でも、もう大丈夫。

 過去も未来も空想なんだ。

 あるのは、今だけ。

 そんな今を彼女と――。

そして、まだない未来を彼女と――。

思う存分寄り道して、意味のないこと、無駄を楽しんで生きていきたい――私が大好きな妖怪のように――。

 私の中にある青春の青色の匣。

 不安定で、何が入っているのか中身のわからない匣。

 その開け放たれた中に、彼女が入り込んで、いっぱいになるような――そんな気持ちだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

百鬼夜行ガールズ 青い匣 其原若草 @Sonohara_Wakakusa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ