お気に入りの空

寺田香平

第1話 あなたが去っていった空

 


 ふと気の抜けた瞬間、私は空を眺める。


 別に空から美女が降ってくることも、人生を好転させる格言が空に浮かんでいるわけでもない。


 それでも、私は空を眺める。


 特に意味はない行為。ただ、律儀に空は私に色々な表情を見せてくれる。


 晴れに曇り、雨。珍しいときには雪や虹なんてこともある。


 まだまだ、人生100年の四半期ほどしか生きていない私。


 ただ、その人生の結構な時間。私は空を眺めている。


 それなのに、空は一度として同じ顔を見せてくれない。


 まあ、空も私の機嫌などどうでもいいと思っているんだろう。


 社会も学校も、病院のベッドから空を眺める私の機嫌など気にしてはくれないのだ。


 ただ、そんな社会の取り残された私にも望みってやつがあるんだ。


 だから、ちょっとした冗談で私は空に話しかけてみる。


「ねえ、光芒を見せておくれ」


 光芒、雲の隙間から零れる光のベール。天への階段。きっと、私のお気に入りの空。


 一度だけ見たそれを私は忘れられない。


 綺麗だったから? 珍しかったから? そんな浅い理由ではない。


 ただ、あの人のところに行きたい。


 光芒が見えた日に去っていった人。永遠の愛なんて、恥ずかしい約束をした人。


 残念ながら、私の薬指に指輪をはめる前に行ってしまった人。


 あの人の元に行きたい。


 だから。


「ねえ、光芒を見せておくれ」


 もう一度、繰り返す。


 でも、空は私の機嫌など気にしないのだろう。


 気ままに、私のお願いなど気にせずに流れていく。


 それを観察して、私は想う。


 もう少し、私はそこには行けないと。


 ただ、光芒を見られたら。


 お気に入りの空を見られたら。


「私はあなたのもとに行けるかな」


 重要なのは、そこだ。だから、もしかしたら。


 光芒を。お気に入りの空を見られない私は。


「あなたの元には行けないのかもしれないね」


 全ては妄想。空を見て浸っているだけの痛い奴。


 そう、分かっている。それでも、私はもう一度繰り返す。


「ねえ、光芒を見せておくれ」


 すると、不思議なことに空を覆っていた雲に切れ間が生じる。


 そこから、光が零れる。


 光芒。私のお気に入りの空。あの人が去っていった場所。


 どうやら、空は気まぐれに私のお願いを聞いてくれたらしい。


 だから。


「ありがとう」


 そう言って、私は身体の力を抜いた。


 ◇◇◇◇


 真っ白な病院。基本的には死が決まっている人間が、最期を過ごす病院で今日も一人の患者が死んだ。

 それは当たり前の事。産婦人科で子供が生まれるように、この病院では人が死ぬ。そんな病院で、看護師はいつも通り遺体に処理を施す。死んだ人間の顔に特殊な薬液を塗って、表情を笑顔にするのだ。

 看護師はいつも通りその遺体にも薬液を塗ろうとして、止める。

 その遺体は、微笑んでいたから。

 満足そうに、笑っていたから。

 看護師はそんな遺体の指をみて。生前の魂に、話しかける。

「お疲れさまでした。あの人には会えたみたいですね。」

 もう遺体になってしまった身体、その左の薬指。

 そこには、光芒が差し込んでいる。

 看護師には、それが指輪のように見えた。だから。

「お幸せに」

 そう、ここにはいない魂達に話しかけた。



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お気に入りの空 寺田香平 @whkj

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