第5章 無限に囚われて

・助手の過去


土田が私たちの前に置いた資料を見た瞬間。比々谷警部が「あっ!」と声をあげた。

そして、土田が途切れ途切れに内容を説明した。

「この事件は2年前の夏、警部2人の所属する警察署の管轄内で起こった事件です。会社をクビにされ、様々な人に裏切られた30代の男が、夜の住宅街で無差別に3人を刺殺、5人に重軽傷を負わせた事件です」

「覚えてる。その被害者の名前も、関係者もはっきり覚えてる」

そう言ったのはやはり何か思い当たる事がありそうな態度の比々谷警部だった。

「そうです。風谷くんが事務所に転職してくるにあたって僕は彼の事を探りました。まあ、探偵なので仕方ないですが。するとこの通り魔事件に必ず突き当たるんですよ」

私は、風谷がある事件を調べたくてこの探偵事務所の門をくぐったと言った事を思い出した。

「それが、風谷さんが調べたい事件だったわけですね」

私のこの反応に、土田が頷いた。

「この通り魔事件の被害者に風谷里央さんという方がいます。もうおわかりだと思いますが風谷助手の妹です」

比々谷警部はゆっくり頷き、私と沖沼警部は雷に打たれたように全身が痺れ硬直した。

「それが、白鳥が殺された第七の事件とどう関係してくる」

硬直から解かれた沖沼警部がすぐさま質問する。

「この資料には、事件の関係者の名前があると言いました。それは警察も含めてです。すると、事件発生直後。初動捜査ならびに、救護を行った警察の中に白鳥礼さんの名前があるんですよ。ちなみに、比々谷警部は救急隊と同タイミングで到着したとあります」

風谷と白鳥。接点がない2人が繋がった。

「その通りだ。土田、俺はあの事件のあと白鳥から相談を受けることが度々あった」

比々谷警部は記憶を辿りながら喋り始めた。

「白鳥にとってあの通り魔殺人はほぼ初めての殺人事件だった。パトロールをしていて現場に到着し、彼女は混乱したようだ。犯人の手がかりを見つけつつ、怪我人の救護を求められた。その中で『私は順序を間違えたかもしれない』と白鳥は言っていた。つまり、現場の証拠保存や、状況把握に時間を取られたせいで、助かるはずの人間を助けられなかったんじゃないか、そう何度も口にしていた」

その助けられたかもしれない人物が、風谷の妹だった。

だとすれば、風谷には白鳥殺害の動機がある。

私は怖くなって事務所の扉を確認した。風谷がそこにいるような気がしたからだ。

幸いこの予感は的中しなかった。

「だが、風谷くんは右利きだろ。白鳥は左利きの人物に刺殺されたんじゃなかったか」

沖沼警部が発言する。

私はその発言に対する答えが浮かんだ。

「私が思うに、犯人の利き手の問題については、各メディアでも取り扱っていませんでした。無限のマークと殺害方法だけです。だから、これまで犯人像がバラバラだったんじゃないですか。そして、第一、第二の犯人の利き手を知っている風谷さんなら、あえて左手で刺殺したことも説明がつきませんか」

土田はとても驚いた顔をした。

「そうだ。杉森さんすごいね」

褒められて少し嬉しい、しかし喜んでいる場合ではない。

「わかった。警察は兎本、中巳出、狛犬、猿川を逮捕し次第、風谷についても捜査する。今日は助かった」

沖沼警部はそう告げ、比々谷警部と共に事務所を立ち去った。


そこからの展開は凄まじい早さだった。警察はこれまでの失態と遅れを取り戻すごとく、その日の内に4人を逮捕し、自供させた。

殺害の動機については大方予想どうりだったという。

この報告を土田の事務所で聞いた私だったが、その場に風谷の姿はなかった。

「そんなに時間のかかる依頼じゃなかったんだけどな」

土田は何度もそう言った。

風谷は頭がキレる。もう逃亡を図ったとしてもおかしくない。

「いや、にしても疲れたよ。僕は大きな依頼が解決すると祝杯をあげることにているんだ。もし全てが解決したら杉森さんもぜひ食事に行こう」

土田は唐突に明るい雰囲気に変わってそんな事を言った。

そういえば、第一、第二の事件と遭遇した時も、レストランなどで祝杯をあげていたと風谷がこの前言っていた。

「そうですね。ぜひお願いします」

私は、ざわめきたつ街の中を家に向かって歩いた。

そのざわめきの中には、新聞の号外を配っている人物もおり、内容は無限マークの模倣犯逮捕。という内容だった。



・祝杯と血


翌日。私は仕事が休みのため、午前中はダラダラと部屋で過ごしていた。

来週からは、ダンスショーも別の演目に変わる。練習の疲れもあった。

そろそろ昼食でも作ろうと思い。

キッチンに向かうとポストに何か投函される音が聞こえた。

郵便物は珍しい、特にこんな昼間に来たのは初めてだった。

緊急を要する内容かもしれなかったので、私はポストを開けて、投函された茶封筒を取り出した。

それは土田からだった。

相変わらず文字は汚なかった。

電話をすればいいのにと思ったが、彼のことなので依頼の途中で近くに寄って投函したことも有り得るだろうと考えた。

内容はシンプルだった。


風谷の居場所判明。今夜警部ふたりと祝杯をあげよう。場所は都西ホテルロビー。時間は夜8時。僕は405室で昼寝をしているから起こしてくれ。


土田らしいと思った。

部屋をとって昼寝しているとは、やはり今回の事件の聞き込みは彼の体力を相当削ったらしい。また、手紙によると、風谷の居場所が分かったらしい。もしや居場所を突き止めたのも土田だったりして、私は彼の聞き込み能力に改めて感動した。

そして集合場所の都西ホテルだが、かなりの高級ホテルである。それに事務所から少し離れているような気もしたが、それだけの金額を払って祝杯をあげるだけの価値がこの事件にはあった。


午後7時。私はある程度のドレスコードを守るため着飾り、早めに家を出た。

電車を乗り継ぎ午後7時40分には都西ホテルに到着した。

ロビーで少し待ったが、警部も土田も現れない。

仕方ないので、土田を呼びに行くことにした。エレベーターに待機するホテルマンに405室の土田に用があると言うと、通してくれた。

それにしても、廊下はとても広くきらびやかで、土田に似合わないほど高級だった。

405室の前まで行くと、ドアのノックした。

返事はない。やはり昼寝をしているのだろうか。

試しにドアノブを捻ると、驚くほど簡単にドアが開いた。

こんなホテルでも鍵をしめないところに土田らしさを感じた。

「土田さん。時間ですよ起きて下さい」

覗き込んだ部屋の中は想像以上に広く、真っ白の壁に、綺麗なカーペット、奥に見えるベットも大きかった。

「土田さん」

呼び掛けには反応しない。水の音は聞こえないので、シャワーを浴びているわけでも無さそうだ。

「入りますよ」

私は奥のベットを目指した。

毛布には膨らみがあり、恐らく土田が寝ているのだろう。揺さぶって起こすためにベットに近づいたその時だった。

「声を出すな」

そう言われると同時に、私は手で口を塞がれた。抵抗しようとすると、私の目の前に光輝く刃物が現れた。

包丁だ。その切っ先が喉元に触れ、私は抵抗を諦めた。

「それでいい。声を出さずに手を上に上げてベットに座れ」

私は、その声に聞き覚えがあった。その男は私の背後にピッタリとくっついているため顔は見えない。ベットに座ると、さっきの膨らみはクッションで作られた事が分かった。

私は騙されたのだ。

この男。そう、風谷俊吾に。


彼は包丁をこちらに向けたまま、私の前に回り込んだ。

「この時を待ってたよ。杉森美香子」

彼の目を見て、風谷里央と重なった。そして、私の中の記憶がうっすらと蘇った。

「私をどうするつもりですか。逃亡する時の人質にするつもり」

私はできるだけ冷静に聞いた。

「違うね。わかってるんだろ。というより思い出して貰わないと困る。お前の罪についてだ」

私は、殺されるかもしれない恐怖に今更ながら襲われた。

そう、私は風谷に恨まれているのだ。

昨日、風谷里央という人物を思い出した時に気づくべきだった。

「なんだ。思い出したって顔してるな。そうだよ。俺の妹を殺した犯人は捕まってる。死刑判決も出された。しかし、もう2人里央を間接的に殺した人物がいる。それが白鳥礼と杉森美香子だ」

私は涙がこぼれた。それは恐怖に寄って流れた涙と、私の過去の行いに対して悔いる涙だった。


私は都市にやってきてすぐ、実家から持ってきたお金がそこを尽きた。

ダンサーの先輩何人かに借金をしていたのだ。その中に、風谷里央先輩もいた。

私は、現在安定した収入が得られるようになって、返済を終えているが、当時は先輩から返済を迫られても嘘をついて返済から逃れていた。

通り魔殺人の起きた日、里央先輩は私にお金を返すこと、これ以上他の先輩に迷惑をかけないように私を諭しに来た。

私はめんどくさいと思いながらも、追い返した。

その後、住宅街で通り魔にあったのだ。

つまり、私に会いに来ていなければ里央先輩は通り魔に殺されることはなかった。

風谷はその事を突き止め、いまこうして私を殺そうとしているのだ。


この事を思い出したのは、つい数分前だ。

白鳥礼と同じく、私は人の死に間接的に関わっていたのだ。

「その、聞きたい事があります」

「なんだ」

「白鳥礼さんをなんで殺すに至ったのか教えて下さい。どうしても知りたいんです」

「まあ、いいだろう。妹の遺品の中にメモがあった。死ぬ直前に書いたんだろう『シラトリさんたすけて』そう書かれていた。警察は白鳥の読み仮名が『シロトリ』だったから事件に関係ないと決めつけたんだ。おそらく、死の間際で聞き間違えたんだろうな、ずっと白鳥という人物を探していた。そしたら、俺が調べた馬込殺しの共犯者だと分かった。警察署で会って、妹のこと馬込殺しの事どちらも問い詰めたらどちらも認めたよ。」

風谷はここで言葉を切ると、包丁を強く握りしめた。

「白鳥は通り魔殺人の現場にいち早く到着したが、対応に困ったらしい。そして、救護が疎かになったらしい、瀕死の妹に名乗り、話しかけ軽傷だと判断してしまったらしい、暗くて気づかなかったらしいが、妹はその時点で大量に出血していた。すぐに処置が必要だった。それを白鳥は怠った!」

怒りは頂点に達し、ベットの横の机を蹴り飛ばした。

「お前もだ杉森!初めはダンサーという仕事に誇りをもってて、夢に向かって頑張っていると思ったさ、しかし、お前は妹から金を借り、返済を促すために家を尋ねた里央を追い返した。10分でも家にあげていれば、そもそもお前が金など借りなければ里央は死ななかった」

目の前の風谷の目は充血し言葉を発する度に唾が飛び散っていた。

この男は、私を殺す。きっと殺す。そう思った。命の危機をふつふつと感じた。

「嫌よ」

「いま何か言ったか」

「嫌、こんなところで死にたくない」

私の心は最後の抵抗に出ていた。

「いや、お前は死ぬんだ。無限マークの八人目の被害者として、そして俺は捕まる。きっと土田さんは気づいてるはずだ。だから迷惑をかけないために自首する」

そうすると、右手に持っていた包丁を左手に持ち替えた。

「原作に忠実じゃないとな、カラースプレーも持ってきた。俺にとっての無限マークの殺人は今完結する!」

そして、風谷は飛びかかってきた。私は一撃目をなんとかかわす。

そして、風谷の包丁をもつ左手を抑えた。

利き手ではないため力が上手く出せていないようだ。

その後地面で、何度か絡み合うように攻防を繰り広げた。私は必死だった。

足で蹴り、首をばたつかせ、抵抗を続けた。

「うっ」と風谷のうめき声が聞こえたと思うと、風谷の攻撃が弱まった。

するりと、立ち上がると衝撃の光景が広がっていた。

風谷の腹に包丁が刺さっていたのだ。

私の手にも血が着いている。「ひぃっ」と悲鳴をあげると私は洗面所で血を洗い流した。

戻った時、風谷は包丁の刺さった腹を天に向けて大の字に倒れていた。

「風谷さん、風谷さん」

私は呼びかけた。しかし反応はない、呼吸もしていない。

救急車を呼ばないと。とにかく、誰か助けを呼びたかった。ロビーに電話をかけようとして、何かに足を引っ掛けてしまった。

風谷のカバンだ。そこには、黒のカラースプレーが覗いていた。

その時、私の中の悪魔が囁いた。


私は風谷の身体から包丁を引き抜いた。

念の為、様々な場所の指紋を拭き取った。

そして、カラースプレーで壁に無限のマークを書いた。

「原作に忠実じゃなきゃ」

私は無意識のうちに風谷と同じ言葉を口に出していた。

荷物をまとめて、顔を見られないように俯きながら405室を出た。

しかし、その時にさっきのホテルマンにぶつかってしまった。

「お客様大丈夫ですか」

丁寧な口調で私の顔を覗き込むホテルマンの青年。

この時の私の目はきっと馬込のように血走っていたに違いない。

ホテルマンの青年は、少し驚いたような顔をした。

「ええ。気にしないで」

私はできるだけ早く、ホテルから離れたかった。

夜の街を走った。



・第八の殺人


「被害者は我々が追っていた風谷俊吾。28歳。正面から刺されていますが、利き手は推測できません。壁にはカラースプレーで書いた無限のマークがあります。死亡したのは午後7時50分から8時半までのあいだと予想できます。ホテルマンの猪爪大介さんがその時間帯に若い女性が部屋にいた事を証言しています」

現場を見ながら愕然としているのは、土田と比々谷警部と沖沼警部の3人だった。

若い刑事が事件の概要を述べて、立ち去ったが誰も一言も発しない。

重く、苦しくなるような空気が3人を推し潰そうとしていた。

「僕は、風谷里央さんについて聞き込みをしたんですよ」

やっと口を開いたのは、信頼を置く助手が第七の殺人の犯人であり、第八の殺人では被害者になってしまった探偵だった。

「これは、つい数時間前に得た情報なんですがね。風谷里央から杉森美香子が借金をしていたという話です。通り魔殺人があった住宅街は風谷里央の生活圏から少し離れている。あの日、なぜあの住宅街に行ったのか、調べていたら杉森美香子に会った帰りでは無いだろうか、という証言が得られました」

沖沼警部は目を丸くした。

「つまり、風谷くんは杉森さんにも殺意があったと言うことかね」

「僕には分かりません。考えたくもない」

土田は自暴自棄になりかけていた。

「ではこの状況はどう説明する。殺意を持っているはずの風谷がなぜ殺された」

「だから分からないと言っているでしょう」

「まあ、落ち着け土田。杉森さんとは連絡が取れないんだろ」

比々谷警部が土田を落ち着かせた。

「ええ、7時半頃に電話をかけたんです。君が狙われてるかもしれないと伝えるために。しかし、留守でした。」

「彼女の家から都西ホテルまでは40分ほどかな。もし7時に家を出ていたとしたら、番号時刻にはここに到着するはずだ。もし風谷に上手く呼び出され、殺害されそうになり、正当防衛で殺したのなら、なぜ逃げる、なぜ無限マークを残す。わけがわからん」

一人で喋って一人で混乱する比々谷警部。

土田は猪爪大介というホテルマンに話しかけた。

「猪爪くんと言ったね。犯人の顔を見たならこの紙に似顔絵を書いてくれないか」

土田は、自分のノートを破くとペンと共に渡した。

「私は絵は得意ではありません」

すると土田が珍しく声を荒らげた。

「君が、頼みの綱なんだよ!証明してくれ誰が犯人で、誰が犯人じゃないかを!」

土田は犯人に同情してしまうことがよくある。この事を警部2人はよく知っていた。

自分の助手の風谷だけならともかく、杉森までが殺人犯になってしまっていることを信じたくないのだろう。

「落ち着け土田」

沖沼警部が土田を止める。

「猪爪くん頼むよ」

土田は懇願するように言った。

「絵で書くまでもないです。信じられないほど美人でした」

比々谷警部は別の刑事にもって来させたある写真を猪爪に見せた。

「彼女で間違いないかね」

「ええ。たぶん彼女です」

その写真は杉森美香子のものだった。彼女の仕事場から借りて持ってこさせていたのだ。

杉森美香子が第八の殺人の犯人。たとえ正当防衛だとしても、逃亡していること、救護しなかったことは罪に問われるだろう。

沖沼警部はその様子を見て唸った。しかし次の行動のために動き出した。

一人、土田だけは違っていた。

「猪爪くん。今、たぶんって言ったよね」

「よせ、土田。現実を受け止めろ」

比々谷警部が土田に言う。

「警部は静かにしてください」

ピシャリと言うと、土田はもう一度猪爪を見つめた。

「僕の助手になってくれないか」

猪爪は困惑している。

比々谷警部はため息をつくと杉森美香子を探すように手配した。

無限に囚われた殺人の連鎖が終わることを願って。

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無限の殺意 栗亀夏月 @orion222

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