渡らずの橋
口羽龍
渡らずの橋
恵介は雪深い北海道を車で走っていた。この辺りは無人の山林だ。もう何年も人が住んでいないようだ。最後にここに人がいたのは何年前だろう。全く想像がつかない。
と、恵介は巨大な建築物に目を奪われた。そこには巨大なアーチ橋がある。もう何年も使われていないようで、道路の部分だけ途切れている。
「これ、何だろう」
恵介は見上げた。いつの時代に、何のために建てられたんだろう。
「すごいなー」
と、そこに老人がやって来た。その男は軽トラックに乗っている。この辺りで農作業をしている人のようだ。
「おい!ここで何をしてるんだ」
恵介は振り向いた。そこには老人がいる。老人は厳しそうな表情だ。
「あっ、すいません」
「いやいや、いいんだよ。崩れる危険があるからあんまり近寄らないようにね」
この橋は朽ち果てていて、崩落の危険があるため、近寄らないようにと言われているようだ。
「本当にごめんなさい」
と、恵介はこのアーチ橋が何に使われていたものなのか、気になった。ぜひ知りたいな。
「あの橋、何なの? 途中で途切れているけど」
すると、老人は下を向いた。その橋に関する何かを知っているようだ。
「その橋か? 教えてほしいか?」
「うん」
恵介は興味津々だ。早く聞きたいな。
「知室(しりむろ)線って、知ってるか?」
恵介は固まった。全く聞いた事がない。というよりか、北海道の鉄道の事をあまり知らない。鉄オタほどじゃないけど、廃線になった路線の事は全くと言っていいほど知らない。
「知らない」
「そうだろうな。たった15年でなくなったんだからな」
老人は残念そうな表情だ。この路線を知っている人、乗った事のある人なんて、ほとんどいないし、いてもその多くは村を出て行ったり、亡くなった人ばかりだ。
「えっ!?」
「国鉄の路線だよ。どうしてこんなの開業したんだろうなって。しかも全通しなかったんだよ」
知室線は途中まで開業したものの、その先は開通する事はなかったという。その計画は壮大なもので、根室標津を経て根室まで延びる予定だったという。だが、開業した押山(おしやま)から先の工事は全く進まなかったという。その中で進んだのは、このアーチ橋ぐらいだ。
「そうなんだ」
「この北海道には、もっと多くの路線があったって、知ってるか?」
恵介は呆然となった。北海道の廃線跡なんて、全く知らない。鉄道の事はあまり知らない。
「知らない」
「標津線に天北線、羽幌線、幌内線、歌志内線、名寄本線」
どれも聞いた事がない。どこにあったんだろう。ただ、地名はわかる。標津は鮭で有名な所、幌内には三笠鉄道村がある。
「それも知らないです」
「みんな、国鉄からJRに変わるまでに廃止されていったんだよ」
恵介はその事も知らない。国鉄は1987年4月1日に民営化され、JR北海道の他に、東日本、東海、西日本、四国、九州、そして貨物に分かれたそうだ。恵介はそれも知らない。
「そうなんだ」
「だけどこれは、その前に赤字83線に指定され、廃止されたんだよ」
赤字83線は昭和43年に国鉄で起こったもので、使命を終えたとされ、バスに転換されたという。
「ふーん」
「あの橋は、知室線が延びるはずだった区間の橋なんだ。定かじゃないけど、竹が中に入ってるんだ」
恵介は驚いた。今の時代、鉄筋コンクリートなのに、鉄の代わりに竹が使われていたなんて。
「えっ!?」
「この橋は、戦時中に金属供出で鉄がなかった時代に、鉄ではなく竹で骨組みをして作られてんだ」
こういうのを竹筋コンクリートといい、戦時中に建設されたアーチ橋に多少あるという。九州ではよくあるらしいが、そのほとんどが廃止されたという。だが、それらに竹が使われていたかどうかは不確かだという。
「そんな・・・」
「九州にはそんなのがちらほらあるらしいけど、そっちも定かじゃないんだ。でも、目撃証言があるんだよ」
こんなに壮大な計画があったとは。でも、開通しても需要はあるんだろうか? こんな車社会や過疎化の中で、ほとんど乗客が入らないだろうから。
「そんな計画があったんだ」
「知室線はほんの少し、押山(おしやま)まで開通したらしいけど、そこから先は延びなかったんだ」
恵介は押山という地名を知っている。というより、自分の住んでいる集落だ。こんな集落に鉄道があったのか。それに、今さっき教えてもらった知室線だったとは。
「えっ、それ、僕の住んでる所だよ」
「そっか。お父さんやお母さんから、その話、聞いた事ある?」
「ううん」
恵介はその事を聞いた事がない。全く興味がなく、ただ生活してきた。
「そっか。今はもう忘れ去られたのかもね」
老人は下を向いた。押山に鉄道が走っていたなんて、今じゃ想像できないだろうな。だって、こんなに澄んでいる人が少ないんだもの。
「こんなの、作ってよかったんだろうかね」
そして、老人は思う。どうしてこんなのを作ったんだろう。こんなに路線を計画して、建設して、本当に需要はあるんだろうか?
夕方になって、恵介は家に帰ってきた。家では母がシチューを作っていたようで、シチューのいい香りがする。その香りで、恵介はうっとりした。
「ただいまー」
「お帰り、どこ行ってたの?」
恵介はここで農作業をしているが、この時期は全く農作業ができない。だからどこかに出かける事が多い。
「ごめんなさい」
恵介はあの橋の事や知室線の事が気になった。全く聞いた事がないけど、聞いてみようかな?
「お母さん、ここに鉄道があったって、本当?」
それを聞いて、母は何かに気付いた。知室線の事を知っているようだ。知っている事があれば、ぜひ聞きたいな。
「うん。写真を見たい?」
「見たい!」
母は部屋に行った。恵介は母の後について行く。母の部屋に入る事はあんまりない。まさか、母が写真を持っているとは。
「これだよ」
母は1枚の白黒写真を撮り出した。小さなディーゼルカーの写真だ。中央に折り戸があり、長さは普通のディーゼルカーの半分ぐらいだ。
「何これ?」
「レールバスって言うんだよ。小さな電車で、お客さんがあまりいない路線で走ってたんだって」
レールバスとは、バスの車体を使ったディーゼルカーだ。軽くて小さくので、あまり乗客の多くない路線で使われたという。だが、レールバスは老朽化が早く、もろいし、冬は寒いので、あまり使えなかった。それに、定員が少ないのでラッシュ時は普通の大きなディーゼルカーが走る事もあったという。
「ふーん」
「だけど、冬はとっても寒かった。それに、故障が多いし」
母はレールバスに乗った時の思い出をはっきりと覚えていた。とても寒いし、乗り心地が悪い。
「そうなんだ」
次に、母は別の写真を撮りだした。そこには『サヨナラ知室線』と書かれたヘッドマークを付けたディーゼルカーがある。どうやら営業最終日のようだ。
「これは?」
「廃止になった時は多くの人が来たんだよ。だけど、どうしてこんな線路を作ったって思う人もいたんだ。で、私もそう思うんだ」
あの老人同様、母もそう思っているようだ。こんなのを作っても全通しないままに終わった。そう考えると、あの橋もそうだが、どうしてここに計画したと思えるぐらいだ。
「あの橋の辺りで会ったおじさんも言ってた」
「やっぱりそうか」
誰もがそう思っているようだ。北海道にはこんな鉄道がよくあって、廃止されていったという。どうしてそんなに鉄道を敷いたんだろう。需要がないのに、敷く必要があったんだろうか? 母も恵介も深く考え込んでしまった。
渡らずの橋 口羽龍 @ryo_kuchiba
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